Ask_Questioner
u/Ask_Questioner
ありがとうございます。少しだけ焦点を絞ります。
私が問いたいのは、あなたが「矯正したい」と思っているかどうかではありません。 むしろ、あなたが善意で支援・援助・損害防止を考えていることは理解しています。
ただ、本人が望んでいない介入(治療や支援、援助)である場合、その介入は、意図が善意であっても、構造としては本人の選択や存在様式への外部的侵入になるのではないか、という点です。
たとえば本人が「そのままでよい」「変わりたくない」と考えている場合、治療・支援・援助によって変化した状態は、本人が望んだ状態ではなく、支援者側が望ましいと考える状態ではないでしょうか。
もちろん、他者への差し迫った危険がある場合には介入が必要になることは理解できます。 ただその場合、それは「本人のための治療や支援」というより、「社会防衛」や「社会への損害防止」と呼ぶ方が正確ではないでしょうか。
私が気になっているのは、治療・支援・援助という善意の言葉によって、本人が望まない変容を促すことの侵襲性が見えにくくなっていないか、という点です。
さて、最後の問から一週間が経過しました。ご迷惑でなければ追加の問を。この対話の場で使用されている「治療」と言う言葉には、二種類の意味が込められているように見えます。一つは所謂疾病と言われるものからの罹患からの回復補助行為。もう一つは、外部からの侵襲的矯正行為。心理的にはこの二つを分かつのは、「治療」主体の要請になるのではないでしょうか。この事象を考える例題としては、ある宗教教義に基づく輸血拒否があります。この場合、対外的な直接影響が限定的になっているので純粋に医療倫理の内部葛藤として立ち現れます。さて、この事例と比較してあなたの言う治療を求めているのは少年Aなのか、それともあなた(を含む社会)なのか。もし、あなたならその「治療」は少年Aへの外部からの侵襲的侵害では無いでしょうか。この問はあなたがご興味をもたれている、心理学、哲学的な対話として、意味があるものかと思います。
問い返しをありがとうございます。分かりやすいコメントですね。このコメントの焦点はここにあります。「その人の認識が歪み」←ここです。これは「誰が」決めるのですか?そして「何故決めることができる」のですか?たとえ話をします。虫を愛でる姫がいたとします。周りのみんながそれはおかしいといいます。父たる国王も、母たる王妃も、兄たる王子も、重臣たる宰相も果ては街のパン屋さんの店番の少女もです。そして、父たる国王は姫を不憫に思い、「おまえの認識は歪んでいる。だから治療する」と言い、認知療法を専門家に任せました。姫は認知療法のかいがあって、虫を愛でることができなくなりました。さて、この話をみてどう思いますか?この話が変であると思えるなら、何故、少年Aの治療が許されて、姫への治療が許されないと思いますか?
ヴィトゲンシュタインの事態について、事実は成立している事態とあり、諸対象の結合を事態と言っている。そうすると事態の記述である命題としての「石が机の上にある」は本当に机の上に石があれば事実として成立し、なければ事態に留まると言うことになる。では、「IPUが目の前にいる」と言う命題は事実でないことは明らかだが、事態には留まり得るのであろうか?
まずは、真摯な問い返しをいただけたことに、お礼を申し上げます。そして、誰かを裁こうとされておられないことも理解しておりますし、犯罪心理学にご興味があり学ばれておられることについて非難をしているものでもございません。この点はご理解くださいませ。さて、論点を若干整理いたします。犯罪心理学的にある傾向を示す存在を認識した時に、その傾向に対して取り得る対応が論点になっています。その対応として「治療」を選択するときに、その選択は相手の傾向つまり心的構成に直接踏み込むことになるのではないかと言うことです。その存在を拘束したり排除したりすることは、傾向には踏み込まず傾向による結果への対応に留まり、心的構成には直接踏み込みません。しかし、「治療」はその存在の心的構成を治療者が理解できるもの、つまり良いと判断できるものに直接的に改変を加えるものです。ここで大事なことは改変を加える判断自体が、心的構成の許容可否の衣を被った優劣を前提としていることです。心的構成はその存在が存在たる最終領域かと思います。本人が変容を望んでいるならまだましも、望んでいないのに「治療」をしようと考えてしまうのは、心理的に優劣の判断をしてしまっているのでは無いでしょうか。ここで難しいのはこの判断は善意と言う衣を被っていることです。この衣は判断しているということが擬態している姿には見えませんでしょうか。
非常に興味深い対話なのでご迷惑でなければ続けさせてくださいませ。では、まず、心理的な話かどうかについては、私も自己認識という心理的な話をしておりますので、同じ地平には立てていると思いますので、ご安心ください。で、自分の状態を理解して対処するという点においては、少なくとも皆さん自分の状態をその方なりに理解して行動決定という対処をされていると思います。その対処について、他者がどのような判断をするかは、当人の意思や理解からは独立していると言えると思います。(当人が崖に向かって歩くのが正しいと行動決定していることに対して、当人の判断とは関係なく他者が危ないと判断する感じです)そうすると、状況を理解して対処できていないと他者が判断すること自体が、当人の判断を蔑ろ、もしくは当人の判断より自分の判断の方が優位または正当であると言っているのと同じことになりませんでしょうか。
不思議なことに貢献カウントが0になりました。どのような法則なのでしょうか。
自然権として存在すると言われている権利として生存権があると思うが、サーベルタイガーの前に佇む主体はサーベルタイガーに対して私には生存権があると主張できるのだろうか?もしできないのであればそれは単なる黙示的な契約でしか無いのではないのだろうか?
認識するから実存するのか、実存するから認識するのか。さて、どちらだろうね。
権利は自然権利として初めからあるものだと言う言説があるが、サーベルタイガーの前に立ち竦む人はサーベルタイガーに自身の生存権を主張できるのだろうか?
このスレッドがゲームの話になっているのでゲームで話すのだけど、あなたが今いる世界は巨大なリアルタイムストラテジーゲームのゲーム盤って気づいているかな?私やあなたはその中の一ユニットだよ。但し、幸いなことにメタなゲームプレイヤーはおらず、あなたの行動はあなたが決めることができる。あなたがこのゲームの中でどのくらいのスペックをもって行動できるかはあなた次第だよ。また、異世界ものにあるような明確なレベルはないけど、勉強や実務経験によるステータス強化はできるようにもなっている。ステータスの差異は選択可能性に影響して、ステータスが強化されればされるほど、選択可能性は増えるのは明らかだよ。あなたは、30分を何に投資するのかな?
認識したから実存するのか。実存するものを認識するのか。