「政治的中立性」について記者会見をした私の真意——政治の授業をめぐる現場の葛藤と提言
辺野古ボート転覆事故で亡くなられた方に、改めて心よりご冥福をお祈りいたします。ご遺族の方々、心よりお悔やみ申し上げます。
決して許されない事故でした。何が起きたのかを厳しく検証し、二度と繰り返されないことを心から願っています。
私は2026年6月1日、文部科学省で記者会見を開きました。主権者教育の研究者、現場の先生、海外で視察した若者、実際に主権者教育を行う大学生らと一緒に行いました。NHK、フジテレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、教育新聞などで報じていただきました。
会見の趣旨は、文部科学省が同志社国際高校への「政治的中立性違反」を認定したことを受け、教育現場が萎縮しないために何が必要かを、それぞれの立場から議論することでした。
会見では、統一の見解を出しておらず、登壇者でも意見が異なる点がありました。ここに記載することはあくまで私個人の見解としてご覧いただければと思います。
会見では言い尽くせなかった部分も含め、より個人の考えや感情として感じたことも含めて書きます。
会見後、たくさんのご意見やご批判をいただきました。建設的なご指摘が多くあり、私自身の考えを整理する機会にもなりました。一方で、私の主張の本意がうまく伝わっていないと感じる部分もあります。リプライで個別にお返事するには伝えきれないことも多いので、改めて私の考えを論考としてまとめておきたいと思います。主権者教育を10年やってきた者として、この件をどう見ているか、お伝えできればと思います。
同志社国際高校の件をどう見ているか
まず、私の立場を最初に明確にしておきたいと思います。
今回の同志社国際高校の辺野古への移設工事に関する学習について、私は擁護する余地はないと考えています。なぜこんなにひどい計画だったのか、事故を未然に防げるタイミングがたくさんあったのではないか、その後の記者会見や、ご遺族の方への向き合い方や謝罪についても、正直怒りが沸いてきます。
報道や文科省資料を見る限り、政治的中立性についても、辺野古の基地移設の取り上げ方は、バランスを欠いたと言わざるを得ません。学校側も「対立する意見について両方の視点が提示できていなかった」と認めています。ましてや、生徒の生命に関わる事故が起きたことは、決してあってはならないことでした。
文部科学省の資料には、学校側の説明として次のように記されています。
年間を通じた平和学習全体として基地問題以外にも様々な内容も扱っており、政治的中立性は確保していたと考えるが、沖縄研修旅行の辺野古コースの実施に当たっては、事前学習も含め辺野古への移設工事の扱いにバランスが取れていたかという点について、対立する意見について両方の視点が提示できていなかったことに疑いを持たれてもやむを得ない活動となっていたことは、至らない点があった。
文部科学省の見解の原文は、以下の通りです。
学校は、辺野古への移設工事に関する学習は、平和に関する学習の一環であり、政治的中立性を確保していたと説明しているが、上記のとおり様々な見解を十分に提示しておらず、教員の相当数は、船長が日常的に抗議活動を行い、生徒らを乗せる船が抗議船であるという認識を持っていたと考えざるを得ない中で、学校の研修旅行の選択プログラムの一つとして、辺野古テント村への訪問や、辺野古沖での抗議船として日常的に使用される船による見学のプログラムを組み実施していたこと、研修旅行初日の開会礼拝のメッセージにおいて牧師より複数年にわたって抗議活動に関する説明が行われていたこと、2015年から2018年までの研修旅行のしおりの中で、ヘリ基地反対協議会による座り込みをお願いする文書を掲載していたこと、2015年の辺野古コースに参加した生徒の感想の中には、「ヘリ基地反対協議会の共同代表」の名前を具体的に挙げた上で、その方から基地に反対する理由を聞いたと記述があることなどが明らかになった。以上のことを総合的に勘案すれば、現時点で把握した情報からは、辺野古への移設工事に関する学習について、政治的活動を禁じる教育基本法第14条第2項に反するものであったと考えられ、是正を図る必要がある。
私が会見で訴えたのは「同志社国際高校の活動を擁護してほしい」ではありません。「党派性を帯びた教育を守りたいのか」、「特定の主義を押し付けた活動家育成教育をしたいのか」などいろいろなご意見ありましたが、全くそんなことはありません。党派性を帯びた教育なんて、してはいけないし、特定の主義を押し付けるものはよくないです。
「党派性を帯びた教育」や「特定の思想のみを教える教育」「明らかな偏向教育」は萎縮して当然ですし、むしろ萎縮だけに止まらず、なくなるべきです。
会見の中でも同志社国際高校の授業はバランスを欠くものだったと申し上げています。
文科省が調査をしたことも私は問題を明らかにし、再発防止策を考える上では重要だと思っています。
ご遺族の方々の「真実を知りたい」という思いに向き合いながら、文科省の中でこうした重い意思決定をされるのは、本当に大変だったと思います。調査内容や見解資料を公開してくださったことには、率直に意義を感じています。
今回の文科省の「法律違反」という判断は、外形的な政治的活動と見られる要素がたくさんあるため妥当性があり、それを否定するつもりはありません。
私が考えたいのは、この判断による影響を踏まえ、どうしたら政治的中立性が守られた学びを現場に浸透させられるかです。その方法を文科省・政治家・現場の先生・生徒・保護者の方々とも、一緒に考えていきたいと思っています。
私自身の立ち位置について
念のため、私自身の立ち位置についても触れておきたいと思います。今回の発信が、特定の政治的立場を発信するためのものだと誤解されているケースがあるからです。
私は学校現場では一切、自分の政治的見解を述べていません。これは主権者教育の実践者として、自分の主張を押し付けないというのは、当然のルールだと思っています。
その上で、私自身の見解を申し上げれば、安全保障などについては、いわゆる「既存の左派」とはかなり見解が違う部分が多いです。
むしろ、これまでメディアでは、左派の安全保障に対して、「もう少し現実を見て欲しい」「硬直化しているのではないか」など批判的な意見を述べてきたこともあります。
今回の事故の活動や既存左派政党を擁護しているつもりは全くありません。むしろ、安全保障観や平和観は異なるかもしれませんが、人が亡くなっているということに対しての誠実さ、謝罪、ご遺族の向き合い方などが本当にいいのか呆れている部分が多いです。
安全保障について、自分と異なる意見の立場の方々とも対話を重ねてきましたが、自分の考えとの隔たりに、対話の難しさを感じてきました。
私が会見で訴えたのは、未来のこどもたちも含め、こどもたちが現実の政治事象について学び、議論する機会を失わないでほしい、ただその一点です。
なぜ私は「萎縮」を懸念するのか——現場の現実
今回の文科省の判断や対応は、平和教育や政治教育の「萎縮」につながらないか、私は強く懸念しています。
おそらく多くの方は、『常軌を逸した特殊な事例が違反認定されただけで、どうして普通の学校まで影響を受けるのか。受けるはずもない』と感じるのではないかと思います。けれど、それは学校現場の実情とは大きく異なります。
現場は、政治的な問題を扱う際、保護者や地域、地方議会の目もあり、すでに非常に神経質になっています。
たとえばウクライナの問題ひとつ取り上げるだけでも、大変な神経を使います。両論併記といっても、何を、どう伝えるのか。教室にロシアにルーツを持つ子がいることもあります。そういう子達が、取り上げることで、いじめられるかもしれないから取り扱うべきではないという自治体の意見も聞きました。「様々な配慮が必要」「クレームが来るかもしれないから丁寧な根回しをする」それが大変だからやらない、やれてもごく一部しかできない。そんな話をよく聞きます。一つひとつの言葉に、実に多くのことへ気を配りながら伝えなければならないのが、現場の日常です。
ある学校では、主権者教育に熱心な学校が、自民党の議員を呼ぶことが報道で問題視されました。しかし、数ヶ月前に立憲民主党の議員を呼んでいました。選挙が近いことなどもあり、また一部の報道では野党議員を過去に呼んでいたことが報道されず、問題視され、業務に支障をきたしたそうです。最終的には、その議員のスケジュールの都合を理由に中止になりました。
また、ある学校では、国会で審議中の法案に対して、日経新聞と朝日新聞を使って、賛成・反対で模擬投票しました。結果、反対派が多くなりました。その授業を報道で知った地元の県議が議会で取り上げ、教育長が謝罪することになりました。
このように熱心な先生が政治的中立性に対して気を遣いながら授業を行っても、問題視されるケースなどもあり、完全に学校現場は、すでに政治的中立性に萎縮しているのが現状としてあります。
だからこそ、今回のような違反認定が出れば、残念ながら萎縮する必要は本来ならないはずなのですが、萎縮する先生が出てくるでしょう。
文科省に違反認定を出すなというのではなく、ちゃんとしている先生でも萎縮する学校や先生もでるかもしれないことを踏まえて、文科省には、現場の先生を後押しするような政策の推進をしてほしいです。
文科省は、主権者教育を推進する立場として、現場の裁量を尊重しながらも、もう少し先生方を守るための行動もしてほしい。そこは介入と言われる可能性もありバランスが難しいが、お願いしたいです。
また全政党が自分たちが納得できる仕組みや合意形成をして、議会などで問題視し、現場が萎縮することができるだけ0になるように制度設計してほしいです。
学校現場が萎縮すれば、こどもたちが学ぶ機会を失います。基地問題も、防衛も、外交も、教室で誰とも対話しないまま大人になり、SNSの断片的な情報だけで自分の立場を決めていく——そんな社会を、私たちは本当に望んでいるでしょうか。
これは抽象論ではありません。先生たちにそうした過度な配慮を強いる空気は、すでに現場に存在しています。
文部科学省の調査によると、主権者教育の実施率は9割を超えています。しかし、実施した学校のうち「現実の政治的事象について考察を深める話合いや意見交換、議論」を行っているのは、わずか29.3%に留まっています。
https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/2023/mext_00119.html
調査の中でも、学校側の課題として次のように指摘されています。
現実の政治課題や政党の政策について議論したり、実際の選挙に合わせた模擬選挙を行ったりするなど、より具体的かつ実践的な学習が効果的であることは理解しているが、政治的中立性が保てない状況に陥る恐れがあることから、実施に躊躇する傾向がある
つまり、現場の先生たちは「やりたい、でもリスクが怖くてやれない」という葛藤の中にいます。
そして今回の文科省の認定を受けて、辺野古について扱うのをやめる学校がすでに出てきています。「ややこしいことは避けよう」という空気が、一気に広がりつつあるのです。
実際に、辺野古について扱うのをやめる学校もでてきているそうです。https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015136981000
主権者教育について、学校や選挙管理委員会、関係者に話を聞くと、障壁になっているのは「政治的中立性」だということがすぐに分かります。「これは扱っていいのか」「これを言ったら問題視されないか」——熱心な先生ほど、そうした葛藤を日常的に抱えています。
完璧な政治的中立性というものはありません。時間配分をどうするのか、異なる意見はどこまで伝えるべきか難しすぎるからこそ、現場は躊躇し、結果として実施率が低くなっているのです。
熱心にやる先生ほど、リスクにさらされる。これは健全な状態ではないと思います。
「今回の件はひどい。文科省も別に萎縮する必要はないといっているから、何も問題ないのではないか。」
そう思われる方も多いと思います。これを萎縮というなら、先生のバランス感覚を疑いたくなるという意見も多くみました。その感覚はとてもわかるのですが、かなり繊細になっている、繊細になりすぎていて、今一生懸命政治的中立性を担保してやっている先生さえにまで、影響が出るのを心配しています。
「そんな覚悟をもてない人には、先生をやめてもらいたい」。そういう意見もありました。おっしゃりたい意図はわかるものの、今学校現場は働き方改革も問題になり、採用倍率で苦戦する自治体も多く、先生の担い手がいなくなります。私は個人的には理想論や正論を掲げるのが好きな性格ですが、ここで正論を掲げすぎると、何もやらなくなるという将来が浮かんでしまいます。
「政治的中立性」とは何か——日本と海外の違い
ここで一度、「政治的中立性」とは何かを整理したいと思います。
日本は「政治的中立性」を気にしすぎるあまり、結果として政治教育をしない「消極的中立性」をとる傾向があります。やらないことで中立を保つ、という考え方です。
一方、欧州、特にドイツは「積極的中立性」をとっています。多様な視点を提供することで、能動的な市民を育成するという考え方です。やらないのではなく、複数の立場を見せた上で、生徒自身に考えさせる。
たとえば、ドイツには連邦政治教育センターという民主主義を促進する組織が政府の中にあります。超党派の政治家が所属する委員会もあり、教材のチェックを行うこともあります。ボートマッチのようなものを作って選挙啓発を促したり、ピザ屋でこどもたちと対話したり、「不満があるなら政治家に直接言ってみたら?」と行動を促したりしています。多様な教材を作り、先生が授業ですぐ使えるようにしているのです。
日本は中立性を気にするがあまり、やらないことを多くとっている。
基地問題、安全保障、防衛、外交——これらを議論しないまま、こどもたちは大人になっていいのでしょうか。
私は、そうは思いません。
民主主義社会では、いろいろな考えがあることを知り、対話して、折り合いどころを見つけて、合意形成することが大切です。それを学校現場で知り、実践することは、未来の社会のために絶対に必要です。
6月1日の記者会見で訴えたこと
6月1日の記者会見では、文科省の今回の判断を受けて、主権者教育の専門家が集まり、「萎縮につながらないために何ができるか」を、それぞれの立場から議論しました。
特定政党の支持や批判をするための会見ではありません。全体で統一見解を出すこともしていません。多様な視点から、建設的に議論する場でした。
私からは以下の内容をお話ししました。会見でお伝えしたほぼそのままを、ここに残しておきたいと思います。
私たちの活動について
若者の政治参加を専門に活動を10年。11万人に出張授業を実施
海外で主権者教育を専門に200人以上に取材
今回の会見の目的
※特定政党の支持や批判をする会見ではありません。全体で統一見解も出しません。
文科省の政治的中立性への違反認定を受け、主権者教育を行う専門家が集まり、萎縮につながらないように提言する
主権者教育の研究者、主権者教育に熱心な学校の先生、海外で視察した若者、実際に主権者教育を行う大学生、主権者教育を10年やってきた私で話す
18歳選挙権導入から10年、改めて政治的中立性や主権者教育を考える
今回の認定をどう思うか・現場の声
文科省が調査や見解を公開したことは意義がある。安全管理には問題があることが明白である
同志社国際高校の辺野古基地移設のバランスは欠けているが、このままでは、現場の萎縮につながると思う
既に現場は、政治的中立性で萎縮している。主権者教育の実施率は9割を超えるが、「現実の政治的事象について考察を深める話合いや意見交換、議論」をしている学校は29.3%に留まる
完璧な政治的中立性というものはないし、難しすぎるから、実施率が低い
日本は消極的中立性(やらないことで中立を保つ)、欧州は積極的中立性(多様な視点を提供し能動的な市民を育成する)。基地問題、安全保障、防衛、外交を議論しないまま大人になっていいのか
すでに、アクター(実践者)は資金難などで減少している。リスクばかりが目立ち、実践的な専門家が育ちにくい環境にある
文科大臣が「萎縮効果は全くない」との発言。ぜひ萎縮しないために具体策を講じて欲しい
「様々な見解が十分提示されていなかった」という文科省の指摘はその通りではあるが、どうすればよかったのかの例を提示、こうしたら良かったと示して欲しい。そうではないと、萎縮につながると思う
提言——主権者教育をしやすくする
忙しい先生を守りながら、やりやすい環境を整備してください。「やる」よりも、「やらない」方がリスクにならないという結論にこのままではなる。それは、こどもたちにとっても不幸であります。
政治的中立性のより明確なガイドラインを作る(その際、公選法との整合性などをとり、必要なら法改正)
政治対立にならないように、超党派で中立性や教材の合意形成する仕組みを作る(政治家を呼ぶルールや窓口創設)
現場の先生を守る仕組みを作る。熱心にやる先生ほどリスクにさらされる
萎縮するか決めるのは政府でも政治家でもない。先生の視点に立ってください。そして、文科省にはブレーキだけではなく、アクセルも踏んで欲しい。
その他——中立性に関連して
主権者教育の副教材の見直し
10年の検証。現場の先生の有識者会議を設置
政府が主権者教育を促進する専門組織を作る(選挙管理委員会以外の担当を考える)
その他——主権者教育で必要なこと
学校内民主主義の法律を作る(こどもたちが自分たちでルールを決める。ドイツ・フランスは法律がある)
若者の声を政治に反映するのを仕組み化する(リバースメンター、ユースカウンシル、若者評議会。法律で定める国もある)
主権者教育のアクターを育てる、増やす。若者団体への資金分配をする(スウェーデンは30〜40億円毎年分配)
以上が、私が6月1日の会見で自分の発言の際に、お伝えした内容です。
さらに質疑応答で補足したことについて一部書きます。
会見の質疑応答では、資料に書ききれなかった3つの視点もお伝えしました。
1. 当事者である高校生の声を聞いてほしい
今回の文科省の見解は、学校や教員への調査が中心でした。けれど、実際にその授業を受けた高校生本人がどう感じたのか、当事者の視点が十分に反映されていないように感じます。今後学校で第三者による調査も始まるようなので、その際は、ぜひ生徒たちの心理的に負担になりすぎない範囲で聞いてほしいです。教育の主役は本来、こどもたち自身です。今後、こうした問題を検証する際には、生徒や保護者など当事者の声も丁寧に拾っていただきたいと思います。
2. クリティカルシンキングの大切さ
主権者教育で育てたいのは、「特定の正解を覚える力」ではなく、「クリティカルシンキング(批判的思考力)」です。多様な視点に触れ、批判的に検討し、自分の頭で考え、異なる価値観の人とも対話できる——その力を育てることが目的です。
その力さえあれば、ある立場の意見を聞いたからといって、ただちに自分の判断を失うわけではありません。むしろ、いろいろな意見に触れる機会があるからこそ、生徒は自分の判断軸を鍛えていけるのです。
こどもには、理にかなわない意見に出会っても、それを鵜呑みにせず、自分で『これはおかしい』と見抜く力があります。その思考力を過小評価してはいけないと思います。 だからといって、一方のみの偏った意見を伝えるのは適切ではありません。
教える側が「中立=何も教えない」になってしまえば、生徒はクリティカルシンキングを鍛える機会そのものを失います。決してこれは、今回の同志社国際高校の研修内容を肯定するものではなく、あらゆる立場の視点や人と対話することが大事なので、批判的思考力を磨く上でもたくさんの視点に触れる機会を教師は作る必要があると思います。
3. また海外の事例も共有されました
ドイツには、政治的中立性を保つためにボイテルスバッハ合意という原則があります。
(1)「圧倒の禁止の原則」教師が生徒に自分の意見を押し付けてはならない
(2)「論争性の原則」論争のある事柄は授業でも議論があるものとして扱う
(3)「生徒志向の原則」生徒の関心に基づき学びを深める
このぐらい分かりやすく、明確にするべきなのかもしれません。日本にどのような形が馴染むのか、いろんな方に意見をお伺いできたら嬉しいです。
ちなみに現在の日本の政治的中立性のガイドラインはこちらになっています。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000815490.pdf
他にも重要な議論がたくさんあるのでご覧ください。
記者会見の動画ぜひご覧ください。
https://youtu.be/6UbV7XtS21w?si=0Mlfq5_efkgOb24h
会見後にいただいたご意見への応答
会見後、SNSやメディアで、多くのご意見をいただきました。特に多くいただいた論点に、私なりの考えをお伝えしたいと思います。
「文科省にガイドラインを作らせること自体が問題ではないか」
これは、慎重に検討すべき重要なご指摘だと思います。文科省が「こういう形でやれ」と示すことは、それ自体が教育現場への介入となり、別の意味での萎縮を生みかねない——という考えは、その通りだと思います。
ただ、すでに文科省と総務省は副教材やガイドラインを作っています。10年前にこれらが作られたこと自体は、いろいろな壁を乗り越えての画期的な成果だったと聞いています。けれど現場の先生方からは、残念ながら「使いにくい」「べからず集になっている」という評価が多く、十分に機能しているとは言い難い状況です。
10年が経った今、もう少し現場の先生がやりやすいような教材やガイドラインを作れないか、と私は考えています。
そして、ガイドラインを策定する際には、超党派の政党による合意形成のもとで作れないか、と会見では提案しました。そうすることで、これまで地方議会などで問題視されてきたものが、特定の政治対立になりにくいのではないかと考えるからです。もちろん、現場の意見(先生・生徒・実践者)も取り入れて作っていただきたいです。
民間や専門家が主導する、生徒たち自身で作る、学校単位で作る、海外を参考に作る——いろいろな考え方があるかもしれません。けれど、問題だと議論になったときに先生を守るためには、よくも悪くも、文科省が主導して作るのが一番後ろ盾になり、現場の先生の安心材料になると思います。文科省で保証されたポイントだというのが先生や(保護者・地域を含めた)関係者が一番納得・安心しやすいのではないかと思います。
「文科省主導」が完璧な解ではないかもしれません。けれど、現場の先生が「これをやって問題視されたら、自分一人で責任を負わされる」という状態を変えるには、文科省という公的な後ろ盾が必要だ、というのが、私が現場と向き合ってきた中での結論です。
「具体例を示すこと自体が、政治介入を招くのではないか」
これも、おっしゃる通りの面があります。政府が「こういう形ならOK」と示せば、その線引きそのものへの批判が出るでしょうし、政治介入だという指摘も避けられないかもしれません。
ただ、異常なことだけを是正するつもりが、一生懸命に政治的中立性を担保している現場まで「やらない」選択をしてしまう。それが現在の構造です。「萎縮につながる」というのは、抽象的な懸念ではなく、すでに辺野古について扱うのをやめる学校が出てきているという、具体的な事実です。
文科省が「こういう形なら問題ない」という具体例を示すことで、ちゃんとやりたいと思う熱心な学校の先生がやれる後ろ盾になります。「こういう形なら問題ないと文科省も言っています」というのは、現場にとって安心材料になるはずです。
それが本来のあるべき姿なのかは、確かに議論の余地があります。けれど、現状を見ると、具体的な政治事象に触れているケースが29.3%しかないわけです。「これくらいは自明だろう」と感じることでさえ、現場では躊躇の対象になっている。この現状を変えるには、誰かが具体例を示す必要がある、と私は考えています。
一部の方から「既存のガイドラインや副教材の存在を知らないのではないか」というご指摘をいただきました。
しかし、これらについては記者会見の中でも具体的に触れており、現場での評価や課題を踏まえた上で見直しを提案しました。10年前にこれらが作られたことは、当時は画期的だったと聞きました。主権者教育に尽力してくださった皆様には感謝しています。ですが、それから10年経ち、何が課題で、現場は何を求めているのか検証する。その上で、現場(先生・生徒・保護者も含めて)の声をもとに、よりよい形へ副教材やガイドライン、主権者教育を進める仕組みを作る必要があるのではないでしょうか。
多くの方は私の主張を理解してくださろうと建設的に聞いてくださっていると思うのですが、一部で間違った情報などが拡散されていますので、できれば私の主張の前提や記者会見全体をご確認いただけますと、より建設的な議論ができるので、ありがたいです。
記者会見の動画はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=6UbV7XtS21w&t=7s
これから——文科省・政治家にお願いしたいこと
最後に、これからの提言をまとめておきたいと思います。
1. 文科省による具体例の提示
あくまで参考の資料であることに留意しつつ、「こういう形なら問題ない」と文科省が示してくれることが、現場の安心材料になります。介入だという批判や懸念があることは理解していますが、現状は「分からないからやらない」という方向に向かっています。それを止める材料が必要です。見解にすでに示されていることが多くありますが、これらはメディアや研究者でも論拠や意見が分かれており(判断できないというものも含め)、見解を補足するような資料なども提示いただけると嬉しいです。
2. 副教材の見直し
現在の副教材は、「あれをやってはいけない、これをやってはいけない」という「べからず集」になっており、現場での評判があまり良くありません。先生が題材のリサーチを大量にしなければ使えないものになっています。すぐに授業で使える、実践的な教材が必要です。
3. 超党派の合意形成の場を作る
国会でも議連でも、有志でも構いません。どういう形でも最初はいいので、政治的中立性について超党派で合意形成する努力を始めてほしいと思います。「政治的中立性とは何か」と聞くと、政治家の間でも、この問題に詳しい人でも、かなり見解が違うことに驚きます。それだけ議論がなされず、合意形成の努力が足りていないということです。
参考になるのは、デンマークの事例です。デンマークでは、学校の先生が使えるような教材を、各政党が用意しています。同じテーマについて全政党の動画を生徒たちが見比べたり、自分が特定の政党になりきって議論したりする授業が行われています。
これを日本にも応用できないでしょうか。超党派で「同じテーマ・同じ分数で、各党が自党の主張を語る動画」を用意していただき、模擬投票や授業で使えるようにしていただきたいです。そうすれば、現場の先生は「教材選びで偏っていると指摘されるのでは」という不安から解放されますし、生徒たちは多様な視点に同時に触れることができます。
各政党にお願いしたいのは、こうした教材提供や超党派での連携です。「主権者教育に積極的に貢献する」というのは、どの政党にとっても胸を張れる取り組みのはずです。実際に進める必要があると思う政党は、進めてほしいです。
4. 主権者教育を促進する専門組織を作る
ドイツの連邦政治教育センターのような、民主主義教育を促進する政府内組織を作るべきです。選挙管理委員会が担うのは限界があります。いろんなテーマで副教材を出したり、(それを採用するかは先生が決める)先生の助けになるようなものを作ってほしいです。
5. 10年の検証
18歳選挙権導入から10年が経ちました。主権者教育がどう推進され、どこに課題があるのか、現場の先生、こどもたち、実践者も含めた有識者会議などで検証する時期に来ています。
6. 先生を守る仕組み
熱心な先生ほどリスクにさらされる現状を変える仕組みが必要です。一人の先生の責任に重くのしかかる構造ではなく、組織として、社会として、主権者教育を支える形にする必要があります。
7. 平和学習の具体例について考える
またご遺族の方から、沖縄県知事に対して、平和学習の具体的なコースについて公開質問が出されています。
「もし沖縄県が辺野古への基地移設問題を高校生向けの平和教育の題材とするならば、玉城デニー知事としては、どのような取り上げ方とコース設計を推奨するか、参考までに教えていただきたい。」
https://note.com/beloved_tomoka/n/n68b286247f8d
ご遺族が書かれたnoteに目を通していただいた上で、安全管理をどうするのか、再発防止をどう考えるかを踏まえて、「今、沖縄でやってほしい平和学習」について、あくまで個人的な見解として、発表していただきたいです。それは一例であり、現場に押し付けるものではない、という留意も添えていただいた上で。
同じことを、政府や各政党にも求めたいです。そこで出てくる共通項や、「この点はこうした方がいいのではないか」という議論が、平和学習について国民的に考えるきっかけになると思います。
「政治から教育は独立すべきで、政治が介入するべきではない」という意見もあります。歴史的にもそういう経緯で日本の教育制度は作られてきましたし、その大切さは私も理解しています。けれど、教材を作ることの難しさや大変さは、当事者になってみてはじめて見えてくる部分も多いはずです。「もし自分が現場だったら」と考える機会を持つことで、現場が本当に必要としている仕組みも見えてくるのではないでしょうか。
政治介入を忌避するのは正しい姿勢である一方で、それゆえに議論が深まらないというジレンマを、私自身も感じています。だからこそ、「あくまで一例であり、現場に押し付けるものではない」という形で、それぞれの立場の方々に発表していただきたいのです。
おわりに
主権者教育について、私はこれまで政治家の方に何度もお伝えしてきました。けれど、熱心な方ですら「主権者教育はなかなか票になりにくいから、プライオリティが上がらない」と言われてきたこともあります。昔、省庁の方から「政治家の先生からクレームが来るから、これ以上はなかなかできない」と言われたこともあります。
10年経って、見直すタイミングではないでしょうか。「政治的中立性」について真剣に議論し、現場の課題を整理し、より良い主権者教育を作っていくきっかけにできれば、未来のこどもたちのためにもなるはずです。
政治には、いろいろな考えがあります。その考えを知り、対話して、折り合いどころを見つけて、合意形成することが、民主主義社会では大事です。それを教育現場で知り、実践することが大切です。
こどもたちが現実の政治事象について学び、議論する機会を失わないでほしい。
ただ、その一点を、私はこれからも訴え続けたいと思います。
ご批判も、ご賛同も、ありがたく受け止めながら、これからも現場で見てきた課題、解決策の提言、そして対話を続けていきます。
文科省や政治家のことを批判することが目的ではなく、これから主権者教育がしっかり日本社会で根付くように、異なる立場の人でも主義主張を超えて、みんなで連携して、考えていきたいです。
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