「男なら~~」多くが望み、利用される男らしさ ~不可視化もしていく新しい(都合のいい)理想像~
たまにこの画像が流れてくるけど、俺これ嫌いなんだよな。 これとセットになる昔の価値や利益(男尊的なものなど)を復権すらできもしないくせに、この時代に自己犠牲だけ求めようってのが気に入らん。 結果としてフェミ騎士、フェミニスト、リベラル、ナンパ界隈などから搾取されとる。 pic.twitter.com/zep0KNGPYa
— シン・okooさん (@shinokoo20) May 24, 2026
このツイートを先日させていただいたところ、結構な量を反響をいただいた。
たまに流れてくるこの画像は男塾の一場面なのであるが、見ての通り古臭い男らしさをかなり誇張した感じのシーンとなっている。
まあ、過去の作品であり、漫画作品の話なのでこのシーンや作品そのものには特別に書くことはない。
単に過去の作品であり、そういう作風のものだろうというだけであるが、問題はこの作品のようなセリフを、いいように利用している事だろう(しかも、過去の価値を基に戻すこともできないのにだ)。
もちろん、そのままズバンと男らしさを書く人はあまり見かけないが、この画像のような形や画像通りでなくても「男らしさ」に頼る人は後を絶たない。
保守的な価値観を持つものもそうだが、彼らだけではなくリベラル側にも数多く存在する。
あまりに相性のいい「男らしさ」
実のところ「男らしさ」というのは、男性差別を封じるのには、とても相性のいい価値観だ。
それはほんのちょっとのこと、工夫を凝らす必要もほとんどないほど簡単なのに効果の高いスキルであるため、多くのものが利用しやすい。
差別主張そのものが「らしくない」
男性差別や男らしさに対する批判を封じる利用方法について、基本ベースはそれらの主張を「らしくない」として扱うことを主軸としている。
「らしくない」と扱うにあたり、どの男らしさを拾い上げるかだが、例えば「我慢をする事」「弱音を吐くこと」「不利益を訴える事」「自己犠牲と尊ぶ精神」あたりを拾えばいいだろう。
こういった価値を用いることは、相手に「主張をさせない」という結果につなげられる。
こういうことを言うのはみっともない、こういうのは男らしくない。
こういった形で相手の批判を封じる。
差別論では古典的な手法だが、このような形を基本として、実に様々な場面で出してくるのだ。
なぜ、何の関係ないのに「モテない」と騒ぐのか?
男性差別論を実際に語る際、多くの人は相手方の反論に「モテない」というワードを見ることがあるだろう。
慣れている方なら「ああ、また始まった」「まともに反論できない人のレッテル張りか」で終わるもので、相手にするのも馬鹿らしいだろうし、どこかの元女性起業家のように「青筋ピンク」などと嘲笑されるのがオチだろう。
もちろん、そんなことをいったところで現実の事象も変わることもなく、論理的整合性0なので、議論に勝てるわけもない。
だが、それでも懲りずに何度も同じようなことを騒ぐのはなぜだろう?
一度は疑問に思ったはずだ。
では、なぜこんなことを何度もするのかといえば、やはり「こうすれば、男性は主張しなくなるだろう」「こうすれば、相手より優位なポジションをとれるだろう」というマウントに他ならない。
我々としてはバカバカしいのだが、相手としてはこれにどこか信頼を置いている行為であり、こうすることで回りも賛同してくれるに違いないと、どこか考えを置いているのではないか?
でなければ、このようなことを書くメリットもない。
反対に、男性側が女性側に同様のことを書いても、ただのミラーリングか悪口と映るのがほとんどではないだろうか?
過去に類似の記事を書いたが、ひとえに恋愛という部分における「男らしさ」に依存している傾向が見受けられる。
「男らしさ」が溢れる場面で見えた「男らしさへの称賛」
「男らしさ」というものが求められていないと考えたいところだが、ふとそれが出るときというのがある。
過去のnoteを取り上げるとするなら、やはりこれが分かりやすいだろうか。
上記の記事は、過去にパイプカットで否認して欲しいということで、無駄に大バズリしたものだ。
妻の願いを旦那が聞いて実行したというエッセイなのだが、この記事について旦那に対して「自分の意思で行ったから無問題」「妻のことを考えた素晴らしい行為」などといった称賛などあったのは、知っている人は記憶にあるだろう。
この件は間違った医療知識など問題があったが、ここにも「男らしさ」という自己犠牲の精神を求めているのはわかる人はどれくらいいただろうか?
例えば、たった数か月後に出たこの記事は非常に参考になる。
この件は、不妊に悩んでいる人に対して、同意のうえで子宮を移植するという医療なのだが、これに対して多くの反対意見があがったのだ。
しかも、パイプカットの件では旦那側の意思を称賛したものが、この件では提供者の意思を考慮もしないで反対している人物もおり、あまりに大きなダブルスタンダードに衝撃を受けた人もいただろう。
舌の根も乾かないうちに同じ「本人の同意」が問題になる事例で、本人の意思が強制される、そもそも体の負担があっても同意できないと実にさまざまな反対論が見受けられ、情報発信をした医師に多数の反対意見が出ていたのを覚えている。
都合のいい場面では、ふと頼りにしている
上記の事例のように、男性に自己犠牲が生じる場面では、どこか無意識とも呼べるような形で「男らしさ」を求めているのが原因といえよう。
自分にとって、負担になることは避けたいが、相手が一方的に負担になるなら原則的な考えも普通に出てくるし、懸念も碌に考えない。
しかし、見事なまでに自分たちが責任なり負担を負いそうな場面では、簡単に覆した。
これは既に何度も書いているが、ピルなどに絡む避妊の責任が男性に偏っている事(しかも他国と比べても男性の責任を求めている)、HPVワクチンに関して、日本だけなおかつ他のワクチンにはないほど、女性への負担を忌避した事などと同じである。
男女という目線が意識される際、医療関連でもかなり特異な事象を見てきただろうが、女性の責任を避けるために、ふと「男らしさ」に頼ってしまうのだ。
「男らしさ」は明示されるわけではない
そして「男らしさ」というのは必ずしも、明示されるわけではない。
この問題で厄介なのは、実のところは「男らしさ」を求めていても、それを表に出さないのがデフォルトになっている点だ。
先のパイプカットについても明示されているわけではない。
しかし、その裏では実に「男らしい」ことを望んでいるのが見えるかのように動いていた。
そして、それらの動きはなぜ見えにくいのか、よく観察するとそこに「男らしさ」を求めているのか。
具体的な手法を見てみよう。
求めながらも「不可視化」する技術
・言い換えをして、差別との批判を避ける
らしさという言葉を避ける方法としてまず考えられるのは、直接は関係ないワードを用いて、差別という言葉を避ける方法だろう。
ちょうどいい例として、下記のnoteが挙げられる。
内容を要約すると、女子枠で不利益があったとしても、その後の勉強や態度で何とかすべきで、別の大学でも代替可能と言い張り、訴訟をする時間は次のチャレンジの足かせになるから辞めろというものだ。
要するに泣き寝入りしろと言っており、これも「不利益があっても我慢すべき」ということを、遠回しに主張しているのと同じであろう(しかも、医科大の不正には、同じnoteのコメント欄で医学部の場合には違法だというおまけつき)。
もちろん、医学部の場合でも他にも医学部があるといえてしまうため、論理破綻は言うまでもない。
本文中は、序論以外に差別という言葉は出てこず、メイン部分にて差別や男らしさという言葉を出さずに「不満を言うべきではない」という言葉を出してきた。
差別批判を封じるとともに、男らしい我慢・不平不満を封じる実例といえよう。
・権利利用に圧力をかける
また、正面から戦うことができない場面では、権利を利用することに圧力をかければいい。
「モテない」も一つの事例であるが、その他にも女性専用車両も任意協力であるのに「男性は乗るな」というのが分かりやすいだろう。
無論、後者は強制すると違法なのはほぼ確実だからこそなのだが、賛同側からすれば「実効性を担保」する必要が出てくるだろう。
そのために「性犯罪対策・マナー・性犯罪者予備軍・女性が不利益にあっている(から男性はずるい)」などといったもっともらしい理由を用いて、レッテル張りなどを用い、利用に圧力をかける。
同調圧力もいいところだが、自身の利益のためにはどんな手段もお構いなし、反差別論の基本すら否定する言説が、現実には溢れている(しかもアンチフェミ勢力でも、この部分のいくつかに引っかかる人もいるくらい)。
しかも、その内容は男性であるが故(性欲絡み)に扱いに差があって当然、男性は女性を守るべきという結果になる方法という、性差や性役割を幅広く適用するようになっている。
(男性)差別の一丁目一番地のレベルの話だからこそ、その中に男らしさが溢れていると言えよう。
・見ないふりをする
後は、端的に問題があっても、見ないふりをする方法もある。
3K労働といった男性に偏りやすい問題については、そもそも見ないことで問題を解決しないようにしている。
アファーマティブアクションのように、こういった場面で男女の割合を5:5にしろと言わないのは典型的であり、仮に取り上げたとしても、肉体の差を主張して逃げ回るだろう。
もちろん、これらの仕事にて男らしい部分を放棄せよとなった際、やるものがいなくなると困るため、敢えて問題にしないことで結果的に男らしさに頼っていることは言うまでもない。
らしさがないとだめなのに、それには目をつぶってしまうが故に、文字通り男らしさが見えなくなっている。
数多くの男性差別は「男らしさ」が不可視化に貢献した
ここで挙げていない事例以外にも、男性差別に関する話題について「男らしさ」を取り上げることで、差別を回避してきたことに貢献したと言っていいだろう。
男性のことだからこそ、我慢してくれるから取り上げなくていいし、不利益があっても考慮しなくていい。
取り上げていたとしても、それは泣き言や我慢をしない男たちの戯言であるから見なくてもいい。
それらを別の理由やワードを用いて否定して表には出さないものの、結果的に男性差別を取り上げないことに貢献する。
差別解放論に反している内容だが、実のところ差別を認めており、さらにその部分すらも不可視化することに貢献している
差別も男らしさも見えにくくする
男らしさを用いることは、差別論をぶつける際に非常に有用な手段だと思っており、それを利用することで、有効に差別を主張できる道具にしている。
しかし、そのままらしさを主張するのはさすがにはばかられるため、その多くは別の言葉で表現されつつ、時にかなり匂わせるように、時に隠し、時に別の言葉を用いてまるで別のことを話しているかのようにする。
どの様な手段を用いたとしても、行きつく先は「男なら我慢をする」「男ならこういうことを言うのはみっともない恥なことだ」「男はこういう性質だから、こう扱っていい」という部分に帰結する。
(ただし、男性学のように女性や他のマイノリティーなどに不利益がない、
かつ自己完結で終わる話などは、例外的に男らしさの開放が認められる。)
なら、男らしいものを求めるなら、それなりに男である故の利益を出せばいいだろうが、それをしないのは皆の知っての通りだ。
そして、このnoteでも他のnoteでも、どこか最後に「男性」に頼っていると思うような感覚を抱くのは、気のせいでも何でもなく、本当に「男らしさ」に頼っているからに他ならない。
そして、頼っていることに気がついている者だけならまだしも、気が付いていない者含めて求めているから、より分かりにくくなっている。
差別に頼らなければ成り立たないのに、差別を否定しているふりをしているからこそ、最初に紹介したツイートに行きつくのだ。
そして、本noteでも事例をいくつか紹介した中で、特にHPVワクチンについてはかなり悪質な「男らしさ」があるのだが、それはまた次のnoteに譲る。
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