今月2日のプロ野球界では移動日と呼ばれる月曜日、阪神は翌日からの日本ハム戦(エスコン)のため、伊丹空港で新千歳空港行きの便を待っていた。記者も搭乗口付近に待機して、選手が来たら取材するのが、一連の流れとなる。近本、中野、佐藤輝、大山…。選手が来ないか、目を光らせていると、電話をしながら、どこかで見たことのある大男がやってきた。たむらけんじ(52)だ。住居を米ロサンゼルスに置くが、経営が傾きかけた「焼肉たむら」の立て直しのため、定期的に帰国しており、ロスへ帰るところに偶然遭遇した。
昨年まで芸能担当で何度も取材してきた私にとっては、久々の再会だったが、私以上に劇的な再会だった人がいる。阪神・谷中真二スコアラー(52)だ。小西酒造から投手として1996年ドラフト3位で西武に入団し、その後、阪神、オリックス、楽天などでプレーした。1999年には西武のルーキー松坂大輔のフィーバーに沸く高知・春野での春季キャンプで、あまりの過熱ぶりに背番号「18」のユニホームを着て〝影武者〟を演じ、松坂を移動させやすくしたことが話題となった。
たむけんと谷中スコアラー。実は2人は小中学校の同級生で地元野球チームでバッテリーを組んでいた。谷中スコアラーは「久々に会いましたよ! 何年ぶりやろ? わからないくらい久しぶり」と旧交を温めた。
たむけんが、小学4年で野球をやめ、バッテリーは解消されたが、学校生活は同じ。谷中スコアラーは「当時からおもしろかったですよ。頭もめちゃくちゃいいんですよ。スポーツもできて、中学はソフトテニスで近畿大会とかまで行ったんちゃうかな」と、のちにタレントや実業家として活躍する男の昔の顔を明かした。たむけんは「相手チームがかわいそうなくらい、小学生でエグい球を投げていました。敵でなくてよかったと思ってました」と谷中スコアラーのプレーを懐古。
獅子舞でブレークし、関西のテレビでは引っ張りだこだったが、全てのレギュラーを降板し、一昨年の5月にロスへ移住。幼なじみの生き方を見た谷中スコアラーは「すごいですよね。うらやましいです。でも、それだけ活躍してきたからできることであって、うらやましいですよ」と感銘。少年時代に白球を追いかけた〝ピッちゃ~〟と〝キャッちゃ~〟の絆は50歳を超えても健在だ。(渡辺洋次)