『ToR - Promise Horizon -』(第4稿)Part.5
第5幕:宇宙からの拒絶
2136年、時間管理局本部。
グレイから託された涙滴型の小型時空転移艇が、
ドックの実数空間に静かに実体化した。
「……帰還プロセス完了。
どうやら無事に戻ったわね、私たちの時代に」
コンソールから手を放し、
水原が深く、長い息を吐き出した。
出迎えた藤堂局長の顔には、
いつもの冷徹な表情の裏に、
珍しく安堵の色が浮かんでいた。
「よく戻った、二人とも。
アトランティスへの不時着という想定外の事態はあったが、
結果として歴史の大きなノイズは確実に減少している。
あかり君の脳波も、かつてないほど穏やかだ」
大地は、ドックの冷たい床に大の字に寝転がった。
恐竜の絶滅からアトランティス大陸の沈没まで、
歴史の激流を泳ぎ切った疲労が、
泥のように全身にのしかかっていた。
「……少しは、休めるのか」
「ええ。当面のクライシス予測は沈黙しているわ。
ゆっくり眠りなさい。」
水原が、倒れ込む大地の顔を覗き込んで、小さく微笑んだ。
それから数ヶ月。
時間管理局の地下居住区には、
彼らにとって初めて訪れた「束の間の平穏」があった。
歴史の修復任務から離れた日常の中で、
常に張り詰めていた二人の距離は、自然と縮まっていった。
数億年の過去と未来を行き来し、
互いの命を何度も預け合った彼らの間には、
すでに言葉を持たないほどの深い信頼が根付いていた。
ある夜、居住区の簡素なバーラウンジ。
合成酒のグラスを傾けながら、
水原がふと、自嘲気味に呟いた。
「不思議ね。
人類の過去や未来の心配ばかりして血反吐を吐いてきたのに……
いざこうして何もない夜を迎えると、
自分たちの『今』がぽっかり空いていることに気づくわ」
「俺は、100年前の病室から逃げ出したあの日から、
ずっと時間が止まってるような気がしてた」
大地はグラスの氷を揺らした。
「でも、あんたと一緒に歴史を変えて、
少しずつだけど、時間が前に進み始めているのを感じるよ」
水原は黙ってグラスを置き、大地の隣に座ると、
その肩に静かに頭を預けた。
「……少し、休ませて」
大地は彼女の肩を優しく抱き寄せた。
歴史という巨大なシステムの中で、
彼らは互いの体温だけが
「確かに今ここに存在している」という
唯一の証明だったのだ。
やがて、水原の身体に新しい命が宿った。
「……俺が、父親か」
医療モニターに映る小さな生命の鼓動を見て、
大地は呆然と呟いた。
「嫌だった?」
「まさか。……最高に嬉しいよ」
大地は、水原のお腹にそっと触れた。
妹・あかりを救うために過去を変え続けてきた自分が、
今度は「未来へ繋ぐべき自分たちの命」を
この手に抱いている。
その事実が、
大地にこれまでにない強烈な覚悟を芽生えさせていた。
だが、宇宙の免疫機能である『歴史収束』は、
特異点である彼らに本当の安息を許しはしなかった。
——ビィィィィィィンッ!!
深夜の管理局本部に、
最上位のレッドアラートが鳴り響いた。
緊急招集を受け、大地と水原が指令室へ飛び込むと、
そこには血の気を失った藤堂が立っていた。
「局長、何があった!」
「……見ろ。地球規模の『空間の崩落』だ」
メインスクリーンに映し出された2136年の地球は、
地獄絵図と化していた。
地殻の異常な大崩壊。
大気の急速な消失。
宇宙空間からの強烈なガンマ線バーストの直撃。
どれか一つの災害ではない。
地球という惑星そのものが、
物理法則を無視して「自壊」を始めているのだ。
「馬鹿な……こんなクライシス、
演算のどこにもなかったはずだ!」
「これは自然災害ではない」
藤堂が拳を叩きつけた。
「我々が過去を改変しすぎた結果、
宇宙がこの時代の人類という存在そのものを
『致命的なエラー』とみなし、
強制的にデリートしようとしているんだ!」
ドドドォォォォン!!
管理局の強固な地下施設が、
紙屑のようにひしゃげ始めた。
天井から巨大なコンクリートの塊が崩れ落ちる。
「水原、逃げろ!」
大地は身重の水原を庇い、
崩落する瓦礫の下で身を丸めた。
出口はすべて塞がれ、
空間の崩壊が彼らのすぐ足元まで迫っている。
(ここで、終わりなのか……っ!
あかりも、この腹の中の子供も、何も救えないまま!)
大地が絶望に目を強く閉じた、その瞬間だった。
——キュィィィィィン……ッ!!
崩壊する局長室の空間が、
強烈な青白い光と共に「真横に」裂けた。
次元の壁をこじ開けて出現したのは、
かつて大地が恐竜時代で乗り捨てた
『NOA』の意匠を引き継ぎながらも、
さらに巨大で、圧倒的に洗練された
未来の超巨大時空艦だった。
船体の側面には、
輝く文字で『NOA2』と刻まれている。
「なっ……なんだ、あれは!?」
驚愕する藤堂と大地たちの前で、
NOA2のハッチが開き、一人の青年が降り立った。
無骨な戦闘服に身を包み、
歴戦の戦士の顔つきをしたその青年は、
崩壊する空間を一瞥すると、
大地と水原を見て、
ホッと息を吐くように、涙ぐんで微笑んだ。
「間に合った……。迎えに来たよ、父さん、母さん」
「……は?」
大地と水原は、完全に思考が停止した。
「父さんって……お前、まさか!」
「説明は後だ!
この時代はもう宇宙にデリートされる。乗ってくれ!」
青年——未来の過酷な環境で育ち、
両親を救うためにNOA2を完成させて
時間を遡ってきた大地の息子——の叫びに弾かれ、
大地、水原、藤堂、そして生き残った少数の職員たちは、
崩れ落ちる管理局を背にNOA2へと飛び乗った。
「時空転移プロセス開始!
座標、数万年後の未来へ!」
息子の操縦により、
NOA2は崩壊する2136年の地球を間一髪で脱出し、
時空の海へと浮上した。
光のトンネルの中、息を整えた大地は、
操縦桿を握る青年の背中を見つめた。
「お前……本当に、俺たちの子どもなのか?」
「ああ。あんたたちが生き残るルートを探すために、
俺たちの時代で技術を総結集してこの船を作った。
……この船には、人類の最後の『種』が乗っている」
青年は振り返り、力強く頷いた。
「俺たちが向かうのは、地球環境が回復した数万年後の未来だ。
そこで俺たちは、新しい人類の歴史を最初からやり直すんだ」
その言葉を聞いた瞬間。
大地の脳髄を、電撃のような閃きが貫いた。
数万年後の未来。
そこで生き延び、文明を再構築した人類。
彼らは途方もない時間をかけて進化し、
やがて高度な精神文明と遺伝子工学を極めた、
大理石のような白い肌を持つ「超人類」になるのではないか。
「まさか……」
大地の声が震えた。
「俺たちの血脈が、未来で進化して……
あの『アヌンナキ』になるのか!?」
自分たちの息子と、NOA2に乗った人類の生き残りたち。
彼らが未来で築く超文明こそが、
かつて大地がアトランティスに置き去りにし、
やがて火星へと去って「グレイ」へと進化していく神々——
『アヌンナキ』の正体だったのだ。
敵だと思っていた未来人も、
神だと名乗っていた古代人も。
すべては、自分たちの血脈が
途方もない時間をかけて紡いできた
「家族の歴史」だった。
「俺たちが……あいつらの、始まりだったのか……」
タイムパラドックスの恐ろしくも美しい円環の真実に、
大地はただ立ち尽くすしかなかった。
時空艦NOA2は、人類の新たな始祖たちを乗せ、
眩い光の彼方へと突き進んでいく。


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