親族制度は社会のアイデンティティの根幹
親族制度というのは身近にありすぎて深く考えることが少ないかもしれないが、社会による違いがこれほど大きいということを忘れてはならない。この社会はどういう社会かという、いわば社会のアイデンティティは何によって決まるかと言えば、宗教や文化と並んで、というかそれより深いところに親族制度があるではないかと、家族社会学者のひいき目もあって考えてしまう。
日本の家族といえば家制度。「家」は父系で継承するものなのではないか、と思った方もいらっしゃるかもしれない。では今度は、ご親戚や知人で養子になった方がいないか思い出してみていただきたい。養子の必要は世代の人口学的条件にもよるので、皆さんが思い出せるとは限らないが、伝統的に見て日本は養子の多い社会だったのは間違いない。
わたしは家族社会学者だが、歴史人口学という方法で江戸時代から明治初期の家族の研究もしてきた。この時代には、地域や時期によるばらつきはあるが、男性のだいたい5人に1人は他家の養子になったことがさまざまな資料からも確かめられている。たとえば明治初めの多摩の農村地帯では、全世帯の戸主のうち20パーセントは養子としてその家に入ってきた男性だった(黒須・落合「人口学的制約と養子」)。さらに養子経験者のうち53パーセントは養父の娘と結婚した婿養子だったことがわかっている。
婿養子とは女系により家の連続性を確保する女系相続である。家督相続適齢期の息子はいないが娘はいる世帯は婿養子、どちらもいない世帯は婿ではない普通の養子を取るという原則が、ほぼ法則的に適用されていた。普通養子には男系や女系の親族に加え、全くの他人も含まれる。
この自由さは、「異姓不養」がルールだった中国や韓国の方々には驚きである。婿養子の話をしたとき、「乱倫」と眉をひそめられたこともある。考えてみれば息子になった養子と娘が結婚するのだから、近親相姦のタブーを犯している。「同姓不婚」にも抵触する。
しかし、実をいえば、宗門人別改帳の原史料には「婿養子」という表現はあまり登場しない。ただ「婿」と記されていることが多い。おそらく庶民の感覚では娘が後継者となるのは当然で、その夫として入ってきた「婿」が家の正式なメンバーとなるのは当たり前だったろう。「嫁」が養女にならなくてもその家のメンバーになるのと同様に。しかし、家の後継者は男系につながる「息子」でなければならないという父系規範に感化された人たち(武士や明治政府の役人たち)が、その色メガネをかけて庶民の家の「婿」を見たから、これも「婿養子」であったはずだと辻褄を合わすようになり、わたしたち研究者もその用語法を踏襲してきたのではないだろうか。女系相続が当たり前の社会では「乱倫」でもなんでもなかったのに、祖先に対して失礼だったと申し訳なく思っている。