タカシくんの負け
佐藤光留(欠場中)です。
5月25日に行われたMONDAY MAGIC新宿大会に出場。試合後に身体が動かなくなり病院に緊急搬送されました。今はまだ、その病院にいます。
Xやamebloなどで今まで興行情報や行きつけの来栖うさこ撮影会情報などを発信しておりました。が、このたび晴れて無職の肉塊となり、生活苦を理由に首を括る訳にもいかず。今後のためにnoteに手を出す事となりました。
プロ格DXという有料サイトでコラムを執筆中は、定期的な文章で金銭を得る事は武士道に反する…と、1993年に浦安のマルナカでプレイしていたサムライスピリッツで言っていた記憶があります。なので今までは誰にも止められるでもなくやっておりませんでしたが、プロ格DXからも快く許可を頂き執筆する事になりました。ちなみにアースクェイク使いでした。
以下、子供の頃から食卓に植田まさし先生の「かりあげくん」があった人間の軽薄な文章となりますが、現状説明今後の展望来栖うさこの顔の良さトロたんの撮影会の楽しさ含めて記していきます。
怪我の詳細ですが、生意気にも一言では言い表せない状況です。
5月25日の試合以前から、コンディションが優れない事は多々ありました。何年か前に背中を筋挫傷してからは、連なって首や腰もあまりよくありませんでした。
が、年齢も40歳を超え年間試合数も200試合。その日ご無事に帰れたら「まぁ問題なかった」で済ませるのがプロレスラーという人種です。「普通の人間」の健康と「プロレスラーの健康」というのは大きく乖離しており、その中で判断をする事は恐らく自分自身では不可能に近いと思います。
今までも「大丈夫ッス」で大丈夫でした。
思い返してみれば少し前に、何でもない技を喰らって控え室に帰ってから指が動かなくなる事がありました。
感覚はあるのですが、自分の意思では指が全く動かない。初めての状況に少しだけパニックになりましたが、幸いにもその大会にはトレーナーさんが帯同しており、医務室で処置を受けたら15分ほどで元に戻りました。
周りのレスラーにも「何かありましたか?」と言われるぐらい普通の試合でした。元に戻ればいつも通りバカ話しをしながらその日は家に帰りました。
翌日も当たり前のように試合をしました。体調は優れませんでしたが、目を吊り上げ身体を動かします。
明らかに体調はおかしいですが、それを乗り越えるのがキャリアだと思っていました。5月25日に田中将斗選手とのタイトル戦が決まってからは、持てる全ての治癒力を引き出しコンディションを作っていきました。
試合当日もウォームアップ時に動きは悪くなく、どんなに椅子で殴られようが机で叩かれようが大丈夫だと思っていました。
が、異変はその遥か前から起きました。
入場してきた田中将斗選手に突っかけるカタチで試合に突入していきましたが、今まで通りの動きをすればするほど手足から感覚が失われていきます。
田中将斗選手の攻撃はもちろん強烈でした。が、それだけではなく自分の攻撃を重ねても、どんどんと手足の感覚がなくなっていきました。
自分がリングに立っている感覚も消失し、それでもジャンピングハイキックで攻めていく。無駄な力が抜けた攻撃は、今までにない打撃音を響かせながら田中将斗選手の側頭部を蹴り上げていました。
それでも最後に狭い隙間を縫って腕十時を極めましたが、試合を止めた西永レフリーに最初に言った言葉は「身体が動かないです」でした。
マイクが滑り込んできたのですが、指が動かない。石川修司選手、関本大介選手が入ってきたのに立てない。もうこの時には自分の身体の中で何かが起こっているのだろうと思っていましたが、セコンドの肩を借りて退場出来たので「まぁ大丈夫かな?」ぐらいに思っていました。
コメントを出した後、その後ろにあるトレーナーさんのベッドに転がされました。あちこち痛いですが、そもそも自分で何も動かす事が出来ない。
手足が存在するのはわかりましたが、それを動かす事が出来ないのです。
時間が経過しても戻ってこない状況でしたが、ノアの選手、スタッフの皆さんに大変良くしていただきました。
そのまま病院に搬送されました。おそらく日本のプロレスラーの首を最も診断しているであろうA先生の病院。
すぐに首には固定用カラーが巻かれ様々な処置を受けたら、その日はベッドで朝を待ちました。
翌日、レントゲン、MRI、CTを撮りました。その中で「喉の奥に腫瘍のようなものがある」と言われ、それも検査する事になりました。結局は脂肪の塊だったのですが、その時が1番凹みました。
A先生はエネルギッシュで「絶対大丈夫だ」といつも言ってくれる先生です。今でも日本の多くのプロレス団体と連携している方で、フリーのド三流レスラー佐藤光留にも親身になって怪我の状況を話していただけました。
検査もあらかた終了しハードヒットも選手&関係者&お客さんの熱意で不在の主催者が励まされる形で終わり、いよいよ何もする事が無くなりました。
風呂にも入れず、トイレも車椅子で連れて行ってもらう臭い肉塊は日に日に髭が伸びてくるという怪現象付きです。
そして入院から1週間が経ちました。
現状としては、歩行器を使わずに1人で歩けます。自分の意思で手を動かし、食事を摂れます。痺れもほぼありません。
しかし手足の出力は、怪我をする前の3〜4割です。
握力は左右差がありますが、とても落ちてます。
今まで通りの生活、プロレスラーとして「すぐに」戻れるという事ではありません。
これはA先生と話した内容ですが、プロレスラーはもちろんプロレスを見ている人は覚えておいてください。
今回怪我したのは首です。今回の1番悪い場所です。輪切りになった自分の首をA先生が指さすと、それはまぁまぁ変形していました。
これは少なくとも5年は前からなっていたそうです。そしてプロレスラーはほぼ全員なっているそうです。
相手の技を受け続け、練習を重ねたからこそ変形してくるそうです。「自分が変形すれば耐えれるから」と、プロレスラーの身体は変形していくそうです。そしてある日、それが爆発したのが今の佐藤光留です。
ある女子レスラーが怪我をした時、バカがSNSで「練習してないからだ」と言ってました。もうプロレスを見るなとまでは言いませんが、自己承認欲求のために事実を曲げてまでプロレスを見るのは辞めた方が良いと佐藤光留は思います。
経過がある程度良かったため、今後はリハビリを続けながら生きていく事になります。
今はまだ「復帰」を目指す段階にありません。もしかしたら復帰は出来ないかもしれません。ただ今回だけは「意外とアッサリ戻ってきたな」とはならないような感じです。
諦めたのではなく、まだスタート地点にも立ってないという事をご理解ください。
恥ずかしながら、今回の怪我で1番思い知らされたのは「佐藤光留は1人ではなかった」という事です。
あんだけ興行して控え室でもギャーギャー煩い佐藤光留ですが、心のどこかで「まぁでも佐藤光留とは一緒にいたくねぇよな」と誰に対しても思っています。本当にそういう人間なのです。暗いんです。
でも、すぐに多くのレスラーやファンの方が佐藤光留の一大事に動いてくれました。あまりに数が多く、ここではご紹介出来ないレベルです。本当にありがとうございます。
何をすれば返せるかを考えています。
19歳の時、パンクラスの仙台大会で鈴木さんと新幹線に乗りました。
鈴木さんは練習生の自分に2000円を手渡し、弁当を2つ買ってこいと言われました。
戻ってくると「1個はお前の」と言われました。あの鈴木みのるに弁当なんか奢ってもらっていいもんか?と思い、1度遠慮しました。そしたら鈴木さんが言ったのです。
これは俺が若い時にしてもらった事
その時の先輩に「お前が食えるようになったら、その時の後輩に同じ事をしてやれ」と言われた事
だから今、お前に同じ事をしてる事
そしたらプロレスが続くだろ?と言われた事
プロレスラーという生き方をしている以上、怪我から逃れる事は出来ません。だけど、怪我したプロレスラーを助ける事は出来ます。
佐藤光留がした怪我、そしてそれによって得た経験を、今後プロレスのリングに立つ選手の役に立つよう伝えていきたいと思います。どんなにお金を稼いで返すより、プロレスのために返していきたい。そう思っています。
全く先の見えないリハビリ生活が今後も続いていきますが、あまり悲壮感を出し過ぎると「リハビリ詐欺」とか言われるし、じゃあ軽薄さ全開だと「意外と大丈夫じゃね」と言われるし。なかなか難しい問題であります。
それでも皆さま、是非とも面白いと思ったプロレスを応援してください。重く苦しく見ても良し、軽く楽しく見ても良し。清廉潔白だけがプロレスの面白さではありません。
ただ、どいつもこいつも怪我には気をつけろ!あとマジで今の病院の看護婦さんて1ミリも間違いを起こさない感じだから期待するな!「安齊だったらなんとかなんのかな」とか余計な事考えてもお前は臭い肉塊のままだぞ!
じゃあまたね☆
