中国農村に溢れる「放棄された子ども」(後)
この記事は烂尾娃(放棄された子ども)という流行語の紹介の続きです。
中国には「学問が運命を変える(读书改变命运)」という伝統的な成功神話があります。
しかし、現状はその価値観が完全に崩壊しつつあります。
「放棄された子ども」と学問の価値
先に紹介した王建国。彼のような事例は枚挙にいとまがない。
さらに悲惨なケースもある。子どもの進学のために、貯蓄をすべて使い果たした農村家庭だ。
貴州省のある父親は、2人の子どもを大学に通わせるために土地を売り払い、自らは建設現場へ出稼ぎに行った。
60歳という年齢でありながら毎日十数時間も働く日々。
彼の望みは「2人とも大学を出れば、これからの暮らしは絶対に楽になる」だけだった。
しかし、結果はどうだったか。
長男は卒業後に深センで2年間フリーターをしたが、安定した職は見つからず、実家に戻って公務員を目指した。
だが3年受けても合格せず、現在は街の配送センターで荷物の仕分けをしている。
下の娘は教育大学で学び、卒業後に教員採用試験に挑んだが、5回受けてすべて落ちた。
現在は県の私立幼稚園で教諭をしているが、月給は2800元(約5万6000円)。正規職員ではないため、いつでもクビにされる可能性がある。
2人が稼ぐ月給を合わせても、若くして出稼ぎに出た村の同世代の収入に及ばない。
老いた父親には理解できない。彼は息子に問い詰めた。
「お前たちの大学生活は無駄だったのか?」
息子は黙り込む。彼に何が言えるだろう。本当のことを言えば胸が抉られる。嘘を言おうにも、言葉が出てこない。
「学問が運命を変える」
この言葉は、まだ都市部の子どもには通用するかもしれない。しかし、農村の子どもにとって、このハードルは高くなる一方だ。
現在の農村の子どもたちが何に直面しているか、ご存じだろうか。
中学校を卒業しても、高校に進学できるのはわずか半分。高校に進学できても、四年制大学に合格できるのはさらにその半分。
大学に合格できても、その大半は中堅か下位に留まる。そして、これらの学歴は就職市場においてもはやほとんど意味を持たない。
人事が履歴書をスクリーニングする際、最初に見るのは大学名だ。985や211(国家最上位大学)が最優先。
上位大学でなんとか見てもらえるレベル。
中堅?下位?
申し訳ないが、履歴書はそのままゴミ箱行きだ。
農村の子どもが必死に大学に入ったとしても、卒業後にはこの壁が待ち受けている。
彼らは履歴書の書き方も、面接の受け方も、コミュニケーションのやり方も、職場のルールも知らない。
そんなことは誰も教えてくれない。
学校は教えないし、親はもっと分からない。
親子は「勉強さえすれば、優れた人間になれる」と信じていた。
しかし、いざ学び終えてみると、目の前の道は行き止まりだったと気づく。
さらに息が詰まるのは、多くの農村家庭がすでに目を覚まし始めていることだ。
「学問なんて何の役にも立たない、早く出稼ぎに行った方がマシ」
この言葉を私は農村で何度も耳にした。以前ならそんなことを言う人は「見識がない」と罵られたものだ。
しかし今はどうだろう。ますます多くの人々が、その言葉に頷くようになっている。
なぜなら彼らは目撃してしまったのだ。
村で早くに出稼ぎに出た子どもたちが、20代前半で月に5000〜6000元を稼ぎ、30歳には家を買い、嫁を迎え、子どもを育てている。
その一方、親が苦労して育て上げた大学生はどうだろう。30歳になっても実家で親のすねをかじり、結婚相手すら見つけられない。
これでは、親たちはどう思えというのか。彼らは後悔し始めている。なぜあの時、全財産を投げ打って子どもを大学に行かせてしまったのか、と。
河北省のある親は私にこう語った。
「こうなると分かっていれば、中学を卒業した時点で職人芸でも学ばせるんだった。今じゃ左官なら1日500〜600元は稼げる。うちの息子は大学を出ても月に3000元しか稼げない。勉強に何の価値があるっていうんだ?」
耳の痛い言葉だが、反論のしようがない。算盤勘定が、あまりにもはっきり出ているからだ。
大学に行く場合
学費+生活費で4年間に最低でも十数万元。卒業後の月収が3000元なら、年間で3万6000元。食うや食わずで貯金しても元を取るのに4〜5年は必要
大学に行かない場合
16〜17歳で出稼ぎに出て、大学卒業の年齢になる頃には、すでに5〜6年分働いて十数万元の貯えができている
どちらが「得」か。小学生でも分かる計算だ。
だが、問題はそれほど単純ではない。早くに学校を辞めて出稼ぎに出た子どもたちは、本当に幸せなのだろうか?
20代のうちは体力もあり、苦労も厭わないため、工場側もこぞって雇いたがる。しかし30代になると、体が悲鳴を上げ始め、より若い労働者に取って代わられる。
40代になれば、上には老人、下には子どもを抱え、技術も学歴も蓄えもないまま、3Kの仕事を続けるしかなくなる。そして50代以降は?
建設現場で、50代や60代になっても資材を運搬している人々を見れば一目瞭然だ。
彼らも若い頃は「出稼ぎに行けば稼げる」と言われた世代の代表だった。それが今や、全身病気だらけで、年金も医療保険もなく、体が動かなくなるまで働き続けるしかない。
これが学問をしなかった代償だ。ただ、その代償は20〜30年経たないと目に見えない。
だから、学問不要論は決して正しくはない。
ただ「学問が運命を変える」という言葉のハードルが、農村の子どもにとって高くなりすぎているのは事実だ。
かつては、大学に合格しさえすれば運命を変えられた。しかし現在、大学合格は単なるスタートラインに過ぎない。
良い大学に入り、正しい専門分野を選び、本物のスキルを身につけて初めて、都会で足場を築く可能性が生まれる。
ハードルは上がった。しかし、農村の家庭が投入できるリソースは何も変わっていない。これこそが、問題の核心である。
私は、胸が締め付けられるような光景を目にしたことがある。春節に実家へ帰省した際、ある親戚に会った。
彼の息子は大学院を卒業し、上海で月収1万2000元(約24万円)の仕事を見つけたという。
本来なら一族の誉れ、先祖に誇れる快挙のはずだった。しかし親戚の顔に喜びは微塵もなかった。
彼は私に、その理由を教えて見せた。
「息子は毎月の家賃が4000元、食費と交通費で2000元、雑費が1000〜2000元」
「毎月いくら残ると思う?2000〜3000元だよ」
「上海のそこそこ良いマンションは、1平米あたり7万〜8万元、上を見れば10万元を超えるところだってある。息子が飲み食いせず何十年働いたって、トイレほどの面積を買うのがやっとだ」
そして、彼は言った。
「なぁ、俺があいつを大学院まで行かせたのは、一体何のためだったんだ?」
私はどう答えていいか分からなかった。なぜなら彼の言うことは紛れもない事実だったからだ。
農村の子どもが、必死の思いで大学院まで進み、大都会で世間体の良い仕事に就き、毎月1万元以上を稼いだとしても、依然として家は買えず、都会に定住することもできない。
その一方、親は子どもを就学させるために、すでに全財産を使い果たしてしまっている。
その行き着く先は何か?
親は農村に取り残され、老後の資金がない。
息子は都会で、家を買う資金がない。
二世代にわたって、双方が身動きが取れなくなっている。これこそが、無数の農村家庭が今まさに体験している現実だ。
ハイリスク・ローリターン
賭けに勝ったところで、都会でかろうじて「住宅ローンの奴隷」になれるだけ。賭けに負ければ、実家に戻って親のすねをかじることになり、学校に行かなかった者より悲惨な境遇に陥る。
この大博打に、農村の家庭は耐えられなくなっている。
そこら中に溢れ返る「烂尾娃」を生み出したのは、一体誰のせいなのか。
子どもの努力が足りなかったのか?
彼らはもう十分に努力してきた。
小学校から大学まで、十数年ものあいだ猛勉強を重ね、朝の5時に起きて英単語を暗記し、夜の11時を過ぎても問題集を解き続けた。
親に先見の明がなかったからか?
彼らに一体どんな先見の明を持てというのか。
生涯でただの一度も村から出たことがなく、大学の校門さえくぐったことがない人々に、どの分野に将来性があり、どこを進めば道が開けるのか、なぜ分かるというのだろう。
社会が不公平だからか?都会の子どもたちは生まれた瞬間からスタートラインをリードしているが、それは誰かの力で変えられるものではない。
誰も間違ってはいない。
間違っているのはバランスが崩壊したゲームだ。
農村の家庭が手持ちのチップをすべて注ぎ込んでいるにもかかわらず、成功の確率は下がる一方。
「学問が運命を変える」という言葉もいつしか変質し、今や一か八かの全財産を賭けたギャンブルになってしまった。
王建国は今も待ち続けている。息子がいつの日か目を覚まし、外へ出て仕事を探し始めるのを。
彼は急かすことができない。少しでも急かすと、息子が激昂するからだ。だからといって、諦めることもできない。
諦めてしまえば、あの30万元は本当に水の泡になってしまう。彼にできるのは、待つことだけ。
村には、彼のような父親がほかにも大勢いる。
彼らは建物の壁際にしゃがんで陽を浴びながら、1箱5元の安タバコをふかし、互いに問いかける。
「お前んところのせがれ、仕事は見つかったか」
相手は首を横に振る。
そして、共に沈黙する。
その沈黙にはあらゆる感情が詰まっているが
そこに「答え」だけは、どこにもない。
中国社会における流行語は、単なるネットスラングで終わるものと、社会が変化する予兆となるものに二分されます。
私は内巻(無意味な競争)や躺平(寝そべり)が現在の中国の空気を予言したように、この「烂尾娃」も今後の中国を占っている気がします。
これからは、中国の大競争時代は終焉を迎える。そして人々は身の丈に合わせた人生を模索する。そんな未来となる気がしてなりません。
原文 : 在农村,遍地都是"烂尾娃"
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えいちゃんさん、非常に重い現実を丁寧に書いてくださり、ありがとうございます。 30万元という金額は、農村家庭にとって、貯蓄だけでなく借金や親族からの支援まで含めた、人生をかけた投資に近いものだと思います。 それが就職という形で回収できなくなっていく構造は、経済的に見ても本当に厳し…
日本なら、大学に行くのは、ただ生活の為ではなく「幅広い教養を身につけるため」という言い訳がある筈ですが(私は生涯ヒラだったけどSNS時代の今、大学時代の教養のありがたみを痛感しております)、ここでは、それが決定的に抜け落ちていますね。それほどに、中国の労働需要は、激減したということ…
なら大学を出た人は国外を目指すという方向になるのも自然な話か 田舎で老いる父母と都会で身動きの取れない子どもの構図は日本もあまり他人事ではないけどね