最近「萎縮しかねない」という表現を耳にする機会が増えた。「やってはいけない」とは言いきれないが、より大きな問題で尻込みされたら困るでしょ…と善意を説くようにも聞こえる。しかし、この言い回しを使う裏の狙いとして、本旨の是非をあやふやにしたまま、全体を「悪」という印象論に包もうという思惑があるなら始末が悪い。
例えば、同志社国際高(京都府)の女子生徒が死亡した沖縄県名護市辺野古沖の船転覆事故だ。文部科学省は先月まとめた調査報告書で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古移設に関する同校の学習は、政治的活動を禁じる教育基本法に違反したと断じた。一部野党やメディアは、判断を下したこと自体が教育現場に影響を与え、「平和教育が萎縮しかねない」と批判する。
丁寧にひもとくと、まず同省は平和教育を進める立場は崩していない。今回の報告書でも、高校の学習で先の大戦を扱う際、沖縄戦に着目させ「平和で民主的な国際社会の実現に努めることの重要性を自覚させる」という学習指導要領などの趣旨を紹介している。