Note初心者が、50日毎日書いて気づいた。自己紹介が一番難しい。甲子園3回。転職4回。相談1,200件。富山の港町氷見にいる荒川健生の自己紹介。
── 人口4万人の港町で、毎日5件以上、年間1,200件の経営の相談を受けている、荒川健生です。
Noteを始めて50日。 1,000人の方にフォローしていただいた。
ありがたい。本当に、ありがたい。
でも、ふと思った。
「で、この人はどんなひとなんだろう」
そう思っている方も、たぶんいる。
毎日、経営コラムを書いている。
毎日5件、相談の話をしている。
でも、なんで富山にいるのか。
なんで、毎日5件も経営相談を受けているのか。
どんな人生を歩んでいるのか。
詳しく書いたことが、なかった。
いや、正確にいうと、書くのが難しかった。
以前にも少し書いたが今日は、改めて自己紹介を書いた。
ただし、経歴を並べるだけの自己紹介ではない。
僕の人生は、「曲がり角」でできている。
そのたびに迷って、怖くて、それでも曲がった。
曲がった先に、道がなかったことは、一度もない。
その話を、する。
※これまで自分なりのNote攻略については以下を参照ください。
■ 富山の中学生が、東京を目指した日
富山県高岡市で育った。
田んぼの向こうに立山連峰が見える。
冬は雪が積もる。
夏は暑い。
どこにでもある、地方の町だ。
中学時代、クラブチームで野球をやっていた。
そして、チームが全国大会に出るようになり
「もっと高いレベルでやりたい。」
その気持ちが、芽生えたのは中学校3年の春。
でも、現実も見えていた。
「進学校に行くべきだ」
周りの声も、自分の中の声も、そう言っていた。
野球か、進学か。
そのはざまで、ずっと悩んでいた。
どちらかを選ぶか。
自分は、どちらも選ばなかった。
「両方できる場所」を模索した。
そしてご縁を頂いたのが、神奈川県の慶應義塾高校だった。
15歳の自分にとって、神奈川は遠かった。
知り合いもいない。土地勘もない。
富山弁しか話せない人間が、行く。
今思うと、とても勇気がいる。
でも、「どっちかを諦める」のは、もっと後悔しそうだった。
これが、最初の曲がり角だった。
あなたにも、あるだろうか。
「どっちかにしなさい」と言われたのに、「どっちも」を選んだ瞬間が。
もしくはその「どっちか」を選んだ記憶は。
■ 甲子園に3回出た。それが意味するもの。
高校に入学した。
勉強はほどほどに、テスト前だけ必死にやる。
それ以外の時間は、ほぼ野球を考えるような生活。
結果、甲子園に3回出場した。ベスト8になった。
明治神宮大会では、優勝した。
田んぼの向こうに立山が見えていた少年が、甲子園のスタンドの歓声を聞いている。
でも、正直に言う。
自分は、スーパースターではなかった。 チームの中の1人だった。
野球で学んだのは、「個人の力」では勝てないということだ。
どれだけ一人が打っても、守備が崩れたら終わる。
どれだけ一人が投げても、援護がなければ勝てない。
勝つのは、いつも「チーム」だった。
大学でも野球を続けた。
2年から試合には出られるようになった。
でも、ずっとレギュラーにはなれなかった。
試行錯誤の日々だった。
何をやっても、もう一歩が足りない。
同じ学年には、菊池雄星や筒香がいた。
大谷翔平は、3つ下の代だ。
彼らを近くで見ていたから、わかる。
才能がある人間は、確かにいる。
でも、才能だけで上に行った人間は、一人もいなかった。
野球が終わったとき、残ったのは「甲子園に出た」という看板だけだった。 看板では、飯は食えない。
次に何をすればいいか、まったくわからなかった。
■ 銀行員になった。数字と経営者に惹かれた
慶應義塾大学を出て、メガバンクに入った。
まわりの同期は、華やかな業界に行った。
広告、商社、コンサル。
当然自分も惹かれていた。
面接練習などの準備不足もあり、就職活動を完璧にできたかといわれるとそうではなかった。
そして進んでいく中で、銀行を選んだ。
数字で経営を見ること。
経営者と直接話ができること。
その2つに、魅力を感じた。
支店長代理まで務めた。6年間。
数字を追う毎日。
目標を立て、達成し、また次の目標。
悪くなかった。むしろ、充実していた。
でも、ある日の面談で、手が止まった。
目の前にお客さんが座っている。
提案資料を開こうとした瞬間、指が動かなかった。
「この商品は、この人のためになるのか」
その問いが、頭の中でずっと鳴っていた。
「この人にとって、本当にいいものは何か」ではなく、「この人に、何を売れば目標に届くか」
いつからか、自分はそちら側の人間になっていた。
入行当時から不満があったわけではない。
しかし、漠然と将来的な不安を抱えていた。
このまま50歳になったとき、何が残るのか。
自分はここで、理想の人生を送れるのか。
その問いに、答えが出なかった。
出ないまま、現実を逃避して、飲み会に明け暮れていた時期もある。
6年目の春、辞表を出した。
上司の前で、声が震えた。
帰り道、駅のホームでぼんやり立っていた。
不安とこれからの気持ちが混同していた。
一方で、久しぶりに、心が開けた感じがした。
当然、周りには言われた。
「何が不満なんだ」と。
不満じゃない。
不安なんだ。なんとなく。
でも、その違いをうまく説明できなかった。
キャリアやこれまでの経歴。
「もったいない」で続けた人生は、誰のものだろう。
自分のものじゃない。「もったいない」の人生だ。
ここからまた新しい挑戦が始まった。
そして曲がった先に、道がなかったことは、一度もない。
あのとき曲がらなかったら、今の自分はいない。
■ M&Aの世界で、「売る」と「届ける」の違いを知った
上場しているM&A・事業承継を専門にしている会社に入った。
企業の売買を調整する会社だ。
ここで、経営の裏側を見た。
何十年もかけて育てた会社を、手放す人がいる。
その決断の重さは、数字では測れない。
大きな金額が動く。
責任も大きい。
やりがいはあった。
でも、引っかかることもあった。
「この会社、売る前にまだやれることがあるんじゃないか」
もっと早く相談に来てくれていたら、もっと希望に沿う条件で進められたのに。
そう思うことが、何度もあった。
そして、マッチングが成立した後のフォローにかけられる時間は、限られていた。
激務だった。収入もよかった。
でも、働き方は、少し立ち止まって考える必要があった。
「売る仕事」ではなく、「届ける仕事」がしたい。
もっと早い段階で、経営者の隣に立ちたい。
その感覚が、次の曲がり角を作った。
■ 漢方薬局に戻り、仲間と会社を作った
富山に、戻った。
15歳で飛び出した、あの場所に。
いわゆる、16年ぶりのUターンだ。
駅を降りて車から、立山連峰が見えた。
中学のときと、同じ景色だった。
でも、自分は変わっていた。
実家は漢方薬局を営んでいた。
国際中医専門員の資格を取り、アドバイザーとして励んだ。
漢方の世界には、「未病」という考え方がある。
病気になる前に、手を打つ。
症状が出てからでは、遅い。
これは、経営と同じだった。
売上が下がってからでは遅い。
お客さんが減ってからでは遅い。
「まだ大丈夫」のうちに、手を打つ。
漢方薬局で学んだのは、薬の知識だけではなかった。
個人事業主が、どんな想いで商売をしているか。
2代目、3代目が、どんな苦労を抱えているか。
目の前に来る患者さんは、経営者でもあった。
体の不調の裏に、事業の悩みがある。
その両方を聴いているうちに、「聴く」ということの意味が、少しずつわかってきた。
銀行では「数字」を見ていた。
M&Aでは「思い」を見ていた。
漢方では「人」を見ていた。
そして、仲間と一緒に会社を作った。 M&Aの会社だ。
「もっと早い段階で、経営者の隣に立つ」。
あのとき感じた違和感を、自分たちの手で形にしたかった。
振り返れば、遠回りではなかった。
この順番だったから、今がある。
あなたは今、自分の道を「遠回りだ」と感じているだろうか。
もしそうなら、一つだけ伝えたい。
遠回りした分だけ、持って帰れるものが増える。
いまやっていることに意味を持たせることも大事だが、あとから振り返り分かり分かることも多い。
■ 人口4万人の港町で、今日も隣に座っている
富山県氷見市。 人口4万人。海がきれいで、魚がうまい。
この町に、「ヒミビズ」という場所がある。
氷見市ビジネスサポートセンター。
毎日5件以上、年間1,200件。
飲食店、美容室、製造業、農家。 業種はバラバラだ。
でも、相談に来る方の多くが、同じことを言う。
「うちには、特別なものがないんです」
その言葉を聞くたびに、思う。
1,200件、相談を受けてきて、一つだけ確信していることがある。
「特別なものがない事業者」は、一人もいなかった。
気づいていないだけだ。 言葉にできていないだけだ。
それを一緒に見つけるのが、自分の仕事だ。
銀行で「数字」を見た経験が、活きている。
M&Aで「経営の裏側」を見た経験が、活きている。
漢方薬局で「その人全体」を見る経験が、活きている。
仲間と会社を作った経験が、活きている。
銀行・M&A ⇒ サラリーマン経験
実家の家業の事業承継 ⇒ 2代目・3代目経験
独立会社設立 ⇒ 起業家経験
従業員・雇用 ⇒ マネジメント経験
15歳で富山を出た。
銀行に入り、M&Aに行き、漢方を学び、会社を作り、また富山に戻ってきた。
すべての曲がり角が、この港町につながっている。
■ なぜ、毎日書いているのか
Noteを始めたのは、2026年4月1日だ。
50日で、1,000人の方にフォローしていただいた。
正直、驚いている。
人口4万人の港町にいる人間の言葉が、こんなに遠くまで届くとは思わなかった。
でも、書き続けている理由は、数字じゃない。
毎日5件の相談を受けている。
目の前に座ってくれた人には、全力で向き合える。
でも、1日5件~8件が限界だ。
届けたい人は、もっといる。
会えない人のほうが、圧倒的に多い。
氷見に来られない人。
相談に行く勇気が、まだ出ない人。
「自分には関係ない」と思っている人。
その人たちに届く方法が、書くことだった。
面談で聞いた一言。
事業者の方の表情が変わった瞬間。
きれいにまとまらないけど、そこにしかない話。
教科書には載っていない。 でも、現場にはある。
だから、毎日書いている。
もし今、この記事を読んでいるあなたが、まだ会えていない「その人」だとしたら。
届いて、よかった。
■ これから、あなたに届けたいこと
振り返ると、曲がり角のたびに、誰かの手があった。
15歳で東京に送り出してくれた親がいた。
甲子園で一緒に泥だらけになったチームメイトがいた。
銀行で、辞めると言った自分に「お前ならやれる」と言ってくれた上司がいた。
富山に戻ったとき、「おかえり」と言ってくれた地元の人たちがいた。
一人で曲がれた角は、一つもない。
今度は、自分の番だ。
この町を、この県を、地方を、もっと面白い場所にしたい。
一人ひとりの事業者が、自分の言葉で語り始めたら。
その熱は、きっと伝わる。
サービスも、商品も、企業も、人も、事業承継も。
地方から、日本一を作りたい。
無謀に聞こえるだろうか。
たぶん、15歳のときも、そう思われていた。
田んぼの向こうに立山が見える町から、慶應・甲子園を目指す。
誰も、現実的だとは思わなかっただろう。
でも、曲がった。
曲がった先に、道がなかったことは、一度もない。
3年前に富山に戻ってきたとき、自分はこの町でも無名だった。
今も、全国的には何者でもない。
でも、小さな火が、遠くまで届くことを、Noteで知った。
だから、全部書く。
成功も、失敗も、迷いも。
きれいにまとまらない日も、そのまま書く。
いつか、「あの町から始まったんだ」と言われる日が来るまで。
もし、この記事を読んで、少しでも何かを感じてくれたなら。
フォローしてもらえたら、嬉しい。
あなたに届けたいのは、完成された答えではない。
まだ途中の、この物語そのものだ。
目撃者になってほしい。
そして、いつか一緒に、一人では味わえない景色をみたい。
一緒に、この物語を作っていきたい。
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追伸
自己紹介を書いていて、気づいたことがある。
甲子園の話も書ける。 銀行の話も書ける。 M&Aの話も書ける。 年間1,200件の相談の話も書ける。そしてずっと夢を追う少年でいたいこと。
そんな中で、「「好きなタイプは?」
そう聞かれると、少年は固まる。
こちらも、まだ途中だ。
曲がり角を頑張って作ろう。
毎日書く。すべて無料。
スキは「よかった」の声。
フォローは「明日も読む」の声。
どちらも、ちゃんと届いています。
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เหงาเหรอคะ?
ありがとうございます。今日も読ませていただきました。 こうなる前に、何かできなかったか? という部分を読み、鳥肌が立ちました。ちょうど同じことを考えていて、私の場合は事業ではないですけど、それに向けて、頑張ってみようとしている所です。 それも荒川さんの記事のおかげです。準備…
EduLinguasさん、コメントありがとうございます。 準備がふくらむばかりで動けない、その気持ちはよくわかります。 でも、「頑張ってみようとしている」時点で、もう動き始めていると思います。 行動楽しみにしております!応援しています^^
こんばんは。拝読しました。 率直に素敵だなと思いました。 何事にも直向きに取り組まれる姿勢とか。行動に移されてるところとか。 本気で考えてなきゃ提案資料で止まる必要なんてなかっただろうし、 行動してなければ、周囲からもったいないというニュアンスの言葉をかけられなかったと思う。 だ…
コメントありがとうございます。 何が言いたいか分からない、と書いてくださっていますが、ちゃんと届いています。 むしろ、整理しきれないまま言葉にしてくれたことが、一番うれしいです。 自分も、提案資料で止まったり、そういったところどころの局面、瞬間は正直きつかったです。 でも、こうし…