平和は、人類が目指すべき普遍的な理念である。特に近代日本は、戦前社会への反省を原点とし、戦後の国際秩序と平和な環境の恩恵を受けながら発展してきた。だからこそ、平和という価値は国民の基本的価値観に深く刻まれるべきものだ。
その意味で、平和教育そのものは決して偏った教育ではない。むしろ、自由、人権、民主主義、法の支配を重んじる近代国家において、平和教育は中立的かつ普遍的な価値教育であるべきだ。
しかし、同志社国際中学校・高等学校や反基地協議会が行っていた「平和教育」は、本当にその名に値するものだったのだろうか。結論から言えば、彼らが行っていたものは、平和教育がこれまで築いてきた信頼を利用した、単なる責任放棄だったと言わざるを得ない。
文部科学省の報告書を読む限り、学校側は協議会の牧師に対する信頼や、平和教育を重視する姿勢によって、本来発揮すべきガバナンスを失っていた。安全確認、法令確認、契約、保護者への説明、引率体制。これらは修学旅行で未成年を預かる学校にとって、最低限求められる責任である。にもかかわらず、それらが十分に機能していなかった。
つまり今回の事故や教育の中立性の欠如は、「平和教育は良いものだから、無批判に受け入れてよい」という思考停止が招いた人災である。
「平和教育だから、法令遵守に疑義のある団体でも信用してよい」
もしそうした甘えがあったのだとすれば、それは平和教育ではない。平和教育というブランドに寄生した責任放棄である。
ここで問われるべきなのは、「基地に反対することが平和教育なのか」という単純な話ではない。より根本的には、平和をどのような価値と制度によって実現するのか、という問題である。
私はリベラルとして、平和は単なる反基地や反軍事によって自動的に実現するものではないと考える。平和は、自由、人権、民主主義、法の支配という共通の価値を持つ国々が連帯し、それを守る制度と秩序を維持することによって、ようやく成り立つものだ。
もちろん、沖縄の基地負担に問題がないとは言わない。基地問題を学ぶことも、沖縄の歴史や現実を考えることも、教育として重要である。生徒が国家や安全保障について批判的に考える機会を持つことも、民主主義社会において必要な営みだ。しかし、それは特定の運動体の活動を無批判に受け入れることとは違う。
曲がりなりにも自由と人権を掲げる同盟国であるアメリカの基地に対し、法令や民主的手続きを軽視するような抗議活動を肯定的に教育現場へ持ち込むことが、本当に平和に資するのだろうか。
日米同盟や、自由と人権という価値を共有する国家間の連帯は、東アジアの安定と、第二次世界大戦後の比較的平和な国際秩序を支えてきた。ロシアによるウクライナ侵攻以降、その秩序は大きく揺らいでいる。それでもウクライナが独立を保っている背景には、自由、人権、民主主義、法の支配という価値を共有する国々の連帯がある。
この現実を無視し、「基地に反対すること」や「軍事を否定すること」だけを平和教育の中心に据えるなら、それは平和を考える教育ではなく、平和という言葉を使った思考停止である。
平和教育が本来教えるべきなのは、戦争への反省だけではない。平和を支える制度、法の支配、国際秩序、同盟、民主的手続き、そしてそれらの限界や葛藤を含めた、現実の複雑さであるはずだ。
第二に、その背景には「平和教育」という名目が、学校側の判断を甘くした可能性がある。
本来、平和教育を大切にする者ほど、このような事態には怒るべきである。
なぜなら、平和教育の名の下で安全確認が軽視され、法令遵守に疑義のある団体との距離が曖昧になり、結果として死亡事故まで起きたのであれば、それは平和教育そのものへの裏切りだからだ。
教育の自由を守りたいのであれば、なおさら今回のような運用は批判されなければならない。自由な教育や特色ある教育は、信頼によって成り立っている。その信頼を壊すのは、文科省の介入だけではない。むしろ、「教育的意義がある」と称してガバナンスを放棄する学校自身である。
平和教育を守るために必要なのは、平和の名を掲げる者を無条件に信じることではない。平和を語る者にこそ、安全、法令、説明責任、政治的中立性を厳しく求めることだ。
自由と人権を愛する市民として、そして平和教育の重要性を知るリベラルとして、私は言いたい。
平和教育の名を借りて、過激な活動を教育現場に無批判に取り入れ、安全や法令や説明責任を軽視する者たちは、平和教育の味方ではない。
同志社国際と反基地協議会が行っていたものが、もし平和教育の名の下で責任を曖昧にし、違法性を問われる活動との距離を失わせるものだったのなら、それは真の平和教育の敵である。
平和教育を守るためにこそ、私たちは「平和教育」を名乗る粗悪な実践を、厳しく批判しなければならない
安全確認と法律遵守の話と平和教育の問題は分けて考えないといけない。 これをごちゃ混ぜにしてしまうと平和教育という思想的政治的な問題に高校生を動員するという彼等がやってい...
「平和教育という思想的政治的な問題に高校生を動員」してたことについて批判してみせて
親のスネかじりのションベン臭いガキのうちから政治活動なんかせんでええ!
やるんなら親も本人もよく知らなかったなんて状況を作るべきではなかったんじゃない。
安全確認と法律遵守の話と平和教育の問題は分けて考えないといけない。 これに尽きる。
正しい目的のためならどんなやり方も正当化されます 愛国無罪
タイトルだけで十分。あと共産党と○和利権な。
残念ながら、「平和教育」という語が指すのは、お前の思う、リベラリズム人権教育などではない。 変質してしまった、本来の意味からズレた、とかではなく もともとこの語が発生した...
平和教育の敵は米軍基地に決まってるだろ 基地さえなければそもそも事故は起きなかったんだから 米軍基地が存在し続ける限り沖縄は再び戦禍に見舞われる可能性にさらされ続ける そ...
なげぇよ 読まれるか考えろ
https://www.youtube.com/watch?v=RN4quKDmf3s 高江での機動隊員の暴力行為に関する質問主意書 >>大阪府警から派遣された機動隊員が工事への反対活動をする人に「ぼけ、土人が」などと差別的な...
なんでこの警察官こんな口荒いのとは思った。 いくら怒ってももともとの性格(おっとり系とか根暗系とか)とか育ちの良さ次第ではこうはならんだろ。 口調が反社のそれ。 どうなってる...
実際は県外から来た活動家なのにな でもこれくらいの勢いで活動家排除はやるべき
活動家に乗っ取られた平和教育とそれに無自覚に乗った学校、って書き方に見えるけど、学校の一部はそもそも活動家寄りよね