旧形国電の思い出【仙石線編】
1981年の高架化前の西塩釜↔︎東塩釜間は現在より山側を通る路線で西塩釜から本塩釜へ向かう区間は如何にも頼りないガーター橋を降りて行く独特の雰囲気でした。手前は塩釜貨物線です。車両はクハ79900先頭の2両編成。所蔵写真です。
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キット組立てと完成品加工で、旧国末期の各路線の車輌達を揃えることをライフワークとしてます。101系103系、昭和時代の関東私鉄車両も好物です。
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佐倉まで都営6000形の保存車を尋ね、車体のディテールを確認してきました。先頭車ではないのが残念ですが、非冷房時代のままの車体は貴重です。室内も車内広告など当時のままで残ってました。停滞していた模型の製作を再開したいと思います。
気になっていた京急八ツ山橋の架け替えのため現れているトラス。こんな形だったんですね。これでは中を電車は通れません。これは横浜方の仮設トラスでこの後ろに本体トラスを組立て、押し出した後、この仮設部分は解体するそうです。
旧形国電の思い出【房総ローカル編】
さよなら列車の乗務員さんの記念撮影です。先頭はクハ79341でした。国鉄時代の千葉局といえば千葉動労の過激さが時に話題となりましたが、皆さん晴れ晴れしい顔をされていますね。1977年9月28日、銚子。
今日はこちらに。わずか8年で廃止となってしまった姫路市営モノレールの保存車を見てきました。ロッキード式の跨座式モノレール。両運と片運車両を適宜繋いでいたようで、なかなか興味深いです。
私のアルバムから/その149。展示車ではありませんが、大宮工場から出場間近のクハ103-765です。京葉区から豊田区に転属するに当たり塗装変更されましたがスカートが装着されたままになってます。豊田区ではスカートは外された様なのでこの瞬間だけの記録かと思われます。2000年10月28日。
旧形国電の思い出【房総ローカル編】
房総各線では電化後各地から集められた73系がローカル運用を担っていました。北総電化後の1975年には170両以上の73系が津田沼電車区に配置されてましたが、徐々に113系化が進められ、1977年9月28日成田線経由で千葉↔︎銚子間にサヨナラ列車が運転されました。
私のアルバムから/その643。更に5年遡った1986年頃の記録です。6000系の6050系への更新が急ピッチで進み混結編成が見られた時期です。6000系の窓は開いてますね。当初はそのまま冷房化も検討されましたが野岩鉄道の開業を控えイメージアップの観点もあり車体載せ替えとなりました。北千住。
旧形国電の思い出【房総ローカル編】
房総の旧形国電といえばこの車両を忘れる訳にはいきません。所蔵写真です。クモユニ74と2両で快速線を下るクモハユ74。1975年から4連となったので快速線が完成した1972年から程ない頃の撮影と思われます。右のビルはロッテ会館。錦糸町ですね。
私のアルバムから/その6。1996年の武蔵野線からもう1枚。武蔵野線の201系は1986年3月改正から投入されましたが、最盛期でも3本の運用に止まりました。全運用8連化のため1996年10月には運用終了。スカートは付いたものの種別表示器の無いオレンジボディはスッキリ見えますね。1996年4月29日、北朝霞。
私のアルバムから/その754。
天王寺で発車を待つ新快速です。阪和線の新快速はなかなか利用者が伸びず、1977年に和泉砂川と熊取を停車駅に追加。しかし大きな効果はなく翌年10月改正で姿を消しました。廃止直前の1978年9月29日の撮影。停車駅案内板で快速との差異がわずかしかない事がわかります。
旧形国電の思い出【仙石線編】
アコモ改造車の石巻行き普通電車。103系高運顔に黄色の警戒色は少し新鮮でした。パンタ車が2両続くところが旧国の証しです。アコモ改造車はこのあとスカイブルーに塗装を変えて1985年まで活躍しました。所蔵写真。
先日発売されたTOMIXの117系。走らせてみるとヤードに向かう勾配を登れないじゃないですか!当鉄道の勾配は設計上3%。今まで電車で登れなかった編成はなかったのですが。プラでも1M5Tでは厳しいか。同じTOMIXの113系は1M5Tで何とか登るのですが…。個体差という事は無いと思いますが皆さん如何ですか?
今夜のお宿の窓からの眺めです。気動車だらけ+ターンテーブル。どうでもいいJR気動車も止まってますが、キハ40と緑のキハ185も。リクエストした訳ではないですが、なかなかの眺めです。夜遅くまでアイドリング音が止まないでしょうから、気になって寝られないかもしれません。
この時の混結部のアップです。車体断面の差がよくわかります。
私のアルバムから/その742。
山崎カーブで捉えた475系立山1号糸魚川行きです。ヘッドマークにロザ2両に非営業ながらサハシも連結された堂々とした13両編成でした。当時は既にL特急雷鳥が主流でしたが、まだ大阪からは立山3往復、ゆのくに2往復の急行が残っていました。1977年8月4日。
旧形国電の思い出【富山港線編】
これも所蔵写真。73系の運用最終日は1985年3月13日でした。城川原の車庫で並んだ2両の920番台。79920と79922です。共に引っ掛けサボのフックが残っていたためサヨナラ運転に抜擢されたのではないかと思います。後任は475系、旧国の置換車両としては唯一ケースでした。
旧形国電の思い出【鶴見線編】
鶴見線の虎の子モハ72970です。残念ながら入庫中でした。1972年に郡山工場で試験的に製作され、その後仙石線の970番台や身延線の62系の礎となりました。103系ボディにぶどう色の塗装も意外と似合ってました。1977年1月25日、弁天橋区。
日向市まで丸の内線に会いに行ってきました。かなり状態は悪いですがまだ健在です。台車部分にのみレールが敷いてありました。ブエノスアイレスとまで行きませんが、遠い九州の地に渡った赤い電車も貴重です。残念ながら逆光で写り悪いですが。
旧形国電の思い出【鶴見線編】
今や新車が投入されるようになった鶴見線ですが車両の転配では首都圏で1番優先順位が低く、17m車から73系へ置換え後も旧63系を中心とした布陣でした。初めて訪問は1976年12月、当時の鶴見線らしく木枠窓のクハ79が並びました。1976年12月4日、国道。
私のアルバムから/その724。
MT46の軽いモーター音を響かせながら新子安を通過する153系15連。列車番号が302Mと表示されてますが下り線を走ってるので明らかに誤り。302Mは東海2号でごてんば2号併結なので編成も異なります。高運500番台の幌付きもなかなか良いです。1978年4月1日。
私のアルバムから/その645。昨日ポストした北千住駅7番線での待避風景です。幸手行き普通の横をすり抜けるDRCきぬ。当時は上り特急は北千住に停車しましたが下りは通過、浅草の次は下今市でした。1986年頃。
東急5200系の記録。1979年春には5200系もとうとう5連化されます。当然今さら5200系を増備する訳にもいかず、5117を挟むことになりました。メカニズムは同じながら塗装車と混結、かつ車体断面の違いも目立ち、異端形式がさらに異端編成になりました。1979年5月23日、二子玉川園。