愛の五次元ノック(2)〜今、福井の尼僧がアツイ編〜
こちらの記事の続編です。
福井の善性寺でライブを終えての感想は「坂爪圭吾の人間性は最悪だが、坂爪圭吾の読者は最高」と言うことであり、善人に囲まれた素晴らしい時間となった。福井に限らず石川や富山からはるばる来て「会えてよかった」と涙目で言われると、やっぱり感動。皆様めちゃめちゃいい人で、めちゃめちゃいい人だからこそ社会生活で苦しみを抱えたりストレスを溜め込むのだろうなと思った。
十年ぶりの再会を果たした尼僧R様には、父親が違う子供が三人いる。名前を伏せるまでもない。日本海蓮照である。十年前は秋田で主婦をしていたのに、十年間でこの展開である。思うところあって出家し、スキンヘッドにしたものの「やっぱり女を取り戻したい!!」と髪を伸ばし、だけどやっぱり女はスキンだろとなって今に至る。この迷いこそが人間らしい。蓮照は人間を隠さない。
主催の尼僧Y様は「葬式よりも奏式を、死後葬ではなく生前葬をやりたいのだ」と言って、私を呼んだ。坂爪圭吾(私)に会うことは生前葬の一環で、最近のY様は『毎日が生前葬』をテーマに生きている。名を伏せるまでもない。山田善杜である。山田善杜は「葬式一回幾らとか、お経十分読んで何万円とか、仏界の闇は深い。こんなちゃらんぽらんなあたしたちが僧侶になれる危うさ」と言って笑う。僧侶も、最早資格ビジネスなのだ。
私の感覚として、生かそうとしている人ほど苦しんでいるように見える。空き家や廃寺や自分自身など、与えられたものを生かさなきゃとは思うのだが、管理の手間に忙殺されて、維持費や「何もできてない」と言う感覚に苦しめられる。尼僧を前に言うことではないと思うが、恩や義理人情は人間を縛る鎖になる。自分の人生は軽い。他人の人生は重い。羽のように軽やかな命も、誰かの人生を背負うことで一気に重くなる。私は所有を放棄する。何かをやる時、スムーズにことが運ばない時はやり方を間違えたと思って即座に改める。
寂しさの正体は、人肌不足と怒りの蓄積。小難しいことを考えないで『毎日が生前葬』を生きる。会いたい人に会う。やりたいことをやる。言いたいことを言う。片っ端から、心残りを片付ける。頑張る必要はない。頑張るとは、うまく行っていない合図。見事にはまれば、とんとん拍子でうまく行く。これが、我々の言うアジャストである。死にたくなったら俺を見ろ。毎日が生前葬だぞ。万人の道なんてものはない。あるものは一人一人の固有の道。私は私の道を行く。あなたはあなたの道を行け。その道が交差した時、握手でもハイタッチでも何でもしよう。明日から京都に行く。
おおまかな予定
6月1日(月)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
6月21日(日)LIVE@愛知〜愛知に愛を〜
6月27日(土)LIVE@神戸〜サンノミーヤでマンマミーヤ〜【詳細は決まり次第更新します】
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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