【東大カンナビ収賄事件】最強の知性が自浄失敗 傷口を広げた内部通報窓口と広報の機能不全
社会との対話を放棄した危機管理広報
東京大学大学院医学系研究科の教授が、共同研究業者からソープランドや高級クラブでの接待を受けた収賄容疑で逮捕・起訴された「カンナビ事件」。この前代未聞の不祥事により、東大総長は本年(2026年)1月と4月の2回にわたり、謝罪記者会見を開く事態に追い込まれました。
本件の極めて重大な問題点は、「早期に内部通報と決定的な証拠資料が寄せられていたにもかかわらず、組織が機能不全に陥り、自浄作用をまったく発揮できなかったこと」にあります。結果として報道の連鎖を止められず、最高学府のレピュテーション(社会的信頼)は失墜しました。なぜ東大はこれほどまでに傷口を広げてしまったのか。プロセス検証委員会の報告書から浮かび上がる、広報部およびコンプライアンス部門が果たせなかった役割に焦点を当て、危機管理の観点から考察します。
■教授の性接待、通報放置した東大の言い訳は警察からの指導(RMCAチャンネル:日本リスクマネジャー&コンサルタント協会提供)
*プロセス検証委員会の報告書と東大総長2回目の記者会見
動かぬ証拠を「誹謗中傷」と一蹴した、法務・広報の致命的な初動ミス
事の発端は2023年4月。一般社団法人日本化粧品協会らと東大が契約を結び、大麻由来の化学物質「カンナビノイド」を用いた皮膚治療研究を行う社会連携講座が開始されました。主宰は東大大学院のS教授。しかしその後、S教授は指定機器の購入や、月2回(1回あたり約60万円)に及ぶソープランドや高級クラブでの接待を業者側に強要。実務的なやり取りにはY特任准教授が介在していました。さらに講座開設から1年半が経過した2024年8月、S教授は「1300万円持ってこい。殺すぞ」と現金を要求し、「応じなければ講座を潰す」と恐喝するに至ります。
耐えかねた日本化粧品協会の理事長は、2024年9月17日、東大のコンプライアンス通報窓口(法務課長が管理責任者)へ実名で通報しました。通報内容には、現金の要求や恐喝の事実、さらには「ジャーナリストから、S教授が執務時間中に風俗店に入り浸っている件で取材を受けた」という極めて具体的なメディアリスク情報まで含まれていました。
この時点で、広報・危機管理担当者であれば激甚なレピュテーションリスクを予見すべきです。しかし、驚くべきことにその後の初動は以下の通りでした。
- 9月19日(通報2日後):付属病院長らがS教授にヒアリング。教授が「こちらが被害者だ」と否認。
- 9月24日(通報7日後):オンラインメディアから東大へ最初の取材申し込み。
- 法務と広報の判断:法務課が「通報は誹謗中傷に近い印象である」と評価し、広報課もこれに同意。取材に対して「回答なし(黙殺)」を選択。
内部通報を受け、かつ具体的なメディア露出の危機が迫っているにもかかわらず、加害者の言い分を真に受けて「誹謗中傷」と片付けた判断は、理解に苦しむと言わざるを得ません。世間を揺るがした兵庫県知事の告発文書問題から、東大は何の教訓も得ていなかったのでしょうか。
その後、9月27日には通報者側から恐喝音声のデータ、風俗店の領収書、写真、LINEの履歴など、言い逃れのできない「決定的な証拠」が法務課に送付されました。にもかかわらず、大学側が「誹謗中傷」という認識をいつまで、なぜ維持し続けたのか、報告書を読んでもその根拠は不明なままです。結果、オンラインメディアによる追及は90年代型の連載のように、9月から12月にかけて計6回も継続されることとなりました。
「全学的リスク」と認識しながら、総長報告まで2ヶ月の空白
報告書によれば、コンプライアンス総括責任者は9月27日の時点で法務課に対し、「付属病院への調査依頼」を指示していました。また、この事案が「全学的なリスク事案」であり「レピュテーションに重大な影響を及ぼす」との認識を持っていたことも記述されています。
しかし、ここから組織特有の「セクショナリズム(縦割り弊害)」と「当事者意識の欠如」が露呈します。どこが主体となってどう調査するのか、学内で押し付け合い(すったもんだ)をしているうちに、あっという間に1ヶ月が経過。最終的に総長へ正式な報告が上がったのは、通報から2ヶ月が過ぎた11月15日でした。「重大なリスク」と認識していながら、トップマネジメントへの報告に2ヶ月を要する危機管理体制は、組織として機能しているとは言えません。
通報者側は、のちの記者会見(2026年4月23日)で当時の絶望感を次のように語っています。
「不当行為があれば30日以内に是正すると(大学の規定に)書いてあったので通報し、証拠も提出しました。しかしその後、返事が止まってしまった。どうしようもなくて弁護士と嘆願書を持って総務部に行きましたが、対応した6〜7人の職員は名前も明かさず、名刺もないと言い、嘆願書を受け取るだけでした」(引地功一代表理事)
「コンプライアンス窓口は機能していなかった。事情があって調査が止まっているなら、そう一言伝えてくれれば済む話です。大学の通報窓口が機能していないから、マスコミの皆さんに『助けてください』と悲鳴を上げるしかなかったのです」(高安聡弁護士)
通報者を保護し、組織内で問題を解決するための窓口が、結果として通報者をメディアパブリシティ(告発報道)へと駆り立てる引き金になってしまったのです。
■東大教授の性接待問題 本当の恥部は内部通報窓口だった(RMCAチャンネル:日本リスクマネジャー&コンサルタント協会提供)
*通報側が初公判を終えて記者会見
「警察からの要請」を盾にした、説明責任の放棄と沈黙の5ヶ月
プロセス検証委員会報告書の中で、筆者が最も危機感を抱いたのは、東大側と警察とのやり取りです。
11月5日、警察の担当者が来学した際、総務部長と法務課長が対応しました。報告書には「学内調査の継続の可否を尋ねたところ、内部調査を差し控えるよう回答があった」とあり、東大側は「警察の指示で調査を止めた」と主張しています。しかし、民間の企業不全や企業の不祥事対応において、警察が組織の「内部調査そのもの」を全面的にストップさせるよう要請することは極めて異例です。のちの経緯と比較しても、これは「自分たちが調査をしたくない、動きたくないための免罪符」として警察の存在を利用したのではないか、という疑念が拭えません。
メディアの波濤は止まりません。12月以降、週刊現代(ウェブ版)、週刊文春、朝日新聞、さらには国会での追及、報道ステーションと、翌年5月まで怒涛の報道と質問が続きました。そのたびに法務課は警察に相談し、「警察からマスコミへはノーコメントとするよう要請された」として、内部調査の停止と沈黙を貫きました。
2025年3月の役員会で「何らかのコメントを出すべきだ」との正論が出された際も、方針は変わりませんでした。広報課は法務課の指示に従い、メディアに対して一貫して「お答えできかねます」と言い続けたのです。 「調査中につき」という定番のバッファー(緩衝材)としての言葉すら使わず、事実上の「コミュニケーション拒否」。これは、社会に対する説明責任の完全な放棄に他なりません。
そもそも、公的機関である国立大学法人としての公式コメント発表に、警察の「許可」が必要なのでしょうか。マスコミ対応を警察に相談し、その指示に盲従するという発想自体が、経営陣の「責任放棄」です。すでに社会問題化している状況において、「大学が調査せず、コメントもしない理由」を警察に責任転嫁している姿は無残です。
警察のせいにした「思考停止」を脱するために、いま広報がすべきこと
東大がようやく本格的に腰を上げたのは、通報から実に8ヶ月が経過した5月12日、総長からの具体的な指示によってでした。5月26日に大学側の弁護士チームが警察と面談すると、警察側は「大学が調査するのは問題ない。ただし関係者へのヒアリングの際は事前に確認してほしい」と回答しています。 当初の「内部調査を控えよ」という強硬な姿勢(と東大が主張していたもの)から一転、極めて柔軟な回答です。これが警察の方針転換なのか、それとも当初から東大法務課が「都合よく思い込んでいた(あるいは警察を楯に嘘をついていた)」のかは、報告書からは読み取れません。
プロセス検証委員会は、この東大側の姿勢を厳しく批判しています。
筆者の実務的な視点から言えば、東大の対応は「調査に固執した」というよりも、時系列を見る限り「調査を先延ばしにするための言い訳として、警察を都合よく利用した」という印象が強く残ります。
しかし、これは多くの日本企業や組織が陥りがちな「典型的な思考停止」でもあります。筆者が行う危機管理広報の研修や、実際の緊急事態対応の現場でも、マネジメント層から決まって次のような質問を受けます。 「警察の捜査が入ったら、私たちは何もできないのではないか?」 「記者会見で『捜査中なので何も言えない』と突っぱねていいか?」
答えは明確に「ノー」です。 刑事責任の追及と、組織の社会的責任(説明責任)の全うは、完全に両輪で並行走させるべきものです。法務リスク(リーガルリスク)のみを過度に恐れ、広報ファクターを軽視した結果、組織が沈没する事例は後を絶ちません。
今回の東大カンナビ事件は、「広報部が法務の単なる『スピーカー(伝書鳩)』に成り下がり、レピュテーションマネジメントの観点からトップへ適切な進言ができなかったこと」が最大の敗因です。広報は平時から経営の「ブレーキ」であり「羅針盤」でなければなりません。警察や法務の「一言」に怯えて対話を閉ざさないために、組織は平時から広報を巻き込んだ「有事のシミュレーション(模擬記者会見など)」を重ね、危機管理広報のプロフェッショナリズムを養う必要があると言えます。
■東大総長記者会見どう見えた? 逮捕されるまで待つ必要があったのか、見えなかった本質(RMCAチャンネル:日本リスクマネジャー&コンサルタント協会提供)
*教授逮捕後の1回目の記者会見についての違和感を解説
<参考サイト>
東京大学公式サイト
総長記者会見ノーカット版各報道機関
東大汚職事件 初公判終え代表理事が会見(Abema 2026年4月23日)