永井均『「道徳形而上学の基礎づけ」を解体する-カントの誤診2』驚嘆発売中

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永井均『「道徳形而上学の基礎づけ」を解体する-カントの誤診2』驚嘆発売中
@hitoshinagai1
哲学をやっています。2014年からツイッターを始めました。私が何を言っているのか理解したい方は、まずは近年の主著である『世界の独在論的存在構造-哲学探究2』(春秋社)からお読みください。これら拙著における議論を前提にしたことを呟きますので、読まずにリプライ等をしないようにお願いします。

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TANI_Röheiさんの編纂の『遺稿焼却問題』YouTube動画集に、さらにニコニコ動画から小川紗季の「ライバル」(8頁参照) と柏原芳恵の「最愛」(143頁参照)を追加してRTいたします。 nicovideo.jp/watch/sm166790 nicovideo.jp/watch/sm9492892
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谷口一平 A.k.a.hani-an
@Taroupho
ところで、これは編者谷口が勝手にやっているだけですが、『遺稿焼却問題』で言及されているYouTube動画で今生きてるものを、おおむね本書での出現順に並べてプレイリストを作ってみました: 遺稿焼曲集 youtube.com/playlist?list=
背景が本棚なのは、賢く見られたいからではなく、それ以外ないからだと思う。壁があると、その前には必ず本棚が置かれることになるので。
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宮沢孝幸(Takayuki Miyazawa)
@takavet1
文化人とか科学者とか、まじめにAfterコロナを論じている番組みると、お笑い番組か!とつっこみを入れたくなってしまう。しかも、たいてい背景が本棚なんですよね。そんなに賢く見られたいのか。
かつて勤務していた大学での大学院の入試面接の際、他専攻の教員も参加していたが受験者の提出論文の非常に優れた議論を全く理解できずにとんちんかんな質問を連発。受験者は試験官が素人だとは夢にも思っていないため、質問が理解できないことでしどろもどろに。試験官はその受験者に最低点を与えた。
何故か哲学書を一日に何ページ読めるかについてのツイートを複数見かけた。が500頁,700頁は全く馬鹿げている。50頁,70頁でも読み過ぎだ。一日中専念できても2,30頁が限度。読むのは一桁頁で残りを考えるのに使うのが適切で、マイナス頁の日も必要だ。そうなればその本は一応読めているといえると思う。
これはいくら何でも「名言」すぎるのではないかな。古典の中にでも読まれるなら納得できるが、無料で読まれる場所に気楽に置かれては困る水準の。
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@sitasimiyasui
思春期とは人が初めて、自分の内容的規定ではなく自分の「存在」に気付く時期で、思春期のあの「恥」の感情はまさしく私の内容ではない私の「存在そのもの」に対する恥だろう。この恥を得た人でないと恋愛できないのは当然である。恋愛とはその恥を持ち寄ることだから。
歩き方はみな見よう見まねで学んだだけなので、実はそれぞれかなり違うという話を聞いたことがあるが、言葉もそれに似ていて、表面上は一致しているように見えても、そもそも言葉への意味の与え方の根本が(誰も誰にも習っていないので)人によってかなり違っているのではないかと私はよく感じる。
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これが「評価者の識見が評価対象の水準に遙かに及ばない場合の低評価」の「興味深い事例」で、「アマゾンを始めとする今日のネット上では馴染みの現象」ではあるが、実のところは昔も今もよくある(あった)ことだろう。人は理解できないものを出来が悪い(と理解できた)と思い込みがちのようだ。
哲学者の思想を紹介する叢書のようなものは昔からたくさん出ているが、みな褒める立場から書かれているので、貶す立場から「本当はたいしたことないシリーズ」というのを出したら面白いのでは、という話をかつてある編集者としたことがある。私の担当は「本当はたいしたことないニーチェ」だった。
オリンピックの開催に反対だった人が、始まったら選手を応援したりするのはおかしい、と言っている人がいるらしい。もちろんこの野矢氏の主張が精確で、全然おかしくないというのが「哲学者の見解」だという佐藤氏の所見も正しいと思う。
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佐藤未悠(サトウミユウ)
@miyou_satou
Replying to @Yamanba1900R and @gerogeroR
「五輪を開催することの是非と既に開催された五輪を楽しむかどうかは別問題である。 それはけっして矛盾した態度ではない。」 というのが哲学者の見解みたいです。 (野矢茂樹『論理トレーニング101題』)
『省察』だけでも通読されたとはたいしたものです。が、それでさえ御研究のためには余計なことだったと推測します。山内さんの挙げられた最初の十冊だけでも全部通読しようと思うのは馬鹿げています。古典から哲学に近づくにはある一冊のある部分を数百回読んで数千時間考える他はないと私は思います。
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Jimmy Aames
@asonosakan
哲学で博士号を取ったけど,この中で通読したのは『省察』だけだな… x.com/yamauchishiro/…
仰るとおりで、最後の「だよな」を除いて、すべて賛同できますが、最後が「だよな」で終っているので、本日中にブロックします。(このような言葉遣いの方は発言内容に関係なくすべてブロックしています。)
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hidezumi
@hidezumi
人は他人の目を気にして自分のことばかりには集中していられないのでこれは純粋に「才能」だと思うし、それを通じて他人をも勇気づけることができたらもはや才能を通り越して「社会の宝」だよな。 x.com/hitoshinagai1/…
ジジェクさんは「あらゆる先進国でさえも体制が権力を再生産するには究極的には犯罪的なギャングと手を結ばざるをえなくなっている」「かつては秘密裡に行われていたような悪事が今や公然と行われるようになった」と仰っていますが、どうも仰るとおりのようです。 x.com/jo2geor2/statu
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人生全体の中で性愛はそんなに特別視するほどのものでもないので、例えば同性婚は同性愛者のため(だけ)に認めるのではなく、むしろそれ以上にそもそも結婚は(異性間でさえ)性愛とは無関係にしてよいのだと見方を変えるために認めるほうがよいように思えるが普通はそう考えられてはいないようだね。
おお! もう何十年もこういう思想の存在を忘れていたような気がする。
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外山恒一
@toyamakoichi
補償しなくても自粛してくれるFラン人民なんぞナメられて当然である。人の命なんぞより自らの地位や利権が大事な奴らに“云うこと聞かせる”には、こっちも死ぬ気・殺す気になって、「頼むから、カネを出すから家でじっとしててくれ」と奴らが懇願し始めるまで街に繰り出し続けるべきなのだ。
芦田愛菜は、芥川派と太宰派に分けて、自分が芥川派だと言っている。私もそうだ。理由は少し前に『君の名は』と『天気の子』を対比したときの理由と同じ。芥川は世界の骨組みに興味を持つ(特に日本には)数少ない作家だ。こういうメタフィジカル・センスは(特に日本では)あまり評価されない。
一般に人は自分の好き嫌いを重視しすぎる傾向があるようだ。なんとなく第一印象で好き嫌いが決まってしまい、後はそれに基づいて反応するだけというような。何度も書いたような気もするが、好き嫌いを決めるのをあえて遅らせることや、あえて逆転させてみることの面白味が、意外に知られていない。
その昔はどんな議論にも「階級的視点がない」というコメントをする人がいましたが、何故かすっかりいなくなりました。
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skrnmr
@skrnmr
「ジェンダーの視点がない」というコメントを頂くことがあるんだけど、ジェンダーの研究をしているわけではないときにどうしていいのかよくわからない。
これかんしてはもう少し遅く読めばよかったかもしれません。近々増補改訂版が出るはずなので。増補改訂原稿はすでに講談社に送ってあります。(すでに読まれた方も「増補」された部分は是非ともお読いただきたい!)
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大田勇希|パワハラ哲学
@yuumailsan
もっと早く読めばよかった。永井均『〈子ども〉のための哲学』を読みました。「答えを持つな、問いを持て」。哲学は、正しい答えを探すことではなく、大人が忘れた〈子ども〉の驚きで「存在」を問うこと。理解は安心をくれるけれど、安心はいつも問いを鈍らせます。↓
ツイッターで私が面白く感じるのは、話しかけてきた人に返事をしなくてもよい(らしい)ところ。人の言っていることについて何を言ってよいのだが、何を言われても無視して勝手に続けていてもよい(らしい)ところ。このコミュニケーションのあり方は他にあまり例がない。こんなのがありだったとは!
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こういう話を読むと、どうしても3+5が35だとしか思えないという例に注目してしまう人が多いようだ。これを、現実には我々の誰もがそれが正しいと理解できるような事柄に関して大半の人がそれが理解できないような社会を想定した場合そこでは…というように抽象的に捉えるのは意外に難しいのかな。
人生や世界についての最も率直な感想は、何だか薄気味の悪いもの、ということ。いったい何なんだ、この薄気味の悪いものは? 変なものに生まついちゃったな、といつも感じている。あまりにも変で、だから面白いともいえるが、それでもやっぱり必要はなかったな。
哲学は何らかの意味で世界に違和感を持った人がやるのでどうしても普通とは違う世界解釈を言い立てることになるが、倫理学はむしろ世の中と上手くマッチする感性を持った人がその微妙なマッチの感覚を(そうでない人に向けて)語ってくれたほうがよいようなものだと思う。二つの能力は両立しがたい。
三島由紀夫の『金閣寺』のような運命愛系の傑作は文学としてはいわば定型ともいえますが『ヘヴン』はその逆に運命愛の魔力からの決死の離脱を描いた恐らくは世界で初めての小説ですから非常に高度なものだと思います。この小説に感動できる人が多数いるらしいのがむしろ不思議です。 x.com/long_slow_slid
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何故かは知らないが、社会学を「叩く」ことが流行っていると聞いた。私は、マックス・ヴェーバーを自家薬籠中のものとしており、折に触れて(例えば日本の現況を説明する際に)それを使えるというだけでも、多くの社会学者に深い敬意を感じる。そういうことは奇跡的といえるほど素晴らしいことだと思う。
私は数学を尊敬していて所詮現実世界の事実問題にすぎない物理学等を軽視しているのでこれはとても嬉しい
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もーりー
@mori_rin_1004
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観測事実として永井均を読んでいる人が多い これはかなり数学特有で、理学部でも他学科にはあんまりいない 数学科がやたらと永井均を読んでいる
同性婚が気持ち悪いと思う人はもちろん自由にそう表明してよいと思うが、私自身は逆にもしそういう制度があったら結婚してもよかったと思える男性が過去に二人いる。しかしなぜか二人とも早く亡くなっている。そういう意味ではそんな制度がなくてよかった。配偶者に早く死なれるのは辛いであろうから。
ルサンチマン的という語は、ニーチェ的文脈では、本来のルールでは勝てない者が秘かにルールを変更して内面で勝つといった意味があるが、何かに対する反感に基づいて自分の態度を決定するという意味のほうが基礎的だ。興味深いことに、力の入った態度決定の殆どは後者の意味ではルサンチマン的である。
哲学というものが世の中で珍品であるせいか、哲学をやっている人間が何か言うと、哲学ではそう考えるのか、と思ってしまう人が多いようで、他のいかなる哲学者も同意しないであろうと思われるある哲学者の見地が、哲学というものの見地であるかのように扱われることがしばしばあり、いつも笑える。
政治家の中には政策に興味のない「政局の人」がいるというのは興味深い。政治家なのに政策に興味がないとは不思議なことだとも思うが、しかしそれに似たことは政治以外の世界でもよくありはする。人生においてさえ不思議なことに政策にまったく興味のない「政局の人」はけっこう多いのではないかな。
哲学書は非常に注意深く読まないと正確に読めないのでそう読む癖がついているのだが、そうすると書く時にも非常に注意深く読んでもらえるという前提のもとに書く傾向が生じるようでこれは少々まずい。が、非常に注意深く読んでもらわなければ正確には読めないことを書かざるをえないこともやはり多い。
会話というものは、本質的に、何らかの似た者どうしがあまり間を置かないで発言し合うという因襲に支配されているので、それゆえに本質的に伝達できないことが非常に多い、と感じる。が、そんなことはまったく感じない人のほうが多い(から因襲が維持されている)ようだ。
槇野さんがなぜ「ジェンダーの専門家」なるものの「指摘」を更なる批判的検討を免れるほどに尊重されるべきだとお考えなのかは単純に非常に不思議です。また原論文に賛同しているのではなくともあれそれが(誰でも読めるように)発表されるべきだと考えるのは、まったく当たり前のことではないでしょうか
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マキノサン
@saoriqing
Replying to @saoriqing
ジェンダーの専門家によって、トランスジェンダーをめぐるこれまでの議論を無視し、安易な反トランス言説に陥っていると指摘された原稿を、永井先生の教え子だった人が発表しようとしている。そして、永井先生はこれを止めるどころか助長している。
YOASOBIの「夜に駆けるか」を初めて聴いた時から、この曲を身に着けると人格が向上するような感じがして、是非とも自分で歌えるようになりたいと思ったのだが、少し前から練習を始めている。メロディーを正確に思い浮かべられるだけでも感性が鍛えられたように感じるが。
画家たちがその方法で表現するのが最適であると感じる何かを発見したとき、発見された世界の真実とともに、発見した彼らの精神のあり方にも、心を奪われるからではないか、と思われます。
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森岡正博 Masahiro Morioka
@Sukuitohananika
思ったんだが、もし仮に絵画の印象派みたいな絵が現在までまったく存在せず、いまAIが自動でモネやゴッホみたいな絵を次々と自動生成したとしても、それらがこれから絵画の一大潮流を作っていくとは思えないんだよね。人工絵画のゴミ溜めに消えていくんじゃないのか。この差はどこから来るのか?!
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ある人の顔が好きである場合その人が好きであることが多いように思うが、これはその人が好きだと顔も好きになるのかその逆の関係なのか、どちらともいいがたいほどの深い内的な結びつきがあるように感じられるところがちょっと不思議だ。顔って何なのだろう?
世の中についての感想を一ついうと、一般に失言というものに厳しすぎるようだ。失言は少なくとも通常のお決まりの発言よりは面白く、多少はわざわざ言う価値があるものが多い。あらゆる立場の失言をもっと許容し、責めるかわりにせめて笑ったほうが深みのある世の中になるにちがいない。
永井や入不二である必要は全然ない(ドゥルーズでもデイヴィドソンでも…何でもよい)が、高校倫理の教科書は駄目。哲学の議論の部分が省略されて「…と唱えた」のように哲学者が何かを「唱える」人と捉えられているので(資料集のほうが原文が直接引用されているのでむしろ使える)。哲学史から入るなら、
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拙者疲れちゃった侍
@weary_samurai
ちょっとそれは信じがたいな……