モスクワだけがロシアじゃない

モスクワだけがロシアじゃない?「オレンジだけが果物じゃない」みたいなこと言うね。粋だね(?)。

モスクワだけがロシアじゃない。ペテルブルクだけがロシアじゃない。言うまでもないことだ。では仮にそれらの巨大都市が現代の「ポチョムキン村」なのだとして、その書き割りの背後でいったい何が蠢いているのか。魔法使いを僭称するみすぼらしい老人?あるいはもっと別の切実な何か?

「モスクワだけを見てもロシアは語れない」という言葉それ自体が真実だとしても、それをSNS上での際限ないディベートで論敵を一瞬黙らせるためだけに放つのであれば虚しい。そうでなく、ロシアの地方に目を向けることが、眼前の政治的問題の解決になんらかの形で資すると本気で考えているのであれば、今は便利な時代なので、実際に現地に赴かずとも(それは大変だ)お手軽にロシアの地方都市や小村の現実を垣間見ることが可能である。お手元のスマホやパソコンを開けば、あるいは近くの書店や図書館に足を延ばせば、すぐそこにロシアの「地方」がある。

 

1. 『私の小さなお葬式』

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今のロシア人が、「都市」と「地方(田舎)」の格差や断絶について何を感じているのかを手っ取り早く知りたければ、本作を見てみるのがいいだろう。DVDも配信もあるのでアクセスしやすい。都会に出ていって経済的に成功(マルチ商法でだが)した唯一の家族である息子と徐々に距離ができ、自分の葬式を自分で手配するという「終活」を始める女性の物語。原題は「凍傷の(解凍してダメになった)鯉」という不思議なものだが、鯉は実際作中で重要なモチーフとして機能している。撮影場所はレニングラード州ラドガ湖沿いにあるシャシストロイという村らしい。

 

2. ロマン・センチン「よそ者」(松下隆志訳、『現代ロシア文学入門』所収)

『私の小さなお葬式』はたしかに貧困や薬物などの暗い側面も扱ってはいるのだが、そうは言っても物語の都合上、だいぶハートウォーミングな田舎の描き方をしている。一方シベリア・トゥヴァ共和国の首都クズルに生まれた作家センチンが書く「地方」にはとことん救いがない。もはや露悪的とすら言える。なのでこれがロシアの真実だと言い切るのもまた逆に無理のあることかもしれないが、本人は大まじめに書いている。そもそも作家として非常に評価の高い人なので、普通に小説としておもしろい。短編1作しか訳されていないのが残念だ。

 

3. アンドレイ・ズヴャーギンツェフ『裁かれるは善人のみ(原題「リヴァイアサン」)』


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つい先ごろカンヌで賞を取ったロシア人監督ズヴャーギンツェフの作品。こちらもかなり激しめにヤバめな漁港の町(撮影場所はムールマンスク州テリベルカ)の様子を描いている。もっともズヴャーギンツェフ作品にはかなりの程度、聖書由来の宗教的テーマ(本作であれば『ヨブ記』)が盛り込まれているので、これを地方のリアルとそのまま受け取ることにはやや注意が必要かもしれない。なに、配信されてない? TSUTAYAに行け!!!

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4. ユホ・クオスマネン『コンパートメントNo.6』


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これはフィンランド人監督による作品。主人公のフィンランド人女性が北極圏のムールマンスクに向かう傷心の道中で出会う肉体労働者(演じるのはアメリカ映画『アノーラ』にも出演したロシア人俳優ユーリイ・ボリソフ)の、粗野ながら愛情深い人間性に心を解きほぐされるというストーリー。良くも悪くもステレオタイプな「ロシア的善性」が描き出されているが、2021年制作で2023年日本公開だったので、ウクライナ戦争開戦と相まってやや微妙な受け取られ方をしたと記憶している。ラストシーンが爽快。

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5. ワシーリイ・アフチェンコ『右ハンドル』(河尾基訳)

こちらは極東ウラジオストクが舞台の小説。日本海側の各県とロシア極東部の交流が日本の中古車の取引を通して紡がれてきたというのはよく知られた話で、「右ハンドル」というのはもちろん日本車のこと。小説と銘打たれてはいるが、かなりの程度ドキュメンタリー風味である。地方都市の人間がモスクワに対して抱える屈託、しかしだからと言って即座に反体制として爆発できるわけでもないという事情、もろもろこみこみで伝わってくる。

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6. ウラジーミル・コズロフ『クナシリ』


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ここまでくるともはや「極東」という括りすら飛び越えてしまう勢いがある(日本の立場からしたら日本なわけだし)。ベラルーシ出身のフランス人監督が撮影した北方領土・国後島の日常。監督がロシア語話者なので取材はすべてロシア語で行われている。予告編の作りがずいぶんおどろおどろしい雰囲気を醸し、政治的に主張の強い内容を想起させるのだが、私はどちらかというとのんびりした映画だと感じた。退屈という評もあるが、特に何が起こるでもなく、池の泥に浸かりに行くおっさんとか謎の発明家おじさんとかが映し出されている点にむしろ好感を持つ。

 

7. アレクサンドラ・ボグチャルスカヤ『Exit The Matrix』

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私はこれをたまたまU-NEXTで発見したのだが、YouTubeにも公式動画がアップロードされている。どうやら日本のコンテストにクラスノダール大学の学生である作者が応募し受賞したもののようだ。20分だし無料だから見て。

kc-i.jp

 

8. 櫻間瑛、中村瑞希、菱山湧人『タタールスタンファンブック』 

ロシア連邦がなぜ「連邦」であるのかを考えてみることは、現在のロシア情勢を考察するうえで非常に大事なことだろう。タタールスタン共和国の首都カザンには二度ほど行ったことがある。一度目に訪ねたときは、カザン大学で買った紺色のパーカーをその後しばらく着ていた。清潔で料理もおいしく、居心地のいい街。そして、歴史的には難しい土地だ。

 

9. 『チェチェンへようこそ』


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プーチンが、チェチェンの独立運動を強硬に抑え込むことで政治家としての名声を高めたというのは周知の事実だ。ではその後のチェチェン共和国がどうなっているか? ここで描かれているのもまた、ロシアの地方の非常に、非常に厳しい現実である。かなり暴力的なシーンも差し挟まれるので、興味があるという方もすこし心の調子を整えてからご覧いただいくのがいいだろう。

 

10. 『クイーンダム』


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地方都市マガダンを舞台とする、これもまたロシア国内の性的少数者を取り巻く困難を描き出したドキュメンタリー。つい最近映画館での上映が終わったばかりなので残念ながらまだ配信やソフト化はされていないが、この映画については少し長めの評を書いたので、ひとまずそちらを参照されたい。

mochigome.hatenablog.jp

 

11. 『グレース』


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移動式の(半ば違法の)映画館で各地を周り生計を立てる父娘の物語。ロシア連邦内のコーカサス地方を巡っているらしく、現地語を話す人々が登場する。これもまだ配信やソフト化はされていない。しかし、非常に優れた映画であるので心に留めておいていただけると良い。

mochigome.hatenablog.jp

 

とりあえず思いつくままに11のコンテンツを挙げてみた。もちろんまだまだあるだろう。「モスクワだけを見てもロシアは語れない」という主張をあなたが押し出したいのだとして、その主張の根拠は何か? 上記の作品に一つも触れたことがないというのであれば、まずはどれか一つでも試しに読んで/見てみたうえで、それについて具体的にどう考えるかを取っ掛かりに自身の見解を披露してもらったほうが実りのある議論になるのではないか。「大都市/地方」「男/女」「犬/猫」「きのこ/たけのこ」といった大雑把な二分法で交わされる議論は、とかく抽象的で過熱しがちなものである。人々を熱狂に駆り立てるために行われていると言ってもいいぐらいだ。ディベートだけが議論じゃない。