マーファに行きたくなった日─ジャッド|マーファ展─ワタリウム美術館
昨年末、滋賀県立美術館で観たドナルド・ジャッドの作品がずっと心に残っていた。
枯葉の絨毯の上にたたずむ作品
冬景色の中にジャッドの作品が静かに溶け込んでいた。
私を包む冷たい冬の空気すら、作品の一部のように感じた。
ジャッドの展示がワタリウム美術館で開催されると知り訪れた。
引き寄せられている、そう感じずにはいられなかった。
国立新美術館を出て、ワタリウム美術館に向かう。
六本木から表参道へ。
街歩きの中でも特に楽しいルートだ。
住宅街を抜けていきたかったが、思ったより国立新美術館で時間をとってしまったので、最短コースの青山霊園を抜けていくことにした。
すごく不思議な光景だ。
過去が凝縮された四角い塊が整然と広がり、そのまわりを今のエネルギーに満ちた巨大なビルが取り囲んでいる。
ここが都会のど真ん中とは思えないほど、誰ともすれ違わない、しんと静まり返った道をひたすら進んでいった。
突然、都会の喧騒の中に出る。
少し歩いてワタリウム美術館に着いた。
エレベーターで2階展示室へ。
初期の頃、ジャッドは絵を描いていた。
最初に観たとき不思議な絵だな、と思った。
抽象のようだが、じっと見ていると少し居心地の悪さを感じる。
うまく言えないが空間が安定しない。なんだか落ち着かないのだ。
展示室の解説を読み、ジャッド自身もこの“落ち着かなさ”に違和感を抱いていたのだなと思った。
彼は、曲線的で有機的な形や絵の中に生まれてしまう空間の錯覚に次第に飽きていく。
そして、それを取り除こうと試みるものの、どうしても消すことができなかった。
平面であるはずの絵画の中に、奥行きや空間が立ち上がってしまう。
そして彼は、立体へと向かう。
この解説を読み、なんとなく理解できた気がしたが、今ひとつ飲み込めないでいた。
パズルのピースがぴたっとはまらない、そんな感覚。
ジャッドはニューヨークを拠点に活動していたが、やがてそこを離れ、テキサス州の町マーファへと移り住むことになる。
影の重なりが美しい
初期の作品で、ジャッドは赤を好んで使っていた。
黒では輪郭が曖昧になり、白では純粋主義的に見えてしまう。形態を明確に限定するために赤を選んだという。
(上の写真の左側の作品を横から観た)
この建物のデザインに馴染んでいる
階段で上の階へ。
展示の合間に見える建物のデザインにも目を引かれた。
この階では、立体作品が展示されていた。
展示解説を読む。
ジャッドは、素材を別のものに変えてしまうことを避けようとしていた。
塗装はその表面を覆い、素材の本質を隠してしまう。だから彼は、できるだけそのままの状態で用いる。
金属は金属として、木は木として。
そして色もまた、塗るのではなく素材そのものに備わったものとして扱う。
そういうことなのだろうか。
そして、上の階へ。
ニューヨークを離れたジャッドがたどり着いたのは、テキサス州の小さな町、マーファだった。
彼はこの地の旧米軍基地などをリノベーションし、作品と空間が永遠に共存するための場所を作り上げた。
この階では、マーファの「アリーナ」の屋外に独立されて設置されている+字扉の映像があった。
彼は4分割を最もシンプルなグリッドの形と考えていた。
十字扉がゆっくりと回転し、光を受け、影が形を変えていく。
扉が開いた瞬間、その奥にもうひとつの扉が現れる。
その移ろいのさまは息を飲むほど美しかった。
まるでマーファの乾いた空気の中、目もくらむような日差しを受けているようにすら感じられた。
他にもマーファでの作品の数々を紹介していた。
こんな小さな画面ですらこんなに美しいと感じるのだ。
実際この地に立ったとき、何を感じるのだろう。
今すぐにでもマーファに飛び立ちたい気持ちになった。
ワタリウム美術館の創設者、和多利志津子氏が1978年にジャッドを日本に招聘し開催した「ジャッド展」のドキュメント展示もあった。
展示を観終わって思った。
ジャッドは、ただそこにある物を感じて、美しいと思えばいいと言っていたのだ。
あのとき、滋賀の屋外展示でなぜあんなに心が動いたのか、その理由がわかった気がした。
作品に物語を読み解くのではなく、ただ自分が感じることに身をまかせること。
きっとあのとき、私はジャッドと共振していたのだと思う。
窓からは暮れてゆく東京の景色が。
まるで黒い枠の中に切り取られた写真のように、印象的な景色だった。
東京旅は続きます!
また次の記事でお会いしましょう🐈


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