【十二人の怒れる男】圧倒的な会話劇
「十二人の怒れる男」アマプラにて鑑賞。
冒頭とラストのほか全てが、蒸し暑くトイレ以外に行き場のない会議室で行われるという凄まじい一作。
テーマとしては法廷もので、集団的な無関心や蒙昧な思考、批判的な思考の重要性みたいなものも受け取ることができるが、それはそれとして本作の魅力は俳優の演技と演出にあると思う。
簡単なあらすじは以下
ニューヨークの裁判所。18歳の不良少年が実父殺害の容疑で裁かれようとしていた。12人の陪審員たちは評決の投票をするが、ただひとり陪審員8番だけが無罪を主張し、改めて審議が行なわれることに。それでなくても疲れきっていた11人は苛立つが、8番の説得によって次々と無罪に転じていく。はたして審議の行方は?
⚠️以下ネタバレあり
1.俳優の演技、巧妙な演出
判決を下すため、12人の陪審員は一つの会議室に押し込まれる。
物語はこの一室で、会話劇のみで進行するにも関わらず、それが停滞感を生まないほどの面白さ。
ヘンリー・フォンダ演じる陪審員の1人の発想、説得力のある話術によって、他の陪審員の思い込みが崩れていく様は爽快感すらある。
また、アメリカ人だからなのか、映画だからなのかわからないが、彼らは意見を発し、議論して、投票するという形をかなりうまく行っている。
このため小刻みに投票が実施され、これが得点ボードの役目を果たすことで、議論に区切りが生まれ、観る側にも親切な設計になっている。
男たちはしきりに暑い暑いと口にし、水を飲んだり汗を拭いたりしているが、モノクロ映画でも伝わるこの熱気は閉じ込められている疲労感を視覚的に表している。
閉塞感に気が遠くなりそうなシチュエーションだが、時折話が脱線しかけたり外を見やったり、リアルに休憩が挟まれることで13人目の陪審員である観客も集中し続けることができる。
シンプルだが12人の演技と脚本や演出の巧妙さによって、素晴らしい作品になっている。
2.陪審員制度について
作中、「陪審員は被告にも原告にも関係がないからこそ、個人的な感情を抜きに判断できるはず」というセリフがある。
たしかに一理あるが、逆に関係がないから適当でいいや、と考える人間がいないとも限らない(作中でもそういう人間が出る)。
陪審員制度は、「人は他人の人生を左右することに責任を感じるに違いない」という前提で存在するということか。
無関心によって、適当な判決が下ることはないのだろうか?
また、同調圧力の不安もある。
ヘンリーフォンダ演じる陪審員は、圧倒的マイノリティであるにも関わらず、被告が殺人をしたという証拠がないという考えを表明し続けたが、どれだけの人間が同じ状況で同じように考え動けるだろうか。
それも、無罪を確信するわけではない中で。
そして最終的に、12人の陪審員たちは少しずつ自分たちの思い込みに疑いを持ち始め、無罪に投票するわけだが、無罪が過半数を超えたあたりから、今度は無罪に向かう同調圧力が働き始めているのだ。
誰かが同調圧力に屈していないとどうして言えようか?
いろいろごちゃごちゃ書いたが、裁判と疑念というテーマで浮かび上がる思い込み、判断の難しさなど人間の弱さや不安定さが現れた大変面白い映画だった。


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