赤い糸など知るものか
幸運Eふたりのお見合い。
女体化です。時代設定が適当です。
この後は波乱万丈、様々な障害を乗り越えて最終的にケンカップルになるんじゃないかと思います。
前作までのブックマーク・コメント等ありがとうございます。精進してまいります。
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ほのかなランプの灯の下。白い指が、宝石の表面をこつりと叩いた。
「見えたわ。アーチャー」
占盤と製図の上に規則正しく並べられた宝石達。机の前に立つのは夜の髪、瑠璃の瞳を持つ紅衣の少女。
「貴女の生まれ月から計算して、今月の7日と16日が一番“良い知らせを受ける”日。逆に良くないのは11日ね。“悪い風が吹く”日。
大事な予定を入れるなら、16日にしなさい」
「そうか。ありがとう、凛」
斜め向かいにある大きな机には、ひとりの女が座っている。腰まで伸びた乳白色の髪を背で束ね、浅黒い肌には赤い狩衣。背後の壁には銀の糸で編まれた鳥の紋章。
手元の書類に何か書きつけていた手がぱたりと止んだ。一度、几帳面に重ねた角を机の上でそろえ、後ろで静かに待機していた黒服の女に渡す。
「とりあえず、良い日のほうで打診してみる。舞弥女史、こっちの書簡も頼めるか?」
女の名はアーチャー・エミヤ。
ここは二百年の歴史を持つ公国アインツベルンが王城の一室。城主の名はアイリスフィール、アインツベルンの麗しき女王であり、このアーチャーの義理の母でもある。
「……お任せを。アーチャー様」
舞弥と呼ばれた女は王族の側近を務める侍従。親愛なる王女の言いつけに、忠実な彼女は静かに目礼した。
「に、しても珍しいわねえ。現実主義の貴女がいきなり占いしてほしいとか」
と、王族に対するにはいささか馴れ馴れしい口調で訊ねるのは黒髪の少女、遠坂凛。
弱冠十七ではあるが、れっきとしたアインツベルンの宮廷魔術師である。仕事は終わりとばかりに占盤を押しのけ、机に置かれたカップを優雅に傾けるさまはなるほど、貴族家の当主に相応しい。
「ああ、じつは……」
「―――おい!アーチャー!」
日焼けした唇が何かを言おうと開いたちょうどその時。あわただしく扉があいて、小柄な影がひとつ飛び込んだ。舞弥と凛がそろって目を丸くし、アーチャーは相手を視認したとたんに渋面を作る。
「なんだ愚弟、昼日中から騒がしい。少しは落ち着きを覚えたらどうだ。貴様がさえずったところで耳障りにしかならん」
「俺はスズメかなんかか!
……ってそうじゃない。おいアーチャーお前、外国の王子に会いに行くって、ホントか!?」
「ああ。するが?」
けろりと答えた王女に、士郎という名の弟王子はその場で硬直し、凜はティーカップの持ち手をうっかり圧し折り、侍従の舞弥は書簡をばさばさ落とした。
***
「ねえアーチャー。今からでも断っておかない?」
「何度も言わせるな、切嗣」
ここ数日、すでに数えるのが馬鹿らしくなったやり取りにアーチャーは眉間を抑えた。
アインツベルンの王城では通常の夕食も、VIPを招いての晩餐会も同じ大広間でとるが、食事を終えて夜も更ければ、国王一家は自然と談話室にあつまって他愛ない話に花を咲かせる。
幼少からお気に入りの猫柄クッションに豊満な尻を預け、どっかとソファにもたれた王女は養父である国王をやや不遜な態度で一瞥した。
……さすが僕の育てた娘、どんな格好させても絵になる!と王が内心でごろにゃん状態であることは知らない。
「そもそも、王侯貴族の子で私の年齢なら、見合いどころかすでに婚約が決まっていてもおかしくないんだぞ。縁談ひとつでいちいち騒がないでくれ」
「それって政略結婚とか、相続とか血統目当ての結婚だろう!
何度も言ってるけどアーチャー、僕もアイリも君を国の道具とか胎盤に使うつもりなんてないからね!」
だん!とテーブルに手をついて抗議する国王であるが、隣の小さな王女が「おヨメにやりたくないだけでしょ」と斬って捨てたためにがっくりこけた。
「そー言ってまだ早い、まだ早いってそういう話を後回しにするから、アーチャーがこの年になっちゃったんでしょ。
私の大事な妹がイキオクレたらキリツグのせいね」
愛らしい容姿でしれっと毒を吐く娘、イリヤスフィール。
末娘であるが、上のふたりは王家の直系でないため彼女がお世継ぎ王女である。なお、「私が後継ぎならシロウとアーチャーのほうが私の弟と妹でしょ」とのことで、一家ではそういうことになっている。異論は認めない。
「じゃ、イリヤはアーチャーがお嫁に行っちゃってもいいってうのかい?
僕は許しません!うちのかわいい養女、どこぞの馬の骨になんかやらないんだからねーー!」
「もーキリツグのイシアタマ!ガンコオヤジ!」
「おちつけ、じいさん」
茶を淹れて戻ってきた末の王子は、綺麗な赤い目を吊り上げる小さな姉、いい年こいて娘離れのできない自分たちの養父の姿を目の当たりにして大きなため息をついた。
うつむいて額を抑えるそのしぐさが姉とそっくりであることに気づいたのは唯一、今日もうちの家族は仲がいいわねえと笑って静観していた女王だけである。なお止める気はないらしい。
「そもそも、馬の骨ではないだろう、切嗣。曲がりなりにも相手も一国の王族だ。下手に断れば逆に角が立つ」
「……わかってるよ。
チ、ホントに馬の骨なら裏から手まわして潰して、ついでに尻撃ちぬいて一昨日来いって塩撒いてやるのに」
顔を歪め、八つ当たりのように茶請けを頬張る王。
彼とて、すでにこの話を撤回することが出来ないのはわかりきっている。結果がどうなろうと一度は先方と顔を合わせなければ収まらないのだ。
相手はアインツベルンとも多少は交流のある国、赤枝の国アルスターの国王の甥。戦闘部族“影の国”の女族長スカサハに教えを受けた生粋の戦士だという。
なお男の名を聞いた時の凛と、メイド頭のセラの反応は「いいの!?あの王子、すっごい女たらしって噂よ」「なるほど、つまり野蛮人でございますね」だった。
アルスターの王子、顔も知られぬうちにぼろくそである。
「でも、俺が言ってもしょうがないけどさ。本当にいいのかアーチャー?相手がどうってのを置いても……その、アハトのお爺様だって聞いたぞ。この話持ってきたの」
「知っている、そしてくどい。本当にしょうのないことだな」
しっしっと弟を追い払って茶を味わうアーチャー。あの爺本当に余計なことしかしないよね、と昏い眼でつぶやく切嗣。
先代王アハトは引退しているが、何かといらんことをしてくれる御仁である。王家の直系より外れたアーチャーと士郎を内心で疎んじており、そのせいで実の孫であるイリヤスフィールにすら毛嫌いされている。
そんな昔気質の老害が見合い話を持ってきた時点でお察しというもの。大方、嫁入りとの名目でアーチャーのほうから先に追い出してしまおうという腹であろう。うまくいかなくても責任はアーチャーにかぶせることができる。
「だが、あの御仁も存外抜けているというか……安心してくれ。私も成功させる気はさらさらない。
今回のこれはいわば、お断りするための手続きだよ。私はまだ当分嫁ぐ気はない」
切嗣が明らかに安堵した表情を浮かべるが、士郎とイリヤスフィールはどこか釈然としない顔。あら、とアイリスフィールは少しだけ首をかしげている。
「もう断るって決めてしまうの?別に、お見合いしたらすぐに結婚しなきゃいけないってことはないのよアーチャー。
会うだけ会ってみて、ひょっとしたら素敵な殿方で気も合うかもしれないじゃない」
「出会ってすぐの相手に運命でしたなんて言う男は信用しないほうがいいけどね」
「……じいさんはちょっと黙ってくれ」
家族はいろいろと言うものの、実のところアーチャーは一生結婚するつもりがない。というか、できると思っていない。
王家の血を引かない王族という微妙な立場。道具にも胎盤にも、なってもいいと思ったところでなれない。弟のように人好きのする性格でもなく外交のカードにもならない。
凛やアイリスフィールのような美貌も、イリヤスフィールのような愛らしさ、天性の気品もない。
公務や行事等で街に出れば「きゃ~~アーチャー様よ!」「剣の君よ!」「きゃあ、こっちを向きなさったわ!」と悲鳴じみた声が聞こえてくる(なぜか若い女性ばかりである)ので、この容姿はそんなに異様であるのかと真剣に思い悩んだ時期もあるくらいだ。
生さぬ仲の自分たちを引き取り、心から愛してくれた両親にせめて何か返したくて。とにかく自分にできることをと鍛え上げた武術の腕を悔いたことはない。
だが感情論を排して、この見目が異性に受けるものでないことも承知している。そこらの男を軽く追い抜いてしまった背丈、みっしりと筋肉ばかりの大女を娶りたがる物好きなどそういないだろう。プライドが高くて目の肥えた王侯貴族ならなおのこと。
妻の器量なぞどうでもいいという輩なら、それこそ家柄か財産目当てだ。そんなのを外戚にしてしまったら国が乱れかねない。
アーチャーは別に、一生独り身でも構わないと思っている。陰でいろいろ言われたところで、自分が気にしなければいいだけ。義父母を支え、いずれ後を継ぐ義姉を支え、民を守ることができるなら―――充分に幸せな生涯だろう。
「なに、あくまで“向こうから断らなかったら”こちらから断るだけだ。私を見たとたんに席を蹴って帰るかもしれんだろう」
「私の妹を見るなり帰るようなヘタレなら、バーサーカーに言ってぶん投げてもらうわ」
「断るとかありえない!だってアーチャーは可愛いもん。惚れない奴は感性がおかしい。向こうから断らせるとかなしだからね!」
「じいさん、あんたさっきアーチャーは嫁にやらんとか言ってなかったか?」
―――やれやれ、子煩悩な親とべったりな姉弟を持つと苦労する。
ぎゃーぎゃー盛り上がる家族らに若干閉口しつつ、アーチャーの口元に浮かぶのはほのかな笑み。
この暖かさを、たとえ陰からでも守るのが自分の役目。それだけがずっと続けばいい。
***
「まさかとは思いますが……御見合いの日にもそのような格好で出向かれるおつもりですか」
メイド頭のセラがきつい目で睨みあげてくる。
そのような格好、とはこの狩衣のことだろうか。軽く腕を広げて見下ろす。日頃から手入れは欠かさないし、現にシミやほつれも見当たらない。
「似合わないか?」
「お似合い云々ではございません。そ・の・よ・う・な、格好で!御見合いをする、おつもりですか!?」
「いや、昔の晴れ着はもう小さいし……仕立ての新しいものだとこれか、これに近い衣装しか……」
狩衣とは名の通り、本来は狩猟や野外行事のために設計された衣服である。つまり、ぎりぎり礼服。ゆえに城中城下での公務の時も使いまわしているのである。
小さい頃は両親から贈られた少女用のドレスも着ていたが、最近ではもっぱらこれしか着ない。だって動きやすいし。意味わからん飾りもないし。
だが、完璧主義のメイドはお気に召さなかったらしい。
「ドレスがないなら新調いたしましょうアーチャー様。今すぐ採寸すれば余裕で間に合いますのでご安心を」
「……なんでさ」
「よろしいですか、アーチャー様?養子といえ貴女様もアインツベルンの王女。貴女の恥はアインツベルンの恥でございます。
かの国の姫君はドレスの着方も知らない、などと諸国の心卑しい輩に指をさされたいとでも?」
「うむ、もっともだ。セラ」
「しかも相手の御国は、かの古風なアルスターと聞き及びます。へたな格好で出向かれては何を言われるか……アインツベルンの姫君がアルスターの野蛮人に笑われるような事態、あってはなりません!」
「いやアルスターはそこまで野蛮な国ではないよ。昔行ったことがあるが、なかなか気品のあっていい国なんだ。
―――で、少し休んでもよいだろうか……」
「なりません」
だろうな。
少し泣きそうになりながら顔を持ち上げると、銀の留め金で編みこまれた髪飾りがしゃらりと鳴った。
苛立ったメイド頭と、その妹の怪力メイドに引っ張って行かれた先は衣装室。採寸と着付け用の狭い小部屋で、あれよあれよという間に狩衣を脱がされ下着姿に剥かれ、あられもない姿のまま革ひもをあてられて測られた。
あげく、仕立屋から「申し訳ございません……その、王女様はほかのご令嬢がたよりもたいへんその……発育がよろしいようで。少しお時間がかかってしまいますが……」と、もんのすごく済まなさそうに言われてしまった。地味に傷ついた。
それが先日で、今日が試着。
再び半裸にされたあと、着付けに邪魔だからと普段ゆるく結んでいるだけの髪をまとめ上げられて留められ、ついでとばかりに髪飾りを突っこまれ。あとはもう、ひたすら仕上がったドレスを着つけて、留めて、鏡とメイドたちとに見分され、脱いで、着て、以下繰り返し。
大きな姿見の中では、不似合いなほど上品なドレスを着た芋臭い大女がぐったりした表情で立ち尽くしている。ああ、やっぱり似合わない。
装飾は美しいものに施すから、映えるのだ。着飾っても化粧を刷いても、元が凡庸では滑稽にしかならない。
「やはりこちらの品がよろしいようですね。女王陛下のご衣裳と、ちょうどお揃いでございますし」
「はい。王女様は首筋と御肩の線がお綺麗ですから、首周りを引き立てるご衣裳がよろしいかと。ああ、銀細工がよくお似合いです」
「ほら、アーチャー。綺麗だって。見てみて」
―――人の気も知らんでこいつらは………。
「アーチャー、よろしいでしょうか?」
「生きてる、アーチャー?……ちょっと、その胸どこに隠してたのよ」
「もうリンったら、このブレイモノ~~!」
「わっ!セイバー!?凛、イリヤまで!?……ひゃっ」
慌てて振り返ったアーチャーだが、慣れないペチコートが足に絡んでうまく動けない。すってんとつんのめりそうになった長身を、騎士姿の少女が慌てて支えた。
「す、すまないセイバー。助かった」
「構いませんよ、足元にお気を付けを」
ふわりとした金糸の髪。たおやかな見た目に反し、人ひとり余裕で支える実力を持つ彼女は、城を守る騎士団の長である。その強さ、カリスマ性から部下や市井の民には“騎士王”の尊称で慕われている。
女王に忠誠を誓う騎士であり、王子達の剣の指南役でもあり、彼らの幼馴染でもある彼女は、見違えるような王女の姿にそっと翡翠の瞳を細めた。
「よくお似合いです、アーチャー。やはりあなたにはドレスも合う」
「かわいーじゃない!きっとアルスターの王子もめろめろねっ」
「あらアーチャー。その髪型ちょっとセイバーに似てるわね、普段と変わった感じで好いわ」
はしゃぐイリヤスフィール。優雅にほほ笑む凛。困惑した表情のアーチャー。
「き、君たち。なにをそんなに……あまり、ま、まじまじと見ないでくれ……」
彼女自身は決して認めようとしないのだが、装いを変えたアーチャーは傍目から見れば実に魅力的な生き物に変わっていたのであった。
紡いだばかりのまっさらな絹糸のような髪。すっきりと晒されたうなじは高級な鹿革を思わせる、滑らかでつやのある濃色。慣れぬ衣服に恥じらう、どこかあどけない顔立ち。唇には淡く紅まで差している。
普段、胴着で押さえつけている胸はふっくらと盛り上がり、襟に施された折り返しの淡色とあらわにされた肌色の対比が、見る者の目をいやでも誘う。たるみひとつない豊かな褐色の谷間。
そのくせ、さらに身体の下へと続く曲線はむしろ彫像のように無駄がない。
常日頃より重い剣を下げるために剣帯が食い込んで、驚くほどくびれて見える腰。否が応でも強調される、豊かに張り出した臀部、支えるすらりと伸びた脚―――すべてを余すことなく引き立てる、肌にぴったりと張り付くような細身のドレス。
ゆるく掛けられた飾り紐は腰のくびれから三角形を描いて下がり、スカートの上できらきらと揺れている。
これほどに円熟した女性の肉体を持ちながら、小首をかしげておずおずと物慣れぬさまはまさしく乙女。高い靴で恐るおそる歩く様子は小鹿のように愛らしい。
「……こりゃ、宝石を磨いちゃったかしらね」
「どっちかというと最終兵器ね。アーチャー、その格好に慣れるまでは外に出ちゃダメよ」
「む……わ、わかっている。私だって物笑いになりたくはない」
あっこの子わかってない。三人の心の声が一致した。
アーチャーは自分の容姿をことさらに過小評価するふしがある。いつものあの男装みたいな格好もその表れだ。動きやすさと効率を好む性格のせいも勿論あるが。
「まあいいわ。
それよりもアーチャー。こっちのブレスレットも付けてみたら?黒い革に赤い宝石!貴女こういう色、好きでしょう」
「こちらのネッカチーフはどうでしょう、アーチャー。薄い青地に銀の刺繍の。貴女の肌色に映えると思いますが」
「いっそティアラもどう?わたしとお揃いの、作りましょうよ」
過ぎた贅沢はよくないが、もう少し飾っていいはずだ。だって女の子で、一国の姫君なのだから。飾らないなんて冒涜的だ。
「もうどうにでもしてくれ……」
いつになったら衣装室から出してもらえるだろう。
どこか遠いところで冷静にそうつぶやく己を感じながら、アーチャーは鏡の前に戻っていった。
***
「よお。見合いすんだって?」
太陽神の神殿を遠目に眺める城内の演習場。抜けるような青空の下で鍛錬に打ち込んでいた青年は、やってきた男をちらりと眺めて愛用の槍を下ろした。
「なんだ、聞いてなかったのかよ?キャスター」
「いーや。聞いちゃいたが、まあてめえから聞いてみたくなったつうか」
豊かな青色の髪、炎のような深紅の双眸。照り付ける陽の下に立ちながら、白磁の肌は焼けるということを知らないらしい。怜悧に整った顔立ちはやってきた長衣の男も、汗をぬぐって立つ男もそっくり同じ。
「うちでも評判の放蕩愚弟が、やっと少しは炉端を作ることに前向きになったかね。お兄様は嬉しいぜランサー?」
「はっ。思ってないくせに。てめえがオレより無害とか誰も思わねえっつの、大人ぶってンじゃねえよ。
つーか勝手にまとまったことにすんじゃねえ、付き合いだ付き合い」
けっ、と肩をすくめる男は王国アルスターの国王の義理の甥。若くして国一番の戦士であり、アルスターの宮廷魔術師の弟である青年は、名をランサーという。
「付き合いぃ?……あー、金ぴかか。なんだ、またあいつの気まぐれか?」
「詳しくは知らねえよ。『いまだに心に決める女のひとりもおらぬ寂しい貴様に、この我がひとつ、似合いの女でも見繕ってやろうではないか。光栄に思えよ雑種!』とかなんとか言って一方的に予定押し付けてきやがったんだよ。
断るのも面倒くせえし……まあ、女を紹介するってだけならそう迷惑でもないだろ」
少なくとも、今までに奴がしでかしてきたわがままや傍若無人よりは害がないだろう。見繕ってやるとは言われたが、そのまま娶れとは言われていないのだし。
まあ内心、会ってみて相手の女が好みならそのままお付き合いするのもやぶさかではない。王族である以上、いずれは婚姻もきちんとしなければいけないし、ならば好ましい相手のほうがいいだろう。
「それにアインツベルンの女王は絶世の美人って聞くしな。あそこの王女様でお年頃ならさぞかし……」
「あぁ?アインツベルンの王女だア?」
まだ見ぬ高嶺の花をあれこれと想像してにやけるランサーに、兄のキャスターがふと微妙な顔つきになった。
―――アインツベルンゆかりの姫で、侯爵位持ち。歳は弟とちょうど同じくらい。
「ふ~~ん、なんだ。じゃあ女王の実の娘じゃねえな。アインツベルンのお世継ぎ王女はまだ小娘だ」
「……は?義理の娘か。どういうこった?」
アインツベルンの第一王女は、女王の血を引かない姫。
ランサーにわかるのは、とりあえず相手の容姿の度合はわからなくなったということだけだ。否、絶世の美女が一度に何人もいるわけはないから、確実にいくらかグレードは下がった。
「さあな。異国のお城の事情なんて知るわけねえが、想像はできんこともない。おおかた、初めからよその有力者に嫁いでコネ作るために養子になったとかのクチじゃねーの?」
肩をすくめるキャスター。キョトンとした弟の間抜け顔を眺め、にやっとあまり質の良くない笑みを浮かべる。
「アインツベルンは今のところ平和だが、先代まで内乱だのなんだので荒れてた国だ。安心のために他国に縁を作っときたいが、大事なお世継ぎは嫁にやれないし、だったら適当な娘でも拾ってきて“教育”して輿入れさしちまえ……とまあ、こんな考えがあっても不思議はねえわな」
「……ンだ、そりゃ。つまんねえ」
多少なりとも前向きに考えていた頭が一気に醒める。
政略結婚に否を言う気はないが、いくら何でも。いや政略結婚だからこそ双方にとって大事な者でなければ意味がないのだ。なんだその、とりあえず嫁がせさえすればいいみたいな理屈は。神聖なはずの婚儀を、事務手続きかなにかと間違えているのではないか。
それに乗る娘も娘だ。チップ扱いとわかって養子になったのか。地位や名誉につられたのか、それとも命令されて言いなりか。いずれにせよ気に食わん。
「なーにマジな顔になってんだよ。イヤなら断ってくりゃいいだけだろ、どうこう言ったって本人たちがまとまんなきゃ外野はどうしようもねえ。
気に入らないならばっさり振ってやれ。半端にうだうだ考えるほうが面倒臭ぇ」
―――うん。とりあえず、てめえは賢者の名を返上しろ。
***
「……」
「……」
どうしてこうなった。
しばし前、この見合い場所に連れてこられた時のアーチャーは、少しの疲労といささか大きな不安とともに一歩を踏み出した。
最終的に選び抜かれた衣装はやはりというか繊細な細工のドレスで、貴石をあしらった胸飾りと金刺繍入りの白い手袋、デザインをそろえたヒールの高い靴が付いてきた。歩きにくいうえにペチコートやらコルセットやらで息苦しい。
豊かな白髪は頭頂近くで結ばれ、大きく開いた褐色の背へと雪色の滝のように流れ落ちている。編みこまれた銀製の髪飾りが、頭を揺らすたびに鳴って煩わしい。
まあそれだけの価値はあったらしく、セイバーたちは誇らしげに手を打ち合い、養父は見るなり「綺麗だよあーちゃぁああ……!畜生やっぱりよその男になんかやんない!」と発狂し、養母は実に嬉しそうに「今度のパーティもその格好で出ない、アーチャー?」とにっこり笑った。
パーティか。男装での出席なら慣れているのだが。なお、横からセイバーが「ならば、私は騎士として出席することになっていますので。ぜひ一曲お相手を」と乗っかってきたので思わず頷いてしまった。……正直、女役より男役のダンスのほうが得意なんだが。
というかパーティの令嬢がたよ。姫君の身分のくせに男のなりで来る王女が面白いのか何なのか知らんが、先を争うように私とばかり踊りたがるのはやめてくれ。
まあ、普段女らしくない私が悪いのだが。そうは言っても、「えっアーチャー!?えっええっと、い、いいんじゃないか!女にしか見えないからびっくりした」と抜かした愚弟はとりあえず殴っておいた。
いや、それらはいい。
とにかく一応「女にしか見えない」格好で臨んだ見合い場所は、なかなかに趣のある古城であった。歳月を感じさせる石畳、豊かだが決してうるさくはない蔦の緑色。落ち着いた空気を愛するアーチャーとしては、思わぬ嬉しさである。
目の前にふんぞり返った金髪赤目がいなければ。
「なぜあなたがここにいるのかね、ウルク国王ギルガメッシュ」
「は、愚問だなフェイカー。ここは我の別宅ぞ。
アルスターの狗に貴様をめあわせるため、特別に貸し出してやったのだ」
いぬ、とはひょっとして今日会いに来たアルスターの王子であろうか。よりによってこいつの知り合いか。
馬子にも衣裳というのであったか、いやなかなかに愛いぞフェイカー、今ならば特別に我がエスコートしてやらんこともないと伸びてきた不埒な手をお気遣いなくと押し返して門をくぐる。
早くも嫌な予感がしてきた。
「お初にお目にかかります。
アーチャー・エミヤ・フォン・アインツベルンと申します」
「……ランサー・クー・フーリン・アルスターだ」
それでも少なくとも、相手を目の当たりにした時には嫌な予感など吹き飛んだのだ。
切れ長の、美しい紅玉の瞳。大理石の肌に、精悍な若い神のように整った目鼻立ち、どこか陰のある表情すら麗しい。これほどに完成された美貌を持つ人間、それも男性がこの世にいるのか。
何があってもうろたえないとあらかじめ気負っていたのでなければ、その場で腰砕けになってしまったかもしれない。
落ち着け私。ここにはあくまで義理立てとして来たのだ。岡惚れしに来たのではない。なんとか気を確かに持ち、儀礼用の笑顔を貼り付けた。
―――なのに、なんでこうなっているのだ。
「ランサー殿、先ほどからお茶を召し上がらないようですが……冷めてしまったのではないですか?……お口に合いませんでしたか。
なら新しいのを頼んで」
「…………いらねえよ。喉乾いてねえし」
「そうですか。では焼き菓子はいかがでしょう、我が城のメイドたちが」
「甘い菓子はもっと好きじゃねえ」
「……」
なんなんだ、この男は。
うっかり力を入れすぎてびきびき鳴りそうな儀礼用笑顔を何とか維持しつつ、アーチャーは内心で毒づいた。
よく磨かれたテーブルの向こう側でだらしなく頬杖をついた、秀麗な顔立ちの青年。紋章入りのマントを肩に流し、緩やかな衣を革のベルトで留めた、素朴ながらも主の実直さを物語るいでたち。
だというのに、その衣服をまとう当人からはちらりともやる気が伝わってこない。こちらから話しかけなければしらっと無言。何か言ってみても途中で遮られるうえ、二言目でもう終わってしまう。というかこちらを見てもいない。まるで退屈な授業を聞く生徒のように壁や天井の装飾を眺め、時折思い出したように眼だけ動かしてじろりと睨む。
そりゃこんなのが見合い相手で幻滅したのかも知らんが、こっちだって不本意なまま来ていて、それでもなるたけ不快にしないようにと努力しているんだぞ。少しは察しろ。
「ランサー殿は武術をたしなまれると聞きましたが、実は私も少々覚えがありまして。よければ一度お付き合い願えませんか?剣と、あと弓なら自信が」
「悪い、オレぁ槍なんでな。お綺麗な剣法もちまちま的射る弓も好かん」
「……」
もう顔すらこっちに向けてない。あからさまに窓見てやがる、此奴。
彼の背後、壁際に控えている緑の服の侍従は「もお知らん」と言いたげに頭を押さえている。
あと、こちらの背後にいるはずの舞弥からの圧がすごい。なんか闇の波動を感じる。
「男のウケ狙ってやってる程度の武術ならやめときな。お嬢さんの御遊びでやるもんじゃねえんだよ」
「……すみません。不快にさせたなら謝罪しましょう」
「すぐ謝りゃ男は引いてくれるって思ってんだな」
ぴきっ、と笑顔にひびが入る音がした気がした。
「悪いけど、口と見てくればっかで中身の伴わない女って好きじゃねえンだよな」
柘榴のような紅い瞳が、心底だるそうに眇められる。
「申し訳ありません……が、お気に召さないのなら、お帰りになってもよろしいのでは」
テーブルクロスの下。わなわな震えそうな手をきつく握る。
「は?見合いに来たのはお前だろ。追い返していいのかよ?」
「こちらから、無理に申し込む気は、ございませんので」
ああそうだ。どうせ好かれなどしないさ。よく知っているとも。こんな不器量女、この機会を逃したら殿方とのきっかけなど二度となかろうさ。
だからせめて誠意を尽くそうと思ったのに、口だけだと。中身がないだと?
「は……どうだかな。どうせお前も、玉の輿が目当てだろうが。いやお前の意志じゃねえか?なんて教えられた、アルスターの王族をオトして来いってか」
―――――ぷつん。
望みのない縁談とは思っていた。
相手のせいではない。好かれる要素がこちらにないだけだ。彼だって、期待してやってきたら姫とは名ばかりの可愛くない女で、さぞ落胆しただろう。申し訳ないことをした。
だからって、これはないのではないか。
慣れぬドレスに化粧までして、生意気と思われないように話題にも気を使って、自分はそれなりに頑張ったはずだ。
なのにろくすっぽ見もせず、話もせず、挙句に自分のことならまだしも身内まで小馬鹿にしたような物言い。こちらを一方的な礼の払い損にさせておいて、勝手に払ったんだろうと言わんばかりの態度はなんだ。貴様にそんな価値があるとでも?
………ああ。ならもう、こちらも礼を払ってやる必要はないな?
「私の意志ではない、だと?ああ確かにその通りだなランサー。貴様との縁組みなどたとえ土下座で頼まれたところで願い下げだ。そんな品性の欠片もない台詞を口説き文句の代わりに吐くような男とは。いや恐れ入った。アルスターではどうやら礼儀がひっくり返っておるらしいな」
ハッ、とこれ見よがしに鼻先で嘲笑し、心持ち顎を反らして眺めてやれば白皙の顔が面白いように固まった。
「どうした、ランサー?お姫様のお遊びでやる武術は好きじゃないのだろう?だからわざわざ会話でお相手してやろうというのに不満なのかね。ああすまないな生憎わたしは口先ばかりの女でね。
ところでさっき玉の輿がどうのと聞こえたが、私の気のせいかね。君のどこをどう見たらそんな価値のある殿方になるのだろうか。犬語のわからない私にもわかるように教えてくれないか?」
アーチャーにとっては挨拶のような軽さだったのだが、たっぷりと侮蔑を含んだ流し目を食らったランサーは見る間に顔を赤く染め、グルルと獣のような唸りをあげて睨んできた。
「テメェ……女とはいえその侮辱、ただで帰れると思ってんのか」
「こちらのセリフだな。先に私の身内を侮辱したのは貴様だろう」
ふん、つくづく残念な男だ。この期に及んで私を女扱いするところは褒めてやらんでもないが。
「お手合わせも嫌、口先も好かんときた。ハッ、つくづくわがままな殿方もいたものだ。ああそれとも、女ごときに負かされるのが怖いのかね?アルスターの王族殿がまさかそんな腰抜けなことをおっしゃると思ってはいないが、もしそうならもっと聞き分けのいい箱入り娘を探すといいさ」
「!てっめえオレが腰抜けと……!!」
ばあん、と凄まじい音がした。
ランサーが激昂のあまり、その大きな手でテーブルをひっぱたいて立ち上がった音と、すぐにわかったのだが。
「…………あ」
「…………あ?」
ぽた、ぽた。ぴちゃん。
白い生地に濁った赤茶色の液体が広がる。
弾みに跳ね飛んだ、すっかり冷めたランサーの紅茶がアーチャーのドレスを直撃していた。
さすがに状況のまずさを理解したのか、立ち上がったそのままで硬直している駄犬(犬でこれだけ始末が悪いのだから駄犬で十分だ)を見つめて十秒。
アーチャーはゆっくりと立ち上がった。長いスカートをたくしあげ、水面に立つ鳥のように優美な所作をもって。
テーブルを回り込み、ひょっとしたら万が一の確率で夫になったのかもしれない男の前に立ち、最後に一度だけ―――笑った。
その場にいたすべての者が見惚れるほどに、美しい笑みを浮かべて見せた。
***
「―――アンタが全面的に悪いですよ、御子様」
世話役のロビンフッドが冷たい視線を向けてくる。
「それはわかってるけどよ、……女があの場面で、蹴りでくると思うか?蹴りで」
ひっぱたかれんのとどっちがましですかね、とつぶやく侍従はさっきからせっせと薬草を潰して、氷水に漬けこんでいる。理由はもちろん、主である自分が怪我をしたから。
人形のように整ったランサーの顔、その左下顎には現在、菫の花で染め上げたように見事な青アザが浮いていた。
それはもうにっこりと、蕩けるような笑顔を不意打ちで寄越した王女はその笑顔をまったく崩さぬままに飛び蹴りを見舞ったのだった。機動力を削ぐはずの底の高い靴で、あの長いスカートで、よくもと思うほどに華麗な一撃だった。
思わず本能的に殴り返してしまった自分も大概だと思うが。
初めに見たとき、絶世ではなくとも十分に好ましい容姿だと思った。
草嶺の雪のようなふんわりした髪、濃く煮詰めた糖蜜色の肌。伏し目がちだったのでよくわからないが瞳も珍しい色で、魅力的だ。背の高さもスタイルの良さを際立たせる。
ただ、へたくそな笑顔を貼り付けて媚びるさまはもったいないと思った。これが町中のお忍びで出会った娘ならすぐに口説いたのに。こちらの機嫌を取ろうとするのが見え見えでつまらない。
ちょっと意地悪くしてやったらボロを出して泣き出すんじゃないかと邪心を出したわけだが……どうしてこうなった。
途中からがらりと変わった雰囲気、そしてあの初撃。あれはどう考えても箱入りの姫などではない。手練れの戦士だ。
もちろん、殴り返されて相手が黙るはずもなく、今度は髪の毛を千切る勢いで引っ張られた。そこからもう両者中庭に飛び出して、殴る蹴るの攻防を数発演じて、さすがに周囲の人間に止められて帰ってきた。
しかしこのオレとタイマン張れる猛者がいるとは。しかも王女……侮りがたしアインツベルン。
「しかし驚きました……まさか、御子のお相手がアインツベルンの“錬鉄の姫”とは……」
その時仲裁にはいったひとり、衛士のディルムッドがポツリとつぶやいた。
「えっ?あのお方、“錬鉄の姫”さんなんですかい?あー……そりゃ強いわ」
湿布を貼ってくれていたロビンフッドもまた、その名を聞くなりうんうんと納得したようにうなずいている。
ちょっと待て。なんかそれ、聞き覚えがある。
「オイ、あいつひょっとして有名なのか」
聞いた途端、ふたりは奇妙な表情をして顔を見合わせた。
さかのぼること数年前。ランサーがスカサハのもとへ修行に出向いていた年のことだったという。
アルスターの例年行事である武術大会に飛び入りで参加したひとりの女戦士がいた。赤い狩衣、褐色の肌に白銀の短髪。「エミヤ」を名乗り、得物は弓と剣。特に弓の部門では屈強な男すら難儀する大弓を軽々と操り、これまでの大会の記録を倍近くも伸ばして首位をさらってしまった。
剣術ではアルスターの猛者たちに譲ったが、紅い狩衣をひらひらとはためかせ、惑うような剣さばきはかつてなかったもので、大会が終わった後もあれはいったい誰だったのかと、戦士たち(と若い娘たち)の語り草になったものだ。
うち、誰かが言い出した。あの容姿に年恰好、あれは山奥の公国アインツベルンの女王の、血のつながらない娘御ではないか、と。だがそうであれば異国の王族がふらふらと出歩いていると言い立てているも同じであり、誰も真偽のほどは問えぬまま、ただ“錬鉄の姫”“剣の君”なるものの噂としてのみ残ったのである。
「確か御子殿もその噂をお聞きになって、惜しいことをした、そんな奴が来ていたなら絶対に戦いたかったのにと悔しがっておいででしたが……まさか、アインツベルンの姫とはご存じなかったので」
「ガセだと思ってたわコンチクショー」
「……やらかしましたね。言っとくけどこんなんで国際問題とか、無しにしてくださいよ」
もはやため息しか出てこないロビンフッドが、ふと後ろを振り返った。
薄水色の長衣をまとった青年が戸口をくぐってきたと思うと、部屋の中央で苦い顔をしたランサーを見つけては盛大に噴き出した。
「っぶ、よ、よおランサー。見合い楽しかったかよ……くく」
「キャスター、てめえ知ってて黙ってやがったな」
イライラと踵で床を蹴るランサー、くつくつと肩を震わせるその兄。
「ふ……まあ、この見合い、持ってきたのはギルガメッシュの野郎だろ?あの男はあっちの国に意中の女がいるからな、仲を取り持ったことにかこつけて会いに行くつもりだったろうが、よそ様の公私混同に突き合わされちゃうちの評判も落ちちまう。蹴って正解さね」
「ふ~ん……んで、本音は?」
「てめえが片付いちまったら兄の立場がねえ。まだ叔父貴や師匠にやいやい言われたくない。独身貴族万歳」
「くたばれ」
***
タァン、と子気味良い音を立てて、白銀の矢が的の中央に降り立った。
「………」
愛用の黒弓を引き下ろし、アーチャーは一度額をぬぐった。
城壁の一角にしつらえた弓の演習場。そこにひとり立つアーチャーは無論ドレスではない。いつもの狩衣でもない。長い脚をズボンと腰布で隠してはいるが、上半身には胸元を隠すサラシだけ。滑らかな褐色の素肌を光る汗が転がり落ちていく。
ちらりと眼を動かし、そろって中央だけを射抜かれた的の山を眺める。積み上げられたその高さが、彼女の苛立ちを如実に示していた。
(―――いや、あれは私が悪かっただろう。どんな理由があれ公衆の面前で恥をかかせていい言い訳にはならないからな)
自分もまだまだ青い、と溜息を吐く。
「あのっ……失礼いたします、アーチャー様!」
中庭に子雲雀のような声が飛んだ。
振り向くと十代半ばほどの少女がふたり、もじもじとしながら立っている。恰好からするにセラが教育しているメイド見習いの娘だろう。まろい瞳が愛らしい。
なにか、と尋ねると彼女らは子猫のようにぴょんと跳ねて、真っ白いタオルを王女の前に差し出した。
「良しければこれ、お使いください」
「ああ、ありがとう。ちょうど汗をかいたところだったんだ。すまないな」
けなげな気遣いに顔をほころばせ、タオルを受け取る。……なぜだかまた、小さく悲鳴をあげられてしまった。
てててて、と逃げるように去ろうとした彼女らだが、何を思ったかくるりと入り口で、もう一度アーチャーを振り返った。
「アーチャー様は、素敵です!わたくしたちは皆アーチャー様を尊敬しておりますから!」
一瞬何のことかと思ったが……ふ、と苦笑が漏れる。
あれだけ派手にやったら、遅かれ早かれ皆に伝わるだろう。
「大丈夫だよ、気にしていないから。
でもありがとう。君たちは優しい子たちだな」
小さく手を振ると、無邪気な娘たちは顔を赤らめて振り返し、出ていった。
―――どうも、うちの身内はいつまでも過保護だからな。
以前お忍びでよその国の行事に出向いた時だって後がいろいろ大変だったのに、今回の件ではさらにそうだ。
“お見合い”の顛末を話したときなどえらい騒ぎになりかけた。なんせ、報告を聞いた国王とそのお世継ぎの第一声が「山の翁への依頼料って今いくらだっけ」「バーサーカーを使えばタダよ」だった。冗談めかしていたけど、ふたりとも目が笑っていなかった。
淡々と報告をしていた舞弥ですら、その場にいたとき実は何度か暗器を抜きかけたのだと昏い瞳でつぶやいていた。
とりあえずあのとき、二階のバルコニーから大爆笑して眺めていた愉悦王のほうには、凛が高名な呪い屋である妹をたきつけたらしい。しばらくの間、さぞかしくすくすごーごーな悪夢にうなされることだろう。合掌。
「精が出るわね、アーチャー。また腕を上げたんじゃない?」
「イリヤ」
植込みの陰からひょっこりと白絹の頭がのぞいた。危ないから演習場の近くにかくれんぼしないように、といつも言っているのだが、「アーチャーもシロウも、的以外に当てるなんてありえないでしょ?」と茶化されてしまう。
「アーチャーがひたすらここにこもるときって、何かイライラしてるときよね。
ねえ、もしアイツのことなら、やっぱり一度ぼこぼこにしてきてあげましょうか」
「い、いや……違うよ。私が勝手にイラついているだけだ。
御姫様のお遊びなんて、そりゃ事実なんだから仕方ないが、やはり面と向かって言われるとな。でも私にも、そういわれてしまうような甘さがあるんじゃないかと後から思って……」
「なによー。やっぱりアイツが原因なんじゃない」
頃合いかと武具を片付け始めたアーチャーの後ろで不満げにしていたイリヤスフィールだったが、突然「ねえアーチャー!」と声を弾ませ、大きな妹を呼んだ。
「イライラするんだったら、もうぱーっと気晴らしに行こうよ!そうだ、もうすぐ狩猟祭の時期でしょ?」
「狩猟祭?あの、影の国の女王の妹君が主催で毎年やってるあれかね」
「そうよ。セイバーたちは遠縁だから毎年行ってるけど。今年はシロウやリンも誘ってみんなで行きましょうよ。
私、アーチャーの捕ってきてくれたお肉食べたいな」
「ふふ。姉上の仰せとあれば仕方ないな。わかった、手配しておこう」
確かに。適当に遊んで発散してしまえば、この変なもやもやも晴れるかもしれない。
何着てこう、お弁当は何がいいとはしゃぐお世継ぎの手を引いて、アーチャーは中庭を後にした。
***
はてさて、巡りあわせというのは案外、安直なもので。
「アルスターの駄犬!?」
「てめえ、アインツベルンの男女!」
この年の狩猟祭がどうなったかは―――また別の機会にお話しするとしよう。
END.
続き楽しみ待ってます!