たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

(パート4)日本の天皇と烏孫の、初代~6代目までの名前が一致してる件(日烏同祖論)

日本の初代天皇である神武天皇一家と、烏孫の昆莫一家の名前が一致してる件の続き。

第3代天皇~第6代天皇まで一気に見てみましょう。

 

 

3代目安寧天皇=烏孫王翁帰靡(肥王)

 

玉手箱 - Wikipedia

 

3代目の天皇は安寧天皇。「日本書紀」で和風諡号は磯城津彦命玉手看(しきつひこたまてみのみこと)といいました。「古事記」では師木津日子玉手見命。

一説に「玉手看」とは「浦島太郎の玉手箱」のことで、玉手箱を見た天皇だと言われてますが。それはさておき。

烏孫の3代目は肥王(ひおう)で、本名は翁帰靡(おうきみ)でした。

安寧天皇 磯城津彦玉手看・師木津日子玉手見命 

烏孫 肥王 翁帰靡 

一見して全然似てないですね。しかし名前の範囲を限定的に見てみましょう。

玉 手 看/見

翁 帰 靡

この部分で比較すると、凄い近くなります。

玉=王とそっくり。王(おう)は翁(おう)で発音が同じじゃないですか。

看・見(み)=靡(み)で同じになりますね。

「帰」という漢字の旁(右側)は「箒(ほうき)」だそうで、音読みは「シュウ」。

手は「シュ」なので、音を一致させてるでしょう。

だから、

玉(王oh) 手(shu) 看/見(mi)

翁(oh)  箒(shu) 靡(mi)

もうまったく同じである言っていいんですよ。

玉手箱を見た天皇、片や竜宮城から帰った翁(おきな)っていう、浦島太郎的な一致点も見えてしまいましたし。

しかも磯城はイソキで、烏孫にあったイシク湖のことだと思われますし。

これは記紀の編纂者が、安寧天皇の正体は烏孫の翁帰靡であることを知っていて、名前を合わせたような気がしますね。

「おうきみ」っていう名前も日本の天皇の呼称である「大王(おおきみ)」と同じなのもその現れです。

とにかくもう、3代目の安寧天皇=烏孫の翁帰靡です。

 

 

4代目懿徳天皇=泥靡(狂王)

 

懿徳天皇は、大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものみこと)です。古事記のほうでは、大倭日子鉏友命の表記でした。

一方で烏孫の4代目は、狂王、本名が泥靡でした。紀元前60年頃に記録されてます。

狂+泥という名前は、なんか悪意や狂気をかんじるところ。泥という漢字を当てはめた漢人が、顔に泥を塗ったのか。それとも実際に狂気に満ちた人だったのかもしれませんが。

 

「泥」って、日本の古い読みだと「ひじ」だったのです。

天皇の名前見て下さい。

「日子」は「ひじ」と読めるではないですか。そのまんま入っているんですよ。

懿徳天皇  大倭日子鉏友命 日子(ひじ)

烏孫 泥靡 泥(ひじ)

そして狂王という名前についても

狂王   狂・・・くる→刳る=穴を開けること

懿徳天皇 耜(すき)・・・土を耕す農具

     鉏(すき)・・・土を耕す農具、削るための刃物   

こんなふうに工具で一致させてる気がしました。

というふうに4代目の名前は、何となく一致してたわけです。

 

 

5代目孝昭天皇=泥靡?

 

孝昭天皇の和風諡号は、観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのみこと)、御真津日子訶恵志泥命でした。

ここで考えてみたいのが、烏孫の4代目泥靡との共通点です。

どちらも「泥」が入っていることで共通してるんですよ。

孝昭天皇 御真津日子訶恵志泥命 

烏孫 泥靡(ねいみ)

しかも「泥命」と「泥靡」の発音も、一致させてる気がしますね。

泥命(ないめい)

泥靡(ねいみ)

だからもしかすると、泥靡は懿徳天皇と孝昭天皇がごっちゃになっているかもです。

 

 

6代孝安天皇=烏就屠

 

次に日本の第6代天皇の孝安天皇です。和風諡号は日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)でした。

一方で5代目烏孫の昆靡は烏就屠(うしゅうと)でした。記録によると紀元前53年頃に  匈奴の外孫だった烏就屠が、泥靡を殺して烏孫王となったそうな。

この名前を比較すると?

孝安天皇 押人 おしひと→おしと、おしゅと

烏孫 烏就屠 うしゅうと→おしゅと

「烏」は音読みで「う」「お」だから、かなり似てくるんですよね。まぁオジサンとオッサンは違う発音だけど、意味は同じみたいなものですよ。

烏就屠=孝安天皇だとすると、孝安天皇はライバルを殺して皇位についたと、そういう感じになるのですが。まぁ妄想なので。

 

まとめ画像



 

 

というわけで

 

日本の神武天皇以降、欠史八代天皇も烏孫の王様と同一人物だった説が強まりました。

烏孫の王の系譜は、6代目以降も5世紀まで続くみたいですが。

しかし私見としては、紀元前1世紀の烏就屠が、天皇に当てはまってる最後かもしれないと思ったりします。1世紀初頭になり、烏就屠の子息の一団が、倭国を目指して出発したんじゃないかと。

そして天皇こと烏孫王の末裔は、150年くらいかけて、南匈奴→夫余→高句麗→三韓という道のりを、数世代にわたりに移動してると思われます。当時の記録はないので妄想ですが。

ちなみに僕は移民はもう要らないです、日本は鎖国しろ派ですけど。

次回は烏孫の王族が極秘で日本に向かったルートも、改めて解明します。

 

ぽちされたすかり

 

 

 

関連記事

(パート3)神武天皇一家と、烏孫の昆莫一家の名前が一致してる件(日烏同祖論)

(パート2) 神武天皇と烏孫の昆莫が同一人物だった件、証拠追加(日烏同祖論)

 

参考サイト:西