異端者たちが立てこもったカルカッソンヌ城 photo/iStock
異端者たちが立てこもったカルカッソンヌ城 photo/iStock

カタリ派に入信するためには、明確な意思をもっていなければならない。幼児や、意識の混濁した重病人には、その資格はない。そして、苛酷な苦行生活に耐えられるかどうかの試練に合格する必要もあった。そのうえで、信者が主宰する祭式「救慰礼(コンソラメントゥム)」を受けて入信が認められるのだ。

入信の制限は厳格で、希望者をみな受け入れるような寛容さはなかった。それというのも、一度救慰礼をうけた後に、あの過酷な禁戒にふれたならば、永遠に救済される余地がなくなるからだった。

カタリ派が立てこもるアヴィニョン城に攻め入る軍隊
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救済を得るための「裏ワザ」

しかし、実は、いとも簡単に入信が認められる方法がこの他にあった。教理的には例外的だったが、実はこのケースが圧倒的に多かったらしい。それは、死期の迫ったことが誰の目にも明らかな、しかし、まだ意識を失わない重病人や重傷者に対する救慰礼である。

〈この場合には、回復の見込みのないことが入念に確かめられる。理由は、さきに見たとおりで、生きのびた場合に苛烈な戒律を守り抜いて恩寵を失わない資質は、まず常人には期待できなかったからである。(中略)病床で信者となったものが積極的に自殺を求めたり、また異端者が殺人的な断食を課したりする理由も、おそらくそのあたりにあったであろう。死を覚悟して救慰礼を受けたのち、不幸にして(!)回復した悲劇も、むろん、ないではない。〉(『カタリ派とアルビジョア十字軍』p.159)

しかし、臨終の床でにわかに入信を思い立っても、許されるわけではない。生前、長く異端者と接触してその教説に深く帰依し、支持した実績のある者だけが入信できた。この狭義の異端者と支持者、すなわち、「完徳者」と「帰依者」の区別は歴然としており、精鋭たる完徳者の周辺に群がる膨大な帰依者の存在が、南フランスでの大きな社会的な問題だったのだ。

しかもカタリ派は、自らにほとんど自殺的な戒律を課しながら、帰依者に対してはきわめて寛大だった。妻帯肉食は無論のこと、戦闘で敵を殺傷する兵士も、高利貸しも屠畜業者も、普通の日常生活が許された。それだけではなく、いわゆる不倫や、情人との同棲も、関係が固定されていない分、結婚よりも罪が軽いと考えられていたふしがある。放埒な生活を送る帰依者のもとに、完徳者が宿を借り、保護を受けていた例も多いという。

〈完徳者と帰依者との関係は、聖職者と平信徒のそれではない。あくまでも、信者と未信者の関係と見るべきである。とすれば、完徳者が帰依者の生活態度に対して寛容だったのも、至極当然のことだ。いや、それを寛容というのは誤りかもしれない。むしろ無関心と見るべきであろう。〉(同書p.167)

つまり、現世を否定する信者たちが厳しい戒律を実践するいっぽう、信者未満の者たちは現実の生活をそのまま認められ、教義に深く帰依し支援してきた実績があれば、死期が迫ったときに秘蹟を与えられて救済への道が開ける――というわけだ。

こうして領主から農民まで、広い階層の人々の支持を得たカタリ派は、ローマ・カトリック教会という権威にとっては脅威であり、「異端」として激しく弾圧されたのである。

※カタリ派弾圧の凄惨な戦いについては、関連記事〈ヨーロッパ内部に向けられた十字軍の惨劇! ローマ教会が恐れた中世キリスト教最大の異端「カタリ派」とは。〉をぜひお読みください。

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