イノベーション実現の鍵は「移転」にある

とてもありがたいことなのですが、相変わらず講演や研修の依頼が引きも切りません。中にはとても難しいテーマ・・・その時点での知的ストックだけではズバッとお答えできないご依頼も含まれているわけですが、基本的にスケジュールが許す限り、こういったお話はできるだけ受けるようにしています。

なぜかと言うと、そういった「その時点では答えることが難しいテーマ」ほど、あとで著作や論文のネタになることが多いからです。

これは以前、何かの著作に書いたことがありますけれども、人生におけるチャンスと言うのは、自分に迫り来るときには、わかりやすく「チャンスという顔」はしていないことが多く、むしろ大体は「大変そうな仕事」「面倒くさい仕事」という顔をして迫り来るわけです。

で、その「大変な仕事」「面倒くさい仕事」に取り組んでいるうちに、そこで新しい気づきや洞察が生まれて、それが自分の知的基盤を厚くして、後の著作や論文のネタになっていく。

つまりチャンスというのは、面前からみると「面倒くさい仕事」として迫りきて、そこに格闘してい過ぎ去っていくと、背中に「チャンス」と書いてある、ということです。

そういう経験を何度もしたことから、お受けする時点で回答のはっきりしない、難しいテーマの講演や研修というのを、できるだけお受けしているわけですが、今回もまた、さるIT系企業様での大型イベントで講演をさせていただくことになり、準備のために考えたことを共有したいと思います。

先日、「イノベーションの類型化」というテーマで、次の記事を上げました。

あらためて、この記事で紹介した基本的なフレームをここで共有します。

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よく「イノベーション、イノベーション」と言われますが、イノベーションには、

A:新しい問題 × 新しい解決方法
B:新しい問題 × 既存の解決方法
C:既存の問題 × 新しい解決方法

があり、それらを実践する上では、次のようなアプローチが考えられる、という話でした。

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で、前回の記事はこの時点で止まっていたわけですが、さらに考察を深めると「新しい問題の生成」においても、「新しい解決策の考案」についても、多くの場合「移転」がキーワードになるのではないか、と思ったわけです。

「新しい問題」は「未来の問題」を現在に移転することで生成される

イノベーションというと、私たちはしばしば「新しい技術」や「新しい製品」を思い浮かべます。しかし、イノベーションの起点にあるのは、必ずしも新しい技術ではありません。むしろ、その前にあるのは「新しい問題」です。

では、新しい問題はどこから生まれるのでしょうか。

ここで重要なのは、人間の身体や生理的欲求は、そう簡単には変わらないということです。人間は昔から、食べたい、眠りたい、移動したい、つながりたい、認められたい、安心したい、楽をしたい、退屈を避けたいと思ってきました。こうした根本的な欲求や不満は、古代から現代まで、それほど大きく変わっていません。

だとすれば、「新しい問題」とは、人間の欲求そのものが新しくなることによって生まれるのではありません。

変わるのは、人間ではなく、人間を取り巻く環境です。

社会が変わる。
技術が変わる。
人口構造が変わる。
家族の形が変わる。
働き方が変わる。
都市の姿が変わる。
倫理観が変わる。
地球環境の制約が変わる。

こうした外部環境の変化によって、以前は問題ではなかったことが問題になり、以前は一部の人だけが抱えていた不便が、多くの人にとっての不便になります。つまり「新しい問題」というのは、高度に社会の文脈=ソーシャル・コンテキストに依存するものなのです。

たとえば、環境負荷の高い消費は、かつては大きな問題として認識されていませんでした。しかし、気候変動や資源制約が深刻化するにつれて、「安いから買う」「便利だから使い捨てる」という行動そのものが、倫理的・社会的な問題として意識されるようになりました。

あるいは、高齢化社会においては、移動、医療、介護、孤独、金融、住宅といった領域に、これまでとは異なる種類の問題が生まれてきます。人間の身体が変わったのではありません。社会の年齢構成が変わったことで、従来の仕組みが合わなくなっているのです。

つまり、新しい問題は、未来の社会構造の中で顕在化します。

したがって、イノベーターに求められるのは、単に現在の顧客の不満を聞くことだけではありません。もちろん、それも重要です。しかし、それだけでは「いま既に言語化されている問題」しか見つかりません。

本当に重要なのは、未来の社会において大きな問題になるものを見抜き、それを現在に持ってくることです。

これは、いわば「未来から現在への問題の移転」です。

多くの人がまだ気づいていない。
あるいは、気づいていても重要視していない。
しかし、社会がこの方向に進むならば、やがて多くの人にとって深刻な問題になる。

そのような未来の問題を、現在の市場に前倒しして提示すること。ここに、イノベーションの一つの起点があります。

ウォークマンは何を移転したのか

この観点から見ると、ソニーのウォークマンは非常に興味深い事例です。

ウォークマンは、技術的に見れば、まったく無から生まれた発明ではありません。カセットテープも、小型再生機も、ヘッドホンも、既に存在していました。つまり、解決手段を構成する要素は、ある程度「古い」ものでした。

しかし、ウォークマンが新しかったのは、問題設定です。

それまで音楽は、家で聴くもの、車で聴くもの、あるいはステレオ装置の前で聴くものでした。ところがウォークマンは、「歩きながら、移動しながら、個人的に音楽を聴きたい」という欲求を顕在化させました。

これは単に小型の再生機を作ったという話ではありません。

都市化が進み、人々が通勤・通学・移動の時間を多く持つようになる。個人化が進み、自分だけの世界を持ちたいという欲求が強まる。公共空間の中にいながら、自分だけの私的空間を作りたいという感覚が生まれる。

ウォークマンは、そうした未来的なライフスタイルの問題を、現在に持ち込んだ商品だったと言えます。

つまり、ウォークマンの本質は、「音楽を再生する機械」ではなく、「移動中の個人に私的な音楽空間を与える」という新しい問題設定にありました。

これは、まさに「未来から現在への問題移転」です。

新しい解決策はどこから生まれるのか

一方で、もう一つの課題があります。

それは、新しい解決策をどう生み出すかです。

ある問題が既に認識されているにもかかわらず、なかなか解決できない場合があります。なぜ解決できないのか。多くの場合、その理由は、問題に取り組む人たちが同じ知識体系、同じ業界常識、同じ技術的前提の中に閉じ込められているからです。

鉄道の問題を、鉄道の知識だけで解こうとする。
医療の問題を、医療の知識だけで解こうとする。
教育の問題を、教育の知識だけで解こうとする。
行政の問題を、行政の知識だけで解こうとする。

もちろん、専門知識は重要です。しかし、専門知識はしばしば、その領域の「常識」も同時に作ります。そして常識は、問題解決の範囲を限定してしまいます。

そこで有効になるのが、他社、他業界、異分野から知識を持ち込むことです。

これは「空間的な移転」あるいは「領域を越えた移転」と言えます。

ある領域では既に解決されていることが、別の領域ではまだ解決されていない。
ある業界では当たり前の技術が、別の業界ではまったく使われていない。
ある企業では標準的なプロセスが、別の企業では革新的に見える。

イノベーションは、このような「既にどこかにある解決策」を、まだ使われていない場所へ移すことで生まれることが多いのです。

新幹線は、なぜあの時代に生まれたのか

この意味で、新幹線の開発は非常に象徴的です。

新幹線は、日本の高度成長を象徴するプロジェクトであり、鉄道技術の勝利として語られることが多い。しかし、これを単に「鉄道技術の進歩」として見るだけでは、その本質を見誤ります。

新幹線の実現には、鉄道の内部に閉じた知識だけでなく、航空機の分野で培われた知識が大きく関わっていました。

高速鉄道を実現するうえで大きな課題の一つだったのが、高速走行時の振動や安定性の問題です。列車が高速化すればするほど、車体や台車の挙動は複雑になり、脱線のリスクも高まります。この問題を、従来の鉄道技術の延長線上だけで解こうとすれば、限界があったでしょう。

そこで重要になったのが、航空機の分野で培われた振動制御や構造設計の知識でした。

では、なぜ当時の日本で、航空機の知識が鉄道に流れ込んだのでしょうか。

背景には、戦後日本の特殊な状況がありました。敗戦後、GHQによって日本では航空機の研究開発が禁止されました。その結果、戦時中に航空機の開発に携わっていた技術者たちは、それまでの専門領域を離れ、鉄道、自動車、造船、電機などの民生分野へと転換していきました。

つまり、戦後の混乱と制度的な断絶が、結果として人材の大規模な移動を生み出したのです。

これは、単なる偶然ではありません。

航空機という領域で高度な知識を蓄積していた人材が、鉄道という別の領域に移動した。そのことによって、鉄道の中だけでは生まれにくかった発想や技術が、新幹線の開発に持ち込まれた。

ここで起きていたのは、技術の移転であると同時に、人材の移転でした。

知識は、抽象的な情報としてだけ移転するわけではありません。多くの場合、知識は人に宿っています。経験、勘所、失敗の記憶、判断の癖、身体化された技術。それらは論文やマニュアルだけでは運ばれません。それを担っている人が移動することで、初めて別の領域に移転される。

新幹線があの時代に生まれた背景には、戦後の混乱期における人材の流動性と越境性がありました。

言い換えれば、新幹線とは、鉄道技術だけの成果ではなく、航空機技術が鉄道へと「越境」した成果でもあったのです。

以上の考察をスライドにまとめると、次のようになります。

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移転の主体は、人である

ここから重要な論点が見えてきます。

イノベーションにおいて「移転」が重要だと言うとき、私たちはつい、技術や知識の移転を考えます。しかし、実際には、技術や知識だけが自動的に移転するわけではありません。

移転の主体は、人です。

人が移動する。
人が越境する。
人が異なる分野を経験する。
人が別の世界の言葉を翻訳する。
人が、ある領域で得た知識を、別の領域の問題に接続する。

このプロセスがあって初めて、知識は生きた形で移転されます。

したがって、イノベーションを促進するうえで重要なのは、研究開発投資の額だけではありません。もちろん資金は重要です。しかし、それ以上に重要なのは、人材がどれだけ流動し、どれだけ越境し、どれだけ異なる文脈を経験しているかです。

同じ会社に長くいることが悪いわけではありません。専門性の蓄積には時間が必要です。しかし、人が一つの組織、一つの業界、一つの専門領域に固定されすぎると、知識は深まる一方で、横に動かなくなります。

そして、知識が横に動かなくなると、イノベーションは起こりにくくなります。

なぜなら、新しい問題も、新しい解決策も、移転によって生まれることが多いからです。

新しい問題は、未来の社会から現在へと移転される。
新しい解決策は、他者や他業界から自社・自業界へと移転される。
そして、その移転を担うのは、越境する人材です。

安定した社会では、なぜイノベーションが停滞するのか

このことを踏まえると、社会が安定的になり、人材の流動性が下がった社会でイノベーションが停滞するのは、ある意味で当然だと言えます。

安定した社会では、人は同じ組織に留まりやすくなります。
同じ業界の中でキャリアを積みます。
同じ専門領域の中で評価されます。
同じ言葉を使い、同じ常識を共有し、同じ問題設定の中で仕事をします。

それは、効率性や安心感を生みます。組織運営も安定します。既存事業を磨き込むには、むしろその方が有利な場合もあります。

しかし、その安定性は、同時に移転を阻害します。

未来の問題を現在に持ち込む人が少なくなる。
他業界の知識を自分たちの領域に持ち込む人が少なくなる。
異なる常識を翻訳する人が少なくなる。
領域と領域の間に立つ人が少なくなる。

すると、社会全体として、既存の問題を既存の解決策で処理する能力は高まっても、新しい問題を発見し、新しい解決策を組み合わせる能力は低下していきます。

これは、いわば「安定の罠」です。

安定は、短期的には秩序を生みます。しかし、過度の安定は、長期的には越境を減らし、移転を妨げ、イノベーションを停滞させることになる。

もちろん、混乱が常に良いわけではありません。戦争や災害や制度的断絶を肯定することはできません。しかし歴史を振り返ると、大きな社会変動のあとに、異なる分野の人材が混ざり合い、新しい産業や技術が生まれることは少なくありません。

重要なのは、混乱そのものではありません。重要なのは、固定化された人材配置が崩れ、知識が別の場所へ移転することです。

だとすれば、平時の社会においても、意図的に人材の流動性と越境性を高める仕組みを作る必要があります。転職、副業、兼業、越境学習、産学連携、異業種交流、社外プロジェクト、リカレント教育、地域間移動、国際経験。こうしたものは、単なるキャリア形成の手段ではありません。

それらは、社会全体のイノベーション能力を維持するための「知識移転のインフラ」なのです。

問題は時間を越境し、解決策は領域を越境する

ここまで見てくると、イノベーションの生成には、二つの越境があることがわかります。

一つは、時間の越境です。
未来の社会で大きくなる問題を、現在に持ってくる。

もう一つは、領域の越境です。
他社や他業界にある解決策を、自社や自業界に持ってくる。

言い換えれば、

問題は時間を越境し、解決策は領域を越境する。

そして、その越境を担うのは人です。

多くの企業は、現在の顧客、現在の市場、現在の競合、現在の業界常識の中でイノベーションを考えようとします。しかし、それでは見えてくる問題も、使える解決策も限られてしまいます。

新しい問題を見つけたければ、未来を見なければならない。新しい解決策を見つけたければ、外を見なければならない。そして、その未来と外部を現在の自分たちの場所に持ち込む人が必要になる。

未来を見ずに現在だけを見ると、既に顕在化した問題しか見えません。
外を見ずに内側だけを見ると、既に試された解決策しか出てきません。
人が動かなければ、知識も動きません。

だからこそ、イノベーションには「移転」が必要なのです。

生成AI時代に、なぜこの視点が重要なのか

ここで、前回の生成AIの話に戻ります。

生成AIは、すでに存在する情報や知識を高速に引き出し、組み合わせ、言語化することに非常に優れています。その意味では、生成AIは「解決策の移転」を支援する強力な道具です。

ある業界で使われている考え方を、別の業界に応用できないか。
ある学問領域の概念を、経営や教育や福祉に転用できないか。
ある歴史的事例を、現代の組織課題に読み替えられないか。

こうした探索において、生成AIはきわめて有用です。

しかし、ここで注意しなければならないことがあります。

生成AIは、過去に蓄積された情報をもとに応答します。したがって、「既にどこかに存在している知識の移転」には強い一方で、「未来の社会において何が問題になるのか」を本当に見抜くには、人間の構想力、批判的思考、価値判断が不可欠です。

未来の問題は、まだ十分にデータ化されていません。まだ市場調査にも現れていません。まだ多くの人が言葉にしていません。だからこそ、未来の問題を現在に持ってくる仕事は、生成AIだけでは完結しません。

そこには、「この社会はどこへ向かっているのか」「この変化の先に、どんな不満や不安や欲求が生まれるのか」「まだ誰も問題だと言っていないが、実は問題になりつつあることは何か」と問う、人間の想像力が必要です。

さらに言えば、その想像力もまた、単独の個人の頭の中だけで生まれるものではありません。

異なる世界を経験した人。
複数の領域を行き来してきた人。
中心ではなく周縁にいた人。
既存の業界の常識に違和感を持てる人。
別の社会、別の文化、別の専門領域の言葉を知っている人。

そういう人たちがいることで、組織は初めて、未来の問題や異分野の解決策を認識できるようになります。

生成AI時代において人間が担うべき重要な役割は、単に答えを作ることではありません。むしろ、問いを作ることです。そして問いを作るためには、同じ場所に留まり続けるだけでは不十分です。

越境が必要なのです。

イノベーターとは、移転する人である

イノベーターとは、まったくの無から何かを生み出す人ではありません。

むしろ、まだ結びついていないものを結びつける人です。

未来の問題を、現在に持ってくる。
異分野の解決策を、自分たちの領域に持ってくる。
遠くにある知識を、近くの課題に接続する。
まだ誰も関係があると思っていないもの同士の間に、関係を見いだす。

その意味で、イノベーションとは「創造」であると同時に、「翻訳」であり、「編集」であり、「移転」でもあります。

そして、この移転を担うのは、抽象的なシステムではありません。人です。

人が移動するから、知識が移動する。
人が越境するから、問題設定が変わる。
人が異なる領域を経験するから、解決策が組み替わる。
人が固定されると、知識も固定される。
知識が固定されると、イノベーションも停滞する。

だから、イノベーションを本気で考えるなら、人材の流動性や越境性を単なる労働市場の問題としてではなく、社会の創造性を左右する基盤として捉えなければなりません。

前回の記事で、私は生成AIを部品サプライヤー、著者を完成車メーカーになぞらえました。

今回の文脈で言えば、イノベーターもまた完成車メーカーです。

ただし、その部品は自社の倉庫の中だけにあるわけではありません。未来の社会にもあり、他業界にもあり、歴史にもあり、自然科学にもあり、芸術にもあり、宗教にもあり、日常の違和感の中にもあります。

イノベーターの仕事は、それらを見つけ、運び、組み合わせ、新しい意味を与えることです。

イノベーションとは、遠くにあるものを近くに持ってくる営みである。
未来にある問題を、現在に移転する。
異分野にある解決策を、自分たちの領域に移転する。
そして、その移転を担う人材が、組織や社会を越境する。

そう考えると、イノベーションに必要なのは、単なる技術力ではありません。

未来を見る力。
外を見る力。
違和感を拾う力。
異質なものをつなぐ力。
異なる文脈を翻訳する力。
そして、人が動き、知識が動くことを許容する社会の柔らかさ。

これらこそが、生成AI時代において、ますます重要になる人間の創造性なのだと思います。

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