トランスジェンダーの仮設自治会長 社会は生きやすくなりましたか?

編集委員・石橋英昭

 優さん(63)の人生をがらりと変えた、12年半前の出来事。

 校舎3階の廊下は、凍えるほど寒かった。宮城県東松島市のこの小学校は、海から約5キロ離れている。それでも水は校庭まで来た。

 ハンドバッグだけを持ち、コートにブーツ姿で逃げてきて、ひと晩。教室の中には30人ほどがいて、毛布にくるまったり、食べ物を分け合ったりしていた。でも優さんだけが、中に入らない。

 教室にいた若い女性が、声をかけてきた。

 「ねえ、こんな所にいないで入ろうよ」「ところで、男?女?どっちなの?」

 教室に迎えられ、低い声でトランスジェンダーだということを明かした。

 「戸籍上は男性です。でもこうなんです」

 誰かが言った。

 「こんな状況で、どっちでもいいよね」

 避難者名簿に名前を書くのを、優さんはためらった。

「誰にも知られず消えたい」 住民票も抹消

 ずっとひっそり暮らしてきて、自分の所在を誰にも知られたくなかった。あちこち転々とする間に、住民票も抹消されていた。

 避難所の仲間とは、それから1カ月余りを過ごした。そうだとわかれば、余計なことは詮索(せんさく)されない。皆、生きるのに精いっぱいだったから。

 自衛隊が仮設の風呂を設置してくれた。優さんは男風呂も女風呂も、最初はあきらめていた。

 でも、避難所の同じ班の女性から強く誘われた。「いいから。一緒に入ろうよ」と。

 照れくさくて言葉になんかしないが、うれしかった。お互いに流しっこをした。

 私は記者だから、優さんのことをあれこれ詮索し、質問する。

 隣の石巻市出身で、父親は船乗り。

 小さい頃から自身の性に違和感はあった。隠れて姉の服を着たこともある。だが、他人には理解してもらえないものだと思っていた。

 21歳で結婚もし、2人の男児をもうけ、小さな設備工事の事業を営んだ。やがて借金を抱えた。

 40歳で離婚し、妻子や親族と連絡を絶った。

 髪はもともと長かったが、スカートをはくようになった。昼間は外を出歩かないようにした。

 誰に知られることなく、いつか消えてしまいたい。そう思っていた。

 雇ってくれる所も見つからない。東日本大震災が起きた2011年当時は、女友だちが経営する派遣型性風俗店を手伝っていた。電話で客を受け付け、女の子を手配し、ホームページを管理する。人に会わないのが都合がよかった。

 海のそばのアパートは、友人名義で借りていた。津波でめちゃくちゃになった。

 性風俗店では、待機場所にいた若い女性1人が犠牲になった。店の再開は無理だった。

 「これからどうしよう」

憧れた浴衣 盆踊り大会実現させた

 優さんは、震災後の5月から3カ月間、つてを頼って静岡県のある人の家に居候をしていた時期がある。

 だが結局、東松島に戻った。

 胸にわき起こったのは、「生き残ってしまった」という思いだった。

 消えてしまおうと考えた自分が生き延び、生きたかっただろう多くの人が、津波にのまれた。

 「そんな私が、逃げるように被災地から離れ、何もせずにいていいんだろうか、って」

 市役所に事情を話して、あらためて住民登録をした。市内にできたプレハブの仮設住宅に入った。

 仮設団地の集会所で、他の被災者の女性たちとよくおしゃべりをした。ある時、優さんから提案した。

 「ねえ。盆踊り大会をやろうよ」

 本音を言えば、浴衣を着るのが憧れだった。ボランティアを通じて寄付で浴衣を集め、仮設の仲間を巻き込んで、ステージや音響を準備した。

 12年8月、仮設団地の夏祭りは大盛況だった。

 そして優さんは、計300戸近い仮設団地の自治会長に、推されて就く。様々なとりまとめをし、市役所での会合にも時々出た。

 トランスジェンダーだと明かすようになってから、わかったことがある。

 「自分が隠さないものは、誰も暴こうとしない。隠しごとじゃないから、興味も持たれないのよね」

震災前とは違う未来を生きてゆく

 あの日から12年半。

 復興は進んだ。仮設住宅の自治会長を3年務めた優さんは、市内にできた災害公営住宅に移り、1人で暮らしている。

 私は、聞いてみたいことがあった。

 ここ数年、トランスジェンダーや性的少数者の話題がニュースになることが格段に増えた。当事者にとって、生きやすい社会になりましたか?

 「あのね」と、優さんは難しい顔になった。

 「避難所や仮設住宅で私が受け入れてもらえたのは、皆で助け合わなきゃいけない『非日常』だったからよ。いまは前と同じ、『日常』に戻ったの」

 確かに「気持ち悪い」と、面と向かって傷つけられることは減ったという。

 「でも、世の中の理解が進んだとは思わない。差別や偏見が表に見えにくくなっただけで、まだまだ生きづらさはあると思う」

 優さんは今年春から、災害公営住宅の自治会副会長を引き受けている。来年夏には、地域の盆踊り大会を提案しようと思案中だ。

 自分なりのやり方で、この社会とかかわる。震災前とは違う未来を、生きてゆくつもりだ。

 「もう消えてしまおうなんて思わない」

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この記事を書いた人
石橋英昭
盛岡総局員
専門・関心分野
東日本大震災、在日外国人、戦争の記憶

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