「天安門虐殺」を忘れないでね?「軍国おじさん」も「護憲おじさん」もノーサンキュー!
『Z世代は戦後初めて銃をとる世代になるかもしれない』を読んで、あまりにもノーテンキすぎる丹羽宇一郎さんの国防論にはついていけません!
[2026・6・4・木曜日]
1939年生まれの丹羽宇一郎氏の『Z世代は戦後初めて銃をとる世代になるかもしれない』(東洋経済新報社)を読みました。この本の奥付は2026年2月10日発行となっていますが、丹羽さんは2025年12月24日に死去(享年86)。伊藤忠の社長、元中国大使などを歴任した方で、どちらかといえば親中派の方でしょうね。
「力なき平和は無力とあきらめる必要はありません」と「はじめに」で宣告。そして、NATO諸国がロシアのウクライナ侵攻をみて、国防費を引き上げていることに対して、こんなことを述べているのにちょっと唖然としました。
「軍拡競争で世界と歩調を合わせる必要があるでしょうか。日本のようなGDPが大きく、いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国が、GDPの2%を軍事費に当てるというのは少し立ち止まって考えてみる必要があると思います。日米両国が常に問題視している中国の国防費は、GDP比で言えばほぼ1%台を推移しています」
お言葉ですが!
日本は「いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国」ですって? たしかに日本は平和国家として戦後出発しており、日本の自衛隊が近隣諸国の領空や領海を頻繁に侵犯したりすることもなく、国際紛争を武力で威嚇することによって解決しようといったことは一切合切していないとはいえます。人間社会でいえば、健全な生活を実践しているといえます。しかし、人間社会でも、ヤクザのような人間がいて、難癖をつけられることがあります。
この文章とは離れたところで、一応「台湾有事の危機はくすぶり続けていますし、北朝鮮のミサイル技術は着実にレベルを上げてきています」との認識を丹羽さんは表明はしています。しかし、ほんのひとことそう述べているだけ。
北朝鮮は頻繁に日本海向けてミサイルを発射しています。拉致被害者もまだ全員返そうとしていません。中国とて領海侵犯は尖閣で連日やっています。領空侵犯もやりました。レーダー照射も自衛隊機にやっています。
そもそも、中国の国防費は透明性がなく、中国の実際の軍事費支出は公式発表よりはるかに多いという指摘も専門家からあります。 米国防総省は2024年、中国の実際の国防費を3300億~4500億ドル(約483兆~659兆ウォン)水準と推定していますが、これは公式予算の1・5~2倍に当たります。
中国の統計は詐術があり、GDPは大きめに発表し、国防費は少なめに発表している傾向があります。そういうデータ上で、GDPの1%台だから、日本と比率は同じ程度だといいたいようですが、どちらにせよ、総額では大きく異なるわけです。
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一昔前、日本の進歩的メディアなどは、日本の人件費多めの防衛費を総額の観点から批判し、それに対してGDPの比率は低いと反論しても、総額で世界三位とか四位だと批判していたものですが、同じことは中共に対してはいわないのでしょうか?
それでも中国大使までやっていた人が、「いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国が、GDPの2%を軍事費に当てるというのは少し立ち止まって考えてみる必要があると思います」と述べるのはあまりにもノーテンキ、ナイーブすぎませんか。
丹羽さんはさらに「戦争する国になることで日本が守れるのか」と言い、「他国の戦争に巻き込まれて日本が戦争することにならないためには、日本国憲法の平和精神に立ち戻って第九条を遵守し、国際問題の解決に武力を行使しないことを徹底して実行する。すなわち現行憲法を守ることに尽きると思います」とまで言い切っています。典型的な「空想的平和主義者」というしかありませんね。
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尖閣には台湾も漁船を出しているとか指摘し、中国の突出した尖閣侵入を軽視し「現状維持を尊重、日本風に言えば棚上げのままにしておけば、日中台ともに特別損をすることはありません」「メディアが人々の敵意や戦意を煽って、よい結果をもたらしたことは一度もないことを私たちは思いだすべきです」と述べています。
死者に対してこう言っても虚しいのですが(?)、しかし、丹羽さんこそ、中国が国内で子供相手に行なっている「反日ヘイト教育」の酷さや尖閣での中国漁船の意図的追突事件などを「思いだす」べきでしょう。あなたが大使の時代にも行なわれていたことですよ。深夜に呼び出されたりした体験もお持ちでしょうに、あなたは、在任中、適切な抗議をしていましたか?
「日本は米国の視野を借りて世界を見てきましたが、もはや日本と米国だけを見ているだけでは、私たちのいるこの世界を理解することはできません」との結語。たしかにそれはその通りでしょう。
さらに続けてこう言います。
「すでに若い人を中心に、多くの人が世界と直接つながる手段を持っています。世界とつながることのできる人は、世界を現地の視界で見るべきです。そこには必ず先入観を超える景色が広がっています。世界が見えれば行くべき道も見えてくるはずです」との結語。
「米国の視野」のみならず「徴兵制」を布いている北欧やNATO諸国も軍拡を推進しています。これはロシア相手に戦争するぞというのではなく、ウクライナが脆弱だったために侵攻されたと見て、侵攻されないための軍事力を共同協力して醸成しようというものでしょう。その懸命な努力を私は危険視はしません。
ソ連が崩壊してからNATO諸国なども、いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国」となっていた感もあったかもしれませんが、所詮、それは幻想だったのでしょう。
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欧州各国は、イランなどイスラム原理的な一部の中東諸国の脅威とてあります。
とにもかくにも、中立国を標榜していたフィンランドやスウェーデンがNATO入りした現実を丹羽さんはもう少し勉強すべきでしたね。
「米国の視野」のみならず「フィンランド」や「スウェーデン」や「NATO諸国」の「視野」ももう少し認識されたらよかったのにと思います。
また、東シナ海等々の中国の一方的な威嚇による支配地域拡大への懸念も表明されるとなおよかったのにと思います。
そういう動きを受けて、フィリピンと日本の軍事的な協力関係も進んでいますが、これはヤクザ国家に対する民主主義国家の最低限度の自衛・協力態勢の強化であり支持すべきと私は思います。
「力なき平和は無力とあきらめる必要はありません」と言う前に「力ある平和の維持は無駄とあきらめる必要はありません」と言うしかないでしょう。対ソ政策は、丹羽さんと同工異曲の坂本義和さんのような「空想的平和主義」路線を採択することなくレーガン流軍拡路線で自由世界の勝利を得た史実もありますから。坂本義和さんの「敗北の書」でしかなかった『軍縮の政治学』 (岩波新書)を再読するといいかもしれませんね。
彼は、自由世界の一方的軍縮こそが世界平和のためになるといった、単純な見方を提示していました。でも、レーガン流軍拡が、結局ソ連を追いつめて崩壊させた現実を見れば、所詮は進歩的文化人の甘い国際認識は敗れたと批判するしかないでしょう。
坂本氏は、ソ連に対する軍事的な封じ込めは、むしろ逆効果であって、国内の強権体制(「強権体制」という遠慮めいた形容しかできないようです?)を強化しタカ派の立場を強める危険がある。ソ連という国は、内部から権力や政策の正当性に対する問いなおしのメカニズムができ上がらないかぎり、外から軍事的に圧力をかけても、かえって体制の軍事化を強めるだけだと指摘していましたが、レーガン流の軍拡やSDI推進のおかげで、ベススメルトヌイフ外相もソ連の経済力ではアメリカの軍事力拡大にもはや対抗できないとギブアップしたのが軍縮起動の最大の要因だったのですから。
「力を背景にした平和」が発展することもありうるのです(もちろん、常にその路線が正しいとは限りませんから、相手の出方を見て戦略を修正していく必要はあります)。
日本も、北朝鮮や中国などが、軍事力を威嚇のための手段として利用しており、最悪のケースもありうる状況(台湾有事、日本攻撃)にもかかわらず、ノーテンキに「(いまの日本は)「いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国」と断定するような「空想的平和主義者」による路線を尊重する気にはなれません。
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辺野古などで偏向的な平和教育を行なう方々からは好評を得るかもしれない本でした。丹羽さんの知性を私は疑います。
とはいえ、両論、さまざまな見解がありうるでしょう。平和教育を行なうなら、丹羽さんの本だけをテキストにするのではなく、たとえば、もう一冊、1945年生まれの小川和久氏の『13歳からの戦争学』(アスコム)も同時進行的に併読し、「戦争と平和」を考えるようにすればいいでしょう。
世の中には、いままで丹羽さんのような本だけを提供し、朝日新聞の社説だけを読ませて、それで平和教育だという立場を取る方々が多かったのではないでしょうか。それが偏向だと言われると開き直る手合いが多すぎます。そんなことを言っていません。
「平和教育」するなら、丹羽さんの本だけでなく、小川さんの本も提供し、社説も朝日だけでなく産経の社説も子供たちに提供し、読み比べさせて、考えるという平和教育なら、それは偏向でもなんでもないでしょう。でも、そういう手合いは、小川さんの本や産経社説はヘイトだとかタカ派だから提供すべきではないと言うのでは?
左派的な一方だけの情報提供を未成年者に行ない、他方の情報はタカ派とか暴論とかヘイトだとみなして拒絶排除していたとしたら、それはやはり「左翼偏向教育」というしかないでしょう。辺野古で建設反対運動をみせるなら、普天間飛行場にも行って米軍側の説明を聞かせてもいいでしょう。両方の「現地」を見学するぐらいの度量を左派も持つべきでしょう。
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丹羽さんは若い人への希望をことさら述べています。
「闇の中の唯一の光源は若い君たちです。みなさんが輝きを放つことをやめない限り、世界に希望は残ります。そうでなければ何も見えない暗黒の世界は止まることはありません」。
でも、私は十代のころから「日米安保肯定論者」でした。自衛隊肯定論者でした。そういう「若者」もいることをお忘れなく。
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余談ですが……。
丹羽さんより少し年上の半藤一利氏(1930~2021。享年90)も、丹羽さんと同じ「空想的平和主義者」だったと私は思います。半藤さんの遺著『歴史探偵 忘れ残りの記』 (文春新書)でも、「日本民族は昔から平和的な民族であったと思っている。戦争ができる国になれるように憲法を変えろ、なんて声が高くなるたびに、この人はことによったら日本人じゃないのかな、なんて思ったりする」(21頁)と排他的ともいえる護憲一点張りの主張をしていたからです。
9条改憲を唱える人を「日本人じゃない」とまで言うのですから、かなり独善的というしかありません。戦前、戦争に反対する人を大和魂なき日本人と批判した昔のレッテル貼りの人を想起しませんか?
彼の著作『戦争というもの』(PHP研究所)でも、「名言」のひとつとして、若槻礼次郎の「理想のために国を滅ぼしてはならない」という言葉が肯定的に引用紹介されています。
半藤さんが少年時代には、その回りには「勇ましい軍国おじさんばかりがいました」とのこと。そんな軍国主義者(東條英機)が「八紘一宇」のような「理想」を掲げるのに対して、若槻がそう言ったそうです。「理想のために国を滅ぼしてはならない」と。
この一節を読んだ時、戦後の日本では「勇ましい護憲おじさんばかりがいました」のではないかと思いました。それこそ、丹羽さんや半藤さんのように「戦争体験」がある方々が自慢気に戦争だけはしてはいけないと語り、そのお仲間の中には「非武装中立」のような「理想」を掲げる人が多くいたものです。そういう「護憲おじさん」や「護憲おじさんに洗脳された左派同級生」に対して、私も中・高校生の頃から「理想のために国を滅ぼしてはならない」と言っていましたよ?
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戦前の日本には「大和魂があって神の国であり決して負けることはない」といった「空想的軍国主義」がありました。戦後の日本には「平和憲法(9条)があって島国であり決して侵略されることはない」といった趣旨の「空想的平和主義」がありました。両者は「五十歩百歩」というか、その発想が「瓜二つ」であり、どちらも嫌悪すべき反知性主義的感情論でしかないと私は物心ついたころから思っていました。
だから半藤さんのこれらの本を読むと……。なんとなく「空想的軍国主義」を批判するのには同感するけど、その理屈がちょっと「空想的平和主義」に傾きすぎていないかと危惧せざるを得ませんでした。
半藤さんは晩年、日共の傀儡というか別組織というか友好団体でしかない「9条の会」にも好意的に参画してその空想的平和主義の広告塔になっていなかったかでしょうか。
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先の本では、参謀次長の河辺虎四郎の「予の判断は外れたり」という言葉も出てきます。戦争末期、日ソ中立条約の期限がまだあり、ソ連は攻めてこないと思っていたら攻めてきたので「予の判断は外れたり」と…。
半藤さんは当時の軍部が「ソ連がでてきたら太平洋戦争における今後の全作戦構想(本土決戦)は壊滅する、であるから、ソ連にはでてきてほしくはない。こうした強烈な『来たらざるを恃む』願望が、〝 でてこないのではないか〟という期待可能性に通じ、さらにそれが〝ソ連軍は当然でてこない〟となった。つまり、起ってほしくないことはゼッタイに起らないという、根拠のない確信になっていたのです」と指摘しています。
「これはわたくしたちがいまもよくやる考え方ではないでしょうか。自分にとって望ましい目標をまず設定して、実に上手な作文で壮大な、楽観的な空中楼閣を描くのが、日本人は得意なんです。物事は自分の希望するように動くと考えるのです」
「ソ連が満洲に攻めこんで来ることが目に見えていたにもかかわらず攻めこまれたくはない。いま攻めて来たらこれは困る。と思うことがだんだんに〝いや、攻めて来ないのではないか〟〝大丈夫、ソ連は最後まで中立を守ってくれる〟と思いこむようになる」
「情勢をきちんと分析すればソ連が国境線に大兵力を終結し、さらにシベリア鉄道を使って、どんどん兵力を送りこんできていることは知っていたのですから、かならず参戦してくるとわかったはずです。なのに、攻めて来られると困るから来ないのだ、と自分の望ましいほうへと考え方をもっていってしまうのです」
これこそ「空想的軍国主義」ですが、同じことが「空想的平和主義」でも言えるのではないですか? その視点が半藤さんにはないように思えました。というのも……。
「ソ連の軍事的脅威はない」「中国の軍事的脅威はない」と真顔で言う人たちが戦後には多々いました。
覇権反対の日中友好平和条約などはもう死文化しているでしょうが、尖閣への執拗な「艦船」の派遣、香港を完全に支配下に起き、台湾への威嚇、統一は核心的利益なり、武力統一もありうると明言している以上、何か起こるかもしれないと感じるのが普通の人間ではないでしょうか。いや中国は平和的な国だと「自分の望ましいほうへと考え方をもっていってしまう」人がいまの日本には多すぎませんか、丹羽さんのような人が?
中共(や北朝鮮)の指導者に「憲法9条」の条文を見せて「この紋所が目に入らぬか」とやっても何の意味もないことは知性ある人間なら誰しもが感得することではないでしょうか。日本の軍拡(のみ)に反対し、護憲を言う方々は、国連に行く前に隣国に飛んで、フェイスツーフェイスで金正恩や習近平相手に護憲音頭を躍ってみせたらいかがでしょうか?
安倍政権下で不十分ながらも集団的自衛権行使に一歩前進する法律を制定していたことは、北東アジアの平和のために貢献しているといえます。にもかかわらず半藤さんは当時、きわめて単純な反対論を展開していました。北朝鮮などの軍事的脅威に関してもこんなことを語っていました。以下、朝日新聞(2017・9・29朝刊)より。
「国難といって現在、最大の問題は北朝鮮情勢でしょうが、これはご自分がつくっていませんか、自作自演の危機ではないか、と申し上げたい。安倍さんは国連総会で、今は対話のときでなく圧力をかけるべき時だと述べてきましたが、それでは危機を高めるばかりです」
「全体で譲り合い、調整しなければ大きな問題は解決できません。北朝鮮の問題についても、自国の安全だけを大事に考えていては、本当の解は得られないでしょう。この地域で利害を共有する日中韓3カ国が北朝鮮を説得して話し合いのテーブルに戻すしかないでしょう」
「1930~40年代の日本は、まさにいま北朝鮮の似姿です。あのとき、日本をなだめたり説得したりできる国はなかった。しかし、今は日本がそうした役回りを発揮できるはずです」
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僣越ながら、この朝日の記事、朝日記者の捏造でなく半藤さんがしゃべった通りだとすれば、半藤さんの「知性」を疑うしかないと私は思いました。
何度でも引用しますが、半藤一利氏の遺著『歴史探偵 忘れ残りの記』 (文春新書)でも、「日本民族は昔から平和的な民族であったと思っている。戦争ができる国になれるように憲法を変えろ、なんて声が高くなるたびに、この人はことによったら日本人じゃないのかな、なんて思ったりする」(21頁)と排他的ともいえる護憲一点張りの主張をしています。9条改憲を唱える人を「日本人じゃない」とまで言うのだから。戦争に反対する人を大和魂なき日本人と批判した昔を想起させられます。
こういった「空想的軍国主義」をひっくり返しただけにもとれる「空想的平和主義」のような主張を展開されると、ちょっとついていけませんね。
失礼ながら、お言葉ですが、半藤さんは「戦争というもの」を本当に理解していたのだろうかと言いたくもなります。 悲惨な空襲体験があるからといって、そういう人を戦争の語り部として全面的に称賛するのは間違っていると思います。是々非々で戦争体験者たちの主張を吟味しておく必要があるのではないでしょうか。戦争体験とは、同盟国や友好国の選択の誤りなど、総合的に考えるべきです。戦後の日本は同盟国の選択では間違いをおかさなかったといえます。
半藤さんや丹羽さんの本は「反面教師」としてであれ、なんであれ、読む価値があると思いますが、私にとっては全面的に共感することはできない本でした。
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半藤さんの『半藤一利 わが昭和史』(平凡社新書)も手にして読みました。
中国で、天安門事件が起き「共産党の一党独裁で徹底的に共産主義国家をつくってきた体制があそこから崩れています。今やコチコチの共産主義国家でもなんでもなくなっている。大資本主義国家ともいえる」と、ちょっとノーテンキなことを書いていました。
中共がウイグルでやっていることは、典型的な共産国家による虐殺手法……。そういうことに目を向けると、己の「護憲念仏平和主義」が説得力を欠くことになるのを恐れているのかな、半藤さんともあろう方が…と残念に思います。
中共の核武装強化、北朝鮮の核武装化への懸念を持たないようでは、空想的平和主義者との批判を免れないでしょう。かつての日本軍のような横暴なふるまいを中共がしていると感得できないとしたら、イデオロギーに毒されて目が曇っているというしかないでしょう。
半藤さんのこういう昭和史…。日教組や日共系教員が中高校生に勧めるかもしれないけど、渡部昇一氏の『渡部昇一の昭和史』 『歪められた昭和史』(ワック)も読まれるといいと思います。。
「憲法9条」絶対護持を唱える人々は、戦前、「統帥権」絶対護持を唱えた軍国主義者と同じく狭い視野をもった感情的なイデオロギーの亡者でしかないと私は思います。
両者(「軍国おじさん」や「護憲おじさん」)が「勝利」することは、日本国の適正な進路を歪め、亡国への道につながると思います。誤った歴史を繰り返させるのには反対です。そういえば、見落としているかもしれませんが、半藤さんが「慰安婦」問題や徴用工問題に関して、発言したのをみた記憶がありません。韓国の暴論・感情論で庇うことができないテーマに関しては、三猿主義(見ざる、聞かざる、言わざる)を貫いていたとしたら、残念というしかありません。それでは「昭和史研究家」とは言えないでしょう。
では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。
軍縮の政治学 新版 (岩波新書 新赤版 47)