ゴールドマン・サックスの内定を断り、なぜ過酷なMLBマイナーリーグへ? 慶応大の外野手が、野球部OBに語った本音「どちらを選んでも…」常松広太郎の挑戦
ただ常松選手は「入部当初は、プロは目指していなかったです。まずチームでどうやってベンチに入るかを考えていました」。 2年まではベンチ入りできず。3年春の鹿児島キャンプ前に転機が来た。 「キャンプメンバーの選抜があって、4チームに分かれて総当たりで試合に出て、その結果で上から順に残りのメンバーを決めるみたいなものがありました」 なかなか良い結果が出ない。半ば諦めている中、最後の試合の最終打席が回ってきた。 「ホームランだけ狙って高めの直球を振ろうと思ったら、初球でまっすぐ高めが来て。その後は記憶がないんですけど、後で動画を見たら半端じゃないくらい打球が飛んでました」 会心のホームランだった。 波に乗っていると思いながらキャンプへ。だが「練習中にブレスレットを付けていて、それが部則違反で外出禁止になりました」。 練習は許可され、シートバッティングで打席に入ったらデッドボール。「やけくそだったので、監督に『もう一打席ください』って頼んで、そしたらホームランになった」
これで完全に波に乗った。「鹿児島で20試合くらいありましたが、本当に5割以上打てた。何が来ても打てる気がしました」 ワンチャンスをきっかけに、リーグ戦出場への道を切り開いた。 リーグ戦に出られるようになった後も必死だった。「打席内容によっては代えられるかもしれない。食らいついていった」 ▽朝から晩まで野球漬け、深夜に就活 就職活動を始めたのは2年の冬という。鹿児島キャンプの前だ。 「鹿児島のスケジュールで言うと、一日中練習し、夜のミーティング後に毎日2、3時間ぐらい就活していました」。キャンプでは朝から晩まで野球に打ち込む。私自身、選手だった1、2年生の時は、夜は疲れ切っていた記憶がある。 それでも、「キャンプ中にどうしても(就活で)やらないといけないことがあって、朝4時までやっていた時もあります」。 直後に練習試合があった。相手は青山学院大。マウンドには、後に中日にドラフト1位指名された中西聖輝投手がいた。