名門校が争奪戦を繰り広げたかつての「スーパー中学生」はなぜ高卒プロ入りを断念したのか…「今の自分には無理」と思わせた超高校球児の存在
3年前、高校野球界から大きな注目を浴びていた5人の逸材たちが、7月に高校最後の夏を迎える。小野 舜友(横浜)、江坂 佳史(横浜)、山田 凜虎(智弁和歌山)、荻田 翔惺(中京大中京)、そして坂本 亮太(享栄)だ。彼らはボーイズリーグの名門・東海中央ボーイズに所属。多くの名門・強豪校が獲得に奔走した。当時は「中学BIG5」の名でメディアからも大きく取り上げられた。 その5人の中で、最もスケールの大きい逸材として注目を集めたのが、坂本だった。 現在、182センチ83キロの恵まれた体格を誇り、最速148キロの速球と高校通算13本塁打の長打力を兼ね備える坂本は、享栄31年ぶりとなる夏の甲子園出場を目指し、さらなるレベルアップを続けている。 【動画】中学時代から凄かった坂本亮太
享栄に進学した理由
取材日の練習を見ると、フリー打撃では長打性の打球を連発し、軽めのキャッチボールでもスピンがかかったボールを投げることができていた。何よりも細身だった体がかなりがっしりしていて、だいぶ芯が太くなった印象を受けた。 坂本の名を聞いたのは2023年1月頃。翌月、東海中央ボーイズに取材を行った。 同チームの竹脇賢二監督も坂本の将来性の高さを高く評価しており、「大谷翔平選手ではないですけど、二刀流として大きく育ってほしいです」と語っていた。坂本自身も「大谷翔平選手は二刀流としてすごい成績を収めているので、そういった選手を目標にして頑張りたいです」と話した。 ただ当時、「BIG5」の中では最も線が細く、すでにガッチリとした体型で本塁打を量産していた荻田らと比べると、坂本は投打ともにややパワー不足の感が否めなかった。それでも「しっかりと体作りができれば、とてつもない選手になるかもしれない」と数々の強豪校が獲得に名乗りを上げた。その中で、いち早く彼の才能に惚れ込んでいたのが享栄だった。 「一番最初に声をかけてくれたのが享栄さんでした。何度もグラウンドに熱心に足を運んで思いを伝えてくれたので、この学校で甲子園を目指そうと決めました」(坂本) 享栄の名将・大藤 敏行監督も坂本の潜在能力を認めつつ、「当時の坂本は、ほかの4人と比べたらまだまだのレベル。時間をかけて育てていく必要があった」と振り返る。指揮官は、坂本の持つスケールの大きさを開花させるため、焦らずじっくりと土台作りから始めるという育成方針を固めた。 1年春の東海大会から早くもベンチ入りを果たしたものの、当初は投打ともに思うような結果が出ない日々が続いた。芯で捉えたと思った打球が、あとひと伸び足りない。坂本はその原因が、上半身に頼り切った打撃フォームにあると気づいた。 「中学生の時は上半身の力だけでも打球が飛んでいきましたし、結果も残せていた。でも、高校では上半身主導の打撃は通用しないと思い、自分で考えてフォームを変えていきました」 そこから、徹底して下半身主導の打撃を意識するようになった。 「手先だけでボールに合わせにいくと下半身がついてこない。仮にミートできても良い打球にはならない。下半身のタメを意識してからバットを振るようにしたことで、今は下半身のタイミングでしっかりと打てている感覚があります」 フリー打撃では、下半身でタイミングを測るのを意識しながら、長打性の打球を飛ばしていた。また中学時代はウエイトトレーニングを一切やっていなかったが、高校から本格的にウエイトトレーニングに着手し、投手としても、入学当初は最速138キロだったが、今年の春には最速148キロまでスピードアップした。 今春の公式戦では29打数10安打9打点。投手としても9.1回を投げ、6失点。打席では高校生離れした高速ライナーを放ち、マウンドに上がれば安定して140キロ台中盤の直球を計測するまでに進化した。