ラノベで読もう創作論7「”世界観の作り込み”に関する勘違い」
今回は冒頭に言うことがとくにないんで、さっさと始めていこうと思います。まあ、ねえ……冒頭に置くと言いつつ最後に書いてるんですけど、振り返ってみた感想がとくにないんだ。
『黒の英雄と駆けだし少女騎士隊』上月司2018/9/7 株式会社KADOKAWA(電撃文庫)
・貫頭衣……なんで? どこが?
・気が抜けると文章が崩れるうえ、微妙に伝わりづらい描写が散見される
・「骨董蒐集」という趣味にまったく意味がない
・(ほぼ)不労所得に甘んじておきながら浪費、やる気はあるのに言葉を選ぶ気がないなど主人公を好きになれる要素が皆無
・物語の構造上、売れる方法はないとしか考えられない
■重要事項
・何も始まってないし何も終わってない、敵も出てきてない。続刊前提がどうのという以前の問題
・「お前ら弱い」って何回言うの?
あらすじ読む限り勢力図に影響する『学戦都市アスタリスク』みたいに思ってたんですが、大会出てないやんけ、予選で終わり!? 大会やりますって言って出なかったら詐欺じゃないですかこれ。まあ2018年の作品なのでなんとなくヤバそうな気はしていましたが、黒幕も出てこないし大会にも出ないから、スタートラインに立ってないんですよね。主人公と四人の見せ場をそれぞれ用意したら「敵を倒した!→次の敵、もう限界!→彼が終わらせる」になるほかないけど、これほぼ確実に売れないでしょ……素直に「俺が育てた生徒が優勝!」な教師ものやろうよ。
主人公が見ていて不愉快、という点も大きいですかね。楽な仕事でゼニ儲け、骨董品で浪費! ってやってるのにきちんと住民とのコネがあったり、日々鍛錬を怠った日なんてあるわけないだろと言ってみたり。何かしら面白い道具でも出てくればいいんですが、頑丈なだけの椅子以外ろくに登場してないわコーチやる理由が「浪費でカネない」だわで面白みにつながってないのがマイナス点大きい。
コーチやるたびに四人をぶちのめして設定解説、弱いから鍛えとけというテンプレが何度も繰り返されるんですが、見てて面白くないんですよね……。必死に食らいついてものにしたところを褒めるとか、ひとりだけ上手くできてギスりかけたところを「ここが秀でてるから、こうしたら上手くいくんだぜ」するとかさあ……落ちこぼれの正体はどうしようもないカスでした、なんて流行りませんて。
なんか設定作りがんばりました的なこと言ってますけど、新しく知識を仕入れることはしなかったんですかね。貫頭衣ってわりと湿気の濃い場所じゃないと発達してこない衣服の形態だと思うので、どう見てもヨーロッパなこの世界だとフード付きローブとかでは。イラストがただのマント&下はズボンなんで、ジェダイみたいな服って言ったんでしょうか。アナキンじゃなくてクワイ=ガン参考にした方がいいと思う。
カラー6ページを情報量皆無の単キャラ絵で埋め尽くすのも大概ヤバいというか、この配分考えた人何やってんでしょうね? 主要キャラ六人って折り込み一枚で書けるし、武器が見切れてるし背景が意味不明だし、属性と得意技くらい付けてよかったんじゃねーのかな。「エレメント水・表出は氷」「エレメント風・表出は雷」とか細分化がすでに終わったこの時代には言ってほしかったです。
主人公の見せ場は確かに上手いんですけど、生徒たち四人をかませにしていい理由にはなりませんよね。教え方も「基礎が足りない」「技術が足りない」ばっかで、絵面こそ工夫されていても生徒たちの成長がちっともうかがえず、それを褒めもしないので理不尽さの方が強く感じられ、鬼コーチよかゴミ教師って感じでした。「答えられへんだら立っとけ」って言う厳しい先生でも「大学では漢字ドリルなんぞあらへんから、いまいまやっとかな覚えられへんのや」って理由言ってくれましたよ。
先にテンプレがあるならそっちを勉強すべきだよね、という……この結論いる? って感じの感想しか出てきませんでした。やっとらんやつおるんけ? 書こうとしているもののカテゴリ分けや先駆者を分かってないんだとしたら、何も言えませんねえ。
こないだラノベの買い取りをしてもらおうとしたとき、引き取り(=ゴミとして処分or買い取りだと利益が出ないほど売れる見込みナシ、という扱い)を提案された作品です。まあ、あの時点で7年前の作品かつドマイナーで一巻打ち切り、そういう扱いを受けても仕方ないなと思いはしますが。
この作品は、おそらくは教師もので競技もの、おそらく『学戦都市アスタリスク』『ロクアカ』の流れにある作品だと思うんですが、どっちにもそんなに似ていないうえ、どうしようもない欠点が付きまとっています。あ、私は両方アニメ勢なので、原作にどう書かれてるかは知りません。そのうえで、きっちり面白かったアニメ版ふたつと比べてどうか、って話をね。
まず本作の主人公「レグ=ウェザー」なんですが、ただのカスです。全体的に、いちばんイヤなタイプの昭和のオヤジって感じの印象を受けました。弱いのが分かり切っている女生徒に強さでマウントを取るわ、さしたる理由もなく骨董品を買うのに浪費するうえ国庫から補助してもらっておいてニートだわで、イカレドクズニートを自称している私よかタチが悪いんじゃないかとすら思えます。
世にあるさまざまな作品で「大金を必要とする主人公」は大勢います。けれど、彼らのほとんどはきわめて切実な理由で多額の金銭を必要としているのであって、趣味や贅沢暮らしのために大金をはたいているアホはそうそういません。そんな中で、使いもしないし活かしもしない、ただコレクションのためだけに骨董品を買い漁っているアホがいるとしたらどうでしょう。しかもそのお金が、元英雄という肩書きによって、ニートの生活を補助するために国庫から拠出されたものだとしたら? 生活保護受給者でもまだ、もうちょっとマシなんじゃないですかね。
この骨董品のたぐいが、たとえば生徒たちへの指導に活かされるであるとか、ちょっとした魔物除けに使えて村を救える便利グッズであるとか、じつはあるアイテムを追い求める過程で集まってしまった副産物であるとかの、中長期的目標につながるものであれば、別に批判したりはしません。むしろ「一見浪費癖に見えたんですが、これがまたとんでもない布石でして……」とか、ちゃんと褒めるでしょう。
ほかのレビュワーさんも言っていたことなんですが、「作品」と呼ばれるものは、すべて作者の意図によって構成されているモノの集合体なんですよね。そういった事情から、読者はこういう、一見するとカスっぽい言動にも何か理由があるのかな? といった想像をして、そこに期待を置くんですよ。そしてそれが回収されなかったとき、期待は見事にずっこけて、不満に変わっちまうんですなァ。
多額の税金で養われているニート野郎がいて、そいつが自分の趣味だけで無駄な浪費をしていたら「税金返せコラ」という反応も出て来るでしょう。天皇家や王家みたいに、国家の象徴という役割があれば、外交の場や公に出るときのためにある程度以上、国家の威信を揺るがせないための出費をしておく必要はあると思います。ただ、このレグという男は、あれこれと仕事を任されるたび失敗していて、マジで使えない無能みたいなんですよね。外交官である王族・皇族の方々とはぜんぜん違いますね。
以前「勇者は国を救ったんだから、県知事クラスに置いといてトントンやろw」と述べたことがあります。しかし、それはその仕事が務まればの話であって、殺す以外に能のない殺戮マシーンや表向き出せない感じのあれやこれやであった場合は、都合のよいポジションを与えてもういっちょ働かせるか、油断させて殺すしかありません。突出しすぎた力の使いどころって、すごく難しいんですよ。アメリカに、大統領以外に「こいつが命じれば、即座に核ミサイルがどこへでも発射される」なんて人間がいたら、何が起こるかってハナシよ。いや大統領もそんな権限なさそうですけど。
もうひとつの部分は後で語るとして、次の話題へ。
そして、そもそも『アスタリスク』とは世界観がぜんぜん違うので、あれと同じことしてる余裕あんのかな? と思っちゃいましたね。
そもそもの話として、むちゃくちゃ強い怪物とそれに匹敵するくらい強い人間がいる世界で、まともな国家や国交が成立するのか? っていうところから怪しいんですよね。前に怪獣について触れた文章をまとめたんですが、現実における古代人類ってけっこうデタラメに強くて、マンモスとかダイアウルフ(馬よりデカい狼)とかを狩って絶滅させてるんですよ。ところが、本作で語られるいわゆるモンスター=「剛魔獣」の強さは、数十の戦士でも蹴散らすほどだ、とされています。
現実でいう「デカくて強い獣」は、まずヒグマが思い浮かびます。たとえばかれらのスペックが、「専任のハンターと猟銃、ノウハウを以てしても犠牲ナシでは倒せない」としたらどうでしょうか? そこまで行くと、そもそも北海道に住むのはバカだとされるとか、もっとハイパワーな象撃ち銃なりが用いられるようになるとか、そういった変化が起こるのではないでしょうか。
このあたりは、魔獣がどのくらいの数いるのか、倒した後どうしているのか、強さの幅はどのくらいなのか、どこで出会うのか、どのくらいの頻度で出現するのかによって、いろいろと変わってきます。このへんがご都合でいくらでも変動するので、世界観に根付いたものとして感じられないんですよ。田舎の農家がいうモグラくらいなのか、それともシカくらいか、サルかクマか、はたまた戦車が東京の大通りを行くくらいの大事件なのか。
こういうモンスターについてのあれこれって、ファンタジーを作ろうとするときいっちばんめんどくせーところなんですよねー。だからまあ、下手に出さない方がいいんじゃないかなとすら思えます。そもそも教師ものなんだからふつうに学園でいいんじゃないかなと思いますし、競技ものにモンスターが出てくる意味も、あんましよくわかりません。
いやまあ、モンスターに対抗する人材を育成するための学園というのはあるでしょうし、そこの講師になるのもテンプレに則っていて問題ないと思います。が、「虹星練武祭」という国家のバランスを決める代理戦争、「国の代表を選出して」っていう文言が書かれていて、別に学校教育とかではないんですよね。じゃあこの代表チームはどうして同じ場所に集まってるんですか? っていう。
この作品、独自の世界観を築いているようでありつつ、それに応じた世界を描くことには失敗してるんですよね。具体的には、「○○という設定に応じた、作中の現実」がまったく描けていませんし、想像できていません。ごちゃごちゃ設定を述べることばかりには執心しているわりに、それによって何が生じるか、どういったことが起きているかにはフォーカスされておらず、リアリティーがちっとも感じられません。というか、学園もののテンプレをそのまんま流用して、それが通用すると思い込んでるんですよねー。もうちょっと、自分の考えた世界を大事にしてほしい。
前にも言ったことなんですけど、「作中で語られていないことは存在しない」んですよね。作中に「魔獣に対抗する人材を育成している」と書いてあっても、[そのための学園がある]とは書かれていません。つまり魔獣を倒すのは駐在している騎士で、引退してそこに住むことになった駐在さんが騎士候補生を育成している、という作中に描かれた情報そのまんまということになりますね。学校じゃなくて、なんかそのへんの……警察署の駐車場とか、消防署のグラウンドみたいな場所に子供たちがやってきて、青空教室してるんでしょうかね。ほのぼのしてるなぁ。
すると、主人公のもとに集う女生徒4人は、ある村に住んでいた子供たちということになるでしょう。強大な魔獣が徘徊する世界で、まさか教育のために各地から人材が集まれるわけありませんのでね。そうだよね作者センセイさま? ところでこの女生徒たち、なんかエレメントというか魔法属性もバラバラだし身分も大きく上下してるんですけど、どこに住んでる誰なんですかね?
ナーロッパのモデルになった中世ヨーロッパだと移動自体がわりかし難しいし、本作の世界観だとふつうに暮らしていても獣害、じゃなくて魔獣被害? で死にかねないので、長距離移動のリスクは果てしなく高いはずです。そのわりに国家間が揉める余裕はあるみたいだし、ちょっと訓練のためにと郊外に出ることが当たり前のように描かれています。街から外に出たら、訓練受けてない戦士が十人単位で虐殺されるような魔獣が出るんじゃないんですか? 街中でやろうよ、訓練。
いちおう、魔獣は「大陸南部に多く、めったに縄張りから出てこない」と書かれてはいるのですが、じゃあここはどこやねんという疑問が出てきますし、七か国ってどういう形で並んでんの? っていう疑問も湧きます。さっき言ったクマのたとえで言うと、東京でいうどの区に現れたくらい大事件なの? って話なんですよ。多摩区とかのガチ田舎なのか、渋谷区とか港区なんかのいつ行っても人が途切れないような場所なのか。まあ「東京にもクマ被害」ってニュースにはなってましたけど、それでも都心にはいなかったみたいですし、そもそも入り込める隙がないよねってハナシ。
こういう、根本的な設定がぜんぜん掘り下げられていないので、単語ばかりが並んでいようとちっとも「設定が緻密に作り込まれている!」とは思えませんでした。テンプレに則っているようでありつつ、ぜんぜんテンプレではないので、テンプレから外れたところの甘さがまったく把握できてないんですよね。アセット使いがこんなに昔からいたとはね……いやまあ、ラノベは大昔からパクリラッシュだったのは知ってますけど。
もう一度主人公について触れておくと、ひたっすら女の子たちを罵倒してマウント取ってるだけで、教師としてはぜんぜんいる意味ないなって思いました。前任はいないのかなってのもそうですし、共通カリキュラムが多すぎて、個性派の生徒たちひとりひとりに向き合っている印象が薄かったです。
むろん、この作品にも生徒たちの個性はありますし、ひとりひとりをキャラとして見せようとしている気配も感じます。がしかし、個々のエピソードが特に目立たないので、初期設定の“○○っぽい”キャラが個々人に刺さるか否かでだいたい印象が決まってしまい、そこから進んでいないように感じました。
どうしてそんなことになっているのかというと、単純に口が悪すぎて適切な指導ができていない主人公と、それに強く反発する生徒たちの諍いで一巻の半分以上が浪費されているからです。この主人公、最初っからだいたい全部わかってるわりにはそのことを全然説明せず、成果を実感しづらい練習だけさせて自分だけ寝そべっていたりと、信頼を得ることを放棄しています。
私見ですが、私は「信頼/正しさ」はトータルで計算しなければならないと考えていますし、まず信頼があるものだと思っています。生徒が教師を信頼するのはなぜなのかというと、まず「年上、目上の人」という道徳教育が行き届いているからだと思います。しかし、中高生以降で生徒たちが教師を自分より下だと考えるようになると、たやすく学級崩壊を引き起こします。が、この作品における生徒たちは跳ねっかえりばっかりで、別に講師である主人公を信頼なんてしちゃあいません。じゃあまず信頼されなきゃダメでしょ。
私は「正しければいい」という態度には反対です。私自身が「この作品ってどうしてこうなんでしょうねー?w」という態度で、クソムリエを名乗りさまざまな種類の正しさを以てラノベを叩きまくっている事実があったとしても、そう言わざるを得ません。情報の正確性や倫理的・道義的正しさを叩き棒にしていても、それが作者に百パーセント伝わり、即座に改善される可能性はほとんどないからです。アクセス数の不正操作をされたり編集に愚痴られたり名前を出さずに批判されたりといろいろされてるので、あちらさん側が受け入れてないのは明白っスね。
たとえばですが、知らない人からいきなり「うちの宗教に入った方がいい!」と言われたとき、それを正しいと思うことはあるでしょうか? おそらく、ないと思います。その三十分後に世界が滅んで、例の宗教を信じていた人だけは神の奇跡で救われ、次の世界を作っていくという事実があったとしても、まだ可能性は上がらないでしょう。それはなぜかというと、信頼されていないからです。
いわゆる単語としての「説得力」が“説得”力である理由は、提示されることばがきちんと安定していて、信頼を得ているからです。これは、教師が生徒たちの常識と照らし合わせて問題のない言動をしていたり、尊敬できる人間であることをはっきりとわかっていたりすることに相当します。その観点でみると、主人公は自分の講師としての言葉が説得力を持つまで、信頼される過程を通ることなく「信頼されている講師」の態度を取ってしまっているんですよね。これ、宗教の勧誘の人が天国に行くために徳を積む方法を延々と講釈垂れてるようなもんですよ? そう表現すると、いかにヤバいかわかるんじゃないでしょうか。
主人公の指導方針を超ざっくり言うと「武器が出せるだけで満足してちゃ負けるから、防具も出せるようになれ」です。これは幼馴染みの少女が自力で気付くまでまったく明言されておらず、半分ほどページを浪費したところでようやっと出てくる情報なんですよね。これねぇ……指導する系の作品で毎回言ってるんだけど、『ウマ娘』と比較して弱すぎるよねって話。いや、現実と比較してすらダメなんですけどね。
競技における「勝てる水準」が明確に定まっているのであれば、それを明確な目標として設定し、そこにたどり着けるよう段階的な小目標を作ってクリアしていくべきだと思います。これは、コーチ業界ではまったく当然の常識でしょうし、私がパッと考えただけで思いついた程度のものなので、専門職はもっとすごいことをしているでしょう。陸上でいえば、例年の優勝スコアはこのくらいで対抗となる学校の選手のスコアはこのくらい、ならこの大会に勝つにはこのくらいのタイムが必要だ! ということで、そのタイムに近付けていくとか。実際にはもっと細かいんでしょうが、素人考えだとこのくらいになっちゃいますね……。勉強が足りねぇ、精進せねば。
目標は「虹星練武祭」の優勝であり、そのためには「錬晄氣」を制御して「創撃武装」を出せるようになり、その先にある「聖錬衣」まで到達していることが求められる……というのが、作中の単語を使った説明です。要するに魔力を制御する能力の水準がまったく足りておらず、競技選手としての第一歩にすら達していない、だから第一歩にまずたどり着けと、そういう理屈ですね。
主人公の口の悪さのまま言うのであれば「お前ら、自分じゃ天才だと思ってんだろうが、勝つには一段階足りねぇ。現状で満足してちゃ全員予選敗退だぜ」くらいのもんでしょうか。こうしてエミュってみると「勝たせてやっからまず言うこと聞け、この跳ねっかえりども」くらいのことすら言おうとしない主人公のカスっぷりがまた目立つ目立つ。
指導内容とその目的が不明瞭であることもそうなんですが、この主人公、口が悪いうえに性格が悪くて、教師として無能すぎるんですよね。先ほども言いましたが、私は「正しければよい」という考えには反対ですし、コーチとして振る舞うなら、練習の目的、それによってどの程度目標に近付けるか・近付いたかも共有しておくべきです。
さっき「目標は……」と述べましたが、この情報における「防具が出せないようでは、選手としての第一歩に到達していない」という事実は、最初はちっとも説明されてないんですよ。目標までの距離を言葉で説明して、「じゃあお前はどうなんだよ、いきなり来てなんだようっせーな!」って言われてからボッコボコにぶちのめせばいいのに、まず力で叩きのめしてから話を始めるので、チート披露してイキりたいんだなぁとしか思えませんでした。そんなんだから信頼されないんですよ。
いちおう「消耗が激しすぎるうえ、下手をするとオーラを扱う力を失うことになる」といった説明はあるのですが、じゃあ代替案を言えばいいだけでしょってハナシよ。武器だけじゃダメだけど防具を出せるってことは教えちゃダメ、防具を出せても相手はそれをぶち破る攻撃を繰り出してくると。じゃあ何すればいいの。なんでそんな、ビッグモーター並みに否定ラッシュしてくるんですかね……お前コーチの自覚ある? 生徒のモチベーション下げてまで指導したいみたいだけど、それに見合った成果出させられる自信あんの? ロイヤルビタージュースじゃないんだからさぁ……私あれ使ったことないけど。
結局のところ、生徒たちは最後に魔獣が出てくるまでのつなぎ、主人公の強さを示すためにかませ犬の役割を演じさせられ続けるお飾りです。こういう「コーチはきちんと強い」って描写、一回でいいと思うけどね。魔獣がいつ出ようが話には大して関係ないし、何だったら「魔獣を倒せたんだからいいだろ!」って言うこと聞かなくなったやつが独走しちゃってガチのバケモノに出くわし……みたいな作劇もできるんじゃないでしょうか。
そんで、私がどうしてこの主人公の指導を「分かりづらい、萎えさせる」とがちゃがちゃ言ってるのかというと、結局のところヒロインの覚醒はイヤボーン(感情の昂りによる覚醒)で、主人公の指導があんまり関係ないからです。要するに極限の集中と感情の昂りがあれば聖錬衣には到達できるし、前提となる創撃武装が出せていれば火力もまあ足ります。つまりこれ、主人公がいなくても到達できた可能性があるんですよね。
で、試験に行こうとしたら魔獣が乱入してきて、なんとか最弱のを一体倒したと思ったらもっとヤバいのがやってきて、最強主人公が片付けてくれましたと。オノレは作劇っちゅうもんをナメとらんか? これの何が面白いねん。
この作品って、個人ごとの無双が描かれてるだけで、コーチングとかなんとかは全然関係ないんですよね。今回そのメインになったのが主人公レグ=ウェザーと幼馴染みの女生徒ミレイだったというだけで、ほかはかませ犬にしかなっていません。マジで、最後の戦いで「あのコーチが教えてくれたことがここで活きた!!」ってのが本当に何もなくて、教えられたことが何ひとつ出てこないんですよ。
私は、作中の結果を見たうえで、この展開や描写は必要だったのかという形での逆算を毎度のように行っています。その視点に立つと、いっさい指導内容を思い出さずに戦ってるし、主人公の言葉を振り返ったり、発展させたりといったシーンもありません、これね、授業で聞いた話がテストで何ひとつ役に立たないみたいなもんなんですよ。作者の意図マシマシであっても、そのくらいやるでしょ……それが主人公を無能に描くことだと気付かなかったんでしょうか? その可能性がないとは言えないのが恐ろしい。
で、ね。あとがきの芸術点の高さもまた、素晴らしいものがあります。『オリジナル単語使いまくりだと何が何だかわかんない問題』という問題を提唱しながらブーメランが自分に突き刺さっているところだったり、誰も覚えてないであろう本編設定のトリビアだったり。
んじゃあ何ですか、剛魔獣が現れたためにそれを打倒する力「錬晄氣」が編み出され、その力を持つ騎士を効率よく育成するために虹星練武祭なる国家間競技が考案された、と。錬晄氣をより高めることで騎士は「創撃武装」を出せるようになり、その先にある聖錬衣を、そしてふたつを合一した極錬武装を扱うものこそが強者である、と。こう説明すると分かりやすいってことでしょうか? そっかー、そう感じるんだねェ。なるほどね、はい。
まあ作者が言っているのは「ズボンのことを“ゴルタ”というように、単語単位から作り込むことはやめて、一般に使うことばは日本語に翻訳されているものとする」という、広く知られたファンタジーの常識なんですけどね。18年かぁ……すでに古い発想なんじゃない? まだXがTwitterだったころに議論されてたネタですけど、ふつうにこういう形に帰結するのは目に見えてましたよね。
ここにある芸術点は、「一般用語は日本語でよい」という文言が、本編にじゅうぶんに反映されていない点ですね。なんで騎士がエストで騎士団がエスターズなんです? っていう話だし、魔獣は魔獣と呼ぶこともあればヴィストと呼称することもあると。レアオーラだってオーラやプラーナで済むし、「魔力を研ぎ澄ませたもの」だからそもそも魔力とかマナでいいんですよね。
このへん『アスタリスク』はうまいことやってて、本編だと「煌式武装」と書かれていたらしいものを、アニメ版だと「こうしきぶそう」と発音させています。そして、超特殊なワンオフ武器である「純星煌式武装」のことはそのまま呼び、ふたつの間に明確な違いがあることを描写することに成功していました。オーガルクスってどれもこれも、なんかファフナーのSDPと「特殊な同化現象」並みにヤバいことしてたよね。こわかった(小並感)
んでもうひとつ、設定トリビアね。こういうのを作者がやるタイミングって、メディアミックスとかして大ファンがたくさんできてからの方がいいと思うな……。あとは逆に、ウェブ作家として第一歩を歩み始めたところで、自分がどのような意図を持って作品を作っているのか知ってほしい人とかでしょうか。本編中で一回触れたかどうかの設定を持ってきて「この国の名前は炎っぽいですが、炎属性の魔獣ばっかり湧く関係で水属性が有利になり、王族はみんな水属性です」なんて、別に分かっても意味ないじゃん。
この「分かっても意味ないじゃん」という態度は、ほかにもっと基礎的な知りたいことがいっぱいあるのに、そっちは全然描かれていないからそう思っちゃうんですよね。さっき述べたような「長距離移動は危険じゃないのか問題」とか「なんで学校じゃないんだ問題」もそう、前任のコーチは結局どうなったんだとかそれぞれ国のどこ生まれなんだとか、そういうのもありますね。無駄に陰謀が動き出してる感だけは出してますけど、そもそもよくわからんものをさらに考察したりはしないんですよ、こっちもね。
総括として、バリバリの厨二俺TUEEEをやりたいなら、教師ものっぽい成分とかいらないんじゃないかな? っていうのが一番に来るでしょうか。闇の力と光の力が合わさって最強! とか、やさぐれおにーさんとか、なんかやさぐれ厨二おじさんが闇の力で無双するラノベをやりたいんだなってことは分かるんですよ。
ただ、ヒロインであろう女生徒たちをボコしてマウントを取り続ける作劇は情けないのひとことですし、やさぐれている理由もはっきりとは描かれていないのにニート浪費野郎を貫いています。これでおちゃらけたキャラだったら「過去が辛すぎてお調子者やってないと壊れちゃう人」にも見えてくるんですけど、ふつうに冷たいし残酷なことばっか言うしで、八つ当たりにしか見えないんですよね。生徒に八つ当たりするコーチとかやだよ、というかこいつ以外のコーチはいったい何をして本作よか優秀な生徒を育ててんだよ。そこのノウハウを勉強もしに行かずに何がコーチだよバカ野郎、教師は全員大卒で免許取ってんだぞ? 人にものを教えんのがどれだけ難しいか、何も分かってねーだろ。
本作は、「ドラマが生まれそうだ」と感じられるツボをことごとく外していて、もう一周回って面白いくらいなんですよね。異常なまでに突っかかってくる女の子たちとは仲を深めず、幼馴染みが先に覚醒するとか。強者の前に立ちはだかるのは、彼の実力であれば一瞬で蹴散らせる雑魚だとか。そこ普通は逆だよね? って思うところを的確に踏み抜いていくので、内に内に収まっていく印象が強いです。
この作品ね……戦う相手のパワーバランスが見え透いてて、没入感を殺いでるんですよねー。コーチと生徒ならまあコーチが勝つでしょうし、生徒が襲われてもまあ助かるのは目に見えています。同じくらいだったりちょっとだけ強さに差があったりといった「どっちが勝つんだ!?」感がなくて、勝つ側が分かってる熱のないバトルだけなんですよ。そうなると、けっきょく華のある勝ちをもらえなかったヒロインズには思い入れが生まれず、ひたっすらマウント取りまくってた口が悪いいけ好かない野郎がかっさらっていったな……みたいな、後味の悪さだけが残ります。
いや、ね? マウント取るのって簡単なんですよ、ほんとに。相手より優れていることをひけらかしたうえで、相手が劣っていることをあげつらえばいいんでしょ? それをやってカッコいいか、憧れるかって話になるとまた別だし、私はあんましやりたくないけどね。でも、そういうマウント取っても作劇として成立しそうなのって、相手がクッソ強い立場からマウント取ってきたところに、よりスゴすぎる力で以てひっくり返すときくらいでしょ。なんでコーチが生徒にマウント取ってるの? 勝ってるのが分かってるような情けないマウント、私ぁ大ッ嫌いなんだよね。
そういえばなんですけど、タイトルもなんかおかしいですね。後半の「駆け出し少女騎士隊」って用語、本作の世界観に則って考えると微妙に重ねことばっぽくなっちゃうんですよ。基本的には女性の方が騎士として強くなりやすく、大会でも女性から男性にのみ使えるほぼ必殺の攻撃がある、と書かれています。では本作における「騎士」とは、「八割がた女性の、特殊な力を使う集団」のことなんじゃないでしょうか。
現実における「ナースさん」と聞いて男性を思い浮かべることがないように、ある職能に特化した性別があるのなら、逆の方がむしろ強調されて然るべきです。「男性保育士」とか「女性騎手」とかですかね。現役の一般騎士らしい人は女性だったので、やっぱりこの世界では「騎士=女性」だと思うんですよ。じゃあ「駆け出し少女騎士隊」って「女性のナースさん」みたいな言い方になりません? ナースは女性だろというのも性差別に思えるかもしれませんが、パブリックイメージはそうだろってハナシよ。
本作は、世界観を緻密に作り込んでいるように思えますが、ただのパクリキメラです。設定を作り込むことって、興味のあることを掘り下げることじゃなくて、設定ごとの横のつながりを密にすることなんですよ……ちょっと説明しましょっか。
たとえば、あるナーロッパ的世界観について、モンスターの設定をたくさん作り込んでいる作品があったとしましょう。いろいろと凶悪な設定があったり、何人が犠牲になった、と恐ろしげな文言が描かれていたとき、人はしぜんに思うでしょう……「では、人はどのように暮らしているのか? なぜ全滅しないのか?」と、こんな感じに。こういったパーツから垣間見える全体像が大きいこと、つながっている箇所が多いことこそが「世界観が緻密に作り込まれている」であって、ひとつの事象に関する設定を掘り下げていくことは、むしろその逆なんですよ。
あれですね、「深い穴」って、掘るためにどんどん広くなっていきますよね? 逆に広げずに掘った穴は早々に限界が来て、結果的には浅い穴になりがち。感覚としては、ああいう感じに近いんじゃないかなと思います。いちばん深い地点はともかく、広い穴ほど深く掘ることができる、多くの場所をさらに掘り下げられるようになる。こんな感覚で、設定ごとの横のつながりを大事にするといいんじゃないかなと思いました。
まあ、うん……もうこれ以上に言えることはないですかね。だって本作、「狭い穴」だからね。読者が関心を持ってさらに掘れる範囲が小さすぎて、より強い関心を寄せることが難しくなってるんですよ。砂場って、掘れる限界が分かるといっきに面白くなくなるでしょ? ああいう感じ。底で砂をキャッチしてるビニールひもにぶつかると、ああ、これ以上は掘り進められないんだなって思って、砂遊びそのものがつまんなくなっていきます。そしていつしか、スコップで掘っていたあの熱も忘れてしまう。限界点を掘り当てるという体験が、尽きせぬ情熱を冷ましてしまう。悲しいね……
というわけで、私はこういう熱を冷ます世界観の狭さをできるだけ見せないように、設定作りに励みたいと思います。がんばろう……


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