鈍機翁のため息

(329)間奏 III 作らずにはいられなかった

 1975年に制作した「病醜のダミアン」について、舟越保武さんは翌年書いた随筆「病醜のダミアン」にこんなことを書いている。《私はこの病醜の顔に、恐ろしい程の気高い美しさが見えてならない。このことは私の心の中だけのことであって、人には美しく見える筈(はず)がない。それでも私は、これを作らずにはいられなかった。私はこの像が私の作ったものの中で、いちばん気に入っている》。自負と危惧がないまぜになった文章ではないか。

 その危惧が現実のものとなる。1983年4月からこの作品を常設展示していた埼玉県立近代美術館に、ハンセン病の元患者たちが「病気への誤解と偏見を生むから公開を差し控えてほしい」と申し入れたのだ。確かに予備知識なしにこの像と対面すれば、ハンセン病への恐怖心がかき立てられる可能性はある。長い期間、偏見と差別にさらされてきた元患者たちが危惧するのは当然かもしれない。話し合いの結果、像は84年1月、美術館の応接室に移され、鑑賞を希望する人だけに公開するという形で一応の決着を見た。

 話し合いはその後も続けられ、像の脇にハンセン病に対する誤解や偏見を解く文章を配し、「病醜のダミアン」を「ダミアン神父」と変更することなどを条件に99年8月、像は元の場所に戻された。舟越さんも納得したという。いま神父に会いたければ、埼玉県立近代美術館、兵庫県立美術館、練馬区立美術館(岩手県立美術館から貸し出されたもの)へどうぞ。(桑原聡)

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