「おごりがあった」世論を見誤った法務・検察 再審法案の攻防51日
刑事裁判をやり直す再審制度の見直し案が、法制審議会(法相の諮問機関)でまとまったのは、今年2月のことだ。
通常の刑事裁判で提出されないまま、検察や警察が保管している証拠がなかなか開示されない。再審開始決定が出ても、検察の不服申し立て(抗告)で審理が長引く。この二つをいかに改善するかが注目されていた。
しかし、政府法案のもとになる法制審案では、証拠開示の範囲が限定され、検察の抗告禁止が見送られた。「冤罪(えんざい)被害者の救済に背を向けた改悪だ」と批判された。
政府が法案を国会に提出する前には、自民党の事前審査で了承を得る手続きがある。審査のための部会は通常は数回以内で終わり、法案が修正されることはない。法務省幹部らは当初、「法制審の答申は変えられない」「最後は押し切ればいい」と語っていた。
ところが、3月下旬に始まった自民党の部会はいつもと違う様相を呈した。多い時には数十人が出席し、法務省幹部らと向き合った。法制審の議事録や法律の逐条解説を広げる議員もいた。
部会は非公開で行われたが、取材によると、議員たちからは法務・検察への不信が噴き出した。
「問題の本質は法務・検察が自分たちの過ちを認めないところにある」
「反省がないから、てんで違う方向に行った法律を作っている」
「法制審に法務・検察の意向に沿った結論を出させて、自民党を押し切ろうとしている」
部会は5月13日まで計11回、30時間超に及んだ。法務省は3回にわたり法案を修正。法務・検察にとっては想定を超える譲歩となり、一方で冤罪被害者の救済には一歩前進した内容となった。
部会の了承を得た後、法務省の最高幹部は朝日新聞の取材に言った。
「世論と乖離(かいり)していた。おごりがあった」
法務・検察は何を見誤ったのか。
再審制度を見直す政府法案の国会審議を前に、法務・検察vs.自民党の攻防の舞台裏を検証しました。
法務・検察、三つの「誤算」
再審制度を見直す刑事訴訟法の改正案が26日、国会で審議入りする。ここに至るまで、法務・検察にとっては三つの「誤算」があった。
自民党の部会から1年ほど前。法務省は昨年4月に法制審議会の部会で検討を始め、強気の姿勢をみせていた。
日本弁護士連合会(日弁連)が推薦した委員らは、再審開始決定に対する検察の抗告禁止などを求めた。だが、法務省が事務局を担う部会はそれらを次々と退けた。
法制審と並行して、法務省の刑事局長らは与野党の国会議員と頻繁に面会し、検察の抗告維持などを訴えた。政府法案の理解者を増やすためのいわば「ロビー活動」だった。
今年2月、法制審の答申が出て検察の抗告が維持された。法務省は答申に沿って法案をまとめ、3月下旬から自民党の事前審査が始まった。
法務・検察にとって最初の誤算は、法制審で封じたはずの抗告禁止論が再燃し、政府法案への支持が広がらなかったことだ。
稲田朋美氏、鈴木貴子氏、西田昌司氏ら発信力のある議員が検察の抗告禁止を迫り、自民党と法務・検察の対決構図に世論の注目が集まった。
法務省がロビー活動で理解を得たはずの議員はほとんど姿を見せず、出席しても沈黙していた。
法制審を経た政府法案の修正は異例だ。それでも法務省は、譲歩は不可避とみて4月15日の部会で修正案を示した。検察の抗告を受理した裁判所の審理期間を制限し、長期化を防ぐ案だった。検察の抗告を維持しながら裁判所を縛る内容は、かえって反発を招き、再修正を余儀なくされた。
前法相から断たれた退路
二つ目の誤算は「最大の理解者」から退路を断たれたことだ。
「次でダメなら法制審に差し戻します」。党司法制度調査会長として部会の取りまとめを担う鈴木馨祐前法相から、そう言い渡されたのだ。
再審無罪判決が相次ぎ、冤罪被害者らが法改正を求めて声を上げている。政権与党としては、法案提出を断念したとしても、そのまま放置することはできない――。そんな政治判断があった。
法務省内には激震が走った。法制審への再諮問は前代未聞だ。もう一度議論しても、世論の納得を得られる見通しはない。「勘弁して欲しい」「絶対に避けたい」。幹部たちから悲鳴が漏れた。
鈴木氏は再審制度の見直しを法制審に諮問した時の大臣で、その発言は重い。差し戻しを避けるためには、自民党の了承を得て、法案提出にこぎ着けるしかなかった。
自民党執行部から迫られた譲歩
三つ目の誤算は、自民党執行部から強く譲歩を迫られたことだ。
法務省は4月下旬に再修正案を固め、法案の付則に検察抗告の「原則禁止」を盛り込んだ。「近年における再審手続きに関する諸事情に鑑み」と書き添え、特例的な措置として位置づけた。
一方、刑訴法の本体である本則には検察抗告を認める規定が残されていた。抗告禁止を求めてきた自民党議員たちは、原則禁止を本則に明記するよう訴えた。
法務省刑事局や内閣法制局は強く反対していた。原則禁止を本則に上げれば、通常の刑事裁判での抗告のあり方など、法体系全体に影響しかねないとの懸念があった。
こうした中、政府法案に反対する議員の間で、検察抗告を認める本則規定の削除案が浮上する。検察抗告の廃止に近い案で、政府としては到底認められない。首相官邸幹部は「もう決裂だろう」と漏らし、法務省幹部は「あとは(法案提出断念の)責任を取るだけだ」とつぶやいた。
この状況をみた自民党政調会長の小林鷹之氏が動いた。「(法案提出できず)何も変えられないことだけは避けたい」。政府法案に反対する議員らの主張を受け入れ、原則禁止を本則に明記するよう政府に迫った。
自民党執行部から押し込まれたことで、法務省は「もうあらがえない」と本則化の調整に入った。3回目の修正が実現し、検察抗告の要件は、高裁への即時抗告、最高裁への特別抗告のいずれも本則で厳格化された。一時の状況に鑑みた特例ではなく、刑訴法の恒久的な要件となった。
自民党の部会は5月13日、法案を了承。法務・検察幹部は「ここまでの逆風にさらされた経験はなかった」と話した。
法務・検察にとっては、世論の深い不信と、それに本気で向き合ってこなかった組織の問題に直面した51日間だった。
26日からは、攻防の舞台が国会に移る。
捜査機関が保管する証拠のリスト開示や、開示証拠の公開禁止の是非など、残る課題は多い。政府・与党関係者は「これ以上の修正は不可能」と強調するが、参院では野党が多数を占める少数与党の状況だ。
4回目の修正もあり得る状況の中、国会での論戦が始まる。
「デジタル版を試してみたい!」というお客様にまずは1カ月間無料体験