楢崎皐月(ならさきこうげつ)の生涯
明治32年(1899年)5月9日
-母の実家である山口県萩市で生まれる
-父の実家である北海道小樽市で育つ
大正6年(1917年)18歳
-日本陸軍に入隊
大正8年(1919年)20歳
-日本陸軍の少尉任官に就任。その後除隊
-日本電子工業の電気専門学校(レントゲン専門)に入学
大正9年(1920年)21歳
-田中智學が設立した国柱会に入信する
〈国柱会〉
国柱会は戦前の大正期に元日蓮宗の僧侶である田中智學によって創設された法華経系の在家仏教団体です。純正日蓮主義を奉じるもので、戦前の右翼に大きな影響を与えました。田中智學は、國體研究に際し、日本書記の神武紀にある「掩八紘為宇(えんはっこういう)」という言葉に注目しました。これは、日本の初代天皇である神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)が即位し都を建てたときの大詔(おおみことのり=天皇の宣言)に出てくる言葉で、八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)に為(せ)むと読みます。八紘とは八つの方位、神道では天地を結ぶ八本の綱であり、全世界を意味します。為宇(いう)とは一つの屋根を意味します。このことから、掩八紘為宇とは全世界は一つの家族であると訳され、田中智學はこれを要約した八紘一宇という言葉を国柱会のスローガンにし、全世界に法華経と神道を広め、全世界を日本人と同じ思想にすることで世界平和が実現できるとし、国柱会に入信した石原莞爾や宮沢賢治らとともにこの思想を発展させていきました。宮沢賢治が実践していたイーハトーヴはイエハトウ(家・八・統)を横文字にしたもので、八紘一宇をあらわしています。
〈神武天皇とヤマト〉
神武天皇は日本民族の創設者で、最初の統治者とされています。彼の称号である神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれひこのみこと)のカム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコトをヘブライ語に置き換えると、神の子孫であるヘブライ民族の高貴な創設者となります。ヤマトという言葉は、ヘブライ語に属すアラム語に置き換えると YA(神)、UMATO(子孫)で、神の子孫を意味します。
大正10年(1921年)2月
-第1次大本事件
-日本政府は大本教を弾圧し、出口王仁三郎を起訴
大正11年(1922年)
-世界紅卍字会設立(中国の山東省)
大正14年(1925年)26歳
-発明に天賦の才能を発揮
〈楢崎皐月の得意分野〉
楢崎皐月が技術者として最も得意だった分野は、高電圧あるいは高周波の電磁場(フィールド)が物象に与える影響でした。ことに雷現象については若い頃から研究を積み、後年、大地を通る電気や磁場、植物の波動、人体の波動、電気と生理学、宇宙の波動(潜象物理学)、そして直感の物理からカタカムナのサトリの解明へと向かいました。
昭和6年(1931年)9月
-満州事変勃発
昭和8年(1933年)
-宮沢賢治没
昭和10年(1935年)12月
-第二次大本事件
-日本政府は大本教を弾圧し、出口王仁三郎妻や1000名近くの信者を検挙(起訴61名)
-大本教関連の施設は破壊され、関連組織も解体された
昭和11年(1936年)37歳
-福島県相馬市原町地区に日本炭油工業株式会社を設立する
-人工石油の開発に成功する
昭和12年(1937年)38歳
-支那事変(大日本帝国と中華民国の間で起こった武力衝突)勃発
〈楢崎皐月の満州時代〉
支那事変(大日本帝国と中華民国の間で起こった武力衝突)が勃発し、日本がますます世界から孤立していく中、当時38歳だった楢崎皐月は、陸軍の東條英機に熱心に頼み込まれ、その年にノモンハン事件(満州国とモンゴル人民共和国の国境線をめぐる紛争)等で苦境に立たされた軍隊が必要としていた特殊な鉄の技術開発のため、満州吉林にある陸軍製鉄技術試験所の所長に就任しました。このあと楢崎皐月は石原莞爾らと親交を持ち、陸軍大陸派満州人脈とつながります。
▶弥栄地(イヤシロチ)と氣枯地(ケカレチ)
昭和15年(1940年)
石原莞爾が田中智學の日蓮主義思想のもと、「世界最終戦論」を発表する
昭和16年(1941年)12月
-大東亜戦争に突入
昭和20年(1945年)7月
-ポツダム宣言受諾によって日本は終戦を迎える
昭和22年(2947年)4月20日
-星一(ほしはじめ)が第1回参議院選挙に立候補して当選を果たす。
〈星一の政治理念〉
星製薬の創立者である星一参議院議員は、長年の戦争で国土が荒廃したこと、満州、台湾、朝鮮、樺太の植民地を失ったこと、その失われた植民地からの引揚げによる人口の急増に対処するため、直面する飢餓状態の脱却を図り、かつ将来の食糧自給に備えなければならないと考えた。
昭和22年(1947年)5月3日
-日本国憲法の施行とともに宮内府が発足し、内閣総理大臣の直轄の機関となる。
昭和23年(1948年)
-宮内府の長官や侍従長に新渡戸稲造や内村鑑三門下のクリスチャンが就任。
昭和24年(1949年)
-平十字とカタカムナ文献に出会う。
〈カタカムナとの出会い〉
昭和24年1月、楢崎皐月は、科学技術者として大地電気(それぞれの土地にまつわる電位)の調査のため、兵庫県神戸市灘区本山町にある六甲山系の標高338mの金鳥山(きんちょうざん)の山中にある狐塚(きつねづか)というところに穴を掘り1ヵ月ほど野営をしていました。するとある日の深夜に平十字(ひらとうじ)という異様な風体の老人が現れて、地表に電気の機器を置いていることで動物たちに悪影響があると指摘すると、楢崎皐月はその老人の言葉を素直に受け入れ、すべての電気の機器を撤去することにしました。その後、その老人は、楢崎皐月に興味を持ち、自分はカタカムナ神社の宮司の子孫であり、カタカムナ神社の御神体として代々伝えられている巻物を筆写することを許しました。楢崎皐月はこの筆写した記号を二十数年の歳月をかけて解読しました。これが現在カタカムナと呼ばれているものです。
明治32年(1899年)5月9日
-母の実家である山口県萩市で生まれる
-父の実家である北海道小樽市で育つ
大正6年(1917年)18歳
-日本陸軍に入隊
大正8年(1919年)20歳
-日本陸軍の少尉任官に就任。その後除隊
-日本電子工業の電気専門学校(レントゲン専門)に入学
大正9年(1920年)21歳
-田中智學が設立した国柱会に入信する
〈国柱会〉
国柱会は戦前の大正期に元日蓮宗の僧侶である田中智學によって創設された法華経系の在家仏教団体です。純正日蓮主義を奉じるもので、戦前の右翼に大きな影響を与えました。田中智學は、國體研究に際し、日本書記の神武紀にある「掩八紘為宇(えんはっこういう)」という言葉に注目しました。これは、日本の初代天皇である神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)が即位し都を建てたときの大詔(おおみことのり=天皇の宣言)に出てくる言葉で、八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)に為(せ)むと読みます。八紘とは八つの方位、神道では天地を結ぶ八本の綱であり、全世界を意味します。為宇(いう)とは一つの屋根を意味します。このことから、掩八紘為宇とは全世界は一つの家族であると訳され、田中智學はこれを要約した八紘一宇という言葉を国柱会のスローガンにし、全世界に法華経と神道を広め、全世界を日本人と同じ思想にすることで世界平和が実現できるとし、国柱会に入信した石原莞爾や宮沢賢治らとともにこの思想を発展させていきました。宮沢賢治が実践していたイーハトーヴはイエハトウ(家・八・統)を横文字にしたもので、八紘一宇をあらわしています。
〈神武天皇とヤマト〉
神武天皇は日本民族の創設者で、最初の統治者とされています。彼の称号である神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれひこのみこと)のカム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコトをヘブライ語に置き換えると、神の子孫であるヘブライ民族の高貴な創設者となります。ヤマトという言葉は、ヘブライ語に属すアラム語に置き換えると YA(神)、UMATO(子孫)で、神の子孫を意味します。
大正10年(1921年)2月
-第1次大本事件
-日本政府は大本教を弾圧し、出口王仁三郎を起訴
大正11年(1922年)
-世界紅卍字会設立(中国の山東省)
大正14年(1925年)26歳
-発明に天賦の才能を発揮
-日本石油の依頼で高度の絶縁油を開発
-亜炭(炭化の度合いが低い褐炭)から石油を抽出するプラントを完成させる
-株式会社日本電機油商会を設立し、東京の丸の内ビルディングに事務所を構える
-亜炭(炭化の度合いが低い褐炭)から石油を抽出するプラントを完成させる
-株式会社日本電機油商会を設立し、東京の丸の内ビルディングに事務所を構える
〈楢崎皐月の得意分野〉
楢崎皐月が技術者として最も得意だった分野は、高電圧あるいは高周波の電磁場(フィールド)が物象に与える影響でした。ことに雷現象については若い頃から研究を積み、後年、大地を通る電気や磁場、植物の波動、人体の波動、電気と生理学、宇宙の波動(潜象物理学)、そして直感の物理からカタカムナのサトリの解明へと向かいました。
昭和6年(1931年)9月
-満州事変勃発
昭和8年(1933年)
-宮沢賢治没
昭和10年(1935年)12月
-第二次大本事件
-日本政府は大本教を弾圧し、出口王仁三郎妻や1000名近くの信者を検挙(起訴61名)
-大本教関連の施設は破壊され、関連組織も解体された
昭和11年(1936年)37歳
-福島県相馬市原町地区に日本炭油工業株式会社を設立する
-人工石油の開発に成功する
昭和12年(1937年)38歳
-支那事変(大日本帝国と中華民国の間で起こった武力衝突)勃発
〈楢崎皐月の満州時代〉
支那事変(大日本帝国と中華民国の間で起こった武力衝突)が勃発し、日本がますます世界から孤立していく中、当時38歳だった楢崎皐月は、陸軍の東條英機に熱心に頼み込まれ、その年にノモンハン事件(満州国とモンゴル人民共和国の国境線をめぐる紛争)等で苦境に立たされた軍隊が必要としていた特殊な鉄の技術開発のため、満州吉林にある陸軍製鉄技術試験所の所長に就任しました。このあと楢崎皐月は石原莞爾らと親交を持ち、陸軍大陸派満州人脈とつながります。
▶弥栄地(イヤシロチ)と氣枯地(ケカレチ)
昭和15年(1940年)
石原莞爾が田中智學の日蓮主義思想のもと、「世界最終戦論」を発表する
昭和16年(1941年)12月
-大東亜戦争に突入
昭和20年(1945年)7月
-ポツダム宣言受諾によって日本は終戦を迎える
昭和22年(2947年)4月20日
-星一(ほしはじめ)が第1回参議院選挙に立候補して当選を果たす。
〈星一の政治理念〉
星製薬の創立者である星一参議院議員は、長年の戦争で国土が荒廃したこと、満州、台湾、朝鮮、樺太の植民地を失ったこと、その失われた植民地からの引揚げによる人口の急増に対処するため、直面する飢餓状態の脱却を図り、かつ将来の食糧自給に備えなければならないと考えた。
昭和22年(1947年)5月3日
-日本国憲法の施行とともに宮内府が発足し、内閣総理大臣の直轄の機関となる。
昭和23年(1948年)
-宮内府の長官や侍従長に新渡戸稲造や内村鑑三門下のクリスチャンが就任。
昭和24年(1949年)
-平十字とカタカムナ文献に出会う。
〈カタカムナとの出会い〉
昭和24年1月、楢崎皐月は、科学技術者として大地電気(それぞれの土地にまつわる電位)の調査のため、兵庫県神戸市灘区本山町にある六甲山系の標高338mの金鳥山(きんちょうざん)の山中にある狐塚(きつねづか)というところに穴を掘り1ヵ月ほど野営をしていました。するとある日の深夜に平十字(ひらとうじ)という異様な風体の老人が現れて、地表に電気の機器を置いていることで動物たちに悪影響があると指摘すると、楢崎皐月はその老人の言葉を素直に受け入れ、すべての電気の機器を撤去することにしました。その後、その老人は、楢崎皐月に興味を持ち、自分はカタカムナ神社の宮司の子孫であり、カタカムナ神社の御神体として代々伝えられている巻物を筆写することを許しました。楢崎皐月はこの筆写した記号を二十数年の歳月をかけて解読しました。これが現在カタカムナと呼ばれているものです。