人はなぜ「愚痴を人にぶつけるか」
時に人はむしゃくしゃする。
人間関係を主として身の回りのことに対して。あるいはテレビのことがらに対して。
して堪忍袋は四次元ポ〇ットではないので限界がある。
ゆえに開放する必要がある。
便利な手段に「愚痴」がある。
我々高度に進化した生命体でもやはり原始的な手段に頼りがちである。
けども、おおよそぶつける対象は人間である。
少なくとも私が観測する限りでは。
なぜ心を持ち合わせる人間に対してなのか?
不可逆な関係性だとしてもだ。
壁じゃダメなのか?壁は聞く耳を持たない(物理的に)はずなのでそちらのほうがよさそうだが。
我々は学校の道徳で学んだはずだ。
「人に当たってはいけません。人にやさしくありなさい」
仮に対人で聴覚に信号を送らなくても対人への衝突はとまらない。
メモ帳に書きなぐればいいものを迂闊にもインターネットのパケットに梱包してしまう。
最近はLLMがサンドバッグになる例もあるそうだが(カワイソス)、大体の目的地はオープンSNSだ。
だがそれでも「生身の人間」が選ばれてしまうのはそれなりの理由があるらしい。
よほどのもの好きでない限り人の愚痴を聞くのは堪えがたきことだろう。
でもだ。人間の不満衝突対象は主に生身だ。
それは人間から反応を求めているのかなというのが結論だ。
でなければそこらへんに生えている木でも役者としては十分であるがためである。
共感を得るか、はたまたうろたり反射的に反応する様子をみて安心を得るか。
どっちにしても迷惑なものだ。
とはいえ人間はコミニュティに生きる生物なので仕切りがそびえたつラーメン屋みたく個人で欲求の消化は似合わない。
それはある意味弱みを見せることで本来の自分を晒し信頼や信用を得るための必要な流れなのかもしれない。


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