橋上秀樹
| 読売ジャイアンツ オフェンスチーフコーチ兼監督代行 #73 | |
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オイシックス新潟アルビレックスBC監督時代 (2024年5月) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 千葉県船橋市 |
| 生年月日 | 1965年11月4日(60歳) |
| 身長 体重 |
180 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手、捕手 |
| プロ入り | 1983年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1988年6月25日 |
| 最終出場 | 1999年10月2日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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| 橋上秀樹 | |
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| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2021年11月1日 - |
| ジャンル | 野球 |
| 登録者数 | 7120人 |
| 総再生回数 | 2,681,488回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年4月15日時点。 | |
橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投右打)、プロ野球コーチ、YouTuber。現在は読売ジャイアンツでオフェンスチーフコーチを務める。2026年シーズン交流戦より監督代行を任される。読売巨人軍の希望。実は石塚裕惺の父の同級生ではなく、石塚裕惺の父とは全くの他人である。将来的な現役復帰が嘱望され、現在MLB30球団全てからオファーが来ていることを明かしている。
経歴
[編集]現役時代
[編集]安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手へ転向し、主に守備固めや代打のほか、左投手の時にはスタメンや代打で登場することが多かった[1]。
1992年には自己最多の107試合に出場し、西武との日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とジョニー・パリデスと共にラッキーボーイ的存在になり活躍した。
1993年以降も主に控えではあったが、右の代打として活躍。
1996年オフに金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍。
1999年は不振に終わり、同年オフに戦力外通告を受ける。ヤクルト時代の恩師で、前年のシーズンオフに監督に就任していた野村克也に請われる形で、10月22日に阪神タイガースへ移籍。
2000年は一軍へ上がれず、9月23日に戦力外通告を受け、現役を引退。
引退後
[編集](2015年 東京ドーム)
引退後は現役時代から副業で営んでいたゴルフショップ「ゴルファーズマート甲子園」の経営に勤しみつつ[2]、東京ドームの日本ハム戦中継の解説者も務めていた。
2005年には、既に入団していた松井優典に請われる形で、二軍外野守備・走塁コーチに就任。新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが野村の監督招聘を計画していたため、野村の野球理論を理解しているコーチを招聘していたものであった。シーズン途中から一軍外野守備・走塁コーチ。
2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。
2009年シーズンには、野村の退任と同時に楽天を解雇[3]。野村は著書の中で打者分析や相手投手のクセの把握、戦術選択など意見交換できたし、よく支えてくれたと記している[4]。
楽天ヘッドコーチ退任後は日刊ゲンダイで「ヘッドコーチだけが知っている野村楽天の真実」というコラムを連載し、評論家として活動。
2010年にはスカイ・エー解説者を務めた。2010年10月27日に、ベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。
2011年にはチーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが、同年限りで退団[5]。
同年11月1日、読売ジャイアンツ一軍戦略コーチに就任。清武英利ゼネラルマネージャーの肝煎りで設立された戦略室の中心となる[6]。2012年は、狙い球を絞っての見逃し三振を容認することで四球を増やし、チームの出塁率を改善させた。日本ハムとの日本シリーズではコーチ登録を外れ、代わりに川相昌弘二軍監督がコーチ登録されてベンチに入った。
11月5日には野球日本代表の戦略コーチを務めることが発表された[7]。11月13日に、背番号が「75」となったことが発表された[8]。
2014年より一軍打撃コーチに転任して3連覇に貢献したが、同年のCSファイナルステージ敗退後の10月19日に球団へ退団を申し入れ了承された[9]。
10月29日、楽天の一軍ヘッドコーチに復帰することが発表された[10]。貧打解消のための参謀役として期待されたが[11]、2015年、前年のチーム打率.255、549得点がチーム打率.241、463得点、440打点と全て12球団リーグ最下位に低迷し[12][13]、順位も最下位に低迷し、シーズン最終戦終了後、翌10月7日に退団[14]。
2015年10月13日に2016年から監督の田辺徳雄をサポートする役割として本部長の鈴木葉留彦の招きで[15]、西武の一軍作戦コーチに就任することが発表された[16]。同年は打順や作戦面を担当、8月に入り「チマチマ1点取っても投手が持ちこたえられない」とバントや小技などの作戦を度外視し、打ちまくる方針に転換すると、勝ち始めるという、皮肉な結果になった[17]。
2017年からは、一軍野手総合コーチに就任することになった。
2018年は、一軍作戦コーチに肩書が変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後の10月21日に退団が発表された。
2018年10月30日、2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任することが発表された[18]。1996年以来23年ぶりの古巣復帰となる。2019年9月29日に退団が発表された[19]。11月30日、以前監督を務めた新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが、非常勤のチーム強化アドバイザー兼総合コーチとして橋上が就任することを発表した[20]。また、野球解説者としても活動する[要出典]。
2020年12月24日、10年ぶりに新潟の監督に復帰することが発表された[21]。復帰2年目のシーズン中となる2022年5月28日、胆嚢炎の治療を理由に監督を休養することが発表された(投手コーチの野間口貴彦が監督代行に就任)[22]。6月2日、翌3日の練習から監督に復帰すると発表された[23]。新潟がイースタン・リーグに移り、球団名が「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」となった2024年も指揮を執ったが、同年シーズン終了後の10月22日に監督を退任することが発表された[24]。
10月28日、2025年より厚い信頼関係を築いてきた監督の阿部慎之助の招聘で[25]巨人の作戦戦略コーチに就任することが発表され、11年ぶりに復帰することとなった[26]。背番号は75[27]。開幕前の3月4日にスコアラー兼任となる[28][注 1]。2026年からはオフェンスチーフコーチに役職が変更され、背番号も73に変更された[30]。
2026年5月25日、監督の阿部慎之助が自宅で家族への暴行を加えたとして、警視庁に現行犯逮捕される事態が発生した。これに伴い、翌26日より当面の間、橋上が監督代行を務めることが国松徹代表取締役社長から発表された[31]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988 | ヤクルト | 35 | 18 | 16 | 9 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | .125 | .176 | .188 | .364 |
| 1989 | 42 | 54 | 52 | 10 | 18 | 1 | 1 | 1 | 24 | 4 | 4 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | .346 | .358 | .462 | .820 | |
| 1990 | 25 | 26 | 22 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 7 | 1 | .227 | .346 | .318 | .664 | |
| 1991 | 59 | 215 | 195 | 29 | 56 | 9 | 2 | 5 | 84 | 17 | 5 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | 3 | 45 | 4 | .287 | .347 | .431 | .778 | |
| 1992 | 107 | 205 | 176 | 24 | 40 | 5 | 2 | 6 | 67 | 18 | 5 | 3 | 1 | 1 | 27 | 0 | 0 | 37 | 6 | .227 | .328 | .381 | .709 | |
| 1993 | 49 | 121 | 105 | 11 | 32 | 5 | 0 | 1 | 40 | 15 | 5 | 0 | 1 | 2 | 13 | 1 | 0 | 17 | 1 | .305 | .375 | .381 | .756 | |
| 1994 | 7 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
| 1995 | 34 | 67 | 57 | 7 | 17 | 4 | 0 | 2 | 27 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 8 | 2 | .298 | .403 | .474 | .877 | |
| 1996 | 16 | 27 | 24 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 2 | .167 | .259 | .208 | .468 | |
| 1997 | 日本ハム | 40 | 53 | 45 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 12 | 0 | .200 | .321 | .222 | .543 |
| 1998 | 91 | 94 | 83 | 11 | 25 | 3 | 0 | 1 | 31 | 12 | 5 | 2 | 1 | 1 | 9 | 1 | 0 | 20 | 2 | .301 | .366 | .373 | .739 | |
| 1999 | 38 | 37 | 28 | 9 | 6 | 2 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 7 | 0 | .214 | .389 | .393 | .782 | |
| 通算:12年 | 543 | 924 | 810 | 114 | 215 | 32 | 6 | 17 | 310 | 86 | 28 | 13 | 8 | 4 | 98 | 3 | 4 | 177 | 19 | .265 | .346 | .383 | .729 | |
記録
[編集]背番号
[編集]- 31(1984年 - 1992年)
- 7(1993年 - 1996年)
- 28(1997年 - 1999年)
- 48(2000年)
- 78(2005年 - 2009年、2011年、2015年、2019年)
- 73(2012年 - 2014年、2016年 - 2018年、2020年 - 2024年、2026年[30] - )
- 75(2025年)
関連情報
[編集]著書
[編集]- 『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』(2010年5月28日、日本文芸社)
- 『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則』(2010年11月30日、日本文芸社)
- 『そのとき野村が考えていたこと 野村克也の野球論、人材育成・組織術』(2011年2月5日、洋泉社)
- 『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』(2011年4月20日、双葉社)
- 『一流になるヤツ、二流で終わるヤツ - しのぎを削る野球界で見た「伸びるヤツ」の条件』(2012年5月1日、日本文芸社)
- 『参謀論: プロ野球最強コーチの「組織と人を動かす」言葉』(2019年3月26日、徳間書店)
- 『常勝チームを作る「最強ミーティング」 プロ野球監督に仕える「参謀」の役割』(2020年5月28日、カンゼン)
- 『阿部慎之助の野球道』(2020年9月29日、徳間書店) - ※阿部慎之助との共著。
- 『だから、野球は難しい』(2024年6月29日、扶桑社)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ 橋上秀樹『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』株式会社双葉社、2011年、216ページ、ISBN 978-4-575-15371-2
- ↑ 橋上秀樹『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』日本文芸社、2010年、102頁。
- ↑ 「ノム組解体8人クビ楽天躍進後の異常人事」『日刊スポーツ』2009年10月26日。2024年10月22日閲覧。
- ↑ 野村克也著、野球のメキキ 観戦力が高まる本、2012年、東邦出版、P153
- ↑ 「橋上秀樹監督退任のお知らせ」『新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ』2011年10月24日。2011年11月5日閲覧。
- ↑ 「【巨人】清武GM「戦略室」の新設を発表」『日刊スポーツ』2011年11月2日。2024年10月22日閲覧。
- ↑ 侍ジャパン コーチ人事について NPB公式サイト (2012年11月5日) 2015年4月15日閲覧
- ↑ 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧
- ↑ 「巨人、川口コーチ退任 橋上コーチは退団」『日刊スポーツ』2014年10月19日。2024年10月22日閲覧。
- ↑ 東北楽天 橋上氏がヘッドコーチ復帰 河北新報 2014年10月30日
- ↑ 「楽天 巨人・橋上コーチ招へい 貧打解消&参謀役期待」『スポーツニッポン』2014年10月19日。2024年10月22日閲覧。
- ↑ 2015年度 パシフィック・リーグ パシフィック・リーグ チーム打撃成績
- ↑ 2015年度 セントラル・リーグ セントラル・リーグ チーム打撃成績
- ↑ 来季のコーチ契約に関して 楽天公式サイト 2015年10月7日
- ↑ 渡辺久信著、獅子回顧録、125頁、2025年、カンゼン
- ↑ 「2016年度 コーチングスタッフ発表!」『埼玉西武ライオンズ』2015年10月13日。2024年10月22日閲覧。
- ↑ 「【球界ここだけの話(678)】西武・田辺監督、辞任報道が「最初で最後の一面」だった」『サンケイスポーツ』2016年9月28日。2025年3月11日閲覧。
- ↑ 「コーチ契約について」『東京ヤクルトスワローズ公式サイト』2018年10月30日。2018年10月30日閲覧。
- ↑ 「【ヤクルト】田畑投手コーチ、石井打撃コーチ、橋上2軍チーフコーチの退団を正式発表」『スポーツ報知』2019年9月29日。2024年10月22日閲覧。
- ↑ 新コーチ決定のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2019年11月30日)
- ↑ 「新監督決定のお知らせ」『新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ』2020年12月24日。2020年12月24日閲覧。
- ↑ 橋上秀樹監督休養のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2022年5月28日)2022年5月29日閲覧。
- ↑ 橋上秀樹監督復帰のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2022年6月2日)2022年6月2日閲覧。
- ↑ 橋上秀樹監督 退団のお知らせ - オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2024年10月22日)2024年10月28日閲覧。
- ↑ 週刊ベースボール2025年1月6日&13日号、48頁
- ↑ “巨人が新体制発表 橋上秀樹氏、松本哲也氏が入閣 1軍内野守備コーチに古城茂幸氏”. サンケイスポーツ. (2024年10月28日) 2024年10月28日閲覧。
- ↑ “来季のコーチングスタッフについて | 読売ジャイアンツ(巨人軍)公式サイト”. www.giants.jp. 2025年2月10日閲覧。
- ↑ 「2025年度 監督・コーチ一覧(読売ジャイアンツ) | 2025年度公示」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年5月18日閲覧。
- ↑ 「橋上 秀樹 | 選手情報」『読売ジャイアンツ(巨人軍)公式サイト』。2025年5月18日閲覧。
- 以下の位置に戻る: 1 2 「【巨人】「アジアの大砲」イ・スンヨプ新コーチの背番号は「90」 大田泰示氏「93」…コーチ陣の背番号発表」『スポーツ報知』2026年1月13日。2026年1月13日閲覧。
- ↑ 【記事全文】巨人 阿部監督の逮捕受け「進退含め処分を検討」 国松球団社長が謝罪 監督代行は橋上秀樹コーチと発表 - Sponichi Annex 2026年5月25日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 橋上秀樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 橋上秀樹アナライズTV - YouTubeチャンネル