その日も夜遅くに練習を終え、自宅へ帰る。
冷たいお水をグラスに移して喉を潤していると、奥の部屋から一緒に渡韓していた兄が顔を出す。
兄「お帰り。お疲れ様」
🐧「……」
兄「あなたの下の名前?」
🐧「あぁ……“ただいま”」
兄「なに、どうしたの?」
🐧「Nothing」
兄「なんでもないわけないだろ。一緒に住んでいる兄貴にも話せないのか?」
🐧「……的確な答えを返せないでしょ」
兄「まぁな、アイドルのことも、なにに悩んでるのかもわからないが……夢を叶えるために自分が一番望んでいることを選べばいい」
🐧「……そうしたいのに、それを許さない現実があるんだよ」
兄「……あー、うん、わかった」
🐧「絶対わかってない」
兄「多分さ、あなたの下の名前はもっと話し合ったほうがいいんじゃない?絶対にだめだって誰かに言われたの?」
🐧「言われてない。でも考えたらわかることでしょ。過去に事例が一つもないんだから」
兄「考えたらわかることでも、相手は可能性に賭けてるんだよ。そうなってほしいと強く願ってるから。それに……誰もやったことがないなら一番乗りできるぞ。それがきっかけで流行るかもしれない。現に、俺はそうやってブランドを大きくしてきたんだからな」
🐧「……そう、だね。もう一回ちゃんと考えてみる」
兄「そうしな。でも……早く寝なよ」
🐧「うん、ありがとう」
アメリカを拠点にブランドを立ち上げた兄が、自分のために韓国に来てくれたのはもう何年も前だ。
デビューできずに辛かった日々も、「いつかデビューする」という自分の夢を信じて応援し続けてくれた。
自室に行き、間接照明を一つだけ点けて再び冊子を開く。
🐧「私以外に、全員で8人……。皆仲いい人たちだけど、ほんとに凄い人だと思う」
加えて言うなら、チャニが選んだのだから間違いない。
約7年という練習生期間は、彼の実力や人柄を信じるためには十分すぎる長さだった。
🐧「間違いなく、時代を率いるグループになれる……」
そんなところに、自分が入っていけるのか不安だった。
ただ性別が違うことを恐れているわけではない。
ヨジャとナムジャでは体つきが異なるのだ。
当然パフォーマンスへの影響も避けられない。
ただ一人ヨジャとして仲間になることを、他の7人が、ファンたちが、どう受け止めるかが怖かった。
🐧「これ……クリスからだ」
冊子の最後のページには、チャニによって手書きされた少し長めのメッセージ。
なにを決め手に誘ってくれたのか、どんなビジョンを描いているか、丁寧に書かれている。
『あの日の約束を果たしたい。
一緒にデビューしよう』
最後に書かれた2文に目が引き寄せられる。
まさかこの言葉が、その日よりチャニに会うたびに口説き文句として使われるようになるとは知りもせずに。
最初はきっぱりと断り続けていたが、何度も声をかけてくる彼に、次第にその決意が揺らいでくる気がしていた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。