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歌舞伎とは如何なる演劇か その弐

歌舞伎役者は河原者か 

「歌舞伎は、日本の演劇で、伝統芸能の一つ。1603年に京都で出雲阿国が始めたややこ踊り、かぶき踊り(踊念仏)<チンドン屋と起源は同じ>が始まりで江戸時代に発展し‥」
 ウィキペディアの冒頭には、こう解説されています。

 また、デジタル大辞泉の”河原乞食”の項には
 「歌舞伎が近世初期の京都四条河原の興行に起源するところから、歌舞伎役者などを卑しめていった語。河原者」とあります。

 現在でも、歌舞伎役者を語る上で「河原乞食」と呼ぶコメントが、SNS上にも散見されますが‥
 こうした蔑称が今もって使われ、それに正面切って反論出来なかった、もしくは反論してこなかったことが、原因かと思います。それには、様々な歴史的、時代的制約があったからであろうことは、想像に難くありません。

 大名跡を継いだ役者の中にさえ、蔑称のごとく自らを捉えて憚らず、そうした認識の上に歌舞伎の著書を刊行していた役者もいます。
 伝えられるべき歌舞伎の精神が、伝えられるべき名跡にさえ伝わっていない‥
 そうした現状が歌舞伎界内部にさえあるのも、また事実です。

阿国を生み出した民衆の活力

 歌舞伎が出雲の阿国を祖とすることには、それなりの理由があります。
 阿国は、たまたま戦国末から徳川初期の時代に一世を風靡したからという理由だけで歌舞伎の祖とされている訳ではない、と私は考えています。阿国とは如何なる人物であったか、それに踏み込むと、かなりセンセーショナルな歴史の裏側が暴露されることになるので、ここでは踏み込みません。

 ただ、華々しい芸能者としての経歴を生み出す時代の躍動感。民衆の活力が最大限生かされていた、女性の生き生きとした輝きを容認する時代背景には、注目すべきものがあると思います。
 阿国の活躍の中に、時代の転換期における、日本の活力の源を再認識することは、歴史を考える上で、重要な視点だと私は思います。

 阿国に代表される民衆の活力が、歌舞伎の中心をなす精神のひとつであることは、間違いないと思います。

歌舞伎の精神の源

 今に伝わる歌舞伎の精神
 それは、”武士道とは如何なるものか”という問いに対する、「これだ」という説明がなかなか見当たらないのと同様に、それが如何なるものであるか答えることは、なかなか簡単ではありません。
 無意識のうちに醸成されていった精神を言葉にするのは難しい。日本においては、特にその場の”空気”に左右されてしまい、時と場合によって姿を変えるので、つかみ所がないようにも思われます。
 それをまずは一つ一つ、江戸時代の状況を読み解くことで、考察できないか、試みてみたいと思います。

 歌舞伎は、江戸時代の庶民の演劇である、と解説されることがあります。
 しかし、”庶民”と言っても、阿国の時代を過ぎ、三都で歌舞伎が常設されるようになった時代において、歌舞伎を育んだ客層は、私たちが今イメージする庶民とは、かなり違っているのではないかと思われます。

 江戸時代、人口の八割は土地に縛り付けたれた農民でした。都市には様々な人が出入りし、居住者だけが客層とは言えないまでも、特に官許の劇場に足を運ぶことが出来るのは、富裕層が中心であり、所謂、庶民は、寄席や出版物などの二次媒体で歌舞伎に接することが出来るにすぎないものでした。
 時代や経済の動向により変化はあり、官許の劇場以外にも宮地芝居など、手頃に見ることが出来る小屋もありましたが。
 歌舞伎を考える場合、まずは江戸時代における官許の劇場に目を向ける必要があるのではないかと思います。

 将軍の膝元である江戸には、元禄期、中村座・市村座・森田座・山村座と、四座の官許の劇場がありました。正徳4(1714)年、江島生島事件によって、木挽町にあった山村座が廃絶。しかし、それ以降も他の三座に対しての公認は続きます。

 この官許の劇場に出る役者は苗字帯刀を許されていました。
 苗字を名乗らない、もしくは名乗れない、大名屋敷などに出入りする役者とは、身分的に明らかに違いがありました。

 苗字帯刀に関しては、武家のみならず、百姓、町人などにおいても全面的に禁止されていたものではなかったようです。それは、おそらく、天下がどのように統一されていったのか、その過程で貫かれた精神を、為政者側も、被治者側も伝えていたからこそのことだと、私は考えています。

 また、公に許された「仇討ち」も、武士のみではなく、時代が下ればむしろ、町人などが行う場合もありました。筋が通ったことに関しては、身分を越えて「人としての美学」に昇華し、為政者側だけでなく、被治者側にもそれは浸透していきました。身分によって分断されていない精神が醸成されていく風土ともいえる特質が、もともと日本社会にはある、と言えるのだと思います。

 「田沼時代」とさえ言われる一時代、幕政を主導した田沼意次の父親は、足軽出身で、武家に生まれた人ではありませんでした。
 江戸時代は、動かしがたい身分制の上に成り立っていたように考えがちですが、実力さえあれば、そうした人材を取り立てる風習も、根強くあったのだと思います。

物申す被治者のメディア

 話を戻しますが、将軍の居城からさほど遠くない、木挽町(森田座)や堺町(中村座)葺屋町(市村座)で、芝居の興行が認められていた。そのことは、まず記憶にとどめておいて欲しいところです。

 江戸時代、風紀の引き締めや、質素倹約を奨励する動きは、享保の改革からすでに始まっていたことです。寛政からの改革から、さらに天保の改革にかけては、本来でしたら、世の中の矛盾に目を向け打開へと向かって悪戦苦闘していなければならなかった時代だったと思います。にもかかわらず、為政者側は場当たり的、もしくは問題の本質に目を向けないまま、幕府に対する批判を押さえ込み、それを激烈化することしか、出来ませんでした。

 殊に、天保の改革では、庶民のメディアの中核をなしていた寄席が、大打撃を受けました。
 官許の劇場でさえ、遠山金四郎景元(俗に言う、遠山の金さん)の奔走により辛うじて廃絶だけは免れた、というのが実情です。廃絶は間逃れましたが、当時の江戸の中心地から遠く離れた浅草の地へ、移転させられてしまいます。
 天保12年に移転した中村座と市村座は、その直前に火災により芝居小屋を焼失していました。天保14年に移転した森田座も資金繰りに窮して休座をしていた時でした。

 官許とはいえ、「火事と喧嘩は江戸の華」とはいえ、江戸時代を通じて、江戸の芝居小屋の焼失は、非常に高い頻度で起こっていました。
 そのためだと思います。芝居は、かえって恒久的な劇場を自ら欲さず、再建しやすい小屋がけのを維持し続けていた、と私は考えます。

 当時の歌舞伎芝居は、被治者側のメディアの頂点に位置していたと言えます。そんな歌舞伎では、どんな芝居が上演されていたのでしょうか。それを見ていきましょう。
                        2023.8.22

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