日本では古代から、自然に宿る神聖な力や祖先、土地の守護神、神話に登場する神々への信仰が重なり合い、これらを祀る場として「神社」が築かれてきた。現在、国内には約7万8000社の神社があり、コンビニエンスストアよりも多い。しかし、2040年までに約3万社が消滅する可能性があるという専門家の試算がある。
そんな神社の現状に強い危機感を抱き、「神社の可能性を広げたい」と奮闘する神主がいる。九州の最北端に位置する和布刈(めかり)神社の32代神職・高瀨和信さん。家業に入った2009年当時500万円だった年商は、今や1億8000万円に。お金の話はタブー視されがちな神社業界で、あえて数字を明確に出す背景には、高瀨さんの並々ならぬ覚悟があった。
1800年以上にわたる歴史
福岡県北九州市の門司港駅から車で約7分。九州と本州を隔てる関門海峡を眼前に臨み、関門橋のたもとに鎮座するのが和布刈神社だ。創建は弥生時代の200年頃と伝わり、旧暦の元日に「和布(わかめ)」を「刈」り取り、神前に供える神事を1800年以上にわたって続けてきた。
高瀨さんは、幼い頃から後継ぎを意識していたわけではない。「次男だったので後を継ぐというプレッシャーは全くなく、学生時代はサッカーに打ち込んでいました」。
しかし、高校2年の夏、父親から思いがけない提案を受けた。
「三重県にある皇學館大学に行ってみないかと言われたんです。神職の資格も教員免許も取れて、学校の先生や公務員になる人もいるからと」
兄はすでに別の道に進んでおり、「必ず神社に戻れという雰囲気ではなく、僕は特に行きたい大学もなかったので進学することにしました」と当時を振り返る。
大学で神道や神事を学ぶ中、家業を継ごうという思いが次第に大きくなっていった。その決断を決定づけたのは、祖父のひと言だった。
「僕はおじいちゃんっ子で、祖父が育てる胡蝶蘭の水やりを手伝うのが好きでした。その祖父が晩年に『神社を頼むぞ』と僕に言ったんです。その言葉がズシンと響き、大きな宿題として心に残りました」
2009年、大学を卒業して地元へ戻ると、父親から神社の運営を任された。しかし、現実は厳しかった。
当時の和布刈神社は、地方にある多くの神社と同様、正月以外は閑散としていた。手入れをしていない境内には雑草が生え、年末が近づくとようやく家族総出で掃除し、正月を迎える。
神職の仕事は、主に正月と年1回の祭事のみ。「正月三が日以外は本当に人が来なくて、電話も鳴らない…。収入は正月の賽銭とお守り、祈願がほとんどで年間500万円程度でした」。
そのため高瀨家は代々兼業で、祖父は胡蝶蘭の生産、父親は古物商で生活を成り立たせていた。
高瀨さんも、興味のあった広告業界で就職活動をスタート。同時に、経営の勉強にも取り組んだ。
「大学では神道や神事について学んだものの、経営や数字のことは全く分からない。どうにかしなければと経営に関する本や雑誌を読み漁りました。ただ、お金がないので図書館に通い、本屋で立ち読みをすることも。草むしりか就職活動か読書という日々が2~3年続きました」
結局、兼業で働ける会社は見つからなかった。その間、支えになったのは妻の存在だ。
「思いを話せるのは妻だけでした。妻は会社員として働きながら事務も手伝ってくれて、本当に助けられました」
年商500万円からの挑戦
一方、神社では新たな取り組みにチャレンジした。最初に手掛けたのは、捨てるには忍びない雛人形などをお焚き上げする「思物供養」だ。
「学生のときに実習で訪れた神社で、神職が『人形を持ってこられても対応できないから困るよね…』と話すのが聞こえたんです。確かに思いのこもったぬいぐるみなどは捨てづらいので、思いを引き受けようと始めました。当初はチラシを配り、徐々に口コミで広がって、自分でホームページを作ってからは全国から依頼が来るようになりました」
この事業は成長し、2013年には年商900万円になった。
さらに2014年には「海洋散骨」を始めた。
「ここは目の前が海で、仏教が伝来する前は海に還る弔いもあったと知りました。北九州市は全国でも高齢化率が高く、墓の問題で困っている人も多い。ですから、現代のニーズに応じて海洋散骨をいち早く取り入れました」と語る。
こうした取り組みによって年商は着実に伸び、2017年には5000万円規模に達した。
人生の浮き沈みに寄り添える存在に
しかし、高瀨さんは「ずっとモヤモヤしていた」と打ち明ける。「収入が増えていても、いずれ頭打ちになる。それに、和布刈神社とは何か、アイデンティティを明確に説明できない自分をもどかしく感じていました」。
そんな中で転機となったのは、当時、中川政七商店の代表だった中川淳さんの著書との出会いだった。
「中川政七商店は、日本の工芸をベースにした製造小売を行う一方で、ブランディング支援も行っています。伝統工芸と神社は文化継承という意味で近いと感じましたし、『きちんと伝えればお金は後からついてくる』という中川さんの考え方に深く共感しました」
そこで、太宰府天満宮の宮司に提案して、2017年福岡県神社庁研修会に中川さんを招くことに。太宰府天満宮の宮司につないでもらったのをきっかけに2018年、中川政七商店にコンサルティングを依頼して、和布刈神社のリブランディングに着手。
「神社の歴史や由緒を徹底的に調べ上げ、今の思物供養や海洋散骨まで整理して、どのようにつないで伝えたらいいかを考えました」
その結果、たどり着いたのが「人の人生の浮き沈みに寄り添える存在」という定義だ。「和布刈神社は月の神様を祀っています。月の影響で潮が満ち引きするように、人生にも波がある。そのときどきに寄り添える存在でありたいと思いました」。
この考えをベースに授与品を見直し、30種類ほどあった既製のお守りをオリジナルの3種類に刷新。ひもといた由緒から八重桜の神紋も取り入れた。
授与所をリニューアルし、授与品は室内で神職が鈴振りをして渡すようにした。「和布刈神社のアイデンティティが明確になり、あるべき姿にスッキリと整いました」 。
さらに2020年からは本格的に終活事業に取り組み、遺言や相続、墓じまい、葬儀、供養まで支援している。
「『これで安心して死ねます』と言っていただくことがあります。究極の感謝の言葉で、人生最期の決断を託していただいたことがありがたい。神社はこれまで祈願や厄除けで人をポジティブにすることはできたのですが、終活はもっと明確に具体的な課題を解決できる。重い責任を感じるとともに、やって良かったと思える瞬間です」
和布刈神社では、未来への見通しが立った。しかし、高瀨さんはそこで満足しなかった。
「いろいろな方に支えてもらったおかげで、和布刈神社は1800年もの長きにわたり続いてきて、そして未来に向けても整えることができた。でも、全国には同じように経営面で悩んでいる神社がたくさんあります。自分の経験を少しでも役に立てられないかと思い、再び中川政七商店に相談しました」
そして、2022年に「SAISHIKI」という別会社を立ち上げ、全国の神社に対して終活サービスやブランディングの支援を展開。「先方の負担を減らすため」フランチャイズ形式にすると、最初に加盟したのは青森の廣田神社だった。
「たまたま僕が呼んでもらった講演会で、約400人の神主さんにオンラインで話をしたところ、関心を寄せてくれたのが廣田神社でした」。現在は8つの神社をサポート中で、いずれも収益を確保できているという。
「神社なのにお金の話」批判も
全てが順調のように見えるが、もちろん葛藤や逆風もある。
「神社はハレの場というイメージが強いので、弔いを扱うことに違和感を持たれる方もいるようです。また、神社は数字を出して経営するものではないという声も耳に入っています」と率直に語る。
「正直なところ、和布刈神社だけの話ならお金の話はしなかったでしょう。しかし、僕はここで培った経験をもとに、同じ悩みを抱える全国の神社をサポートして、神社が消滅するのを少しでも防ぎたいんです。そのためには数字まで赤裸々に公開することで説得力が増すと考え、批判も覚悟の上で出しています」
現在、和布刈神社のスタッフは12人にまで増えた。当初、高瀨さんの父親は正月と神事のみ表に出て、日常的に働くのは高瀨さんひとり。人手が足りなくなるとアルバイト、さらに2019年からは正社員を採用してきた。採用方針も他とはひと味違う。
「神主ありきではなく、そのときどきに必要なスキルを持つ人を迎えて、神主の資格はあとで取ってもらえばいいと考えています」
前職はゲーム会社や飲食店のエリアマネジャー、県庁職員、外資の人事系など、多様な人が集まっている。「神社の家系ではない人が集まり、神社の仕事に誇りを持って働いてくれるのがうれしい」と語る。
2026年3月には、日本経済新聞社によるスタートアップのピッチコンテスト「NIKKEI THE PITCH GROWTH 2025-2026」で、準グランプリとストライク賞をダブル受賞した。約400社の中での快挙だ。
「神社が直面している課題を世の中の人たちに知ってほしかったんです。神社は異次元の存在のように見られがちですが、消滅の危機があることを一般的なビジネスの文脈で伝えることに意義があると考えました。評価いただいたのは素直にうれしく、ここがスタートだと思っています」
人は目に見えない力に祈りたくなることがある
今後については「自分の子どもたちに継いでほしいと言っていません。子どもたちにはそれぞれの目標を達成するための経験をたくさんしてほしいと話しています」。重要なのは血縁ではなく、「神社を良い状態で次の世代に引き継いでいくこと」と高瀨さんは言い切る。
「どんなに科学やAIが発展しても、人は目に見えない力に祈りたくなることがあるでしょう。心の拠りどころとなる神社は、この先も人々にとって必要だと信じています」
そう語る高瀨さんにとって、神社は単に過去からの遺産ではなく、人の暮らしに機能するために更新し続けるものである。長い歴史を背負いながらも、その意味を問い直し軽やかに常識を超えていく営みは、これからも静かに続いていくだろう。