会話

1941年から1944年にかけて、ナチス・ドイツに包囲されたレニングラードでは、実に75万人以上の市民が飢えで命を落とした。戦闘による死者はむしろ少数派であり、最大の死因は「栄養性ジストロフィー」と呼ばれる餓死だった。しかし驚くべきことに、同じ極限状態の中でも、なぜかある者は生き残り、ある者は死んだ。その分かれ目はどこにあったのか。 包囲下のレニングラードでは、1942年2月の死亡率が人口1000人あたり約787人という、近代都市としては前代未聞の数字を記録した。 労働者の1日のカロリー摂取量はわずか707キロカロリー、扶養家族に至っては423キロカロリーしか与えられなかった。通常の必要量が3500キロカロリー以上であることを思えば、文字通り死を待つだけの状況だったと言える。栄養性ジストロフィーに冒された人々は、体重が30%から50%も減少し、心臓や肝臓などの臓器は半分以下の重さにまで萎縮した。 しかし、その中で数十万人が生き延びた。なぜか。本書のひとつの重要な示唆は、飢餓への単なる生理学的適応では説明できない「心身医学的要因」の存在である。つまり「生きる意志」の強さや、精神的ストレスへの耐性が、肉体の限界を超えた生存を可能にした可能性があるというのだ。 死の淵にあっても、愛する我が子の声が母親を蘇生させた事例や、看病する妹のために必死に食料を残した少女が、妹の死と同時に力を失って亡くなった事例が紹介されている。病院では、極度の衰弱状態にもかかわらず、ふとしたきっかけで回復のスイッチが入る患者がいた。 問題は、たとえ生き延びたとしても「完全な回復」はありえなかったという点である。 飢餓を生き抜いた子どもたちは、戦後の調査で身長、体重、胸囲すべてにおいて著しい発育遅延を示していた。そして50年以上経った後、彼らは包囲を経験していない同年代と比較して、平均死亡年齢が約1〜2歳若く、男性では複雑な動脈硬化と心筋梗塞の既往が多く、女性では高血圧と2型糖尿病の有病率が有意に高かった。戦争退役軍人病院の剖検データは、児童期の栄養不良が生涯にわたる健康リスクとして刻印されることを実証している。 つまり、レニングラードの包囲は、人間の生命力の限界と、その限界を超えるかすかな可能性を同時に暴き出した、あまりにも過酷な「実験」だったと言える。そしてその爪痕は、生き延びた人々の体内に、半世紀以上もの間、静かに燃え続けていたのである。 — 書籍『Life and Death in Besieged Leningrad, 1941-44』(『包囲されたレニングラードの生と死、1941-44年』) John Barber(ケンブリッジ大学キングス・カレッジ フェロー)、Andrei Dzeniskevich(ロシア科学アカデミー 上級研究員)
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