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不完全の美はなぜ生まれるのでしょうか? 人から忌避される欠損と、人から受け入れられる欠損の違いとは? 美術のことはお恥ずかしながらよく分かりませんが、ふとトルソーの美学とは何かと疑問に感じました。 サモトラケのニケやミロのヴィーナスは人体の一部を損なっているのにも関わらず、「美しい」と大衆から受け入れられます。 しかし、通常であれば頭部や腕のない状態というのは現実で考えると「グロテスク」だと捉えられがちです。 上に挙げたような彫刻作品はなぜ「美しい」のでしょうか。不完全な美である、アートとしての完成度が高い、以外の具体的な理由が知りたいです。 個人的意見を述べますと、人々はあの彫刻を「人間」ではなく、何か新しい架空の生き物(天使や女神のような、空想上で美しいとされるもの)だと認識するからではないか?と考えました。 例えば、会田誠氏の「犬」のようなリアリティが高く現実に近づきすぎるものはそれ故にショッキングに感じられてしまうが、サモトラケのニケなどは造形がリアルでも、観客はファンタジーだと初見で思うからではないか?と…。 また、前者のような作品はなぜ欠損したかの理由を想像させ、後者は欠損部分を想像させる(どんな腕をしていたのか、どんな顔をしていたのか)の違いも関係しているのではないかと…。 といっても、「リアルなのにファンタジー」=美しいなサモトラケのニケと、「イラストなのにリアリティ」=ショッキングな「犬」の関係性も何だか自分で書いていて正当性がないように感じてきました…。 ぐだぐだと書き連ねてすみません。皆様のご意見をお聞かせください。
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