神経細胞の遺伝子Neurensinはどんな働きをするのか

-ヒトの神経系発生異常とNeurensinの関係-


Neurensin遺伝子はヒトの神経系疾患で注目されている

 過去10年ほどの間に、Neurensin1 (Nrsn1)遺伝子がいくつかの神経疾患と関わっていることが明らかになりつつある。例えば、学習障害やADHDなどの精神疾患や腸管運動を支配する神経の欠如(ヒルシュスプルング病)などである。一方で、Nrsn1のホモログ遺伝子であるNrsn2が発ガンと関わる事を報告した論文がいくつもでている。

 これらの研究は、家族性の症例をもとにゲノム解析をおこなうことによって、原因遺伝子をサーチする手法によって、原因となる遺伝子候補をあぶり出すというアプローチである。


Neurensin遺伝子とはどんな遺伝子か?

 そもそもNeurensinとはどのような遺伝子か。Neurite extension factor genesをNeurensin=Nrsnと呼んでいる。私達が始めて報告したのが1997年で、当時はまだ機能が十分わかっていなかったので、その分子量サイズと神経特異的であることからNeuro-P24と呼んでいた。その名の通り、神経細胞が突起を伸ばす際に機能していると考えられている。その遺伝子産物の特徴は、

⑴タンパク質の分子量は24KDaであり、アミノ酸配列から2〜3つの疎水性部分をもつ、膜タンパクであると考えられる。

⑵神経組織、神経細胞でだけ発現する。

⑶微小管と結合するドメインをもつ唯一の膜タンパクである。また、細胞小器官への輸送シグナルをもつ。

⑷神経細胞内の局在は、細胞内、軸索内小胞膜および細胞膜に分布する。

⑸発生期や神経軸索再生で、強く発現する。

などである。

 一方、Nrsn2は、膜タンパクであり、神経細胞にかなり特異的であるが、非神経組織でも発現が見られる。また、Nrsn1のようなはっきりした機能ドメインがみられない。分子量は、Nrsn1より少し大きい(28KDa)。


Neurensin研究のきっかけ—偶然のスタート

 研究の契機はさまざまだろうが、Neurensin研究に関してはかなり偶然の要素が絡み合っている。

 荒木がJT生命誌研究館から京都府立医科大学へ移動して1, 2年後、1995年頃であろうか、山仲間の竹谷茂(当時、関西医科大学)からの連絡で、共同研究をスタートさせた。当時、竹谷は肝臓タンパクの研究をしており、末梢型のbenzodiazepine受容体の脳内発現を調べていた。遺伝子クローニングの過程で、この受容体遺伝子とはほとんど相同性をもたないいくつかのクローンを(多分、偶然に)分離した。そのうちの1つが現在Neurensin1 (Nrsn1)と命名されているもので、当初はNeuro-P24と呼んでいた(機能不明の分子量24Kdタンパクという意味)。この遺伝子がコードするであろうペプチドを合成し、抗体を作成して、マウス脳内分布を調べた。大脳皮質の染色像を顕微鏡で観察したところ、神経生物学の研究者として、吸い込まれるような興味を覚えた。この瞬間から、以来20年以上にわたりNeurensinとのおつき合いである。

 顕微鏡下では、大脳皮質錐体ニューロンの樹状突起がものの見事に染色されていた。それも突起内に顆粒状に。直ちに、過去の文献をひたすら調べたが、このようなパターンを示す神経特異タンパクの存在は全く報告がなかった。一方、アミノ酸配列から予想されるタンパク構造も実にユニークである。膜タンパクであり、微小管タンパクチューブリンとの結合ドメインをもつ。このような性質をもつ膜タンパク質は過去に全く知られていない。つまりこの遺伝子がコードするタンパクはどのタンパクとも相同性がなく、新規タンパクである。従って、この遺伝子機能を調べることによって、未だ知られていない神経細胞の姿が分かるかもしれない、そんなワクワクした期待をもって研究に取り組んだ。脳内の各部域を抗体染色し、脳内分布パターンを調べた。当時は機能が分からないため、その分布パターンが何を意味するのか不明であったが、例えばマウスの嗅球、海馬、扁桃核などに強い反応が見られた。以上の報告は、最初の原著論文としと1997年にMolecular Brain Research誌に掲載された。


奈良女子大でNeurensin研究を開始—神経突起伸長機能の研究

 大阪市立大学の学部生永田兆が卒業研究として京都府立医科大で1年間研究し、さらに奈良女子大学で2年間修士研究をおこなった。永田は、まずNrsn1のモノクローナル抗体作成にチャレンジした。いくつかの有望なクローンを得る事ができたが、残念ながら完全なクローンとして分離することができず、この試みは成功しなかった。その後マウス網膜の発生過程のNrsn1発現の観察や、坐骨神経の軸索再生過程でのNrsn1発現の観察によって、神経細胞が突起を伸ばすときに重要な機能を持つことを示唆する結果を得た。網膜では、長い突起をもつ視神経細胞が特に強い反応を示した。この結果は、原著論文としてExp. Eye Res.誌に公表された。2期生の佐藤裕美子はNrsn1タンパクの脳内分布についてさらに研究した。また、これと並行して3期生の高崎理沙は新たにウサギでポリクローナル抗体の作成を試みた。その脳内パターン、とくに大脳皮質のパターンはNrsn1の分布パターンと類似したものであったが、ウエスタンブロットでは、なぜか38kdにバンドが検出され、24kdよりかなり大きいものであった。なぜこのようなサイズのものを認識するのか、今もって不明である。糖鎖修飾などの問題を検討したが、明確な答えが出ないままである。


Nrsn1のニューロン突起伸長機能:Neurensinと名づける

 Nrsn1が神経細胞の突起伸長に機能することは培養細胞でも確認された。例えば、COS7細胞に遺伝子強制発現すると、上皮性の細胞が長い突起を伸ばし始め、Nrsn1抗体で陽性の小胞性の反応が突起部に強くでる。そのほか、骨格筋に入力する運動神経軸索では、生後発生に伴って、生後1週間はNrsn1反応性がどんどん強くなり、その後消失する。この時期は軸索末端でシナプス競合と安定化がおこる時期であり、活発な軸索線維の動きを反映したものであると言える。4期生の井田瑞穂がさらにこの問題に取り組んだ。PC12細胞やNeuro2a細胞の神経分化誘導による突起形成では、突起に対応してNrsn1抗体に陽性の膜小胞が多数観察され、特に先端部で陽性小胞と細胞膜との融合が観察された。この他、脊髄神経節細胞での遺伝子発現抑制等、さまざまな細胞レベルの実験の結果、突起伸長機能が確認された。これらの結果は、原著論文として、Neuroscience Research誌に発表された。

 さらに、井田瑞穂は新たにクローニングされたNrsn1のホモログ、Nrsn2の脳内分布を調査した。これも、原著論文として公表された。また、6期生の斎藤みほは培養神経細胞に分化誘導をかけたとき、Nrsn1とNrsn2の発現と分布がどのように変化するかを調べ、あらためて突起伸長における機能を明らかにした。2004年に京都で国際会議(解剖学)が開催されたとき、友人のDavid HicksがNrsnに関する研究発表を聞き、分子の名前を提案してくれた。この時から、Neurensin (=neurite extension factor gene)と呼ぶことになり、この名称でNIHのデータベースに登録されている。良い名前で、とても気に入っている。

 一方、5期生の鈴木春野は、マウスを用いて、坐骨神経の再生過程を脊髄運動神経細胞に注目して丹念に調べ、細胞体でのNrsn1の発現上昇を運動神経細胞で確認し、軸索再生に機能することを明らかにした。末梢神経軸索再生の研究で、脊髄内細胞体の分子の動態を調べた研究はきわめて少なく、この研究はかなり注目されている。盛岡の遠山縞二郞さん(岩手医大)には脊髄細胞の観察でお世話になった。この成果は、原著論文としてNeuroscience Letter誌に公表された。


トリ胚を用いて神経発生におけるNrsn1の機能を調べる試み

 これまでの研究でNrsn1が神経突起の伸長過程で機能することがほぼ確認されたので、発生の研究に適したニワトリ胚で研究を始めることにした。この問題には7期生の清永景子が精力的に取り組んだ。まず、ニワトリのNrsn1遺伝子をクローニングし、抗体を作成した。発生中のトリ胚の脳内におけるNrsn1の分布を詳細に調べた結果、中脳と小脳で非常に高いレベルの発現が観察された。中でも、小脳では、プルキニエ細胞にだけ強い反応が観察された。この発現パターンは顕著であり、プルキニエ細胞はその見事な樹状突起の形態でもよく知られている。発生期の活発な樹状突起形成を反映したものであろうと考えられる。さらに、小脳プルキニエ細胞の突起形成におけるNrsn1の機能を調べるために、細胞培養下で遺伝子発現抑制を試みた。これらの結果は、プルキニエ細胞の形態分化にNrsn1が強く関与していることを示すものであり、現在、原著論文としてまとめ、投稿準備中である。このように、細胞形態が示す美しい姿が研究の大きなモチベーションになる事、しばしばである。


Nrsnの細胞機能

 新しい分子の機能解明がこんな難しいのかと、ときどき放り投げたくなる気持ちになったが、その理由の一つに、なかなか良い抗体を確保できないという問題があった。9期生の森里美は、これまで作成したいくつかの抗体に加えて、アメリカの抗体作成会社から販売されている抗Nrsn1抗体(現在4社から販売されている)の反応性をもう一度洗い直した。これは、12期生の杉山綾も引き継いだ。抗体の反応性が安定しないことには、もしかして何か生理的な理由があるかもしれない。Nrsn1の機能(記憶学習)を考えると、それもあり得ることだとも考えるのだが、その証拠がない。

 また、11期生の松尾咲子はNrsn1のC末端ドメイン(オルガネラ輸送タグ)に注目した研究をおこなった。このドメインを欠くと、Nrsn1陽性の膜小胞はあたかもゴルジに閉じ込められたようになる。このドメインを他の神経特異タンパクに接ぎ木してそのタンパクの挙動を調べた。非常にユニークなドメインであり、今後このデータの解析を進めることの意味は大きいと考えている。


Nrsn1ノックアウトマウスの作成

 より直接的にNrsn1の遺伝子機能を知るため、ノックアウトマウスの作成を試みた。この計画は、奈良女子大の渡邊利雄さんのグループと理研CDB相沢慎一さんの協力を得て実施した。渡邊研の大学院生照屋由里子らの努力により、KOマウスの作成に成功した。Nrsn1遺伝子の脳内発現領域をLacZの発現によって調べると、海馬の神経細胞で非常に強い発現が観察された。この結果は、これまでのin situ hybridizationによるmRNAの発現パターンとも良く一致し、遺伝子の記憶学習機能を強く示唆しており、たいへん興味深い。ただし、KOマウスの脳内神経細胞の樹状突起パターンは、野生型のそれとほとんど変わらず、この結果には少々失望したが、発生期をきちんと調べるなど、今後さらに注意深い検討を要する。また、私たちでは解析することはむずかしいが、行動学的な手法やin vitroでの神経突起伸長の比較なども必要であり、まだ多くの課題が残されている。今後これをどのように継続するのか、あらためて頭が痛い問題である。


Neurensin研究のこれから

 研究テーマは、研究者にとって自分の子のように可愛いものである。産みの苦しみも、子育てのつらさも、成長した子供を眺める喜びもすべてそこにある。Neurensin研究は、遺伝子の発見から始まったテーマであり、いわば逆遺伝学である。アミン酸配列や構造のユニークさと、脳内分布の美しさから、この遺伝子機能の研究は必ずや大きな意味をもつと信じているが、その一方でなかなか思うような評価を受けないことに(このテーマではついに科研費がとれなかった)、苛立ちを感じ続けてきた。新しいものに対する警戒感なのだろうか、それはそれで健全なことだとは思うが、何と言っても荒木の力不足である。

 ここ約10年ほど、Nrsnの文献検索から、たいへん興味深い論文に行き当たった。これが、冒頭述べたヒトの精神疾患のゲノム解析から得られた結果である。特定の染色体領域が突き止められ、それが、Nrsn1が位置する領域、第6染色体6p22である。今のところすぐ隣接する別の遺伝子にも注意が向けられているが、Nrsn1も大いに注目されている。同様の手法から、Nrsn2に関しては、発がん、それも肝臓や消化器ガンとの関連で捉えている論文が複数出ている(がん化に伴う大量の遺伝子の発現検索でひっかかってくる)。

 私達が未知の遺伝子に行き当たり、分子細胞生物学の手法によってコツコツと機能解明を進めてきた。一方で、ゲノム解析技術の飛躍的な進歩からヒト疾患の原因遺伝子として注目されるようになった。しかし、特定の遺伝子の変異がなぜこのようなヒトの精神疾患を生じさせるのかは全く不明である。そのためにも、これまで通りの細胞生物学、分子生物学的なアプローチによる遺伝子機能の解明がますます重要である。


Araki Lab in Nara

Araki Lab in Nara

from Nara Women's University to Nara Medical University

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