デマを批判していた人たちが、デマで揉めている件(ちだいさんVS菊池誠さんとかあの辺)
いい歳のジジイになると、やっぱり揉め事に対する味わい方が変わってきた感じがします。若い頃は割と平気で連日焼き肉食べてもそう問題なかったものが、だんだん焼き魚と納豆とみそ汁でいいじゃないか的な好みの変遷が自分でも感じられます。
しかし、私はやっぱり焼き肉が好きなのです。子どもたちと焼き肉にいくと子どもたちと同等以上に食べないと気がすみませんし、ご馳走になる焼き肉は腹の中をカロリー一杯に満たさないともったいない気分になります。
一連の騒動は、非常に脂っこいカルビが網の上にたくさん載った幸せな情景に近い。本来ならこういうのは心の内に留めておくべきものですが、やっぱり焼き肉は好きなので問題のない範囲で触れていきたいと思います。
デマ批判者たちの「内輪揉め」が示すもの
で、SNSでいま、興味深い論争が続いています。
カルトや陰謀論をウォッチしてきた論者たちが、福島第一原発のALPS処理水をめぐって対立しているのです。「いまそれなのかよ」と思わないでもありませんが、面白いのでついつい見てしまいます。議論の片方である物理学者の菊池誠さんは「生体への影響は濃度で決まる。基準値以下に希釈すれば安全」という科学的コンセンサスに立ちます。一方、選挙ウォッチャーちだいさんは「薄めても総量が増えれば環境への影響がある」と主張し、5月19日に大阪のロフトプラスワンウエストで両者が直接対談しました。
酒を飲ませたとかいろいろあったようですが、それ以前にバスクリンなので(重要)、正しい正しくないという論争においては最初から決着がついています。どうもちだいさんは科学理解に必要な量の概念、モル数とかの理解ができない人のようです。単に論争だけを見るならば「本件では」明らかに科学的には菊池さんのご主張・お立場が妥当なのは間違いありません。しかしながら、この論争が面白いのは、内容もさることながら「構造」の部分にあります。
ちだいさんや藤倉善郎さんと共著(『陰謀論と排外主義』扶桑社、2025年)を出している黒猫ドラネコさんは、「処理水についてちだいさんに賛同したことは一度もない」と言います。ところが黒猫ドラネコさんに対しては、ネット上でも「デマを批判する本を、デマを広めていると見なされる人と一緒に書くこと自体がおかしい」という批判が止まらない。要するに「言ってることは正しいのだが、付き合う友人がおかしいし仕事は選ぶべきだ」という話であって、それはそれで妥当な面があります。
この構図を見て、私は「人ごとではないな」と思いました。
人は「すべてを正しく認識すること」ができない
まず前提として確認しておきたいのは、「自分を含め、誰もすべての領域で正確な認識を持てるわけではない」ということです。
菊池さんは放射線科学については卓越した知見を持ちます。物理学者でいらっしゃるのだから、本件への評価は妥当of妥当です。一方、ちだいさんは選挙の現場取材に強い。黒猫ドラネコさんはトンデモ集会への潜入レポートを長年続けてきた。それぞれが「自分の得意な領域」では確かな仕事をしてきた人たちです。バスクリンですし、ちだいさんも馬鹿にされやすい隙はあるのですが、まだ身柄を取られる前の旧NHK党・立花孝志さんやその周辺に対する突撃取材のような選挙記事は、抜群に面白い。腹を抱えて笑うし、そこは高く評価されていいと思うんです。
だとすれば、ある人が「X分野では信頼できる」「でもY分野では疑わしい」というのは、むしろ当然のことです。誰かを「全面的に信頼できる人」か「全面的に信用できない人」かに二分しようとするとき、私たちはすでに思考の罠にはまっています。人間に「正しい」か「正しくない」かのラベルを貼って、信じていたのに裏切られたとかそういうことを起こすのは、ごく単純に認知的不協和を乗り越えられない人間のサガというものでしょうか。
本来あるべきこの「是々非々」とは、この当たり前の事実から出発することだと思います。正しいと思えることは受け取る。たとえ、それがあまり好きではない人物の発言であったとしても。逆に、そうでないものは、それが親しい人の発信であっても、批判的な意見表明はしつつも礼儀正しく距離を置く。そして、必要なときに連絡を取ったり、情報交換ができるようにする。ただそれだけのことです。
「一緒に仕事をすること」の罠
しかし、言うは易く行うは難しい。
私が今回の論争でもっとも考えさせられたのは、黒猫ドラネコさんの置かれた立場です。本人が処理水の件でちだいさんに同調していないとしても、第三者から見て「共著を出した」という事実は重く見られます。長年現場で一緒に活動してきた仲間と本を出す、それ自体は人間として自然な営みです。ところがそこに「是々非々の矩を超えた」と見られるリスクが生まれる。
人は誰かと一緒に仕事をするうちに、その人の誠実さや熱意に触れます。そして「この人のことだから、きっと理由があるはずだ」と思い始める。それが高じると、その人の言っていることが間違っていても、なんとなく庇う方向に動いてしまう。それは、認知的不協和を避けるために人間の無意識がその人への態度や評価を補正することに他なりません。
これは人間として自然な感情です。でも、それは、本来の「是々非々」とは相容れない。
人柄への敬意と、主張への評価は、切り離さなければなりません。「あの人はいい人だから正しいはずだ」は論理ではない。逆に「信頼しているあいつとは仲が悪いから間違っているはずだ」もまた論理ではない。当事者の間では感情的に難しいことですが、発信者としての自分を律する上では、常に意識しておくべき自戒だと思います。
暇空茜方面の陰謀論でもネトウヨ関係やパヨク批判もそうですが、例えば講演したからその組織とはズブズブだとか、同じイベントにいたから、大学が一緒だから、共通の知人がいるから、宴会の写真で仲良く映っている画像があるから、そこには抜きがたい信頼関係があるんだと思い込む現象があります。馬鹿ほどそういうものを純粋に信じてしまう。そして、非常に単純な敵味方に分けて判断しようとするのです。でも、世の中というのはそこまで簡単でも単純でもない、そういうことに気づかなくなるぐらい、ネットというのは図式を単純化して信じようとし、そしてそれが間違っていたとしても修正することはむつかしくなってしまうのです。
「礼儀正しく無視する」という技術
是々非々を実践するとき、もうひとつ大切なのは「批判の仕方」です。
間違っていることを見かけたとき、常に全力で叩かなければならないわけではありません。「この点については同意できない」と明示した上で、それ以上は深追いしない。相手の人格を否定せず、論点だけに絞る。そういう「礼儀正しい距離の置き方」が、長く続けられる是々非々のかたちではないでしょうか。
今回の論争で菊池さんが問われているのも、ある意味でここです。科学的に正しいことと、それを伝える作法は別の話です。対談の場でいいちこを「盛られた」件も含め、論争の熱が高まるほど、正しいことを言っている側の言い方が荒れていくのはよくあることで、その点は自戒するに値します。
とりわけ、処理水の海洋放出について完璧な知識を披露している菊池誠さんにおいてをや、突然財務省陰謀論を語り出し、日本政治は財務省が動かしているという類の話をし始めるわけです。
ここだけ見ると「菊池誠さんアホなんちゃうかな」となるわけですよ。
ALPS処理水で放出されるトリチウムは人体に有害なレベルのものにはならない、とちゃんと理解し主張できる物理学者が、同じアカウントで「財務真理教」とか書いてるわけですよ。これもう分かんねぇなってなるじゃないですか、私でなくとも。
財務省を「日本最大の破壊的カルト」と明確に位置づけたもの(2024年12月31日) 「財務省は荒唐無稽な終末思想に基づいてオウム真理教を遥かに上回る(何桁も違います)数の国民の命を奪ってきたのだから、ザイム真理教と呼ばれるのは当然です。日本最大の破壊的カルトですよ。
財務省を倒すか国民が倒されるかの戦いです。」
結論:是々非々は「自分への問い」から始まる
今回の論争は「陰謀論批判を生業にしてきた人たちが、陰謀論的かどうかで内輪揉めしている」という皮肉な構図です。
もっと言えば、単に「ネットでそういう言論をしている人」という以上に、陰謀論に警鐘を鳴らし、社会正義を実現してきた人たちのはずなのです。
でもそれは、この人たちが特別に不誠実だということではなく、人が集まり、仕事をし、信頼関係を築いていくときに普遍的に起きることでもある、と私は思います。特に、陰謀論やカルト宗教については、簡単に言えば人が死ぬ、人生が壊れるタイプの、シャレにならない問題を内包している以上は、然るべき警鐘を鳴らしてきた黒猫ドラネコさんや藤倉さん、ちだいさんら、界隈の貢献は間違いなく大きいのです。
しかしながら、人間はすべてにおいて正しい情報だけを発信できるものではないという当然の理屈と、こういう人たちが放つ強烈な個性が「陰謀論批判をしていたはずのやつらが、別の陰謀論を外で書いているように見える」という、始末に負えない問題を起こしてしまうことになります。
したがって、自分かて常に正しいわけではないことを充分に理解したうえで、情報を受け取るにあたって「自分は是々非々でいられているか」。
答えを持つ前に、問い続けること。その問いをやめないことが、唯一の道かもしれません。知らんけど。
【補遺】往々にしてあることに対して
仕事柄、投資家や経営者、政治家の皆さんとご一緒することもまた多いわけなんですが、優れた実績を上げた人物と食事をご一緒しているときなどに、ふと別の話題になって、なんか全然賛同できないことを熱く主張されるケースがあります。
例えば「日本は徴兵制にするべきだ」とか「アポロ11号は月に行ってなかった」とか。ぶっちゃけ、割といらっしゃいます。どんなに優れていて尊敬できる人物でも、往々にして「この人、アホちゃうか」というお話をされること、あるじゃないですか。
酒の席とかであれば「なるほどですね」といってスルーすればそれで良いわけですが、うっかりスルーすると「山本さん、先日の『東京大学は全廃するべきだ』という私の議論ですが、ご賛同いただけたかと思うので文部科学省に繋いでいただけないか」などと蒸し返す電話がきたりするんですよ。うわ、本気だったんかい、みたいな。
あくまで、インターネット上でそれなりに知られている人たち同士の諍いだから、黒煙が上がっているのを見ると「なんだなんだ」と野次馬も集まってくるわけですが、本当にごく普通に「コロナウィルスは人工兵器」などとのたまう偉い人たちをどうするのかって切実な問題です。
そして、経営や特定の政策では抜群の成果を上げた有力者は、その方面には強いんだろうけどそれ以外の認知はうんこというのは普遍的です。それに直面したとき、その場は「無視する」でいいと思うのですが、この社会は往々にして「どんな実力者でも、知らない分野で自分の考えを貫こうとするとご自身も周辺も決して幸せにはならない」ことにどう対処すればいいのかが問われ始めているように感じます。
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