みんな本や雑誌が大好き!?

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現代史ほか,さまざまな本の紹介をしていきます。皆様の読書の参考になれば、こんな本があるのかといった発見になれば幸いです。

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『近代出版研究2026』(皓星社)を読んで。

「エフェメラって?――軽薄短命(軽薄短小?)の紙がみ」

「重厚長大の紀田蔵書の行方」に涙す?

[2026・6・6・土曜日]

 

 

 

近代出版研究2026』(皓星社)を読みました。近代出版研究2022』と『近代出版研究2025』は読了済み(今気づきましたが、『近代出版研究2023』と『近代出版研究2024』は読んでいなかったかと?)。

 

近代出版研究2026』の特集テーマは「エフェメラって?――軽薄短命の紙がみ」です!

「エフェメラ」とは? 初めて聞く英語?

チラシやチケット、ラベルといった〈薄くてはかない紙もの〉、それが「エフェメラ」だそうです。軽薄短小?

巻頭インタビューは、その道の第一人者である「古書日月堂」の佐藤真砂さんへのインタビューです。

 

「古書日月堂」? どこかで聞いた古本屋だなと思って読んでいて、表参道に店を出していた時期があったことが出てきて、あぁ、あのときの古本屋だと思い出しました。

 

岡崎武志氏の『女子の古本屋』(ちくま文庫)にも、この古本屋が登場します。「古書日月堂」のほかにも仙台の「火星の庭」や黒磯の「白線文庫」や神保町界隈の「キントト文庫」など女主人経営の古本屋が紹介されていました。いずれも訪れたことがあります。

「白線文庫」の女主人は沢口靖子さんに似た清楚な美人でした。雑誌「クレア」にも紹介されていました。数年前(十数年前?)に黒磯から撤退してしまいましたが……。

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「古書日月堂」は表参道からえっちらと根津美術館手前まで歩き、ちょっと古い感じのマンションというか共同アパートの二階の一室がお店でしたね。おずおずと入ったら客は誰もいなくて、店内を見ていたら、緊急地震速報が店内ラジオから流れて、グラグラと揺れました。震度3はあったでしょうか。佐藤さんらしき女性も、「また揺れますね」と。

 

ここを訪れたのが2011・3・11のちょっと後で余震が活発な時だったから、そんな挨拶言葉も出たのです。

結局、その時は何も買わずに店を後にしたのですが、場所柄か、戦前の美術書めいたものが多かったと記憶しています。ロシアがらみもあったなと。不定休のようなので、ホームページで開店日開店時間を確認してから行くべき古本屋さんでした。そんなことがありましたが、そういう専門古本屋だったわけですか?

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私のベッド脇にも中学生のころ見た映画「フレンズ」の長方形のしおりよりは大きいチラシめいたものを貼っています。古本市で数百円で購入した記憶があります。たしかに、こういうものも「古紙」の一種として商売道具にはなりそうです。需要もあるのではないかと。

古書会館の古本市などに行くと、こういう「紙チラシ」のようなものもよく売られていますね。

 

そんな「紙」を求めての古本屋関係者のほかの方々の証言も面白いものがありました。

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そのほか『近代出版研究2025』では、紀田順一郎さんのロングインタビューを特集していましたが、先日なくなられたということで『近代出版研究2026』では追悼特集もありました。

 

私は仕事で一度お会いしたことと、東京古書会館で古本市会場でおみかけした程度です。追悼特集では紀田さんの本で好きなものは何ですかとの問いもありました。

『読書戦争』(三一新書)を挙げている人はいませんでしたが、私が初めて紀田さんを知ったのはこの本だったと記憶しています。1978年の刊行。出会ったのはまだ私が10代、大学生の時でした。もう半世紀弱昔。

 

読後感の記憶は薄れていますが、紀田さんがサラリーマン時代、昼休みにも本を読み耽っていたとの一節があったかと。サブタイトルが「知的生産を守るために」でしたが、そうそう、それぐらい頑張らないと一日一冊本は読めません?

 

そんな紀田さんの晩年。下記のエピソード、規模も状況も我と違えども、我が末路もそうなるのかと思うと、いまから涙が出てしまいます?

 

紀田順一郎氏の『蔵書一代  なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(松籟社)に出てくる話。

首都圏から岡山に引っ越しされ、蔵書の置き場にも困らなくなったのではないかと思っていたが、いろいろとあって、首都圏に戻り、蔵書三万冊を「生前整理」。蔵書を載せたトラックが去っていくのを見て―――。

 

「その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りのないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に俯せに倒れ込んでいた。『どうなさったんですか? 大丈夫ですか?』 居合わせた近所の主婦が、大声で叫びながら駆け寄ってくる。『いや、何でもありません。ただ、ちょっと転んだだけなんです』 私はあわてて立ち上がろうとしたが、不様にも再び転倒してしまった。後で聞くと、グニャリと倒れたそうである。小柄な老妻の、めっきり痩せた肩に意気地なくすがりつきながら、私は懸命に主なき家へと階段をのぼった」

 

――といったことがあったそうです。

 

感動的(?)な、蔵書との別離のシーンです。我が身にもそういう事態がやってくるでしょうか…。古女房、老妻は痩身ではなく太め、太身故に「太っ腹にすがりつきながら…」転倒せずに済むことになることでしょうか。

 

私も18歳の時に上京し、神保町をはじめとする古本屋、古本市に出かけるようになってちょうどほぼ50年。一日一冊本を読んできましたが、還暦前までは?一日二冊は本を購入していたかと? 

年間700冊。いや1000冊近く購入していた時期も。

700冊×40年だと、ざっと3万冊?

 そこそこ処分もしたし、近年は図書館を利用することも増え、「増書」のスペースは大幅低下。近年の出版界の売上げ、右肩下がりと同じ傾向が…?

 

もちろん、「蔵書」といっても、文庫・新書などが多く、雑本中心。箱入りのナントカ全集本なんて『河合栄治郎全集』(社会思想社)や『千草忠夫選集(1)(2)』(ベストセラーズ)や『古川ロッパ昭和日記』(晶文社)ぐらいです。

 

ちなみに、紀田氏の「読書」に関する本は大概読んできました。

 

『現代人の読書』 (三一新書)、『読書の整理学』(朝日文庫)、『読書戦争-知的生産を守るために』(三一新書)、『古書街を歩く』(新潮選書・福武文庫)、『読書人の周辺』(実業之日本社)、『四季芳書 読書人の日常』(実業之日本社)、『二十世紀を騒がせた本』 (新潮選書)、『私の神保町』 (晶文社)、『書林探訪 古書から読む現代』 (松籟社)、『横浜少年物語 歳月と読書』(文藝春秋)……。

読んでいる本のレベルがぜんぜん違うけど、本を読むのが楽しいというか、サラリーマン時代に、昼休みに必死になって読書に励んでいた思い出を綴っていたことなど……。見習わなくてはと思ったものでした。

 

紀田氏は、『蔵書一代』の末尾で久しぶりに神保町を訪れた日のことを、こう書いていました。

 

「この本を書き終えるにあたって、私は久しぶりに神田神保町に出かけてみた。全蔵書を処分して体調をくずして以来、一年以上を経ていた。三省堂書店の付近から、靖国通りに沿った古書街を歩きながら、傍らのウィンドーを覗くと、『ヘミングウェイ全集』の揃い(赤表紙十一冊)が目に入ったので、思わず近寄ろうとしたが、『待て、おまえはもう本は買えないんだぞ』という囁き声が聞こえたように思えて、力なくその場を離れた」

 

ああ…。そういう日が、紀田さんのような「読書・蒐集の達人」にも訪れるのです……。アダルトビデオを見ても勃起しなくなった日のように? 

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岡山に転居したばかりの時は、紀田夫人は「あなたが死んでも、この本をあなたと思って、守っていてあげるからね」と言われたとのこと。当時紀田さんは還暦すぎたばかり。まだ若かった。感涙したそうです?

 

やがて岡山からいったん横浜の家に戻るとなると、 「いつまでこんな家にいられると思うの」「いくつだと思っているの? 私は本なんかと心中するつもりはありません。一人でも施設にいきます」と。

 

「いまや女房どのは十年前に発した決意など、すっかり忘れ、終活まっただ中の険しい表情で、断案をくだすのだった」と。

 

紀田さんの場合、そうした「蔵書」が「収入」をもたらすものだったから、奥様もまだ一時的にせよ「許容」もしたのでしょう。私の場合の「蔵書」は「収入」とは特に直結もしない趣味のモノであり、古女房の怒りはいささか限界を越えつつあるようです。

 

鹿島茂氏の『子供より古書が大事と思いたい』 (文春文庫)は書名からしても名著?

加筆して改題して新装増補版『古女房より古本が大事と思いたい』として刊行されるといいのかもしれません。

 

『近代出版研究2025』で紀田特集をやり、片山杜秀ロングインタビュー「古本王子の快進撃」(4万8000字!)も併載されていましたが、『近代出版研究2027』は鹿島茂特集がいいのかも?

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黄金時代の読書法

 

二十世紀を騒がせた本 増補 (平凡社ライブラリー 290)

 

歳月と読書 横浜少年物語

 

内容見本にみる出版昭和史 (活字倶楽部)

 

 

 

千草忠夫選集 1

 

千草忠夫選集 2

 

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パク・ヨンミさんは「21世紀の女ソルジェニーツィン!」

パク・ヨンミさんの『生きるための選択』や『“正義”が国を支配する』がヘイト本になる時代が日本でもやってくるのでしょうか?「差別する本屋」が増えると怖いですね?

[2026・6・5・金曜日]

 

 

 

パク・ヨンミさんの『“正義”が国を支配する  脱北者からの警告 アメリカが今、進む道』(芙蓉書房出版)を読みました。

 

(本書の内容)→本書は、北朝鮮を脱北した一人の女性が、自らの体験とアメリカでの目撃証言を通じて、「正義」の名を借りたイデオロギーがいかに自由を蝕むかを告発する渾身の訴えである。戦争の苦難と復興を経て豊かな社会を築いてきた日本もまた、同じ罠にはまりかねない岐路に立っている。自由は一度失えば二度と取り戻せない。

名門コロンビア大学での思想教育、キャンセルカルチャー、被害者意識と道徳的優越感に支配されてゆく社会。かつて「地上の楽園」という甘言に騙された北朝鮮と、平等や思いやりの言葉で人々を絡め取ろうとするアメリカの現状は、不気味なまでに重なっていく。

――その厳しい真実を、私たちに突きつける一冊である--とのふれこみです。

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著者は、北朝鮮生まれの女性で飢餓と監視社会、人身売買と奴隷労働を体験。そんな「地上の地獄」からの脱北者です。その北朝鮮での凄まじい体験、中国を経由しての(中国でも凄まじい人権弾圧を体験)脱北体験を綴った本『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』(辰巳出版)は以前一読しました。

 

なんとか母親と共に韓国に逃れた著者は、そのあと、訪米し、向こうで結婚もしアメリカ市民になります。そしてコロンビア大学で勉強をし、資格をとり国連などで活動をしようかとも考えます(が、国連の実態を知り断念します?)。

アメリカのエスタブリッシュな組織などから講演の依頼もあり、そういうところで中国や北朝鮮の共産主義の脅威を説くのですが、おかしなリベラル幻想に侵されている方々が、そういうところには多々いて、お互い、違和感に襲われます。

YouTubeでも同様の事実を訴えていたら、一方的に削除、バンされてしまいます。

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当初、トランプ政治はおかしいと思っていた彼女ですが、そういうリベラル幻想(キャンセルカルチャー、批判的人種理論、ウォーク等々)に対して、トランプや共和党からの批判の方に共感を覚えるようになっていきます。コロンビア大学などで多数を占める価値観こそが、北朝鮮当局の方針に似通っているのではないかと恐怖を覚えるようになります。

 

さらには、シカゴの町中で有色人種(黒人女二人)による強奪を体験し、その犯罪者をスマホで撮影しようとすると、犯人が「警察を呼ぼうとし、撮影したのは人種差別だ!」「肌の色で私を泥棒扱いするな!」と叫ぶのです。それを耳にした通行人からも「人種差別主義者!」と何度も罵られるのです。警察の助けはありましたが……。

 

犯罪加害者が居丈高に被害者を罵る……。なんでも「人種差別だ!」といえば優位にたてる?

 

中国の「愛国無罪」のように「黒人無罪」となる?

なんという社会にアメリカはなったのでしょう。本末転倒もここまできているとは。

 

この体験から著者は本書を書こうと決意したのです。

 

「アメリカで起きていることの中には北朝鮮を想起させるものがあるとアメリカ人の友人や同僚に言うと、彼らは常に笑いながら首をかしげる。もっと具体的に、私はもちろん生活の質や政府システムのことを言っているのではなく、異論を唱える者の排除に躍起となっている少数の人々が制度を支配しているのが危険だと説明するが、まだ気が狂っているかのような顔をされる。

私が北朝鮮から逃げ、13年間の親愛なる指導者の洗脳から無事に脱したと信じる人たちは、今度は私がアメリカに来てからの僅かな期間のうちに『極右』の洗脳の犠牲になってしまったと思っているようだ」

 

「『右翼』という言葉が侮蔑の意味で使われていることを私が知ったのは、その言葉で何人かのアメリカ人から組織的で効果的な嫌がらせや検閲を受けた後だった。少なくともそれはアメリカ政治における社会的・経済的立場の違いを指すものではない。むしろそれは、金融、政治、文化エリートの好み、意見、価値観などに対して『忠誠でない』ということを意味するものだった。つまり、下層階級や労働者階級が支配階層に忠実でないとき、『右翼』というレッテルを貼られるのだ」

「このような環境が、私が育ち、読者の皆さんが恐らく体験したことのない北朝鮮の様子を思い起こさせるものだとしたら、それだけで私は『極右』になるのだろうか?」

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「アメリカで起きていることの中には北朝鮮を想起させるものがあるとアメリカ人の友人や同僚に言うと、彼らは常に笑いながら首をかしげる」との指摘。この一節を読んだ時、私はある英国知識人の言葉をすぐに思い出しました。以前、マイブログでも紹介ずみですが……。

 

労働党右派系の知識人であったブライアン・マギーの次のような嘆きは、パク・ヨンミさんと同じ嘆きでしょう。彼は『哲学人』(NHK出版)で次のような嘆きを述べていました。

 

「社会主義者のなかに、それまでは常に自由と民主主義を標榜してきたのに、ソ連の目にあまる侵略行為(ハンガリー侵攻)を批判しようとしない者が、気の滅入るほど大勢いることだった」

 

「今日、忘れてならないのは、当時(1960年代)はほぼ完全に誤った共産主義社会像が西側諸国全般に、それも保守派の大半にさえ受けいれられていたということである。一九六〇年代前半、最初の東欧出張から帰国すると、私はつぎのような基本的事実を訴えた。共産主義体制は残酷で、抑圧的な独裁制である。人権など顧みず、被統治民に対して蔑みを隠そうともしない。拷問、政敵の投獄、不当な判決による殺人は昔からの常套手段である」

 

「ところが、誰も私の言葉を信じようとしなかった。労働党の友人の大半は、私が一時的にマッカーシー的な反共運動にかぶれているのだろうと考えた。『赤狩り』『共産主義恐怖症』あるいは『反動的』といった言葉さえ、ささやかれたものである」

 

「保守派の友人たちも私のことを『誇張もいいところ』『言いすぎ』『大げさ』などと考え、私の発言に対してはいつも、『おいおい』ではじまる台詞で応じるのだった」

 

「アメリカは欠点があるにもかかわらず、ソ連とは似て非なるものだという者は、愚直と切り捨てられた。西側の多くの人々が、疑いの余地なくリベラルな政治的態度の社会に暮らしながら、醜悪で残忍なよその全体主義運動を黙認するばかりか、積極的に支援すらし、しばしば自国の自由主義運動に反発したのには、そうした背景がある。これはとてつもなく大きな知識人の背信、二十世紀最大の知の悲劇だった」

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マギーは、ジョージ・オーウェルと並ぶ真っ当な民主的社会主義者といえますが、現在のアメリカでも自称「民主社会主義者」は少しいます。パク・ヨンミさんはコミュニストと同じくそういう社会主義者も毛嫌いしているようですが……。

 

それはともかくとして、コロンビア大学でもエスタブリッシュたちの会合でも、中国批判はタブーになっています。

 

「グーグル、フェイスブック、国連、アメリカ連邦議会などでスピーチをし、中国共産党と北朝鮮政権の下で何が起こるのか、自分の知っていることを話したがどこでも同じ反応だった。多くの人が涙し、私を抱きしめ、握手を求め、助けになりたいと同情を示してくれるが、結局最後は黙ってしまうのだ」

 

そんな脱北者のパクさん…。反共右翼のヘイト女とでも想われたのかもしれませんね。

 

彼女もこんな述懐をしています。

 

「私が自分の人生や仕事について話したとき、彼らは私のことをそんなふうに思っていたのだろうかと思い始めた。『このかわいそうなアジアの少女は、何と愚かで世間知らずなのだろう。解決すべき問題は北朝鮮の独裁でも中国の奴隷制度でもなく、アメリカの独裁と奴隷制度なのに!』と」

 

反トランプで、中国にも厳しいと言われていた民主党の下院議長でもあったペロシさんにもある会合で会い「カクテルタイムの間、私はペロシ議長に近づき、自分が脱北者で、中国での性的奴隷の被害者であり、自分のような目に遭った人々への国際的な支援を求めて戦っていると自己紹介をした。彼女は当たり障りのない返事をし、さりげなく私をあしらった。ペロシ議長は明らかに別のことを考えていたようだった」とも指摘をしています。

 

その会合で、ペロシ議長は招待客に向けてスピーチを行なったものの、そこには人権問題などはなく、投資話等々の話題でしかなかったそうです。

 

反中国派で,台湾にも乗り込んだことのあるペロシさんですが、所詮、その程度のオバサン政治家だったのでしょうか?

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2021年7月刊行の山口敬之氏の『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)との併読をお勧めします。こちらの本でも中共の忍び寄る影響力にアメリカの民主主義が危機に陥っている事実が暴露されています。

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パク・ヨンミさんの前著の『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』 (辰巳出版)も未読の方は一読されるといいでしょう。

 

ジョージ・オーウェルのアニメ映画『動物農場』が日本で公開されたとき、北朝鮮社会などを描いたものだとの認識を示すことなく、ことさら、あたかも、日本の格差社会やブラック企業や管理社会などを風刺したものだと強調していた人々にも読ませたい作品でした。

 

というのも、著者(彼女)は、北朝鮮時代、満足に学校に行けないときもあり、また脱北して中国に不法滞在しているときは、当然教育を受ける機会もなかった。生活のために「アダルトチャット」に登録し、卑猥なことをしながら金を得ることもあったのです。

 

やっとゴビ砂漠をわたってモンゴル経由で韓国に逃亡してからも(ゴビ砂漠を越えての逃亡劇は、映画「クロッシング」をも想起させるものがありました。映画のほうは無残にも失敗してしまうのですが)、パクさんは、韓国で執拗なチェックを受けます。脱北者といいながら「スパイ」もいるから。

 

韓国で、遅れた教育を取り戻すために勉強をするのが大変でした。そんなとき、図書館などで本を読む楽しみを覚えます。『ライ麦畑でつかまえて』や『蠅の王』やトルストイの短編などの世界文学やシェイクスピアなども好きだったという。

 

「でも、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読んだことが本当の転機になった。砂山のなかでダイヤモンドを見つけたみたいだった。私がいた場所や経験したことをオーウェルは知っていたのではないか。そうとしか思えなかった。動物農場は北朝鮮そのものであり、そこに描かれていたのは私のかつての暮らしだった。動物たちのなかには、私の祖母や母や父がいた。もちろん私も。私は理想を持たない新しい豚のなかの一匹だった。北朝鮮の恐怖をシンプルな寓話として見せられることで、私を支配していたその力が消え、そこから自由になれた」

 

「北朝鮮人の頭のなかでは、つねにふたつのストーリーが進行している。並行する二本の線路を走る列車みたいに。ひとつは信じろと教えられること、もうひとつは自分の目で見たこと。韓国に来て、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の韓国語訳を読んではじめて、この状態をあらわす”二重思考”という言葉を知った。これは矛盾するふたつの考えを同時に持てて、頭が変にもならない能力のことだ」(注。要は「二枚舌」。進歩的文化人などは「二重思考」「二枚舌」の天才? 自分たちが「反知性主義」なのに、相手を「反知性主義」と批判できるから?)。

 

脱北者や、北朝鮮支援活動を展開している人の中には、彼女と同じような証言をしている人は多々います。北朝鮮は「動物農場」であり「1984」の世界そのものであると。

 

シュタージ(秘密警察)による監視社会であった東独出身のマイク・ブラツケの『北朝鮮「楽園」の残骸 ある東独青年が見た真実 』 (草思社)でも、彼が、北朝鮮はオーウェルの世界であると指摘していました。

そのほかにも、ノルベルト・フォラツェンの『北朝鮮を知りすぎた医者 脱北難民支援記』『北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告』『北朝鮮を知りすぎた医者』 (草思社)などを読めば、当然浮かぶ感慨です。

 

にもかかわらず、北朝鮮を「祖国」とみなす日本の一部の反知性主義的なリベラル諸兄にとっては、こういう本で指摘されている「事実」をことさら無視するのです。

 

ネットで、著者(パク・ヨンミさん)が流暢な英語で、日本人読者に向けて「自由」の大切さを説いている映像を見ました。本書でも、韓国にわたってから必死になって勉強した体験が綴られていますが、「自由」を知らなかった彼女も、「家族愛」は知っていたのです。父や母や姉のことも詳述されています。

 

このパクさんの凄まじいまでの「家族愛」(「脱北」して中国領土に入ったとき、パクさんの「体」を要求する相手に対して、母親が身をもって「レイプ」され、操を救おうとする。13歳の少女のそうした「性売買」こそ、現在進行形でもあるのだから、声高に追及すべきではないのでしょうか? しかし、中国との利益に目がくらむ政治家や経済人は、彼女のそうした訴えに耳を閉ざすのです)。

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パク・ヨンミさんの二冊の本を読み、彼女は「21世紀の女ソルジェニーツィン」だと思いました。ソルジェニーツィンも、ソ連を追放され自由世界に亡命することになったのですが、アメリカなどに滞在して、彼女と同じような疑問を「自由世界」に抱きます。その思いは『自由への警告』(新潮社)として刊行されています。1977年訳出の本です。半世紀前に読みました。再読すべき本かもしれません。

 

パク・ヨンミさんはソルジェニーツィンの再来と言えるのかもしれません。共産主義の辛苦を体験した人でないと、共産主義の本当の恐ろしさは理解できないのかもしれません。私のように、せいぜい、関連書を数十冊(数百冊?)読んだ程度では?

 

それでも彼女の『“正義”が国を支配する』でのこの言葉、身に染みました。

 

「中国の影響力の拡大に対抗できる唯一の希望はアメリカだ。しかし、アメリカのエリートたちは自国の経済力、軍事力の源を解体し、中国を利し、最終的には私腹を肥やすことに忙しい。もしこの流れが続くようなら、中国が支配する世界の到来を防ぐ術はない。北朝鮮から命からがら逃れてきた私にとって、これがどれほど絶望的なことか分かるだろうか。

北朝鮮で暮らした恐怖は、中国寄りになった世界がどうなるかを何よりも示すものだ。言葉にすることすら躊躇われるような犯罪が増え、人々の悲惨な苦しみが増え、共産党幹部の利益のために無実の人がこれまで以上に恐ろしい搾取に遭う。北朝鮮の悪夢を終わらせるどころか、中国がこの世界の覇権を取れば、北朝鮮の人々が経験している悪夢が世界中のより多くの人に確実に広がるだけだ」

 

我々が住む自由世界の命運は、パク・ヨンミさんの本に共鳴する人がどれだけいるかにかかっているといっても過言ではありません。こういう本を「ヘイト本」だとみなして「差別する本屋」が置かない、売らないようにしようとしたら、それは戦前の軍国主義者による検閲以上の野蛮行為というしかないでしょう。言論出版の自由が侵されるような「愚鈍の時代」の到来は避けるべきです。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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歴史のみならずマイハードカレンシーを盗もうとした「大英博物館」に鉄槌を?

[2026・6・4・金曜日]

 

 

サトナム・サンゲラさんの『盗まれた歴史 大英帝国は私たちの世界をどう作ったか』(飛鳥新社)を読みました。

 

著者は、1976年生まれ(英国在住)。パンジャブ系移民の両親のもとに生まれたとのことです。パンジャブ? パンジャブ人は、南アジアのパンジャブを中心に生活している民族で、パキスタン最大の民族とのこと。昔でいえば、英国の植民地だったインドということになるでしょうか。

 

著者は、英語を話せないまま教育制度に入ったもののケンブリッジ大学クライスト・カレッジを優等(英語言語・文学の一級学位)で卒業。回想録『The Boy With the Topknot(トップノットの少年)』と小説『Marriage Materia(理想の結婚相手)』で二度、コスタ・ブック・アワードの最終候補に選ばれたそうです。2016年に王立文学協会フェローに選出もされています。

 

そういう出自を持つ著者ですから、当然「大英博物館」」などに関しては、「まぁ全部が盗まれたものではないが、帝国時代の展示品の一部はそうだ」と指摘。

 

「一部の帝国主義者や兵士は、略奪を職務上の特典のように考え、19世紀版のお土産として、海外旅行で冷蔵庫のマグネットやTシャツを持ち帰るような行為と同等に考えていた」

「略奪品の中には、それを奪った個人の家族が所有し続け、後に博物館へ寄付または売却されたものもある。場合によっては、博物館の関係者が略奪の現場に立ち会い、分け前を得たケースもあった」

 

まぁ、これは定説でしょうね。

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ということでネチネチと英国帝国主義者たちの「泥棒」稼業を追跡しています。筆致は高校生向け程度に軽い筆致で書かれている感じです。一歩間違えると(いや間違えている?)「キャンセル・カルチャー」というのか「人種差別ナントカ」というのか、流行思想に基づく告発書というふうに見ることもできるのかもしれませんが、中道右派程度の私でさえ、「大英博物館」と聞けば、「泥棒博物館」「略奪博物館」という言葉がすぐに浮かびます。

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二十数年前に英国に行ったとき、ロンドンのチャリングクロスの古本屋街を歩いたり、ロンドンアイに乗ったりハムステッド界隈やマルクスのお墓なといろいろと散策しましたが、戦争博物館と大英博物館にも立ち寄りました。戦争博物館は有料タイムと無料タイムの二度行きましたが(シンガポールでのイエスかノーかの写真がありました。拍手喝采!!)、大英博物館は一度だけ。

 

入り口で入場は無料ですが、できましたら寄付をお願いします云々との表示がありましたが、NHKの受信料同様(?)無視黙殺(?)しました。

アジア(&アフリカ)からの略奪品を展示しておきながら、そのアジアからの観光客から金を取るとは「二重の搾取」で許せないとの反発心からです。金を取るなら、英国籍の白人から取れと思ったものです。

 

そんなことを思い出しながら本書を読みました。英国また行きたいな?(でも長時間飛行機に乗るのは嫌だし)。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

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「天安門虐殺」を忘れないでね?「軍国おじさん」も「護憲おじさん」もノーサンキュー!

『Z世代は戦後初めて銃をとる世代になるかもしれない』を読んで、あまりにもノーテンキすぎる丹羽宇一郎さんの国防論にはついていけません!

[2026・6・4・木曜日]

 

 

 

 

1939年生まれの丹羽宇一郎氏の『Z世代は戦後初めて銃をとる世代になるかもしれない』(東洋経済新報社)を読みました。この本の奥付は2026年2月10日発行となっていますが、丹羽さんは2025年12月24日に死去(享年86)。伊藤忠の社長、元中国大使などを歴任した方で、どちらかといえば親中派の方でしょうね。

「力なき平和は無力とあきらめる必要はありません」と「はじめに」で宣告。そして、NATO諸国がロシアのウクライナ侵攻をみて、国防費を引き上げていることに対して、こんなことを述べているのにちょっと唖然としました。

 

「軍拡競争で世界と歩調を合わせる必要があるでしょうか。日本のようなGDPが大きく、いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国が、GDPの2%を軍事費に当てるというのは少し立ち止まって考えてみる必要があると思います。日米両国が常に問題視している中国の国防費は、GDP比で言えばほぼ1%台を推移しています」

 

お言葉ですが!

 

日本は「いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国」ですって? たしかに日本は平和国家として戦後出発しており、日本の自衛隊が近隣諸国の領空や領海を頻繁に侵犯したりすることもなく、国際紛争を武力で威嚇することによって解決しようといったことは一切合切していないとはいえます。人間社会でいえば、健全な生活を実践しているといえます。しかし、人間社会でも、ヤクザのような人間がいて、難癖をつけられることがあります。

 

この文章とは離れたところで、一応「台湾有事の危機はくすぶり続けていますし、北朝鮮のミサイル技術は着実にレベルを上げてきています」との認識を丹羽さんは表明はしています。しかし、ほんのひとことそう述べているだけ。

 

北朝鮮は頻繁に日本海向けてミサイルを発射しています。拉致被害者もまだ全員返そうとしていません。中国とて領海侵犯は尖閣で連日やっています。領空侵犯もやりました。レーダー照射も自衛隊機にやっています。

 

そもそも、中国の国防費は透明性がなく、中国の実際の軍事費支出は公式発表よりはるかに多いという指摘も専門家からあります。 米国防総省は2024年、中国の実際の国防費を3300億~4500億ドル(約483兆~659兆ウォン)水準と推定していますが、これは公式予算の1・5~2倍に当たります。

 

中国の統計は詐術があり、GDPは大きめに発表し、国防費は少なめに発表している傾向があります。そういうデータ上で、GDPの1%台だから、日本と比率は同じ程度だといいたいようですが、どちらにせよ、総額では大きく異なるわけです。

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一昔前、日本の進歩的メディアなどは、日本の人件費多めの防衛費を総額の観点から批判し、それに対してGDPの比率は低いと反論しても、総額で世界三位とか四位だと批判していたものですが、同じことは中共に対してはいわないのでしょうか?

 

それでも中国大使までやっていた人が、「いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国が、GDPの2%を軍事費に当てるというのは少し立ち止まって考えてみる必要があると思います」と述べるのはあまりにもノーテンキ、ナイーブすぎませんか。

 

丹羽さんはさらに「戦争する国になることで日本が守れるのか」と言い、「他国の戦争に巻き込まれて日本が戦争することにならないためには、日本国憲法の平和精神に立ち戻って第九条を遵守し、国際問題の解決に武力を行使しないことを徹底して実行する。すなわち現行憲法を守ることに尽きると思います」とまで言い切っています。典型的な「空想的平和主義者」というしかありませんね。

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尖閣には台湾も漁船を出しているとか指摘し、中国の突出した尖閣侵入を軽視し「現状維持を尊重、日本風に言えば棚上げのままにしておけば、日中台ともに特別損をすることはありません」「メディアが人々の敵意や戦意を煽って、よい結果をもたらしたことは一度もないことを私たちは思いだすべきです」と述べています。

 

死者に対してこう言っても虚しいのですが(?)、しかし、丹羽さんこそ、中国が国内で子供相手に行なっている「反日ヘイト教育」の酷さや尖閣での中国漁船の意図的追突事件などを「思いだす」べきでしょう。あなたが大使の時代にも行なわれていたことですよ。深夜に呼び出されたりした体験もお持ちでしょうに、あなたは、在任中、適切な抗議をしていましたか?

 

「日本は米国の視野を借りて世界を見てきましたが、もはや日本と米国だけを見ているだけでは、私たちのいるこの世界を理解することはできません」との結語。たしかにそれはその通りでしょう。

 

さらに続けてこう言います。

 

「すでに若い人を中心に、多くの人が世界と直接つながる手段を持っています。世界とつながることのできる人は、世界を現地の視界で見るべきです。そこには必ず先入観を超える景色が広がっています。世界が見えれば行くべき道も見えてくるはずです」との結語。

 

「米国の視野」のみならず「徴兵制」を布いている北欧やNATO諸国も軍拡を推進しています。これはロシア相手に戦争するぞというのではなく、ウクライナが脆弱だったために侵攻されたと見て、侵攻されないための軍事力を共同協力して醸成しようというものでしょう。その懸命な努力を私は危険視はしません。

 

ソ連が崩壊してからNATO諸国なども、いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国」となっていた感もあったかもしれませんが、所詮、それは幻想だったのでしょう。

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欧州各国は、イランなどイスラム原理的な一部の中東諸国の脅威とてあります。

とにもかくにも、中立国を標榜していたフィンランドやスウェーデンがNATO入りした現実を丹羽さんはもう少し勉強すべきでしたね。

「米国の視野」のみならず「フィンランド」や「スウェーデン」や「NATO諸国」の「視野」ももう少し認識されたらよかったのにと思います。

 

また、東シナ海等々の中国の一方的な威嚇による支配地域拡大への懸念も表明されるとなおよかったのにと思います。

 

そういう動きを受けて、フィリピンと日本の軍事的な協力関係も進んでいますが、これはヤクザ国家に対する民主主義国家の最低限度の自衛・協力態勢の強化であり支持すべきと私は思います。

「力なき平和は無力とあきらめる必要はありません」と言う前に「力ある平和の維持は無駄とあきらめる必要はありません」と言うしかないでしょう。対ソ政策は、丹羽さんと同工異曲の坂本義和さんのような「空想的平和主義」路線を採択することなくレーガン流軍拡路線で自由世界の勝利を得た史実もありますから。坂本義和さんの「敗北の書」でしかなかった『軍縮の政治学』 (岩波新書)を再読するといいかもしれませんね。

 

彼は、自由世界の一方的軍縮こそが世界平和のためになるといった、単純な見方を提示していました。でも、レーガン流軍拡が、結局ソ連を追いつめて崩壊させた現実を見れば、所詮は進歩的文化人の甘い国際認識は敗れたと批判するしかないでしょう。

 

坂本氏は、ソ連に対する軍事的な封じ込めは、むしろ逆効果であって、国内の強権体制(「強権体制」という遠慮めいた形容しかできないようです?)を強化しタカ派の立場を強める危険がある。ソ連という国は、内部から権力や政策の正当性に対する問いなおしのメカニズムができ上がらないかぎり、外から軍事的に圧力をかけても、かえって体制の軍事化を強めるだけだと指摘していましたが、レーガン流の軍拡やSDI推進のおかげで、ベススメルトヌイフ外相もソ連の経済力ではアメリカの軍事力拡大にもはや対抗できないとギブアップしたのが軍縮起動の最大の要因だったのですから。

 

「力を背景にした平和」が発展することもありうるのです(もちろん、常にその路線が正しいとは限りませんから、相手の出方を見て戦略を修正していく必要はあります)。

 

日本も、北朝鮮や中国などが、軍事力を威嚇のための手段として利用しており、最悪のケースもありうる状況(台湾有事、日本攻撃)にもかかわらず、ノーテンキに「(いまの日本は)「いずれの国とも紛争を抱えていない国、差し当たり紛争の危機にも直面していない国」と断定するような「空想的平和主義者」による路線を尊重する気にはなれません。

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辺野古などで偏向的な平和教育を行なう方々からは好評を得るかもしれない本でした。丹羽さんの知性を私は疑います。

 

とはいえ、両論、さまざまな見解がありうるでしょう。平和教育を行なうなら、丹羽さんの本だけをテキストにするのではなく、たとえば、もう一冊、1945年生まれの小川和久氏の『13歳からの戦争学』(アスコム)も同時進行的に併読し、「戦争と平和」を考えるようにすればいいでしょう。

 

世の中には、いままで丹羽さんのような本だけを提供し、朝日新聞の社説だけを読ませて、それで平和教育だという立場を取る方々が多かったのではないでしょうか。それが偏向だと言われると開き直る手合いが多すぎます。そんなことを言っていません。

 

「平和教育」するなら、丹羽さんの本だけでなく、小川さんの本も提供し、社説も朝日だけでなく産経の社説も子供たちに提供し、読み比べさせて、考えるという平和教育なら、それは偏向でもなんでもないでしょう。でも、そういう手合いは、小川さんの本や産経社説はヘイトだとかタカ派だから提供すべきではないと言うのでは?

 

左派的な一方だけの情報提供を未成年者に行ない、他方の情報はタカ派とか暴論とかヘイトだとみなして拒絶排除していたとしたら、それはやはり「左翼偏向教育」というしかないでしょう。辺野古で建設反対運動をみせるなら、普天間飛行場にも行って米軍側の説明を聞かせてもいいでしょう。両方の「現地」を見学するぐらいの度量を左派も持つべきでしょう。

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丹羽さんは若い人への希望をことさら述べています。

 

「闇の中の唯一の光源は若い君たちです。みなさんが輝きを放つことをやめない限り、世界に希望は残ります。そうでなければ何も見えない暗黒の世界は止まることはありません」。

 

でも、私は十代のころから「日米安保肯定論者」でした。自衛隊肯定論者でした。そういう「若者」もいることをお忘れなく。

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余談ですが……。

丹羽さんより少し年上の半藤一利氏(1930~2021。享年90)も、丹羽さんと同じ「空想的平和主義者」だったと私は思います。半藤さんの遺著『歴史探偵 忘れ残りの記』 (文春新書)でも、「日本民族は昔から平和的な民族であったと思っている。戦争ができる国になれるように憲法を変えろ、なんて声が高くなるたびに、この人はことによったら日本人じゃないのかな、なんて思ったりする」(21頁)と排他的ともいえる護憲一点張りの主張をしていたからです。

 

9条改憲を唱える人を「日本人じゃない」とまで言うのですから、かなり独善的というしかありません。戦前、戦争に反対する人を大和魂なき日本人と批判した昔のレッテル貼りの人を想起しませんか?

 

彼の著作『戦争というもの』(PHP研究所)でも、「名言」のひとつとして、若槻礼次郎の「理想のために国を滅ぼしてはならない」という言葉が肯定的に引用紹介されています。

半藤さんが少年時代には、その回りには「勇ましい軍国おじさんばかりがいました」とのこと。そんな軍国主義者(東條英機)が「八紘一宇」のような「理想」を掲げるのに対して、若槻がそう言ったそうです。「理想のために国を滅ぼしてはならない」と。

 

この一節を読んだ時、戦後の日本では「勇ましい護憲おじさんばかりがいました」のではないかと思いました。それこそ、丹羽さんや半藤さんのように「戦争体験」がある方々が自慢気に戦争だけはしてはいけないと語り、そのお仲間の中には「非武装中立」のような「理想」を掲げる人が多くいたものです。そういう「護憲おじさん」や「護憲おじさんに洗脳された左派同級生」に対して、私も中・高校生の頃から「理想のために国を滅ぼしてはならない」と言っていましたよ?

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戦前の日本には「大和魂があって神の国であり決して負けることはない」といった「空想的軍国主義」がありました。戦後の日本には「平和憲法(9条)があって島国であり決して侵略されることはない」といった趣旨の「空想的平和主義」がありました。両者は「五十歩百歩」というか、その発想が「瓜二つ」であり、どちらも嫌悪すべき反知性主義的感情論でしかないと私は物心ついたころから思っていました。

 

だから半藤さんのこれらの本を読むと……。なんとなく「空想的軍国主義」を批判するのには同感するけど、その理屈がちょっと「空想的平和主義」に傾きすぎていないかと危惧せざるを得ませんでした。

 

半藤さんは晩年、日共の傀儡というか別組織というか友好団体でしかない「9条の会」にも好意的に参画してその空想的平和主義の広告塔になっていなかったかでしょうか。

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先の本では、参謀次長の河辺虎四郎の「予の判断は外れたり」という言葉も出てきます。戦争末期、日ソ中立条約の期限がまだあり、ソ連は攻めてこないと思っていたら攻めてきたので「予の判断は外れたり」と…。

 

半藤さんは当時の軍部が「ソ連がでてきたら太平洋戦争における今後の全作戦構想(本土決戦)は壊滅する、であるから、ソ連にはでてきてほしくはない。こうした強烈な『来たらざるを恃む』願望が、〝 でてこないのではないか〟という期待可能性に通じ、さらにそれが〝ソ連軍は当然でてこない〟となった。つまり、起ってほしくないことはゼッタイに起らないという、根拠のない確信になっていたのです」と指摘しています。

 

「これはわたくしたちがいまもよくやる考え方ではないでしょうか。自分にとって望ましい目標をまず設定して、実に上手な作文で壮大な、楽観的な空中楼閣を描くのが、日本人は得意なんです。物事は自分の希望するように動くと考えるのです」

「ソ連が満洲に攻めこんで来ることが目に見えていたにもかかわらず攻めこまれたくはない。いま攻めて来たらこれは困る。と思うことがだんだんに〝いや、攻めて来ないのではないか〟〝大丈夫、ソ連は最後まで中立を守ってくれる〟と思いこむようになる」

「情勢をきちんと分析すればソ連が国境線に大兵力を終結し、さらにシベリア鉄道を使って、どんどん兵力を送りこんできていることは知っていたのですから、かならず参戦してくるとわかったはずです。なのに、攻めて来られると困るから来ないのだ、と自分の望ましいほうへと考え方をもっていってしまうのです」

 

これこそ「空想的軍国主義」ですが、同じことが「空想的平和主義」でも言えるのではないですか? その視点が半藤さんにはないように思えました。というのも……。

 

「ソ連の軍事的脅威はない」「中国の軍事的脅威はない」と真顔で言う人たちが戦後には多々いました。

覇権反対の日中友好平和条約などはもう死文化しているでしょうが、尖閣への執拗な「艦船」の派遣、香港を完全に支配下に起き、台湾への威嚇、統一は核心的利益なり、武力統一もありうると明言している以上、何か起こるかもしれないと感じるのが普通の人間ではないでしょうか。いや中国は平和的な国だと「自分の望ましいほうへと考え方をもっていってしまう」人がいまの日本には多すぎませんか、丹羽さんのような人が?

 

中共(や北朝鮮)の指導者に「憲法9条」の条文を見せて「この紋所が目に入らぬか」とやっても何の意味もないことは知性ある人間なら誰しもが感得することではないでしょうか。日本の軍拡(のみ)に反対し、護憲を言う方々は、国連に行く前に隣国に飛んで、フェイスツーフェイスで金正恩や習近平相手に護憲音頭を躍ってみせたらいかがでしょうか?

 

安倍政権下で不十分ながらも集団的自衛権行使に一歩前進する法律を制定していたことは、北東アジアの平和のために貢献しているといえます。にもかかわらず半藤さんは当時、きわめて単純な反対論を展開していました。北朝鮮などの軍事的脅威に関してもこんなことを語っていました。以下、朝日新聞(2017・9・29朝刊)より。

 

「国難といって現在、最大の問題は北朝鮮情勢でしょうが、これはご自分がつくっていませんか、自作自演の危機ではないか、と申し上げたい。安倍さんは国連総会で、今は対話のときでなく圧力をかけるべき時だと述べてきましたが、それでは危機を高めるばかりです」

 

「全体で譲り合い、調整しなければ大きな問題は解決できません。北朝鮮の問題についても、自国の安全だけを大事に考えていては、本当の解は得られないでしょう。この地域で利害を共有する日中韓3カ国が北朝鮮を説得して話し合いのテーブルに戻すしかないでしょう」

 

「1930~40年代の日本は、まさにいま北朝鮮の似姿です。あのとき、日本をなだめたり説得したりできる国はなかった。しかし、今は日本がそうした役回りを発揮できるはずです」

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僣越ながら、この朝日の記事、朝日記者の捏造でなく半藤さんがしゃべった通りだとすれば、半藤さんの「知性」を疑うしかないと私は思いました。

 

何度でも引用しますが、半藤一利氏の遺著『歴史探偵 忘れ残りの記』 (文春新書)でも、「日本民族は昔から平和的な民族であったと思っている。戦争ができる国になれるように憲法を変えろ、なんて声が高くなるたびに、この人はことによったら日本人じゃないのかな、なんて思ったりする」(21頁)と排他的ともいえる護憲一点張りの主張をしています。9条改憲を唱える人を「日本人じゃない」とまで言うのだから。戦争に反対する人を大和魂なき日本人と批判した昔を想起させられます。

 

こういった「空想的軍国主義」をひっくり返しただけにもとれる「空想的平和主義」のような主張を展開されると、ちょっとついていけませんね。

 

失礼ながら、お言葉ですが、半藤さんは「戦争というもの」を本当に理解していたのだろうかと言いたくもなります。 悲惨な空襲体験があるからといって、そういう人を戦争の語り部として全面的に称賛するのは間違っていると思います。是々非々で戦争体験者たちの主張を吟味しておく必要があるのではないでしょうか。戦争体験とは、同盟国や友好国の選択の誤りなど、総合的に考えるべきです。戦後の日本は同盟国の選択では間違いをおかさなかったといえます。

 

半藤さんや丹羽さんの本は「反面教師」としてであれ、なんであれ、読む価値があると思いますが、私にとっては全面的に共感することはできない本でした。

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半藤さんの『半藤一利 わが昭和史』(平凡社新書)も手にして読みました。

 

中国で、天安門事件が起き「共産党の一党独裁で徹底的に共産主義国家をつくってきた体制があそこから崩れています。今やコチコチの共産主義国家でもなんでもなくなっている。大資本主義国家ともいえる」と、ちょっとノーテンキなことを書いていました。

 

中共がウイグルでやっていることは、典型的な共産国家による虐殺手法……。そういうことに目を向けると、己の「護憲念仏平和主義」が説得力を欠くことになるのを恐れているのかな、半藤さんともあろう方が…と残念に思います。

 

中共の核武装強化、北朝鮮の核武装化への懸念を持たないようでは、空想的平和主義者との批判を免れないでしょう。かつての日本軍のような横暴なふるまいを中共がしていると感得できないとしたら、イデオロギーに毒されて目が曇っているというしかないでしょう。

 

半藤さんのこういう昭和史…。日教組や日共系教員が中高校生に勧めるかもしれないけど、渡部昇一氏の『渡部昇一の昭和史』 『歪められた昭和史』(ワック)も読まれるといいと思います。。

 

「憲法9条」絶対護持を唱える人々は、戦前、「統帥権」絶対護持を唱えた軍国主義者と同じく狭い視野をもった感情的なイデオロギーの亡者でしかないと私は思います。

 

両者(「軍国おじさん」や「護憲おじさん」)が「勝利」することは、日本国の適正な進路を歪め、亡国への道につながると思います。誤った歴史を繰り返させるのには反対です。そういえば、見落としているかもしれませんが、半藤さんが「慰安婦」問題や徴用工問題に関して、発言したのをみた記憶がありません。韓国の暴論・感情論で庇うことができないテーマに関しては、三猿主義(見ざる、聞かざる、言わざる)を貫いていたとしたら、残念というしかありません。それでは「昭和史研究家」とは言えないでしょう。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍縮の政治学 新版 (岩波新書 新赤版 47)

 

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「日本の自殺」阻止のために創られた「松下政経塾の真実」を読んで!

松下幸之助の真意はどこにあったのでしょうか?

[2026・6・3・水曜日]

 

 

江口克彦氏の『松下政経塾の真実 松下幸之助はなぜ、つくったのか』(リベラル社)を読みました。

 

本書は、著者が、2010年にWAVE出版から刊行した『松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか』を改題し加筆したものです。2010年の刊行当時に一読した記憶がありますが、改めて一読しました。

 

著者は、慶應義塾大学法学部(中村菊男ゼミ出身)卒業後、松下電器産業株式会社に入社し、その後、PHP総合研究所へ移り社長などを歴任。松下幸之助さんの晩年の23年間、つねに側で直接指導を受けた方です。当然、松下さんに関する書物も多く出しています。何冊か読みました。「みんなの党」から参議院議員もなり、野田佳彦首相と国会で論戦をされたこともあります(本書にもその一節が出てきます)。

 

松下さんが国家の運営に関心を抱き、国防自衛問題にも深い関心をもっていたことなどがまず述べられています。この点は、近刊の中原雅人氏『自衛隊と財界人の戦後史 支援ネットワークの形成とその意味』(ミネルヴァ書房)でも詳述されていました。その読後感はすでに記しています(以下、加筆しつつ再録しつつ紹介)。こういう本が2024年4月に出ていたとは最近まで知りませんでした。

 

1960年代初頭、全国の駐屯地周辺の地域を中心に、民間の自衛隊支援団体である「防衛協会・自衛隊協力会」が設立され始めた。自衛隊支援と防衛思想の普及を主な目的とするこの団体は、1960年代後半にはすでに全国で1,090の協会と約49~60万人の会員を擁するまでに拡大した。

本書『自衛隊と財界人の戦後史 支援ネットワークの形成とその意味』は、1990年代以降、自衛隊への支持が拡大したという一般的な見方に対して、その「前史」を描くことによって、自衛隊研究に新たな一面を提示するとともに、「日本人にとって自衛隊とは何か」という、戦後日本社会の重要課題を考える材料を提供する--とのふれこみの一冊です。

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「アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)」で惨敗した形で「敗戦」を迎え、自衛戦争すらできないと解釈されるような極端な「平和主義憲法」を押し付けられ、ある種の「洗脳」「自虐史観の強要」を受けて、戦後日本は出発しました。

そのため、「平和ボケ」が進展し、国防への関心は疎くなりました。朝鮮戦争勃発によって、占領軍も方針転換をしたものの、それまでの「洗脳」もあり、警察予備隊を作り、それが保安隊、自衛隊となっていったものの、法整備的にもいまだに一人前の軍隊とはなっていません。

 

また、発足時から、ソ連・中共等々の外国勢力によるこれまた「洗脳」「宣伝工作」もあって、国内左翼勢力は反自衛隊の運動を展開しました。要は継子扱い。税金ドロボー呼ばわりもされていました。

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1995年の阪神大震災の時に、兵庫県知事などの自衛隊派遣要請が遅れたのも、そういう反自衛隊感情があったからだとも言われたものです。著者・中原雅人氏は、この阪神大震災が自衛隊認識の大きな転換点となったと一般に言われていることを指摘しつつも、それ以前に1962年12月末から1963年2月にかけて北陸地方を襲った「三八豪雪」に対する自衛隊の災害派遣が、自衛隊への国民の認識を改めるきっかけになったとみなしています。

 

この災害派遣における自衛隊の奮闘が、国民の反自衛隊感情を緩和するきっかけになったというのです。

 

とはいえ、鉄道線路の除雪に奮戦する自衛隊に対して、当時の新潟国鉄は白眼視していたのか、自分たちは暖炉を前にして談笑しつつも、自衛隊には暖炉設備もない物置へ案内もしたりしていたそうです。

 

「自衛隊は私らの税金で養っているんだもの、こんな時に働くのはあたりまえよ」という言葉を自衛隊に投げかける人もいたそうです。一方、素直に感謝の言葉を述べる人もいたとのこと。

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先日、東日本大震災の時の自衛隊出動物語(映画)の『宣誓』を紹介しました。1963年からみれば、半世紀近くが経過した2011年。三八豪雪の時に比べれば、民間人の自衛隊観は大きく改善されていますが、映画でもチラリと描かれていた反自衛隊的な感情を示すボランティア団体関係者や、温かい食事を提供しつつ、自分たちは冷たい缶詰食(それがたまたま「赤飯」缶詰だったりすると、人目を気にしなくてはならない)を食べる自衛隊員。

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沖縄などではいまだに反自衛隊感情を露にする「市民」も少なくありません。そんな極端な思考の人間が実践する「平和教育」など、ロクなものがあるはずもありません。

 

人(女子高校生)を過失で殺したも同然のことをやっておきながら「平和」教育など、矛盾もいいところでしょうね? 被害者の家族にもお詫びもお見舞いの言葉も寄せなかったとか。

 

被害者の家族はこんな「コメント」をしているじゃありませんか。

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「謝罪、弔電…何ひとつありませんでした」辺野古ボート事故遺族が明かした「書きたくても書ける内容が無い人たち」【手記全文】

6/1(月) 17:03配信

 知華に会いに安置所へ。

 その後、葬儀の詳細について打ち合わせ。

 知華の名前が書かれている死体検案書、死亡届を直視できない。子を失った親は皆こんな思いをしてきたのか。

 

 いつも通りの妻の行動力、いつの間にか立派な大人に成長していた長女、妻と長女に声をかけ続けてくれた両親のおかげで、知華の「体」と「心」を連れて帰ってこれたこと、忘れないようにメモとして残しました。

 

 中城海上保安部の方々

 キャンプ・シュワブの方々

 ホテルスタッフやタクシー運転手、JAL職員など、一期一会の沖縄の方々

 

 私がここで書かなければ誰にも知られない所で、知華の死に一緒に心を痛め、私たちに時間と心を割いていただきました。本当に温かかった。心から感謝をしております。ありがとうございます。

 

 学校から校長、教頭、法人事務部長、学年主任

 東武トップツアーズから社長、副社長含めた役員、担当者の方々

 責任云々の話とは別ですが、組織の責任者達が沖縄で私たちの怒りと悲しみを正面から受け止めながらも、逃げることなく、対応してくれました。

 

 一方、日記で記した数日間に登場しない方達がいます。

 書きたくても書ける内容が無い人たちです。

 

 平和丸の船長、乗組員、ヘリ基地反対協議会その他の関係責任者達

 

 沖縄にいる間、知華や私たちへ対面しての直接の謝罪、面会可否の問い合わせ、託された手紙、弔電、何ひとつありませんでした。学校、ツアー会社、中城海上保安部のいずれのルートでも問い合わせがなかったことを確認しています。

 私はこれを、どう理解すれば良いのでしょうか。

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被害者の親から名指しされた「平和丸の船長、乗組員、ヘリ基地反対協議会その他の関係責任者達」を、私は心から軽蔑します。お前たち、それでも「人間」か?

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さておき、1960年代において、「三八豪雪」等々での自衛隊の活躍に対しても、まだ不信の声をあげる一部世論に対して、これではいけない、自衛隊の活動を支援しようという動きが財界人から出てきます。その先頭にたったのが、松下幸之助さんだったといいます。

 

彼らが「防衛協会・自衛隊協力会」を結成し、それは全国的な組織になっていきます。本書の冒頭には、松下さんが羽織袴で、自衛隊の伊丹駐屯地の記念式典(1964・5・3)で隊員を激励する写真が掲載されています。これはなかなか衝撃的な写真でした。

 

一方、後にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんが、1958年6月25日付けの毎日新聞(夕刊)のコラムで、女優の有馬稲子さんが防衛大学校生と歓談している記事写真を見ての感想(批判)を綴っているのが引用紹介されています。

有名な批判です。

 

「ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」

 

松下幸之助さんと大江健三郎の自衛隊観の相違。月とスッポンというべきでしょうか。

松下さんが自衛隊関連で発言した内容が、大阪防衛協会の会報『まもり』に掲載されていますが、それらも引用紹介されています。大江さんとは真逆の自衛隊礼賛論が展開されています。

 

「凡そ政治の根底は国防と治安であって、それを忘れた政治に発展はあり得ません。治安の安定していない国は物価があがり、国が安泰でなくては文化もあり得ません。日本憲法の前文はよく読んでみると、日本のものでもなければ、何処の国のものでもないと思はれます。自ら責任をとらず、自国の安全を他国に頼り、自分だけ繁栄を計らうとする考へ方は間違ってをります。速やかに改正して国防を真剣に考へなければなりません。

 然し、国会においては一つの法案を成立させるのにも、中々スムーズに行かず、長時日を要して居る現状であります。最も重要な憲法問題にもっと真剣に取組んで論議すべきではないでせうか」

 

この講演は1966年9月19日に開催された「海上自衛隊幹部学校学生による京都国際会議見学の際の挨拶」の一部で、『まもり』(第九号)に掲載されているとのことです。なんと60年前の「正論」です。

 

こういう思いで、松下さんは「松下政経塾」を作ったのでしょう。塾出身の政治家で、9条改正に前向きでない左派系政治家もいるのではないかと思いますが、「親の心子知らず」といったところでしょうね。

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江口さんの本から脱線してしまいました。江口さんの本に話を戻します。

 

江口さんによると、「松下幸之助の思想大系を知ろうとすれば、『PHPのことば』『人間を考える』『21世紀の日本』の三冊を読めばよいといっている」とのこと。私は、その三冊にもう2冊加えて『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP)と『なぜ』(文春文庫)を加えたいと思います。

 

そうした憂国の書に挟み込まれていた読書カードが返送されてきて、「松下さんの考え方をどのように実現したらいいのか、自分も参加できるような場をつくってほしい」とのリクエストが多々あり、それに答えて『ボイス』が創刊(1978年12月)されたとのことです。学生時代に創刊されたこの雑誌、購入した記憶があります。もう半世紀近く昔のことです。「諸君!」「正論」「自由」などに続く良識雑誌の刊行として歓迎した記憶があります。

 

「ボイス」は、今も潰れることなく刊行されているのはけっこうなことです(ちょっとパンチが低減したかな?)。そしてその流れ・思いが松下政経塾の創立となっていくわけです。

 

江口さんは塾創立にあたって、さまざまな人に助言をいただきますが、大学時代のゼミの先生だった中村菊男さんからも「政治家を目指す者にとって必要な学科として、歴史と地理と語学をあげられた」とのことです。

 

そのほか、松下新党結成の動きなどの内幕も綴られています。

そういった風に松下幸之助さんの松下政経塾誕生への熱い思いがしのばれる一冊でした。

 

卒塾生による松下政経塾への思いを綴った本も多々出ています。

山田宏さん(二期生)の『松下幸之助が教えてくれた日本復活のために大切なこと』(産経新聞出版)など。併読をお勧めします。

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余談ですが、本書85頁終わりから6行目に出てくる『日本の自殺』という本。これは香山さんなどが参画した「グループ1984年」が、1975年前後から「文藝春秋」に書いた論文「日本の自殺」(等々)を指しています。本にもなりました。

 

当時の文藝春秋は、文芸出版物がメインで、こういう論文は「文藝春秋」に連載されていても本にはしませんでした。あの立花隆さんの田中角栄の研究や日本共産党の研究も本になっていません。共産党の連載は講談社が本(『日本共産党の研究』)にしました。

 

『日本の自殺』もPHPが1976年に本にしました(私は大学受験の時に試験会場に向かう電車の中で、この本を読みました。雑誌掲載時は未読。高校生の時、父親は「文藝春秋」を読んでいて、「田中角栄の研究」は読みました)。

 

ところが、85頁のところでは『日本の自殺』のあとに、カッコして(大原健士郎著・誠信書房・一九六五年)--が挿入されています。これは同名の書物との勘違いではないでしょうか。大原さんは精神科医で、『日本の自殺』のサブタイトルは「孤独と不安の解明」。

香山さんたちが書いた『日本の自殺』(PHP・1976年刊行)とはまったく別の本です。旧版でも、これは誤記されていて、それが今回の本でも見逃されてそのままになったのでないでしょうか。

 

ここで言及されている『日本の自殺』はもちろん、大原さんの『日本の自殺』ではなく、「グループ1984年」の書いた『日本の自殺』ではないかと。

 

ですから、(大原健士郎著・誠信書房・一九六五年)(「グループ1984年」著・PHP研究所・一九七六年)と修正されるべきだと思います。

 

では、ごきげんよう(本欄で紹介した作品に御関心のある方は、ブログの文中の作品のリンクをクリックして註文してみてください)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ (文春文庫 171-1)

 

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)

 

日本共産党の研究(二) (講談社文庫)

 

日本共産党の研究(三) (講談社文庫)