「箕面市 西川潔様」送った手紙、現れた本人 40年続く活動の原点
連載「窓」
1986年の春、大阪の短大に通っていた18歳の岸本知子さんは、国鉄天王寺駅前で募金活動をしていた。応じてくれる人もいたが、厳しい言葉も投げつけられた。
「つらいのはあんたらだけやないで」
岸本さんが持っていた募金箱をはたき落とし、ジャラジャラと鳴った音に「よお入ってんな」と去っていく人もいた。
なぜ、こんな仕打ちを受けなければならないのか――。
悔しさつづり「お力添えを」
生まれる2カ月前に父親を交通事故で亡くし、高校生のときに交通遺児育英会の奨学生となった。短大へ進んだ後、奨学金の事務局から誘われ、募金活動に加わった。
同じ年の秋、再び募金に立つことになった。「また嫌なこと言われるかも」。その時、小さい頃から毎週見ていたバラエティー番組「素人名人会」の司会を務めていた芸人が思い浮かんだ。誠実で、人の話を聞いてくれそうな印象を持っていた。
学習机に向かい、万年筆で便箋(びんせん)2枚に思いをぶつけた。募金活動で向けられた冷たい視線や、募金箱をはたき落とされた悔しさ。社会や大人への怒りをつづった。
「生活苦で高校にも行けない仲間がいます。なんとかお力添えを」
その人の家が大阪府北部の箕面(みのお)市にあることは、当時の大阪では有名だった。細かな住所は分からず、宛先には「箕面市 西川潔様」とだけ書いた。
1カ月後のある日、自宅の電話が鳴った。
「お手紙読みました。次の日曜、行きますわ」。以前からの知り合いのような気さくな口調。西川きよしさん(79)本人だった。
「40年。あっという間っちゅう感じです」
10月26日。箕面の隣にある豊中市のスーパー前に西川さんは1人で現れた。子どもが教育を受ける大切さや、交通事故遺児の現状を自身の言葉で訴えた。忙しい合間を縫って岸本さんたちのことを調べてきてくれたことが伝わってきた。
西川さん自身、学びへの思いを断ち切られた経験があった。牛乳配達で家計を支えていた中学3年のとき、父親が十二指腸潰瘍(かいよう)となり、高校進学を諦めた。岸本さんの手紙を読み、当時の悔しさがよみがえったという。
それから40年、西川さんは年2回の募金活動にほぼ毎回、無償で参加してきた。2026年4月11日も、西川さんはなんば駅近くの広場に立ち、学生と一緒に募金活動をした。「お兄さん、おおきに」「大切に使わせていただきます」
西川さんは言う。「気づいたら40年、人生の半分。あっという間っちゅう感じです」
岸本さんは短大卒業後に百貨店に就職し、27歳で同僚と結婚した。2人の子どもを育て、58歳になった。
テレビのニュースで今も西川さんが街頭に立つ姿を見ると「私の手紙のせいで申し訳ない」と感じる。
でも、と続けた。
「困っている人を見捨てない姿勢が私の人生の道しるべとなった。私自身、次の世代に耳を傾け、手を差し伸べられる大人でありたいです」
連載「窓」
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- 大川千寿神奈川大学教授=政治過程論視点
1986年といえば、夏の参院選で西川さんが大阪選挙区で初当選を果たした年でした。以後3回同選挙区でトップ当選を重ねたのは、「やすきよ漫才」や「素人名人会」で親しまれた芸能人としての知名度だけでなく、無所属の立場から、この記事のエピソードにも表れているように、福祉分野を中心とした政策に地道に熱心に取り組んでこられたことも評価されてのことだったと思います。 多くの人がいる中で、一人ひとりの「困った」という声にどう向き合い、解決へとつなげていくか。今も街頭募金に立たれているという西川さんの姿、そして岸本さんの現在の笑顔からは、西川さんの代名詞「小さなことからコツコツと」の大切さを改めて感じさせられます。
2026年5月24日 08:18