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「メンタル面で弱っている当事者に寄り添って支援することは、その人の訴えを何でも鵜呑みにして共感することとは違う」というのは、誰よりも本人の予後改善にとって大事な原則だと思ってるんだけど、このへんは少し場数を踏まないと身につかない感覚なのかもしれない。自分も過去にはそのことがわかってなくて色々失敗した。
善意の支援者が、第三者の視点で正確な事実関係を踏まえるプロセスを挟まずに、本人が指さしている相手を一緒になって非難しはじめると、悪いことが起きがち。
9:35 AM · Jun 2, 2026
ある種の「メンタルの弱り」は、第三者的な視点とは大きく違う当事者認知を招く原因にもなる、ということを踏まえつつ本人に寄り添ったほうがいいと思うのでした。
本日訴訟に到った青木秀光氏と岸政彦氏のやりとりについても、上記の件を感じてます。
大学院というのは特殊な閉鎖空間で、そこでは実際にテニュアとして持てる権力を恣にする酷い指導教官もいるし、指導自体が原因とは言いがたい苦しみの原因を誤った矛先に向ける学生もいる(両方いっぱい見た)。そこには確実に権力勾配があるけど、といってそこで起きた事態を全て被指導側寄りに推認できるわけでもない。わからないのです。
コトが裁判に到り、青木氏の側は証拠の録音があると言い、岸氏は当時の青木氏とのテキストでのやりとりを証拠提出して訴訟提起しているそうなので、あとは裁判の場で事実関係が明らかになろうと思います。
[DISCLAIMER]
自分は大昔、お互い何者でもなかった頃に岸氏と個人サイトで繋がってたり、岸氏が関西でやってた反差別活動を支援しに行ったりしました。今は特に関係はない。
自分は修士の頃に相当メチャクチャな指導教官に師事してた。情熱的でカリスマがあり、言い換えれば強圧的で信奉者以外を拒絶する。機嫌が良ければ褒めまくるが機嫌が悪ければ普通に物が飛んでくる。周囲にはその振れ幅に翻弄されて主体的意思を失い、論文が書けないまま「お付きの者」状態になったゾンビ院生もいた。
一方で文系大学院というのは「コツコツやれば確実に○○が得られる」という返報性が期待できない不確実性に満ちた場で、そこで身を立てようとするのは極めて分の悪い投機的行為であり、特に指導に問題がなくとも加齢とともにメンタル面で追い詰められる仲間は結構いた(その露呈の仕方が自責的か他責的かは人によって違う)。