想い出の西寒川支線と冊子(西寒川支線についてと冊子リンク)

本線である、現在のJR東日本の「相模線」は大正時代に誕生した、私鉄の「相模鉄道株式会社」に原点があります。

1.相模鉄道株式会社の設立趣意書

 大正4年(1915)に書かれた相模鉄道株式会社の設立趣意書には、「相模川流域は農業地区で人口も多いが交通機関が未発達で、これは地方経済の大損失であり国家産業の消沈に関する重大問題である。そこで茅ヶ崎を起点とし、高座郡、中郡、愛甲郡、津久井郡を経済的に結び、東海道線と横浜線(橋本)、中央線(八王子)に繋ぐ相模鉄道を敷設することは、経済発展に寄与すること大なり」と、鉄道の必要性を説いています。
(1)相模鉄道を敷設するメリットとしては
①東海道線の海国と中央線沿線の奥多摩の山国の距離が短縮できる。
②運賃収入(商売をする人達や旅行遊覧等による集客が見込める。)

 計画路線には、史跡や神社仏閣が多数ある、特に大山阿夫利神社には年間約47万人もの信者が四方から集まって来る。当時の参拝者の多くは、東海道線の平塚駅開業後は平塚駅を利用していた。(現在の東海道線が横浜駅~国府駅間に延伸した明治20年(1888)7月11日に平塚駅が開業)計画路線の厚木駅が開業すれば、大山には距離的に近くなる。平塚・厚木間往来の商売人は百万余人を算すことから本鉄道の利便性は大きい。
 相模川の鮎漁に都会から来る人々が年々増加している。七沢や煤ケ谷の温泉もある。又相模川流域は景色も良く夏の避暑地にも好適地であるから、観光客の集客が見込める。
③貨物輸送による収入(農林産物が豊富)増が見込める。
 沿線一帯は穀類、繭糸、木材、薪炭の産出に富んでいる。羊、豚、家禽類の飼育も多く、輸送機関の設備が完成すれば産出量は増大し貨物量も増える。

④附帯事業として、相模川の砂利採取販売も行う。
 当時鉄道や道路等の土工盛で砂利の需要が増大していが、主採取地の多摩川の砂利は採取困難となり(少なくなる)費用も増大していた。相模川の砂利は数量も無尽蔵にあり、採取も容易である事から有利な事業である。
 開業後、関東大震災の復興に多量の砂利が消費され、この事業が相模鉄道株式会社の収益の柱となりました。その後、路線が国に買収された後も第二次世界大戦後の復興等で砂利の消費需要増が続き、昭和39年(1964)に相模川の砂利採取が禁止されるまで、砂利を運ぶ鉄道「じゃり線」と呼ばれた。
(2)起業目録見書には
本会社は株式組織とし、資本総額は金60万円として、1万2000株に分け、1株の金額を金50円とする。

2.相模鉄道株式会社の歴史

・大正10年(1921)9月28日 – 茅ヶ崎駅~寒川駅間及び寒川駅~川寒川駅間が開通
・大正15年(1926)4月1日 – 寒川駅~倉見駅間が開通
・大正15年(1926)7月15日 – 倉見駅~厚木駅間が開通
・昭和6年(1931)4月29日 – 厚木駅~橋本駅間が開通(茅ヶ崎駅~橋本駅間33.3kmが全通した)
・昭和10年(1935)11月2日 – デイ―ゼル化(茅ヶ崎~橋本間で運転開始)
・昭和18年(1943)4月1日 – 神中鉄道(厚木~横浜間を吸収合併)
・昭和19年(1944)1月 – 運輸逓信省が旧相模鉄道を買収し国有化する
 (茅ヶ崎駅~橋本駅、寒川駅~西寒川駅間が買収されたが旧神中鉄道路線は残され現在の「相鉄線」となる)
・昭和24年(1949)6月1日 – 日本国有鉄道が発足し国鉄「相模線」となる
・昭和60年(1985)9月7日 – 寒川駅の橋上駅舎が完成する。
・昭和62年(1987)4月1日 – 国鉄民営化によりJR東日本の管轄となる
・平成3年(1991)3月16日 – 全線電化となる
・平成10年(1998)9月28日 – 貨物列車の運行終了

3.寒川駅起点の支線開通から廃線までの歴史 

(1)川寒川支線
・大正10年(1921)9月23日 – 寒川駅~川寒川駅間開通(砂利貨物)
 川寒川駅は現在の「川とのふれあい公園」付近と思われる
・昭和6年(1931)11月7日 – 廃線(廃線理由は、県営浄水場建設に関係したと思われる)

(2)四之宮支線(後の西寒川支線 国鉄時代は寒川支線)
・大正11年(1922)5月10日 – 寒川駅~四之宮駅間が開通(砂利貨物)
 (四之宮駅名は相模川を挟んで平塚市四之宮の飛び地が寒川町側にあったのでその名が付いた)
・大正12年(1923)2月5日 – 途中駅として東河原駅開業(貨物駅)(後の西寒川駅)
・昭和13年(1938)8月 – 昭和産業㈱一之宮工場が操業開始
・昭和14年(1939)10月1日 – 東河原駅を昭和産業駅と改称
・昭和15年(1940)4月20日 – 寒川駅~昭和産業駅間で旅客営業を開始
・昭和16年(1941)4月 – 海軍が昭和産業㈱一之宮工場を買収
・昭和17年(1942)10月 – 昭和産業駅が四之宮口駅に改称
・昭和18年(1943)4月 – 相模海軍工廠が発足し、軍事輸送が本格化(この頃、西寒川~相模海軍工廠内に0.8kmの側線が敷設されたと思われる)
・昭和19年(1944)6月1日 – 旧相模鉄道分が運輸逓信省に買収される
 四之宮口駅から西寒川駅に改称、四之宮駅~西寒川駅間廃業
・昭和29年(1954)10月 – 寒川駅~西寒川駅間の旅客営業が廃止(昭和21年頃から旅客列車の運行は無かった)
・昭和35年(1960)11月15日 – 寒川駅~西寒川駅間の旅客営業再開
 相模海軍工廠跡地に民間企業の工場建設が進み、通勤者の足となった(旅客は1日3往復と貨物は1日1往復)
・昭和45年(1970)7月10日 – 貨物取扱を廃止し、営業範囲を「旅客」のみへ改正
・昭和59年(1984)3月31日 – 廃線。62年の幕を閉じた
 (当時は1日4往復の運転でした。近隣の企業は就業時間と合わない為、各企業で送迎バスを運行していました。) 

4.廃線後の跡地利用

(1)一之宮緑道
 昭和62年(1987)に完成。大門踏切付近のゲート広場から八角広場まで、900mの緑道で途中の一之宮公園内に約200mにわたって西寒川支線のレールが保存されています。平成30年に寒川ロータリークラブによってソメイヨシノの植樹が行われました。

(2)一之宮公園
・平成2年(1990)11月2日 – 開園 
 元は相模海軍工廠にガスを供給する設備(ガス加工所とタンク)がありました。昭和20年(1945)12月15日に東京ガスに引き継がれ、東京ガス平塚営業所寒川派出所となり、昭和32年(1957)3月31日で寒川事業所はガス製造を停止しました。(東京ガスに引き継がれる前の資料は不明です)
 昭和58年(1983)10月に「丸太の広場」として一度開園しました。その後、町制施行50周年記念事業として再整備を行い開園しました。敷地面積15,048㎡あり。「かながわの公園50選」に選ばれています。公園内には約40本のソメイヨシノが植えられ、春は桜の花のスポットで、夏は深緑、秋は紅葉と近隣住民の癒しの場となっています。

(3)八角広場(旧西寒川駅跡)

・平成元年(1989)3月 – 広場として整備され、一之宮緑道の終点にあたります。八角形の噴水があることから、その名前がつきました。広場内には約20m当時のままのレールが保存されています。

5.一之宮緑道、八角広場に保存されているレールにも歴史がありました。

 明治5年(1872)に新橋~横浜が開通したころ、レールは輸入していました。
 明治34年(1901)に官営八幡製鉄所の開設に伴い、国産レールの圧延(※1)が開始されましたが大正15年(1926)頃までは生産が追いつかず輸入品と併用されました。この頃より生産体制が整い、レールの国産化が完了しました。
(※1)金属の塊を、ローラーの間を通して圧力で延ばし、板・棒などの形にすること。 

公園内のレール調査を実施

一之宮公園内及び八角広場内に保存されている全レールを調べました。レールは一之宮公園内に36本、八角広場に6本(合計42本)あります。一番古いレールは1909年(明治42年)のもので、109年前に製造されたものです。他には製造年が西暦では無く皇紀の年号の刻印レールもあります。

①レールの製造年刻印と本数

②レールの刻印例と刻印内容

.単位あたりの重量を表しています。上記写真を例にすると30は30kg/mとなります。但し、明治・大正頃の単位はヤードあたりの重量ポンドで表していました。

 75ポンド ⇒  37㎏/m
 60ポンド ⇒  30㎏/m

.マークは旧官営八幡製鉄所のマークで「マルS」と呼ばれています。Sは製鉄所の意味だそうです。

.製造年、通常は西暦で刻印、一部皇紀刻印のレールがあります。

 皇紀年号刻印

 第二次世界大戦中~戦後直後の混乱期(1941~1948年 昭和16年~昭和23年)に旧八幡製鉄所で圧延されたレールの製造年は西暦では無くて皇紀年で刻印されました。特に昭和20年(2605)西暦では1945年のレールは物資不足の時なので絶対数が少ないと言われています。
 八幡製鉄所の製造記録には、皇紀刻印での生産は昭和20年までとなっていて、昭和21年(2606)以降の刻印理由は不明と言われています。

.製造月を表しています。

 例)ΙΙ は製造月の2月を表しています。

.製鋼法の略語でOHはOpen Hearthの略で、「平炉」を用いて製鋼した材料を示す略号です。

.その他

 工  のマークは官鉄発注のレールを示すマークです。
 八幡製鉄の1910年代までの初期のレールの裏面やアメリカなどの1910~20年代の輸入レールによく見られます。

③枕木

 鉄道の線路(軌道)の構成要素で、レールを二本平行に埋設し、その下に枕木を敷いてレールを支えるものです。近年では木製以外のものが増えてきているので、標記も「枕木」から「まくらぎ」「マクラギ」に置き換えられてきています。
 従来の「枕木」はクリ、ヒノキ、ヒバやブナが多く使われました。腐敗対策としてクレオソート油による防腐処理が行われていました。
 現在では、コンクリート、ガラス繊維、プラスチック、金属など、腐敗しにくい材質に変わっていているので、従来の木製の枕木は高価で入手困難になっています。そこで枕木を模した輸入品が多くなっているそうです。 

西寒川支線跡に残る枕木の材質はクリのようですが、正確な所は不明です。

  廃線跡利用で、一部ではトロッコ等を走らせている所も有りますが、多くの所では線路を取り外しています。一之宮公園に写真を撮りに来ている人に聞くと、当時のままの姿で残っているのが「大変貴重だ」このままの姿を維持して残して欲しいと言われます。

 西寒川支線は今年で誕生96年に成ります。あと4年で100年を迎えます。
 貴重な遺産として後世に残して行く責任があります。

昭和57年(1982)大門踏切付近

昭和35年(1960)11月西寒川駅

昭和35年(1960)11月開業時の時刻表

昭和35年(1960)11月西寒川駅到着列車

昭和58年(1983)6月側線が無くなった時の様子

昭和59年(1984)3月31日さよなら運転の日

〇参考資料

 『寒川町史』 5、7、15、16

 『JR相模線物語』(サトウ マコト著 株式会社230クラブ)

 『レールの旅路』(太田幸夫著)

 『相鉄70年史』

 『東京ガス百年史』

 『線路を楽しむ鉄道学』(今尾恵介著 講談社現代新書)

〇写真提供

  寒川文書館

  森 和彦(寒川町観光ボランティガイド)

〇執筆

  森 和彦

——————– 

☆森和彦監修・執筆 寒川町観光協会編集・発行☆

『さむかわ廃線跡めぐり~西寒川支線~』ができました!

2023年3月、「西寒川支線」が一冊のガイドブックになりました。
歴史や社会背景、現存する貴重なレールに関する情報、周辺の観光・グルメ情報などがぎゅっと詰まっています。
「寒川町観光協会オリジナル観光朱印」がポポンと押せるページもありますよ♪
A5判 全18頁の持ちやすい仕様。鞄にすっぽりおさまって、散策のお供にピッタリ。
寒川町観光協会、寒川文書館にて配布中!
詳細は下のボタンをクリック↓

郵便番号2530111
住所神奈川県高座郡寒川町一之宮3丁目21−1