第五節 若鬼の偵察
時は前後する。
愁慈郎は歩鳥を引いて、ひとり、岩見砦へ歩いていた。
手元には商品として、干し肉がある。無論これは旅の保存食一つで売る気はないが――。
(ま、荷物は全滅だろう。海松はどうにか逃げるだろうが)
愁慈郎の策はこうだった。
・獣狩として岩見砦へ赴く愁慈郎が、わざと賊と接触。命乞いをするかのように、荷を渡す。
・愁慈郎が注意を引いている間、銀夜が物見。いざとなれば、化けて忍び込む。
・愁慈郎はあくまでも「臆病な若者」に終止し、銀夜ともども引き上げる。
単純な策だが、銀夜が一人で物見をするよりはずっと確実に、敵勢を知ることができよう。
上り坂を登ってくる敵を撃ち下ろすような形で、その砦は存在した。
山を切り出して普請したのだろう。
東を進行方向とすると、右手に砦が存在している。
砦からすれば北に街道を望む。街道側と接する方は、山の斜面をすぱっと切り落としたような断崖。切岸だ。
切岸の向こう側については、よくわからない。銀夜が掴んでくるだろうし、侍が援兵として出されれば、地図くらいは持参しよう。無理に愁慈郎が知る必要はない。
(ここから堀は見えないが、ないとは言い切れないか)
くだんの切岸は比高がゆうに半町(五十五メートル)はあり、登ろうなんて考えは吹っ飛んだ。
となれば。
(南に出入りできる
真っ当な防衛砦であれば、まさか阿呆のように大手門を丸出しにはしない。
堀にせよ土塁にせよ、相応の防御は巡らせる。ずどんとでかい門をおいて安全、なぞとは昨今誰も考えない。
戦灰時代も半ば、火薬の生成方法が知られ始めると、門をぶち破るのにもそれが用いられた。
練り固めた黒色火薬を使い、ドカンとやるわけだ。だから、門を分厚くする意味がなくなったし、そもそも古来より城門をぶち破る兵器は存在している。
が――ときあたかも神恵戸。戦乱の時代を超えた今、大金槌だ、突貫だ、そんなのは時代遅れである。
城門なんぞ、ささっと爆破してふっとばすのが合理的だ。
ただし、爆薬の運用には困難がある。
雨天には当然、使い道がない。
それはさておき――。
砦には、爆薬による攻撃を勘案し、それに強い構造が用いられる。
侵入されることを想定した城作り、矢掛けや狭間、虎口や
とくに馬出は画期的だ。
それまで城を囲んで兵糧攻めをするだけの攻城戦は一変した。
城兵がいつ飛び出してくるかわからない、胃が痛くなるような緊張感を寄手に与えたのである。
馬出という攻撃的な防衛装置があることで、城兵側は寄手の虚を突いて反撃できるのだ。
寄手も寄手で、城はなるべくきれいな状態で落としたいもの。というのも、接収して己の拠点にしたいからだ。
徹底的に城を破却することはめったにない。むしろ、大名の逆鱗に触れた城主が、罰として自主的な破却を命じられるのが大半であった。
敵が占拠予定の城を壊すことは、あまりないのだ。在地の農民らの覚えも悪い。
愁慈郎はあれこれ考えながら、砦を見上げた。
(小さいが堅城だぞ)
賊の手勢は最低でも二十として、寄手は三倍が最低の手数である。が、ここまでの守りだと、四倍はいるかもしれない。
(梟福殿の天狗には神通力が宿るというが)
特殊な妖術である〈
(まあ、連発は無理だろうし、そもそも術は使わんだろう)
妖術とは便利な万能道具ではない。
使用には手順があり、代償がある。
依代の有無、生贄の有無。
大掛かりな術になれば、鳥獣の血だけではなく、人妖の生命を用いることすらあるのだ。
(まあ、城攻めは俺の仕事ではないし、築城の知識も聞きかじりだしな)
餅は餅屋だ。戦は侍に任せればよい。
愁慈郎は、自分の仕事をこなせばよいだけである。
わざと目立つように街道を歩いていると、脇の大石に腰掛けていた二人の男が、「おい」と声をかけてきた。
愁慈郎と同じ、鬼。それから、化け狸である。
卑屈な笑みを浮かべて、愁慈郎は「どうも」と会釈した。
不当な扱いなどされたくないが、彼とてときに偏見を向けられることがある。
未だに、純粋な人間が多数いる地域と、妖怪の多い地域とでは偏見や軋轢が生まれやすい。
愁慈郎は、新田開発された土地に行って商いもするが、そこの人間からは「人狩り人食いの鬼」と揶揄されていたことを知っている。
自然、媚びるような笑みが身についた。
――「お前は賢いなあ。獣狩にそういう賢さはいらんよ」
親父の声が脳裏を奔った。
「おい若造、何用だ」
「へい、この先の関所町にて商いを」
「獣狩が野へ? ふん、詮無いこった。おい、よもや通行税なしで通る気ではねえだろう?」
何が通行税だコラ。
一瞬、殴り倒そうと思った。けれど、そうしてうまくいくことは少ない。
それに相手は痩せ刀とはいえ、一振り、差している。とてもじゃないが、こちらの山刀とは間合いが違いすぎるし――。
(悔しいが、俺より刀術は上だろうな)
というのも、わかった。
左右にふらふらして異臭がするが、そんな輩でも、己より強い、あるいは殺し慣れしているという事実が妙に気に食わなかった。
が、男も十八になれば、そういう思い上がりや悪罵、懊悩を、それなりに胸の内側にしまい込む芸当くらいできる。
激することもあるが、冷静さも、育んでいるものだ。誰も彼もが短気なわけではない。
曖昧に笑いかけつつ、
「この先で捌く分もありますから……どれくらいの肉がご入用で」
どうせ全部、というのだろう。
「そこの馬鹿鳥ごと寄越せ」
「ええっ、それは困りますよ、旦那。ご勘弁ください」
「黙れ山猿が。いいから寄越せ」
野郎、そんなふらついた体の軸で、山の男に勝てると思ってんのか。
張り倒して蹴ったくるぞ。
思い上がってきた短気。
癇癪を起こしそうになるのをぐっとこらえた。よしんば体作りで勝てていても、武器の性能差ももちろんだし……。
なにより、人殺しへの抵抗の有無が、まるで違う。
愁慈郎はまだ人を殺したことがない。殺そうと思うほど腹を立てたことはあるが、実際にそんなことをする肚などない。――今は、まだ。
だから愁慈郎はしれっと
次の瞬間、馬鹿鳥呼ばわりされた海松はその場に糞を落とすと、飛び上がって、威嚇し始めた。
「うわっ、くそ!」
「これよさんか! どうっ、どう」と言いつつ、愁慈郎は内心(ざまあみろ阿呆どもが)と思っていた。
「この餓鬼!」
化け狸が愁慈郎のこめかみを、手にしていた痩せ刀の柄で殴りつけようとした。
愁慈郎はほとんど本能で首を引っ込めてかわす。
柄頭がこめかみをかすった。視界に火花が散った。
(あ、あぶねえ)
幸い、芯で打たれることはなく、よろけるだけで済んだ。まともに打擲を受けていれば、どうと倒れたに違いない。
「なんだこの馬鹿鳥! ええいくそが、殺しちまうぞ!」
鬼は、腰に差していた鉄砲――馬上筒を取り出した。
まずい! と愁慈郎は思い、相手の腕に飛びつく。
豪ッ! と火を吹いた鉄砲。五匁(約十四・六ミリ口径)の玉だろう。
愁慈郎が相手の腕を掴むのと発砲は同時。鉄砲玉は、明後日の方向へとすっ飛んでいった。
(糞っ、えらいもん使いやがる)
銃身が長く、その分多くの
だから、あえて玉を大きく重くしているのだ。近距離では威力が出るが、玉が大きいだけ抵抗も大きくなり、すぐに失速、さらには狙いも定まらない。
現代の銃のようにライフリングなど施されていないのだ。この時代の鉄砲は、半町(五十五メートル)先の的を狙って当てられれば十分、腕の立つ撃ち手である。
銃声に驚いた海松は、慌てて足をばたつかせ、新谷宿へと走って逃げていった。
「てめえ、人の鳥に何しやがる」
「口の利き方がなってねえな糞餓鬼が。見せしめに殺してやる」
(どうする、どうする……)
かなり焦った。冷や汗が止まらない。
狸のほうが痩せ刀をちらつかせ脅す傍らで、鬼が再装填している。
いずれにせよ、口薬が注がれ、火蓋が切られるのまでに猶予はない。
ここまでコケにされたのだ。賊も、殺しに踏み切るだろう。
(せっかく首の皮がつながったってのに、これか)
怪しまれるからと槍をおいてきたのが悪手だった。
が、己には槍より馴染んだ武器が一つある。どうせ殺されるのだ、抵抗くらいしても、ばちは当たるまい。
腰から
相手は「やる気かよ」と嘲るように笑う。
「抜いた以上やるんだな、おう」
「どうせこっちが抜くまいが、お前らのすることは変わらんだろうが。悪趣味な詰め方しやがって、さぞ親の性格が悪かったんだろうな」
「てめえ」
「性格は見様とも関係するらしいな。醜女の股から生まれ腐ったか」
愁慈郎も愁慈郎で、だいぶ、口が悪い。
正直、先の関係性――朽梨が短気なようにも思われそうだが、実際は違う。
天狗ゆえの矜持が邪魔をしていた
こと賊ともなれば、神使のような分別などない。
「死ね糞餓鬼が!」
「糞糞うるせえんだてめえは!」
愁慈郎は奇声を上げて切りかかった。
狸が刀の腹、鎬でこれを受ける。が、愁慈郎は山育ちの鬼。
鬼は舌打ち、身を開いて狸男を躱すと、再び鉄砲を構えるが、
「うらぁ!」
愁慈郎は山刀を捨てて、相手に抱きついた。ちょうど、クワガタムシが角を広げて突進するような感じだ。
そうして相手を押し倒すと、馬乗りになり、顔面に拳骨を二、三と打ち落とす。
「ぐえぇっ」
思わぬ反撃に、賊の鬼が悲鳴を上げた。
が、すぐに狸が愁慈郎の顎を、足先を突き出して蹴り飛ばす。
脳が揺れた。体が、一瞬、力を失ってふわっと軽くなるような錯覚に陥る。
しかし。
愁慈郎はなおも鬼を放さない。こうなってくると意地だ。
襟首に手を絡めて、二人でもつれ合う。今度は、賊のほうが上になった。
顔貌を殴られて、火花が意識の中を縦横無尽に飛び回る。
痛いというよりは熱い。口の中に鉄の味がして、鼻の奥に、金臭い風味が充満する。
「ぎぃっ。この、くそ、いかれチンポ野郎が!」
愁慈郎は相手の喉を押さえて、押し上げる。鼻を掴むと、ゴギリと捻り折った。
「ぐぁああっ!」
そのとき愁慈郎の左手が、馬上筒に触れた。
「糞っ」相手も鼻血を垂らしながら負けじと手を伸ばす。
愁慈郎はでたらめに左手を振って鉄砲を弾き飛ばした。
「この餓鬼っ、図に、のるなよ」
とうとう鬼が右手で、右腰の短刀――馬手差し(鎧通し)を抜いた。
茫とする頭で、しかし愁慈郎は左手を素早く伸ばし、相手の右袖を縛る紐を掴むと、馬手差しが振り下ろされるのを必死で止める。
同時に、愁慈郎の右手が拳固を作り、相手の脇腹を打つ。二度、がつんと打つが、賊は膝で愁慈郎の右手首を捻り潰し、止めた。
完全な膠着状態だ。
しかし。
「おう、終わりだ」
化け狸が鉄砲を拾っており、火蓋をかちりと落とした。
引き金を引けば、愁慈郎は死ぬ――。
「ぎゃっ」
悲鳴を上げたのは、狸男だった。
その手首には、串のような棒手裏剣が――
「な、てめえ仲間がいたのか!」
鬼が慌てた隙に、愁慈郎は右手の拘束を逃れて、相手の喉を掴んで押し上げた。
のけぞった相手の股ぐらに素早く左手を差し込むと、その陰嚢を、グリィッと捻り上げる。
「ぎゃああああああああああッ!」
想像を絶する痛みに、鬼は飛び上がり、のたうった。
「おい逃げるぞ!」銀夜だ。銑鋧を投げたのは彼だろう。
「わるい!」
愁慈郎は走り去ろうとし、何を思ったか、馬上筒を掴むと、それを拝借して駆け出した。
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