第六節 御下知、そして旅立ち
「わかるようだ。結構。さて――俺の妹が少々迷惑をかけたようだ。いかんせん、焦っているようでな。俺も兄として至らぬ。言い訳はできん。すまぬ、許してほしい」
言葉が出てこない。
玄慈様は、その出自が特殊だ。
みなしごとして梟福殿なつめを母とし、その女婿である和真という鬼を父とした。
ゆえに朽梨の兄というのは嘘偽りはない。
けれども玄慈様は、天狗でも鬼でもなく、龍だ。
生まれからして別格、別物。
美貌、豊かな胸元。滑らかな肌。しかし喉仏があり、手指は骨ばっていてごつくもある。
「さて。俺が玄慈として振る舞うと大抵はこうなって話が進まん。だからこうしよう。俺は今、桜暁殿玄志郎。引退した神使の息子。一人の妖怪としよう」
そう言って、本当に対等に話せるはずもない。
だが、下手にへりくだって平伏していたら、それこそ無礼討ちである。
愁慈郎は、どうしたらいいか、必死に考える。
玄慈様――いや、玄志郎は豪奢な装いを脱いで、下衣となり、その上から新たな着替えを身にまとう。
実にわかりやすい、武家装束――肩衣だ。裃ではないのは、あえて権威を削ぎ、親しもうという肚が伺えた。
「愁慈郎、銀夜。面を上げるがよい。目を見て話したい」
玄志郎が
とはいえ、彼は武人としてもいまだ現役と聞く。若造二人をひねるくらい造作もないのだろう。
「俺個人としては、正直赤不浄沙汰などどうでもよい。それに、銀夜の盗みにも、俺が首を突っ込むことではない。そこはよいか」
僅かに酒気が香る。
愁慈郎は頷いた。銀夜も、苦々しく頷く。
「とはいえ、建前体裁は繕わねばならん。規則とはそういうものだからな。されど――楠姫を救い、
なるほどと愁慈郎は思った。
(何かをお頼み申されるのだろう)
「察しが良いのだろう。顔に出ておる」
「っ、あ、いえ、これは」
「よい。嘘つきよりは正直者のほうが好きだ。話が進むし、気持ちがよい性格だ。さ、俺の頼み事は他でもない」
玄志郎は
「妹の――朽梨の行脚に付き合ってやってほしいのだ」
「兄上、なにを」
「朽梨は優秀だ。座って酒を飲むだけの俺よりずっと働き者だ。しかし、武功を立てるのに難儀しておる。生まれ育った立場が足かせとなっておるのだ」
そこで一計を案じた玄志郎は、こう考えたようだ。
「狭い世間、国許で燻らせていては偏ったものの見方ばかりする。いっそ、この地域を行脚させ、各地の神社なんかに詣でるのはどうか、とな」
銀夜は恐れ知らずなのか、開き直ったのか、口を開いた。
「問いを、ええですか」
「よろしい」
「なぜ我らなのです。腕の立つものなど、ここにはごろごろしておられる」
「しかし皆朽梨を嫉むかおもねるばかりで対等に接する真似をせん。お前らは違うようだが」
そういうことか、と愁慈郎と銀夜は得心がいった。
対等どころか、愁慈郎に関しては神使相手にあるまじき言動を繰り返し、銀夜は勝負すらしている。
ふつう、危険因子として排除しそうだが、そこを朽梨がとりなしたのだろう。もしくは、梟福殿という家で育てられた玄志郎の胆力か。
「どうだ。頼まれてくれんか。よしんば嫌でも、まあ、今回の件は大目に見よう。気前はよいほうが民草もついてくる」
玄志郎はそういった。
愁慈郎は迷った。無罪放免は確定だ。
山へ帰り、いつも通りの暮らしに戻れる。
しかし、あの半日間の火のついたような旅。あの刺激を思い出すと、にわかに、
「朽梨……様は、よろしいので」
「今更敬語を使われてもな。私は構わぬ。むしろ、へりくだって恩賞をねだる
愁慈郎は銀夜を見た。
銀夜は、「自分は国許を抜けております。お尋ね者です。それでもよろしいので」と問うた。
「それについては今、話をつけんとしておる。数日のうちには動きがある。構わぬ、むしろ、試練は多いほうが良かろう」
玄志郎はあっけなく認めた。
決断の時だ。
「よろしくお願いします。お供させていただきます」
「そうか。では……うむ、苗字があったほうが様になろうな。愁慈郎、お前は
「はい」
「では獣篠愁慈郎と名乗るがよかろう。名目上は出仕の社人とする。お武家風に言えば足軽だな」
玄志郎は立ち上がった。
背が高い。が、朽梨のほうが、五寸ばかり大きかった。
「一日、城下を周り旅支度をせよ。支度金を用意させる。どこへ詣でるか、どのような道程を取るかは、各々詮議するがよい」
実質的な、主祭神からの御下知である。
愁慈郎らは、改めて平伏し、「ははっ」と応じた。
玄慈様改め玄志郎からの下知を賜り、城下で旅支度を整えた。
支度金として一人頭、天嵐通宝で二貫文(一文=二十五円ほど。つまり五万円)を与えられ、それで道具を揃えた。
旅支度と言っても、愁慈郎と銀夜は着の身着のままの庶民である。その気になれば男一匹、手枕一つでどこででも眠れる。
問題は神使様である朽梨だ。
よもやお姫様のように旅籠以外では泊まりたくないとは言うまいが、やはり、身なりは大切であるらしい。
神使とは見栄えもまた大事であり、美意識は資質の一つであるという。それなりの服装と振る舞いを求められるらしい。
荷駄として、彼らは
駝鳥のような、飛ぶよりも歩く・走ることに特化した鳥類である。
大きさは八寸ほど。寸とは「き」と読む。
この時代、馬も鳥も、四尺を基準に、幾寸かで肩の高さを表していた。
例えば
細っこい、平地を走ることに特化した現代のサラブレッドは、まともに道路が整備されていない時代の道を歩くには不向きだ。蹄鉄が必要なく、わらじを履かせるだけで良い日本馬だからこそ、戦国乱世、馬が活躍した。
そう、日本の馬に蹄鉄の考えが伝来したのは文明開化の明治頃である。それまでは、生まれ持って蹄が硬い日本馬は、人間のように、わらじを履いて歩いていたのだ。
それは
見目のいい馬より、多少ずんぐりむっくりでも足腰が強く、速度より持久力のある馬や歩鳥こそが求められる。
「
歩鳥は駝鳥のような胴体と、足腰と顔立ちは猛禽類を彷彿させる。翼は体に比して短く、助走をつけて滑空はできるが、独力での飛行は不可能である。体重は十貫から十六貫(三十七・五キロ〜六十キロ)。ここまで重たいと、天狗のように妖力を借りねば飛べまい。
歩鳥はだいたい三十年から四十年生きる。無論、野生下ではその三分の一にも満たないし、危険な旅となれば、更に危うい。
精一杯の愛情を持って接し、主人として報いねばなるまいと、愁慈郎は思った。
一行には当初、轡取りや槍持をつけるという話もあった。しかしそれを辞退した。楽な旅をしていてはなんの修行かわからぬと、朽梨が断ったのだ。
愁慈郎は普段、弓を海松にくくりつけることにした。弦は張らずに。これは基本、狩りやなんかに用いる。矢だって安くはない。
準備を整えた愁慈郎らは、その日は一泊し、あくる朝、一番鶏が鳴く頃に旅籠を出た。
大仰な出迎えなどいらぬ、と朽梨はいったが、そこには楠姫がおり、またお忍びで玄志郎らしき者が兜武者に扮して紛れていた。
(神様が何してんだよ)
と愁慈郎は呆れが勝ったが、まさかここで平伏するのもまずい。
「行ってまいります。楠姫、母上と父上の言う事を守るのだぞ。よいな」朽梨は妹の頭を撫でた。
「うん。お姉ちゃんも気をつけて。それから、愁慈郎さん、銀夜さん、姉をお願いします」
着物に動きやすい野良袴、頑丈そうな小札重ねの手甲に脚絆といういかにもな旅装束の銀夜は「おう、任せい」と言った。
「銀夜と同じくだ。楠姫も、山を歩くときは気をつけろ」
愁慈郎は典型的な山の猟師、獣狩らしい格好である。着物なのだが、その生地は獣の毛を編んだもので、毛皮の飾りや、骨や牙の装飾が目立つ。
腰巻きには人生最大の大物である熊皮を巻いて、手には持槍。
侍(玄志郎)は腕を組んで頷くばかりだ。彼の声は特徴的なので、喋るとばれるのだろう。
「お侍様も、お見送り感謝いたします。御城内での騒動は、大変申し訳ありませんでした」
「自分も、申し訳ない。やりすぎた」
侍は頷き、そうして、前を指さした。
――往くがよい。
そう言ってくれている気がした。
「ゆくぞ」
朽梨がくるりとかかとをねじり、
一行の旅が始まった瞬間であった。
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