「戦死」の手相と凶運回避の方法
テーマ:平和、武道
“平凡な毎日毎日の生活が続いているあいだは、手相の変化はあまりめだたない。ただ、たとえば大病をするとか、失業するとか、恋愛するとか、本人の一生に後まで重大な影響を及ぼすような事件があると、その前後では、わずかの期間に、手相も相当に変化するものである。
たとえば、私のごく親しい友人が、仮免許で自動運転の練習中、ブレーキをふみ損ねて、自分からダンプカーに追突したという妙な事故を起こしたことがあった。
何といっても、凄い太陽線を持っている人間だけに、事故の場合でも、奇蹟的に運がよかった。
まず、事故を起こすのに場所を選ぶ人間はいないから、交番の前でやってもふしぎはないはずなのに、その現場が何とガソリンスタンドの前だったというのである。
ダンプのほうは、ハンマーでちょっとたたけばすぐになおる程度のかすり傷、自家用車のほうは大破というのは、物理学的にしかたがないとして、助手台に乗っていた先輩のほうが、三ヵ所にすりむき程度のかすり傷、ハンドルを握っていた本人のほうは、のみに食われたほどの傷も受けていないというのだからふしぎである。”
“その何日か前に見ていた彼の手相を、いま一度、あらためて見直したくなったのも当然だろう。
そこで私は驚いた。右手のいろいろな線が、この事故の前後、数日間のあいだに、見違えるほどのよい変化を示していたのである。きっとこの事故は、彼にとっても、笑って強気で押し通してはいるものの、人生観さえ変えるようなショックだったに違いない。こうして一瞬の間に思いがけなく生死の関頭に突入し、しかも奇蹟的に無傷で帰れたということが、彼に何かの悟りを開かせたのだろう。
こういう急速な手相の変化は、ほかにもいくつも例がある。決して私の創作ではない。
一般的に、こういう変化は、まず右手に多く強くあらわれる。だから、たとえば右手の生命線が、左手の線よりも、はるかに長く勢いがよい場合には、生来の虚弱体質を、運動なり健康法なり、あるいは精神力なりで、頑健にしたと考えてよい。その逆の場合は、放蕩とか、不摂生とかで、せっかく強健な体に生まれついたのに、自分でだめにしたと考えられる。”
“私が手相に興味をもちはじめたのは、いまから二十数年前、太平洋戦争の勃発以前のことである。
現在、四十代以上の人には、誰にでもおぼえはあるだろうが、当時の青年たちは、いわゆる日華事変の戦局が日に日に悪化して、泥沼のような長期戦の様相を呈して来るにしたがって、自分たちの将来に何となく不安を感じはじめたものだった。
この気持ちは、徴兵というものさえない、現在の二十代のお方には、とてもおわかりにならないだろうが、戦争というものは理屈でも何でもない。おなじ戦線で、となりの戦友が敵弾にやられ、自分が無事だということもあり、その反対の場合も当然あり得るだろう。そして、一発の弾丸が自分に命中したら、それで人生は終わりなのだ。
これが病気の場合なら、自分の摂生と、適当な医薬で、なんとか治療もできるだろう。しかし、戦争の場合、生死を決定するものは、科学では割り切れない運命なのだ……・
私は人一倍、命の惜しいほうだった。それで、学問を続けて行く心のささえを、運命学の研究に求めたのである。私の占いの研究が急速に進んだのは、戦争のおかげだったといえるかも知れない。
これは、後で聞いた話だが、私の知人の計理士に三上さんという人がある。
この人は、戦争中に海軍航空隊に入隊し、下駄ばきの水上偵察機で、沖縄方面の偵察から、北海道へ転戦し、樺太で終戦を迎えたという経歴だったそうである。
ところが、その採用のときには、体格検査、適性検査を科学的に数十種うけさせられた上で、最後に行われたのが、手相の鑑定だったというのだ。
そのころの海軍の採用方針を非科学的だと笑うことは私には出来ない。
人よっては、この話を、
「何しろ、当時の海軍は血迷っていたからな。名将といわれる某大将までが、海水から石油をとるという大山師のペテンを大まじめに検討したのだから、手相で適性を決めるぐらいはあたりまえさ」
というような調子でかたづけるが、私にいわせると、この断定のほうが、はるかに非論理的なのだ。
海水から石油をとるということは、少なくとも科学的に不可能だと証明されるのである。それに対して、手相で人の性格、将来などを予見することが不可能だとは科学的に証明できないのだ。
そして、手相のほうは、統計的に、百発百中とはいえないにしても、かなり高度の的中率を持っている。あるいは将来、科学的にその秘密の幾分かは解明されるかも知れない。とにかく、科学が正面から否定するものと科学がまだ解決していないものとを、いっしょに論ずることは、味噌もクソもいっしょにするような論法だろう。
この場合にはおそらく、ああいう熾烈な戦局の下では、海軍当局も、科学ではまだ解決できないか運命の神秘というものを認めないではおられなかったのであろう。鍛錬しぬいた搭乗員の損害を、できるだけの手段で、最小限に食い止めることが至上命令だと思ったのだろう。
とにかく、三上さんは、その手相の先生に、お前は死なない――と保証されたが、実際には、二度撃墜され、一度特攻に飛び出して敵影を見ず、無事に生還したというのだ。
その当時、私の手相研究は、まだ未熟な点があったけれども、それでも参考書をたよりに、友人たちの手を、かたっぱしから見せてもらったから、その中で、後日戦死をとげた人たちの手相の印象は、いまでもはっきり頭に残っている。
その特徴は、生命線の割合上の部分に、第9図のような十字形があらわれ、しかもその後の線の勢いが、急にがたりと弱くなっていることだった。
それに加えて、後に述べる運命線が存在しないか、あっても力がぜんぜん弱いというのが共通した特徴だった。まして、その上にまた十字形があらわれているとなると、これは最高の凶相といってよい。
もちろん、友人にむかって、そんなことを公言はしなかったが……。
そのほかに、戦死の相が、旅行線にあらわれていた例もあったが、この線については、後に述べることにしよう。
戦争の脅威は、現在遠のいてはいるが、私はそれでも時々、こんな相を持った人たちにぶつかることがある。まだ統計をとるほど多い数ではないが、この特徴は交通事故による急死などをあらわすものではないかと思われる。
こういう手のお方は御用心。平和な時代には、悲運も何とか避けられないこともない。
この講義の連載中に、ごく一部の人から、
「先生の手相学は、悪いところまで、ずばずば書きすぎるんじゃありませんか」
という批評もあった。
私は、毒舌家だといわれることも少なくないから、その点は十分に反省してみたが、しかし、手相学の秘密を解説しようとするのには、いいところだけでごまかすわけにはいかない。
手相も心がけ一つで、ある程度まで変えられるものだし、自分の欠点をはっきり知っているほうが、人生を送るための大きなプラスとなると信ずるからである。
一口にいえば、手相をよくする秘訣は、努力と善根の集積である。この心がけによって、たとえば生命線上の十字形など、最高の凶兆といわれるような障害紋を消してしまったお方の例を、私は数えきれないほど知っている。
正直なところ、その理由は私にもよくわからない。ただ、人間の運命が、掌の上にあらわれるものなら、自分の運命を改善しようとする人間の努力も、手相にあらわれないわけはないと思うのである。
この連載中に、中日新聞東京支局の豊田さんという方が、ほかの用事で、私のところへ見えたことがある。たまたま、手相のことに話がふれて来たのだが、ここにもふしぎな物語があった。
豊田さんは、戦争中に海軍の飛行士としてソロモン海空戦に参加し、その搭乗機を撃墜され、海上を漂流していたところを米軍に発見され、意識不明のまま捕虜となったのである。
全く不可抗力の出来事だが、豊田さんは捕虜となってからしばらく、官姓名も名のらなかった。そのために、戦死も公表され、海軍葬も行われ、郷里には、りっぱな墓も建てられたというのだった。
豊田さんは、前から手相に興味を持ち、第10図のように生命線が短く、運命線もまた短いのは、短命の相だということを十分承知しておられたらしい。しかし、この戦争中に、海軍に志して飛行機乗りになっては、それもしかたのないことだと、あきらめていたというのである。
ところが、捕虜生活に入ってから、あらためて、自分の右手を見なおしたところが、離れ離れになっていた生命線と運命線がつながって、一本の線になってしまったことに、愕然としてしまったそうである。
これはもちろん、人なみ以上の長命をあらわす生命線なのだ。
何が、この人に九死一生の奇蹟をもたらしたか、その原因はおそらく御本人にもわかるまい。
ただ、運命学の神秘な教訓に従うと、こういう奇蹟が生ずるのは、本人ならびに先祖たちの眼に見えない陰徳が、実を結んだというのである。
清水次郎長が、心中しかけた男女の命を助けて、眼前に迫った死相を消してしまったという話も、決して講釈師の誇張とばかりはいいきれない。
私はそういう例を数えきれないくらい知っている。前のダンプカー事件にしても、豊田氏の経験談にしても、ここにあげるのはその中のほんの二、三の例にすぎないのである。”
“……私たちの学生時代、同年輩の青年たちの手相を見ていたときには、この旅行線の持ち主は圧倒的に多かった。いわゆる太平洋戦争で、何百万という日本人が海外へかり出され、しかもその中の相当数の人が、ふだんなら絶対に足をふみいれることもないような異国の山間、ジャングルの中にまでつれこまれ、敵の攻撃や、飢えや、病気と戦わねばならなかったことまで考えあわせると、それも当然のことだったといえるだろう。
しかし、当時の従軍者たちの中でも、現在では、この旅行線が消えてしまった人も少なくない。終戦以来十八年、心身に与えられたその影響がおさまるとともに、手相も変わったはずなのである。
ところで、手相学の上で旅行線といわれるものはいくつかあるが、ここではその中でごく一般的なものだけをあげることにする。これは生命線の下部から、手首のほうにむかって、ななめに第31図のような弧状を描いて走る線で、前に述べた生命線の下向線よりは、深く長いのが特徴である。
その先端が第31図のAのように、何もなくすーっと消えているのは、旅行が無事であることを示す。たとえば、今度の戦争で、召集されて外地へ行ったものの、後方警備ばかりにまわされたり、敵の攻撃にとり残された島におったりなどして、一度も敵襲にあわなかったというような運のよい人も、決して少なくなかったのである。
図のBのように、旅行線の先端に、十字形がある場合には、その反対に旅行から生還を望めないことを示している。
前に戦死者の手のところで述べたように、生命線や運命線の上の十字形がない場合でも、この特徴を持っていた私の友人たちは、ほとんどが戦死してしまっている。たとえば、私が三日だけ入営した部隊は、その後満洲からフィリピンへ派遣され、マニラ東方の高地を守り、現役の九割五分までが戦死したという運命にさらされたのだ。そのとき、私が同じ班の人々の中にこんな手相の持ち主を何人となく見つけ出したのも、これは当然のことだったろう。
それから、図のC、図のDのように、旅行線の先端に四角形があったり、その先端が二つに分かれたりしている場合は、旅行先で一命にかかわるような危険にさらされながら、九死に一生を得て生還できることを示している。
私は終戦直後には、ずいぶんこんな手相の持ち主にめぐりあったものだった。
よくあなたは無事に帰ったものですね――と、私が溜息をつくたびに、相手はかならず滔々と戦場での身上話を語り出したが、その話はほとんど例外もないくらい、奇蹟的な武運の連続だった。ガダルカナルやインパールのような死地に追い込まれても、こういう手相の持ち主は、とにかく生還できたのである。”
“太陽線は、幸福や人気というような無形の運気をあらわす線だから、しっかりした運命線にりっぱな太陽線がともなっている場合には、そのおのおのの道での成功はまず疑いがない。
これに対して、太陽線がほとんどなく、運命線だけが強い人は、人に数倍するような努力をしていながら、それに相当する成功をおさめられないことが多いのだ。
こういう例は、人生の至る所に見られる。
「働けど 働けど わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」
という歌は、手相学見地では、太陽線をあらためていたのではないかと思われるくらいである。
もちろん、学者とか宗教家とか、特殊な道を歩む人で、金も名誉も人生何の関心事かと悟りを開いているような人は、運命線さえりっぱなら、それで十分なのである。
こういう型の手相でも、時には第87図Aのように薬指の上に明瞭な縦線が刻み込まれていることがある。これは死後の名声をあらわす一種の太陽線で、生前はずっと不遇で終り、死後に認められた芸術家などには、こんな手相の持ち主が多かったろうと思われるのだ。
しかし、そういう例外はべつとして、ふつうの人間の場合には、やはり太陽線はあるに越したことはない。といって、ナイフで掌に傷をつけてもどうにもならないのだが、この線だけは、なんとか発生させる秘訣がある。
人相学の分野に入るが、私はいまその秘密を公開しよう。必要な道具は鏡一枚である。
人間の顔は、大別して笑い顔と泣き顔との二つに分類できる。
これはもちろん、ふつうの状態で、平静な感情を保っている時という条件である。親に死なれたり、落語を聞いている時の顔などは標準にはならない。
ところが、極限するならば、泣き顔の人間には、絶対にこの太陽線は存在しないのだ。
これは人情の自然からも、ある程度の推理は出来るだろう。相手がいまにでも幽霊になって出て来そうな憂鬱な顔をしていた日には、こっちもむこうの気持ちにつり込まれてしまう。一度や二度なら、なんとかしてなぐさめてやろうと思うにしても、毎回毎回、そんな顔をされたらいやになって来て、自然に足も遠のくだろう。結局は、類が友を呼んで、どこかに暗い影を持っている泣き顔の人間だけが周囲に集まり、幸運は遠ざかるということになって来るのである。
笑う門には福来るという諺は、運命学の上では、絶対の真理といってもよい。まあ、泣き顔のお方は、だまされたと思って、鏡を手に、毎日五分でも十分でも笑うトレイニングをやって見ることをおすすめする。
もちろん、一週間や十日で、すぐ効果が上がると思われても困る。石の上にも三年という諺もあるくらいだ。
この訓練を三年も続ければ、多くの人々の手には、太陽線があらわれて来るはずなのだ。
極端な例は、一ヵ月ちょっとで、太陽線らしい線が出はじめ、三ヵ月でそれがいちおうの線になった人もある。
これは私が今まで多くの人々にすすめて効果をあげている方法で、直接間接に人生の幸福へつながる道であることを、私は信じて疑わない。”
(高木彬光「占い推理帖 手相篇」(文藝春秋新社)より)
*ロシア・ウクライナだけでなく、イランもイスラエルにミサイル攻撃を仕掛け、世界情勢は日に日に悪化しつつあります。まだしばらくは時間があると思いますが、いずれは中国の台湾侵攻も始まるでしょうし、そうなれば必ず日本も巻き込まれることになります。今回紹介させていただいた「戦死の手相」や、以前載せた「三脈術」のような知識が、いずれ役に立つときが来るかもしれません。
・「朝晩、鏡に向かってよい笑顔で笑いなさい」 野口晴哉先生(野口整体)
“三月八日、協会の理事会が、多摩川の土筆亭で開かれたとき、食後の雑談で、生江先生が面白い話をされた。
曾て野口先生が桐朋学園で講演されたとき、ある先生が質問した。
「毎朝、どういう心構えで登校したらよいか」と。すると先生が、
「毎朝、鏡に向かって、よい笑顔で笑いなさい、それから登校なさい」
と答えたという。
その時、曾て『美しくなるには』という質問に対して、先生が同じように答えていたことを思い出した。
「鏡に向かって一番美しいと思う笑顔を見つけなさい、見つけたら夜寝る前に一回、朝起きたときに一回、そういう笑顔をして、『きれいだなあ』とか何とか口に出して呟けばいい」と。
そのころは、まだ若かったので、『そんな単純なことで美しくなれるのかな』と思いながら二、三日やって諦めて、いつしか忘れてしまっていた。
ところが最近になって、そのことの意味の深さに気づいた。
鏡に向かって一番美しいと思う笑顔を、朝と晩に繰り返していると、無意識の心の角度が、いつのまにか、人を咎めたり貶めたりする方に向かわず、楽しいこと、美しいものが目につくようにまってくるからだ。
これはまさに、意識以前の心を方向づける、求心的な潜在意識教育だったのだ。
もしもすべての大人たちが、自然にこういう心の方向で子供たちに接したら、子供たちはもっと幸せになるに違いない。
私は今、海辺の砂の中から、小さな美しい貝を見つけたときのような思ひで、単純で何でもないことの中に、却って真理がひそんでいるのだということをしみじみと思う。
ただそれを見つけ出せるのは、もろもろの先入主や色眼鏡で曇ることのない無垢で澄んだ眼ではないだろうか。”
(「月刊全生」昭和60年5月号 野口昭子『鏡』より)
*おそらくこの「毎日朝晩、鏡に向かってよい笑顔で笑う」ことで、潜在意識が徐々に浄化されるのだと思います。そうすると内面の美しさが顔の表情に現われるだけでなく、神界からの内流も受けやすくなるでしょうし、当然、災害や事故などからも守ってもらえるはずです。













