最近ネットで作品の感想を眺めてると、やたらドーパミン中毒のガキ向けとか脳汁ジャンキー向けとか言いたがる人がいる。ショート動画、ソシャゲのガチャ演出、煽り編集の切り抜き、最近の邦画、TikTok、何にでも貼れる便利なラベル。便利すぎて、もはや何も言ってないことに本人が気づいてないっぽいのが面白いところだ。
ちょっと考えてみてほしいんだけど、ドーパミン中毒のガキ向けってその作品の何について語ってるんだろう。演出か、構成か、テーマか、キャラ造形か。たぶん何一つ語ってない。これが嫌い、これを好む人間は自分より下、という感情と序列をそれっぽい単語でラッピングしてるだけだと思う。脳科学風の語彙を借りてきて批評の体裁を整えてるけど、中身はこんなのつまんないでしょと何も変わらない。むしろ後者の方が誠実な気もする。
本当に嫌いなら自分の言葉で書けばいいだけの話だ。テンポが早すぎて感情の機微が描けてない、カット割りが情報量に偏って余白がない、キャラの動機が因果じゃなく勢いで処理されてる、なんでもいい。それが批評ってやつだろう。ドーパミン中毒のガキ向けは批評じゃなくて、批評の真似をした罵倒で、要するに、お前らは脳が壊れてて自分は壊れてない、という宣言にすぎない。
ついでに言うと、ガキ向けという語で殴っている時点で、なんとなく自分がガキだと白状してる感じがある。大人は自分の感想で済ませる。子供は、これを好きな奴はバカ、と他人を貶めないと自分の趣味の正しさを確認できない。自分の趣味の正しさを他人の趣味の劣等性でしか証明できない人を大人と呼ぶのは、ちょっと無理がある。
別にショート動画もソシャゲも擁護したいわけじゃない。面白さがわからない作品はいくらでもある。ただ、面白さがわからないと感じた瞬間にドーパミン中毒のガキ向けと打って終わりにするなら、それはたぶん何も観てない。観たフリ、考えたフリ、批評したフリの三段重ねだ。自分にはこの作品の良さが掴めなかった、で済ませることがなぜできないのか、その方が気になる。
ショート動画に脳を焼かれてる若者にはまだ救いがある。本人が楽しんでて、本人の脳の中で快楽が完結していて、別に誰にも迷惑をかけていない。趣味としてちゃんと閉じている。
一番救えないのは、他者を攻撃することでしかドーパミンを出せなくなった中年だ。これは断言していい。自分の言葉をひとつも持たず、誰かが作った出来合いのフレーズを借りてきて、若い奴らの娯楽に投げつけて、上から目線でいいねを稼いで、その承認で脳の報酬系をかろうじて回している。借り物の語彙で他人を見下すことでしか快感を得られない、というのは構造としてかなりグロテスクで、自分では何も生み出さず、何も観察せず、何も考えず、ただ既製品のラベルを他人に貼って優越感に浸るだけの装置と化している。
その人が見下しているドーパミン中毒のガキは、少なくとも自分の快楽を自分の中で完結させている。一方で、他人を踏み台にしないとドーパミンが出ない側の人間がいる。どちらがよりガキで、どちらがより中毒なのか、答えはもう出ている。
非モテ高齢婚活おばさん(末代ほぼ確定)とフェミニストの悪口か。あいつら馬鹿だからこんな長文読めないよ。