「……ここ、は」
スバルの母──菜穂子の瞳が静かに開かれる。
脱力した体で見渡せば、そこは映画館のような場所で──隣には、賢一が座っていた。
「!……よかった、気がついたか」
「……ここは……」
虚ろな瞳で見渡せば、正面にスクリーンが置かれていた。
「……映画館?」
「それが……気がついたらここにいたんだ。記憶も曖昧だしな……誘拐とは、考えにくいけど」
「……そう、ね」
菜穂子の毎日は、一等星を失ったあの日に歩みを止めてしまった。
挨拶をしなかったあの子に何があったのか聞けばよかったのか、暗い顔をするあの子にもっと強引にでも話を聞けばよかったのかと毎日意味の無い自問自答をして、死んだように生きている。
「……そばにいてくれるだけでよかったのに」
菜穂子本人でさえ気づかなかった囁きに賢一は気づいたのだろうか。
賢一が菜穂子になにか声をかけようと口を開いた瞬間、静寂は切り裂かれる。
『今から上映されるのは──ナツキ・スバルの人生です。』
男の声か女の声か──聞いているだけで背筋に寒気が走るような声に、賢一は菜穂子の肩を抱き寄せる。
そして、何よりも二人が気にとめていたのは。
「……今、なんて言った?」
「菜月昴の人生……?」
その言葉に、菜穂子は瞳を大きく揺らした。
「……もう、あの子はいないのに……?」
そんな気持ちの機微が思いやられることも無く、スクリーンは無情にも起動する。
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スクリーンには、コンビニにいるスバルの姿が映っていた。
死んだ目で買い物をする彼の姿は、菜穂子が最後に見たそれと変わらなくて。
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「昴……!」
菜穂子の瞳に悲しみが潤む。
何があったのかずっと知りたかった。
昴は死んでしまったのだろうか、それともどこか遠い場所に行ってしまったのか。
答えを知りたくない気持ちと、真実を知りたい気持ちが入り交じっていて。
「……この映像は、誰が」
賢一は戦慄する。
監視カメラなんてものではなく、明らかに不自然な場所から取られた映像だからだ。
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スバルがコンビニを出て、眠そうに──或いは疲れを滲ませて、眼を擦る。
次の瞬間、ナツキ・スバルは異世界にいた。
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「……ぇ」
菜穂子が吐息を吐くような音を漏らす。
「昴は……さっきまで、ぇ?どうして」
動揺が隠しきれず、歯の打ち合わされる音が聞こえる。
「……これは、どういう」
賢一も、状況を把握しきれていない。
昴はコンビニにいたはずだ。
が、今昴がいる場所は現代の日本とは到底思えず。
「……これは、昴がよく読んでた」
異世界召喚というものなのかもしれない、と賢一は思った。
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『現状が異世界ファンタジーと仮定して、文明はお決まりの中世風ってとこか?見たとこ機械類はなしで、建材も石材か木材でほぼ統一……』
『よし、いいぞ俺。伊達に妄想してねぇぜ。文明レベルの確認はまぁよし、とりあえず金は通用しない。ついでに店主と会話できたし意思の疎通も問題ない』
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「昴の声……ほんとに、これは昴なの?だったら、これは誰が」
「分からねぇが……この映像を見ていけば、昴の今が……分かるのかもしれない」
菜穂子は縋ってもいいと思った。
昴の──愛しいあの子が幸せに生きているなら、その確信さえ持てれば、菜穂子は漸く歩き出すことが出来るのだ。
「昴……」
菜穂子の顔が、一年ぶりに虚以外の表情を灯した。
それは、賢一にとっても驚くべきことであり──だが、それ以上に。
「昴、無事でいてくれよ」
我が子の安全を、願うのみであった。
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『――そこまでよ、悪党』
『それ以上の狼藉は見過ごせないわ。――そこまでよ』
『それはそれとして、見逃せる状況じゃないのよ』
『――動かないで』
『関係ないでしょ。死ぬほどじゃないもの、放っておくわよ』
『――絶対の絶対、助けたりしないからっ』
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「昴……!」
菜穂子が痛ましく目を開く。
昴が暴力を振るわれている。
それは、菜穂子にとって何よりも辛いことであった。
「お願い……異世界で昴が幸せになってくれるならもうそれでもいいから……」
だから、どうか優しくて不器用なあの子が理不尽に傷つけられませんように。
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『勘違いしないで。聞きたいことがあるから仕方なく残ったの。それがなかったらあなたのことなんて置き去りにしたわ。そう、してたの。だから勘違いしないこと』
『だから私があなたの体の傷に治癒魔法をかけたのも、目覚めるまでパックの腹枕を堪能させてたのも、全部が全部、自分の都合のため。だから、その分に応えてもらうわ』
『なんか恩着せがましい感じを演出しつつも一周回って普通の要求だな』
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「なんだ、えらく素直じゃない子だな」
「昴を助けてくれたんだし……悪い子じゃないと、思うけど」
菜穂子の頬が少しだけ緩む。
強ばっていた先までとは違い、その鋭い目つきにも少しだけの温かみが戻る。
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『そう。それじゃ仕方ないわ。でも、あなたには何も知らないという情報をもらうことができたわけだから、ちゃんとケガを治した対価は貰っているわね』
『じゃあ、もう行くわね。悪いけど急いでるの。ケガは一通り治ってるはずだし、脅したから連中ももう関わってこないと思うけど、こんな時間に人気のない路地にひとりで入るなんて自殺志願者と一緒だから。あ、これは心配じゃなくて忠告よ。次に同じような現場に出くわしても、私があなたを助けるメリットがないから助けなんて期待されても困るから』
『ゴメンね。素直じゃないんだよ、うちの子。変に思わないであげて』
『そんな生き方、メチャクチャ損するじゃねぇか』
『大切なもんなんだろ?俺にも手伝わせてくれ』
『言っておくけど、なんのお礼もできません。こう見えて無一文なので』
『それにお礼なんていらない。そもそも、俺が礼をしたいから手伝いたいんだ』
『俺も俺のために君を手伝う。俺の目的はそう、だな。そう、善行を積むことだ!』
『――本当に、なんのお礼もできないからね』
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「……昴らしいな」
「そう、ね。昴は優しいのに……自分だけはそうじゃないって、意固地になっちゃう子だから心配だったんだけど」
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『そうね、このあたりだとまず聞かない名前。そういえば髪と瞳の色も、服装もずいぶんと珍しいけど……どこから?』
『テンプレ的な答えだと、たぶん、東のちっさい国からだな!』
『ルグニカは大陸図で見て一番東の国だから……この国より東なんてないけど』
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「ルグニカ……聞いたことない国、だな」
「……やっぱり、違う世界に行っちゃったの?昴は」
信じたくない。
信じたくないが──心優しいあの子が一年も不意に姿を晦ますだろうか?
遺体も見つからない以上、信憑性は妙に高いのだ。
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『下手に二人して入って泥棒扱いもなんだから、君は外にいてくれるか?』
『大丈夫?私が中に入った方がいいんじゃ……』
『こんだけ声かけしてるんだから、いきなり切りかかられるってことはないだろ。外から戻ってきた蔵主に誤解される方が厄介だし、頼まれてお願い』
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「昴……大丈夫なの?こんな治安の悪い場所……怪我しないといいけど」
菜穂子がはらはらと不安そうな顔をする。
「後ろの……サテラちゃん?もついてるし、心配は要らねぇ気もするけど……」
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『ん?』
地面に粘着質な何かを感じる。
『なんだ、これ』
嫌な感触のそれを床に擦り付ける。
『あ?』
首を大きく切り裂かれ、片腕を失った死体が映る。
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「……ぇ?」
菜穂子が一瞬息を飲む。
吸い込んだ息は吐き出されず、菜穂子に混乱のみを与える。
「……菜穂子、これ以上は目を瞑った方が」
口に出した時、賢一の脳裏に最悪な未来が過ぎる。
──もし、昴が異世界で殺されていたら?
それを知った時、自分は──菜穂子は、どうなるのだろう。
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『ひ』
『――ああ、見つけてしまったのね。それじゃ仕方ない。ええ、仕方ないのよ』
『ぐあ――っ!』
『ぐぅぅぅ……あ、熱ッ』
腹が破け、叫び声の代わりに血が吐き出される。
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「……昴、?昴……ぃ、や」
菜穂子の瞳が大きく揺れて、絶望を宿す。
「だって……昴、お母さんは……昴が幸せなら、それで」
帰ってきてくれなくても、幸せに生きているならそれでよかったのに。
「ま、って……」
賢一の喉から、何度も昴の名前が呼ばれる。
菜穂子の瞳の光が細まり、賢一の心臓がその速さを増していく。
「昴……!」
息を深く吐き、現実を飲み込んでいく。
「……どうして」
その瞳からは、悲しみが雫へと変わっていく様子が。
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『――バル?』
『――っ!』
『……っていろ』
『俺が、必ず――』
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「……どうして……?どうして、昴なの?他に……他に、いたでしょう……?」
それは、あまりに身勝手で──あまりに、悲しい言葉だった。
「……なほ」
賢一が口を開こうとした時、スクリーンが色を取り戻す。
「……ぁ?」
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『――どうしたよ、兄ちゃん。急に呆けた面して』
『は――?』
『だーかーら、けっきょくどーすんだよ。リンガ、買うのか買わないのか』
『は――?』
『リンガだよ!食いたいんだろ?自分でそう言って話しかけてきといて、急に目がイッちまうんだからビビったぜ。……で、どーすんだよ』
『あー、実は俺、不倶戴天の一文無し』
『……んだよ、じゃあ、ただの冷やかしじゃねーか。なら行った行った!こっちゃ商売してんだ。冷やかしに付き合ってられん』
『え?え?――どゆこと?』
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菜穂子の瞳が、大きく揺れる。
「……え……?」
現実を飲み込むことが、できない。
そして、賢一は気づく。
この部屋には扉がない。
つまり、逃げることも目を逸らすことも、叶わないのだ。