【キャス弓】領主はメイドと暮らしたい(WEB再録)
過去に出した領主キャスニキ×女装メイド(似合わない)弓の小説本のweb再録です。
お手にとってくださった方、ありがとうございました!
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特権階級も楽じゃない。
そりゃ外から見れば美味しいとこどり、恵まれた環境ってやつだ。幼い頃からキャスター様と呼ばれて頭を下げられ、食う物にも着る物にも困らず、終始誰かに世話を焼かれる。これで文句を言えば贅沢者だと誹られるだろう。
だが生まれてこの方、『美味しいとこ』をより多く欲するやつらのせいで陰険な面倒事に巻き込まれてばかりだ。オレは平和主義者じゃねえ。むしろ正面切っての戦いは望むところだが、水面下であれやこれやするのはオレの性に合わん。
それなりに頑張った時期もあったが、ある日ふとそういうのが全部面倒だと気がついちまった。こんなもの、矜持をかけて戦う必要もない。ならばどうすればいいか。
簡単な話だ、全部捨てちまえばいい。
そういうわけで実家を飛び出して、辺境の森奥にある古びた屋敷にオレは引っ込んだ。元は親戚の偏屈なジジイが領主として住んでいた屋敷だが、そいつが死んでからは放ったらかし。管理していた土地もそのままで、今は隣地区の領主が片手間に管理していた。そこに引っ込むということはオレがジジイの後釜に座るってことで、幸いにもそれに口出しをしてくるようなやつは今のところはいなかった。
まあ、そうなるわな。あそこは土地が肥沃なわけでもなし、目立った特産品もないからたいした税収は見込めない。旨味はゼロだ。ジジイ……前領主が領民から相当な恨みを買っていたという噂もあって、新領主のスタートはマイナスから。ンなところの後釜に座りたがるやつなんぞ、そういない。
それでもケチをつけられちゃ面倒だ。実家の金には手をつけずに身一つで引っ越せば、とやかく言うやつはいなかった。少なくとも表面上の話では。
おっと、身ひとつってのは間違いだった。番犬二頭も一緒だ。プロトとオルタ。白い毛皮にがっしりとした四肢を持っていて、なかなかにでかい。後ろ脚で立ち上がればオレの肩くらいはある。
ちょいと食い意地が張ってはいるが、賢いやつらだ。狩猟犬としても優秀で、森に引っ込んで暮らす分には十分すぎる供だった。とはいえ、屋敷内で犬二頭ができることはそう多くない。
前領主が雇っていた使用人がいればまた話は違ったんだが、一人として残っちゃいねえ。オレが屋敷に来たときにいたのは、隣地区の領主から管理を任されていたというカソックを着た男がひとり。
「いやはや、このような土地に来るとは。アルスター家にも物好きがいたものだ」
「なら、ここを管理してるお前も物好きになるのか?」
「さて、どうだろうな」
肩をすくめて笑うカソックの男からは実家のやつらと同じ気配、つまり性根の悪さが感じ取れた。絶対にお近づきにはなりたくない。こいつは自分の身内を心配するそぶりを見せながら、実際はその身内を追い込むようなタイプだ。ただの勘だが、この手の人間に対するオレの勘は外れたことがなかった。
「管理と言っても、時折屋敷の空気を入れ替えに来る程度だ。ここにはたいした財産も残っていないものでな」
そいつが言うには、領主が死んだ時点で残っていた使用人たちは金目のものを持っていなくなっちまったそうだ。前領主はよほど人望がなかったらしい。カソックの男も屋敷の鍵をオレに渡すと、それっきり姿を見せなくなった。
それは別にいい。あの男とは頼まれても関わりたくはねえ。けれど使用人が一人もいないのは予想外だった。オレが身の回りの雑事を全部一人でこなせりゃ良かったんだが、そういうのは最近まですべて使用人に任せていた身だ。たいした飯は作れんし、掃除も四角い部屋を丸く掃く程度。実家に比べりゃ小さな屋敷だが、一人と犬二頭では諸々持てあましてかなわん。
となれば人を雇うしかないだろう。実家の使用人を引き抜くのは駄目だ。誰の息がかかっているかわからん。辺境に引っ込んだオレをかまうやつなどいないと思うが、まったくいないとも言い切れなかった。用心するに越したことはない。
新たに人を雇うならば断然女がいい。制服はクラシカルなメイド服だな。スカートの丈は足首付近までのやつ。これは絶対に譲れん。なんでも肌を出せばいいってもんじゃねえんだよ。
古びた屋敷に可愛いクラシカルメイド、実にいい組み合わせだ。目の保養になるし、心も潤う。善は急げと相場より高めの給与を設定し、住み込みメイドの求人を紹介所に出した。
確かな人材が欲しけりゃ、遠坂紹介所だ。実家にいた頃から世話になっていて、ここに頼めばまず間違いない。女主人は年若いが、矜持を持って仕事をしている。アルスター家に顧客を売るような真似もしないだろう。
「ウチに頼んだのは良い判断よ。貴方には悪いけど、あの領主の後釜の下で働きたがるやつはそういないでしょうからね」
でもウチなら最高の人材を紹介するから、楽しみにしていて頂戴──
そう遠坂の嬢ちゃんがにっこりと笑って(オレにではなく相場よりも高めに用意した仲介料にだ)告げてから数日。今日は待ちに待ったメイド派遣日だった。
田舎に引っ込んだとはいえ、オレは領主としてやって来た身だ。引き継ぎ書類やらなんやら片付けなきゃならん仕事は山程あるのだが、今日はそれも手につきそうにない。自分で淹れた美味くもない紅茶を啜りながら、書斎で今か今かと待ち侘びる。
そこへワン、と犬の鳴き声が響く。
来客を告げるプロトの声だ。ついに来たか! 書斎を飛び出し、玄関ホールへと向かう足取りは軽い。
長く勤めてもらいたいからという言い訳、もとい正当な理由を元に、若い子を頼むと嬢ちゃんには言っておいたがどうだろうか。婆さんが立っていたらどうすっかな。年寄りを無下にはできんが、だからといってオレも可愛いメイドと暮らす夢を妥協する気は無い。
そんなことを考えながら期待に胸を膨らませ、玄関の扉を開く。
「よぉ、こんな外れの屋敷までご苦労さん……」
立っていたのは幸いにも婆さんではなかった。
だが、若くて可愛い女でもない。いや若くはあった。若くはあったが男だ。質素な黒シャツの上からでもよくわかる、鍛え抜かれ引き締まった身体をした男。
この辺りでは見かけない浅黒い肌と鋼色の瞳をしていた。特に目に付いたのは白髪で、それなりの歳なのかと思って顔を見れば予想外に若い。オレと同年代といったところだろうか。眉間に寄った皺がなければ、もう少し若く見えそうだ。
「えーっと、どちらさまで?」
問いながらも答えは想像がついた。それでも一応は聞いておかんと。もしかすると、隣地区の領主が引き継ぎの件で寄越した使いかもしれん。それか森を抜ける途中で迷子になった旅人の可能性もある。
というか、そうであってほしい。頼む。
「遠坂紹介所からの案内で来た。住み込み使用人の求人を出していただろう」
間違いなく出した。出してはいたが、これは予想外だ。こんなガチムチの男が雇われに来るとは思いもしなかった。
オレ、ちゃんと書いていたよな? 仕事内容は主に屋敷内の掃除、料理、その他雑務って。掃除ってアレだぞ、はたきとか箒を使うやつだ。人間をどうにかするほうじゃねえぞ。
「あー……たしかに、募集していたが。まさか男が来るとは思ってもいなくてだな」
頭をかきつつ、正直に答える。
男はオレの答えに眉間の皺を深くした。
「性別について、特に記載はなかったが」
「それは……そうだが」
そりゃそうだろう。何故なら『若くて可愛いメイド服を着た女の子に働いて欲しい』という欲望に忠実な募集要項で求人を出そうとしたら、遠坂の嬢ちゃんに却下されたからだ。
「うちは男女平等。よほど性別に左右される仕事でない限り、性別を指定した求人は受け付けないわ」
毅然とした態度で心意気を告げた嬢ちゃんは、今思い返しても立派なもんだった。二つに括られた黒髪の片方を手の甲でさらりと流し、若い女主人は言葉を続ける。
「だからこの『若くて美人でイイ身体をしている』なんて馬鹿みたいな項目も、もちろん却下よ。条件のところ、書き直して頂戴」
はっきりとそう言われれば、オレも募集要項を見直すしかない。そういうわけで『長く勤めてもらいたいので年齢は四十以下』と、性別不問の代わりにこじつけのような年齢制限を設けることしかできなかった。
だがな、オレはただおとなしく嬢ちゃんの方針に従ったわけではない。外せない重要事項はきっちりと記載していた。
「求人を確認してくれ。『メイド服の着用義務有り』って書いてあっただろう」
そう、オレはメイド服を着た使用人とのひとときを諦めはしなかったのだ……!
性別の記載はないが、普通に考えればメイド服着用義務のところに野郎がくることはないからな。そもそも、男用のメイド服なんてものはねえし。
我ながらよく考えたもんだ。嬢ちゃんは渋い顔をしていたが、制服の着用義務なんてのはよそでもよくある話だ。嬢ちゃんのポリシーに反してもいない。
「……ふむ、そこは見落としていた」
メイド服か、と男が呟く。
「いい趣味してんなお前」とでも言いたいのか。だが気にはしない。すでに嬢ちゃんから似たような言葉をもらっているからな。その程度の侮蔑で引くようなら、初めからンな願望は持たん。
オレは矜持を持ってメイドを雇うんだよ。長いスカートをひるがえし、せっせと働くメイドを眺めながら暮らすのがオレの求めるささやかな幸せだ。そのメイドをとって食うわけじゃねえんだから、いいじゃねえか。
まあ、据え膳になったらやぶさかでもねえがな。男としてそこは当然だろう。だが最初からその気で雇うわけじゃねえ。多分。
しかし嬢ちゃんは服務規定の項目を確認していたはずなんだが、なんで男が来たんだ? 問答無用で男を寄越せば諦めると思ったんだろうか。
ま、次はちゃんと条件通りのやつを遣してくれるだろう。何度も依頼主の募集条件を無碍にすれば、紹介所の名折れだからな。オレも一度目までは許すが、二度目はそうもいかない。仕事はきっちりとしてもらう。
「失礼した、こちらの落ち度だ。紹介所には私から連絡を入れておく」
ごねられるかと思いきや、男はあっさりと引き下がる。詫びるように頭を下げると、オレが声をかける間もなく去っていった。
なんだ、拍子抜けするぐらいあっさりだったな。こんな森奥までわざわざ足を運んだのだから、茶ぐらい出してやるべきだったか? 条件外だったとはいえ、玄関先で追い返したのは不義理だったかもしれない。
なんにせよ、今さら考えたところでもう遅い。今後あの男に会うことはないのだから。紹介所には自分から連絡すると言っていたし、次にやってくるのは今度こそメイドの女だ。
そこで、もうひとつ自分の不義理に気がついた。
ため息をつき、頭をかく。
そういや、名前ぐらいは聞いておくべきだったな。
──後悔した昨日のオレ、良かったな。さっそく名前を聞く機会が巡ってきたぞ。
会うことはないだろうと思っていた男は、またしても玄関に立っていた。
おかしいな。オレはたしかに言ったはずだ。メイドの女の子が募集条件だと。いや、違うな。正しくは『メイド服の着用義務有り』と言ったんだったか。
でもよ、それにしたってなあ。普通そう言われたら、「こいつはメイドの可愛い女の子を雇いたいんだな」ぐらいは察するだろう。むしろ察してくれ。こんなふざけた曲解をする前に。
「……」
昨日の男が、メイド服を着て立っている。
なんでだ? どうしてそういう結論に至った。ふざけてんのか。ふざけてるわりには大真面目な顔してんな。そもそも、そのジャストサイズのメイド服はどうした。どこで手に入れた。
「……よくサイズ合ったな?」
本来なら、「帰れ変態」が第一声として正解だったのだろう。だがオレの中の知的好奇心という輩は、疑問を解決することを優先してしまった。
ついこぼした言葉に、男は大仰に首を振ってみせた。
「何を馬鹿なことを」
いやいや、この場合どっちが馬鹿だと思う? 間違ってもオレじゃないだろ。呆れた顔で腕組んでるけどよ、メイド服を着たお前さんのほうがどう考えたって『馬鹿』だろうが。
「これは手製だ。私に合うサイズが売っているわけがないだろう」
そうだな、そうだろうとも。オレもひょっとしたらそうかなと思っていた。
だけどまさか、自分の手製だと得意げに胸を張られるとは思ってもみなかったわ。ちょっとした感動すら覚える。
男が着ているメイド服は、職人が作ったものと変わりばえしないように見えた。本人が主張した通り自作なのならば、たいした腕前だ。デザインセンスもいい。黒を基調としたロングワンピースに、控えめなフリルがついた純白のエプロン。清楚で洗練された素晴らしきデザイン。
大変悔しいことに、オレの理想のメイド服だった。
だが男だ。着ているのは男なんだ。
これが可愛い女だったら。いや、せめてただの女、このさい線の細い男でも文句は言わん。そう願ったところで現実は変わらない。実際にメイド服を着ているのは、明らかに線が太い部類の男だ。ついでに言うならオレより筋肉質で背もやや高かった。
正直に言えば、似合わない。
まったくもって似合わない。
似合うわけがないだろう。似合うと思って着ているのだとしたら正気を疑う。
白のエプロンに覆われた胸は豊満だが筋肉だ。おっぱいではなく胸筋だ。腰がくびれているように見えるのは鍛え上げられた上半身のせいで、当然女のそれとは違った。きっちりとボタンが閉じられた袖口から覗く手は骨張っていてごつい。それらしく装う気など一切ないのか、前髪は後ろへと逆立てられていた。
なんでだ。せめて前髪を下ろせ。メイド服に男らしさを強調してどうする。やるならとことんやれよ。とことんやったところで、その服が似合うことは一生ねえと思うが。
「これで募集要項通りだろう」
「あ、ああ。まあ、そうだな」
腕を組んだまま、男は得意げに告げる。あまりに得意げに言うものだから、反論も浮かばずに頷いちまった。
実際、『メイド服の着用義務』はクリアしている。間違いなく男が着ている服はメイド服だ。着ていることが間違いなのはさておき。男の年齢も、見た目から判断するに多く見積もって三十手前ってとこだろう。問題はない。
これでは募集要項にはない性別を理由に門前払いはできなかった。そんなことをすれば正当な理由もなしに不採用にしたとして、紹介所から今後人を派遣してもらえなくなる可能性がある。オレとしては正当な理由だけどな、似合わないメイド服を着た成人男性は嫌だってのは。
けれど嬢ちゃんにその理屈は通用しない。メイド服着用を義務付けちまったのはオレだ。ああ、どうしてそんな項目を付け足しちまったんだかなあ。いやだからメイドの女と暮らしたかったんだって。決してメイド服を着た男とではなく!
「……ひとつ聞いていいか」
「なんだね」
「その服、自分で似合っていると思うか」
瞬間、すうっ……、と男の目から光が失われた。
蝋燭の火を吹き消したかのように、鋼色の瞳から生命力が根こそぎ奪われる。
「……その件について、募集要項に記述はなかったと思うが」
虚ろな目に相応しい声で返される。似合わないという自覚はあったらしい。
なんだ、そういう趣味を持っていたわけじゃねえのか。「メイド服を着たオレ超可愛い」ぐらいは思っているのかと。すげードヤ顔をしていたし。
「それで、どうする。私は君に雇ってもらえるのか?」
死んだ魚のほうがまだマシに思えるような目をしたまま、メイド服の男が問いかける。なんで被害者みてぇなツラしてんだ。どちらかといえば、その格好は加害者だろう。被害者はもちろんオレだ。
さてどうしたものか。
オレはメイド服を着た可愛い女を雇いたい。欲望に忠実でいくのならば、こいつは不採用だ。だがこいつは募集要項に忠実に従い、自作したメイド服を似合わないと知りつつ着ている。その根性は買ってやりたい。
それに、また名前も聞かぬまま玄関先で追い返すのはあまりにも不義理だ。
「……仮採用ってのはどうだ? まずはお前さんの腕を見たい」
何故こうまでしてオレに雇われようとしているのかは謎だが、その努力に免じて一度は雇ってやろうじゃねえか。働きがイマイチであれば、それを理由に違う人間を紹介所から寄越してもらえばいい。条件にあったやつをこのまま突っ返すよりかは、印象悪くはならんだろう。万が一にでも男を気に入ったら、メイド服着用義務のほうをやめりゃいい。
「承知した。なに、後悔はさせん」
既に玄関を開けた時点で後悔はしているんだが……などと言えるわけもなく。
一つ咳払いをして、男に手を差し出す。
「オレはキャスターだ。お前さんは?」
「アーチャーだ。宜しく頼む」
アーチャーは組んでいた腕を解くと、オレの手を取った。当たり前だが男の手だ。硬くてゴツい上に、ところどころタコがある。おかしいな、本当なら今頃やわらかい手をした女と握手をしていたはずなのに。
「では早速だが」
挨拶も済んだところで、アーチャーは何故か扉の外へと出る。
かと思えば、すぐさま大荷物を手に戻ってきた。アーチャーの右腕には布がかけられた藤籠が二つ。片方には数本はたきが刺さっている。左手には二本のブラシが握られていた。
「なんだそれ」
「見てわからんのか。掃除道具だ」
それはわかるわ。つうかその口の利き方はどうなんだ。仮採用とはいえ、いや仮採用だからこそ主人にたいしてその態度。問題有りとみなされるぞ。こいつにへこへこ頭を下げて欲しいわけじゃねえけどよ。似合いもしないメイド服を着たごつい男に媚を売られたって、気味が悪ぃだけだ。
「その掃除道具を、なんで持ってきたんだって聞いたんだよ。それぐらい、うちにもあるぜ」
「失礼だが」
アーチャーは芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。
こいつ今、鼻で笑わなかったか?
「こんな玄関ホールを見せられて、まともな掃除道具があるとは到底思えん。埃が舞い、階段の手すりは手垢だらけ。窓の汚れも酷い。よくもまあ、ここまで放置できたものだ。呆れて物も言えん。それとも目が悪くて見えていないのか。眼鏡の購入を検討すべきでは?」
流れるように紡がれるアーチャーの言葉に、こめかみがピキピキと引きついた。
何が「物も言えん」だ、思いっきり言ってんじゃねえか。呆れるのはこっちだわ。
「わざわざそれだけの道具を揃えて来てくれてんだ。そりゃもう、完璧に綺麗にしてくれるんだろうな?」
「当然だ。私は遠坂紹介所から派遣されたんだぞ? この程度の仕事をこなせぬわけがあるまい。この屋敷の隅々まで磨き上げてみせよう」
メイド服の男は藤籠からはたきを抜くと、挑戦的にこちらへと突きつける。
「君は大人しく書斎にでも引っ込んでいたまえ。なに、昼食の時間にでもなれば声をかける」
「へいへい」
なんで使用人に、しかも仮採用中のやつに命令されにゃいかんのか。
腑には落ちないが、屋敷が汚れまくっているのは事実だ。掃除は週に一度すればいいほうで、それも自分の寝床くらいの話。玄関ホールなんぞ、ここに来てからまともに掃除した覚えがなかった。
けどよ、オレが来る前からこんなもんだったぞ。あのカソック服の男、たまに屋敷を見る程度でまともに管理してなかったに違いない。
「屋敷の顔である玄関がこれなら、他の部屋はさぞ素晴らしいことになっているんだろうな」
いちいち腹の立つ物言いをするやつだ。が、事実なので反論しようがない。それにその状況を改善しようと意気込んでいるのであれば、わざわざ水を差す必要もないだろう。オレにかまわず、思う存分好きなだけ掃除してくれ。
「想像に任せるわ。そんじゃ、あとは頼む」
ひらひらと手を振り、アーチャーの煽りを適当に流す。
お言葉に甘えて、オレは書斎にでも引っ込んでいるとしよう。雇い始めの男を敷地内で自由にさせるのには多少不安が残るが、オレの代わりにプロトとオルタが見張ってくれるだろう。
今のところ、二頭はアーチャーに敵意を感じてはいないようだった。けれど長身でゴツいメイド服の人間の存在には、やや戸惑っているようにも見える。何度もアーチャーに向けてぴすぴすと鼻先を動かしては、不可解そうに二頭は首を傾げていた。
そうだよな。女の格好なのに男の匂いがするんだもんな。そりゃそういう反応にもなるわ。
「キャスター様」
……今オレを呼んだのは、アーチャーだよな? この館にいる人間はオレとアーチャーだけだ。名を呼ばれたのがオレならば、当然呼んだ人間はアーチャーになる。うへぇ、「キャスター様」だってよ。慣れた呼ばれ方だが、この男にそう呼ばれると薄ら寒いものがある。
「キャスターでいい」
「主人を呼び捨てにするわけにもいくまい」
それ本気で言ってんのか?
そこを気にする前に、他に気にかけるべきところあったよな?
「その主人がいいって言ってんだ。二度も言わせるな」
「了承した。ではキャスター」
あらためてオレの名を呼び、アーチャーは藤籠の中から封書を二通取り出した。
「紹介状と私の身上書だ。……本来なら最初に渡すべきだった。すまない」
アーチャーは目を伏せると、頭を下げる。謝罪の言葉を口にしたのだと気がついたのはその数秒後だった。落ち着いた声音は先程までこちらを小馬鹿にしていたものとは随分違う。不意を突かれた気分だ。
ンだよ、そういう態度も取れんじゃねえか。
てっきり煽りをいれねえと話せないのかと思ってたわ。
「お、おう。なんだ、気にすんな」
オレが封筒を受け取ると、アーチャーは再び掃除用具を広げ始めた。プロトとオルタはその背後からふんふんとアーチャーの匂いを嗅いでいる。一度も見たことがない(オレもだ)メイド服の男が気になって仕方がないらしい。
二頭にまとわりつかれても追い払おうとしないあたり、アーチャーは犬嫌いではなさそうだ。この分なら二頭をこのまま残していっても問題はないだろう。掃除の邪魔にならんようオレは引っ込むかね。受け取った封筒を意味もなくペラペラと揺らしながら、書斎へと足を向ける。
ふと思いたって振り向くと、メイド服のスカートの中に犬二頭が鼻先を突っ込んでいた。ような気がしたが、きっと気のせいだろう。生娘よろしく、アーチャーが必死にスカートの裾を押さえるのが見えたのも気のせいだ。
オレは何も見ていない。
書斎机の上には未処理の書類が積まれたままだった。それを端に避けてスペースを作ると、アーチャーから受け取った封筒にペーパーナイフを差し込む。
紹介状が入っていると言われた封筒には用紙が二枚。一枚目は型通りの紹介状で、もう一枚にはあの嬢ちゃんからの手紙が入っていた。
──キャスター。『メイド服着用義務有り』なんて怪しい条件付きで女性を雇えるわけがないって、賢い貴方ならわかっているでしょう? おまけに貴方はあの領主の後釜だもの。私だって下心が見え透いた雇用主のところへ無理に女性を派遣したくはないですからね。
でも安心して、アーチャーは誰よりも優秀よ。家事全般一級品。一度彼に家を取り仕切ってもらえば、他では満足できなくなるわ。たとえメイド服を着ていなくてもね。万が一気に食わなかったら、その時は今回の分も含めて手数料無しで代わりを探してあげるから安心して頂戴──
オレと嬢ちゃんはそれほど親しい仲ではないが、かといってまったく知らない間柄ってわけでもない。実家にいた頃から色々世話になっている。芯のしっかりした、気のいい女だ。自分の仕事に誇りを持っている。
だからこそ決して個人に肩入れするようなことはしない。なのにこんな手紙を入れるとは珍しい。アーチャーとはどんな関係なんだろうか。少なくとも嬢ちゃんにとっては特別な相手のようだが。
手紙の内容から察するに、アーチャーがメイド服を着ていることを嬢ちゃんは知らないようだ。あれは嬢ちゃんの入れ知恵なのかとも思ったんだが、アーチャーの独断だったらしい。
そうだよな。あんなガタイのいい男が雇われるためにメイド服を着ると知っていたら、嬢ちゃんはなんとしてでも止めていただろう。下手をすれば変態を派遣したと噂になって、紹介所の評判に関わる。そうじゃなくても、オレだったら止めるね。あいつはこれっぽっちも似合っていねえし。
そういやあいつ、どうやってここまで来たんだろうな。街から屋敷まで距離はあるし、あの大荷物だ。妥当なところで馬車だろうが、まさかあの似合わねえメイド服を着たまま乗ったのか。んなわけねえよな、あんなメイドが来たら御者も全力で乗車拒否するわ。
馬車で来て、降りた後に着替えたってところか。この屋敷は辺鄙な森の中にある。来客はごく稀だ。人目を気にせず着替えられるだろう。って、なんでオレはあいつの着替えのタイミングを気にしているんだろうな? やめろ、着替えシーンを想像するなオレ。
かぶりを振って酷い妄想を追い払い、もう一通の封筒から身上書を取り出す。
ファミリーネームはエミヤ。年齢は……。
「うっそだろ」
あいつ、オレより七歳も年上なのかよ。同じか、せいぜい二、三程度の違いだと思っていたのに。家族構成は年の離れた弟と妹が一人ずつ、前職は傭兵と。随分と思いきった転職をしたな。
なんで元傭兵が住み込み使用人の職につきたがるんだ? メイドにしちゃ高額の給料を提示してはいたが、死んだ目で手製のメイド服を着るほど魅力的な額だろうか。金のためなら誇りも捨てる、さすがは傭兵だと感心するべきなのか迷うところだ。
それよりも依頼を受けてオレを殺しにきた傭兵だと言われた方がまだ納得がいく。心当たりは山ほどあるからな。主に実家関係で。
傭兵の技術と家事全般の技術、通ずるところはあるのか? あの嬢ちゃんが腕は一流だと保証しているんだ。わざわざ疑う必要はないのだが、どれほどのものかが気にかかる。履き慣れていない(多分、そのはずだ)スカートで掃除って、できるもんなんだろうか。
監視するような真似をしたくはないが、一度気になると仕事も手につかん。書斎を出て玄関ホールへ、音を立てぬよう足を運ぶ。二階から覗く程度なら掃除の邪魔にはならんだろう。
正直に言えば、腕前よりもあのメイド服で働いている姿を目にしたいだけだった。あのメイド服、完璧にオレ好みのデザインだった。質のいい黒の生地に、シミひとつない清楚な白エプロン。装飾フリルは適度な量で華美にならず、かといって地味過ぎでもない。
スカートの丈は足首より少し上と完璧な長さだ。あの控え目な膨らみは、恐らくパニエを履いているのだろう。頭にホワイトブリムをつけていればなお良かった。
待て、現実を無視していたな。着ているのは長身の筋肉質な男だったわ。
「……ん?」
階段へ近づくにつれ、何やら話し声が聞こえてくる。来客か? だが、それならプロトかオルタが吠えてオレに知らせるはずだ。声は一人分、アーチャーだろう。独り言にしてはやや声がでかいが、一体何を喋っているのやら。
慎重に階下の様子を窺う。
「……おお」
遠坂の嬢ちゃんの言葉は真実だった。
このわずかな間に玄関ホールは綺麗に磨かれ、見違えるようになっている。元々が古い屋敷だ。いくら掃除しても変わらんだろうと思っていたが、こうまで変わるとは。達者なのは口だけではないらしい。たいした腕だと感心する。
肝心のその腕と口の持ち主だが。
「いいかね、君たち。よく聞きたまえ」
うちの犬相手に、何やら言い聞かせていた。
右手にモップを持ち左手を腰に当てたアーチャーは、二頭を真剣な顔で見つめている。向かい合う大型犬と、メイド服を着た長身の男。なんだこの絵面。
「君たちが私の後をついてくるのは仕方がない。君たちの役割は重々承知しているさ。今日来たばかりの私は、君たちにとって警戒するべき人間だ」
おまけにこのような格好なわけだし、と抑揚のない声でアーチャーは付け足す。
あいつ、不審者の格好をしている自覚はあったんだな。普通の感性は備わっていたわけだ。自覚しながらもアレを着て人前に出ているのだから、余計普通じゃねえ気もするが。
「しかしだ。こうついて回られては仕事がやりづらい。せめてもう少し距離を取ってくれ。それに見たところ、君たちは毛が抜ける時期なのではないかね? 先程から毛が……ああ、ここで掻くんじゃない! 毛が飛び散るだろう、せめて外でせんか!」
プロトが後ろ足で首のあたりを掻いたのを見て、アーチャーの叱責が飛ぶ。プロトの抜け毛も軽快に飛ぶ。オルタは我関せずと欠伸をしていた。陽の光を浴びてキラキラと輝く犬の毛に、アーチャーは眉間に手を当て溜息をつく。
そういやもう春も盛りだもんな、毛の生え変わり時期だったわ。最近やたらと服に毛がついていると思ってはいたんだ。そろそろ念入りにブラッシングをしてやらんといかん。
「……で、キャスター。君はそこで何をしている。暇なのかね?」
手入れの道具はどこにやったかなと記憶を探っていると、不意に声をかけられる。番犬に向けられていた鋼色の瞳が、いつの間にやらオレを捉えていた。どうやら最初からオレがいるのに気がついていたらしい。
「よく気づいたな」
「私の身上書はもう見ただろう?」
なるほど、前職で培った技術ってことか。優秀なこった。その優秀な傭兵がなんで使用人の職に就きたがっているのか、ますます謎が深まる。
プロトとオルタの吠える声を一度も聞かなかったのを考えると、アーチャーの行動に不審な点はなかったようだ。ま、玄関ホールをこれだけ磨き上げられているんだ。不審な行動をする暇なんてあるわけがないか。
もしそれが可能なのだとしたら、オレにできることは何もねえ。もう好きにしてくれ。どうせこの屋敷にたいしたもんは残っちゃいねえしな。
「手が空いているのであれば、彼らをブラッシングしてやってくれ。私がしてもいいが、主人以外に触られるのは彼らとて不本意だろう」
「やるのはいいんだけどよ」
手入れの道具をどこに置いたのか忘れちまった。実家よりは手狭で物も少ないとはいえ、一人で住むには広すぎる屋敷だ。犬用ブラシひとつを適当にどこかに置いちまえば、さてどの部屋にやっただろうかと首をかしげる羽目になる。
階段を降りると、話題の中心である二頭が寄ってきた。すでに夏毛が生え始めているのだろう、冬の間に活躍した毛が押し上げられ浮いているのが見える。ちょいとつまめば塊で取れそうだ。
「なら中庭で頼む。そら、道具はこれだ」
アーチャーが差し出したのは、見慣れた犬用のブラシだった。それに折りたたまれた布と、麻袋がひとつ。
「ブラシ、どこにあったんだ?」
「暖炉横に転がっていたぞ。まったく、床に物を置くなど神経を疑う。少し生活態度を改めてみてはどうかね?」
「へいへい。悪ぅございましたね」
アーチャーの言うことはもっともだ。もっともだが、もう少し言いようってもんがあるだろうよ。主人にたいして心証を良くしようと思わねえのかこいつは。いちいち人の神経を針でチクチクと刺すような真似しやがって。変におべっか使われるよりはマシなんだけどよ、どうもこいつには愛想ってもんがねえ。
「で、これはなんだ」
犬用のブラシはわかる。ブラッシングに必要なもんだからな。だがセットでついてきた布と麻袋の用途がわからん。
「抜け毛を吸い込まんよう自分の口を覆うんだ。袋には抜けた毛を詰めるといい」
「ああ? いいって別に。気にしねえよ」
毎日犬と一緒に暮らしているんだ、毛を気にするのも今さらだろう。ブラシにだけ手を伸ばす。
が、アーチャーはオレの手に無理やり布と麻袋を押し付けた。
「甘いな、大量の抜け毛や埃を吸い込むと喘息を引き起こしやすい。なってからでは遅いんだ。アレは見ている分にも辛いぞ。……ああ、それとも」
一呼吸おいてアーチャーは微笑む。
誰が見ても誠意がないとわかる、胡散臭い笑顔だった。
「高貴な身分のキャスター様は、こういったものの付け方もわからないと。これは失礼を、考えが及びませんでした。差し出がましいようですが、私が付けても?」
そう付け加えてアーチャーは右足を引くと、手を体に添えて恭しく頭を下げた。
慇懃無礼な物言いで相手の精神を逆なでするその言い様はいっそオレより貴族らしく、身のこなしはまさに紳士そのものだ。着ているのはメイド服だが。いっそテールコートでも着せてバトラーをやらせた方が様になるだろう。少なくとも今のメイド服よりマシになるのは間違いない。
「わかったっつうの! 使えばいいんだろ、使えば」
押し付けられた布を三角に折り、口元を覆って布の端を後頭部で結ぶ。
それを見てアーチャーは満足げに頷いた。
「素直な主人で私も助かる。ああ、中庭のテーブルセットを使えるようにしておいた。ブラッシングはそこでやるといい。時間になったら昼食を運ぼう」
そういや中庭のぶどう棚の下に小汚ねえやつがあったな。いつの間にそこまで掃除をしていたんだ。それとも、最初からオレに犬のブラッシングをさせるつもりで場所を確保しておいたのか? そうだとしたら手際がいいやつだ。
言われた通りプロトとオルタを連れ立って中庭へと出る。中庭にはレンガで作られた小道があって、それに添うように春を彩る花々が咲き誇っていた。その花の名前をオレは一つも知らないが、それでも目を十分楽しませてくれる。この屋敷の中でも特に気に入っている場所だ。
ただ、花の名を知らないってことは手入れの仕方も知らんわけで。そろそろ庭師を雇って、本格的に手入れをしなきゃならん時期かもしれん。暖かな気候に緑が育ちすぎて、少し鬱蒼としてきている。
「おお」
中庭の中央にはぶどう棚が設置されていて、その下にアーチャーが言っていたテーブルセットが鎮座している。土にまみれ苔も所々生やしていたそれが、ひと目見ただけでわかるほど綺麗になっていた。
近寄って見れば、掘り細工の溝の部分まで丁寧に汚れが拭き取られているのがわかる。これはなかなかに手間だっただろうに。仕事が早いだけでなく丁寧ときた。
もしや、あいつは相当できるメイドなんじゃねえの?
うわ、今普通にメイドって言っちまった。こわ。
まあメイドという名称で呼ぶかは別として、仕事ができるのはたしかだ。難点は、メイド服が似合わない上に慇懃無礼な性格をしているってとこか。随分でかい点だな。苦笑いをして椅子に腰をかける。
光を取り入れるため、中庭側に面した屋敷の窓は大きく作られている。そのでかい窓のおかげで、中庭からでも屋敷の中の様子が十分伺えた。せっせと働いているアーチャーの姿が座っているオレの位置からでもよく見える。
オレらを庭に追いやった後に家探しでも始めるのかと思っていたんだが、杞憂だったらしい。あっちが仕事をきちんとしているのであれば、オレも一度受けた仕事をサボるわけにはいかん。
「ほれ、来いプロト」
膝を叩いて愛犬を呼ぶと、プロトはそのでかい体の上半身をオレの膝に預けた。大型犬なだけあって、さすがに重い。こりゃとっとと終わらせんと、オレの膝が持たなさそうだ。
プロトの背中から腰にかけてブラシを通らせると、ごっそりと毛がついてくる。この時期になれば毎度の現象だが、ハゲるんじゃないかと心配になる量だ。無論そんなものは杞憂で、抜けた毛の下にはしっかりと新しい毛が生えている。安心してブラシから毛をつまみ取り、それを麻袋の中に詰めてはせっせとブラシをかけていく。
ふと屋敷内に目を向ければ、アーチャーが窓の前に立っているのが見えた。
バケツから濡れた布を取り出し、硬く絞ったそれで中庭に面した窓を拭いている。一通り拭き終わると、布をバケツに戻して洗う。それの繰り返しだった。
何の変哲もない掃除をしているだけの光景だ。だが立ってしゃがんでを繰り返すその一連の動きの中、スカートを巧みに捌くアーチャーの姿にオレは衝撃を受けた。
オレだったらあんな格好をしていても構うことなく大股開いて屈むし、スカートの裾を汚しまくるだろう。
だがアーチャーは違った。
地面に着く前にスカートの裾を持ち、時に押さえ、時に鮮やかに払う。かといってそればかりに集中して仕事を疎かにはしていない。スカートなんぞ履き慣れていないだろうに、あの丈の長さでたいしたもんだ。
うん、履き慣れていないよな? 実は履き慣れていたってことはないよな。頼むそうであってくれ。玄関ホールで見たあの死んだ目が真実を語っていると信じたい。
真実がどうであれ、アーチャーの動作には一切の無駄がなかった。美しさすら感じる立ち振る舞いだ。あれは自分の状態を瞬時に把握し、最適解を出せるからこそできる動きだろう。正直見惚れてしまう。特にスカートの裾を押さえる仕草から滲み出る奥ゆかしさと言ったら。
洗練されたものに惹かれるのは当然のことで、だからオレが掃除をするアーチャーから目が離せないのは仕方がない話だ。断じてそういう趣味に目覚めたわけではないし、男のメイド服に心を奪われたわけでもない。着なれていないメイド服で完璧に業務を遂行している姿に感心しているだけだ。
誰にたいしてかは自分でもわからん弁明を脳内でしていると、不満をはらんだ鳴き声が聞こえた。膝に目をやれば、プロトがオレを咎めるように睨んでいる。気付かぬうちに手を止めてアーチャーに見入っていたらしい。妙に気恥しくなって、咄嗟に咳払いをする。
「悪かったよ」
頭をひと撫でしてやって、ブラッシングを再開する。
オルタはどうしているかと見れば、芝生で伏せていた。顔を向けている先はオレが見ていたのと同じ方向だ。オルタはプロトよりも警戒心が強い。こいつなりに新しい使用人の見張りを続けているんだろう。時折退屈そうに欠伸をしてはいるが。
それとも単純にアーチャーに興味があるのだろうか。実家にはああいうタイプの使用人はいなかったからな。というかメイド服を着た男の使用人なんぞ、実家どころか世界中どこを探したっていねえか。オレが知らないだけで意外とメジャーだった、なんて事実はないことを祈ろう。
「だいぶスッキリしたな」
ひと通りブラッシングを終えたプロトとオルタの体を撫でる。身綺麗になった二頭の毛の色は、ブラッシング前より薄くなっていた。
今年の夏毛はこういう色らしい。
「お前らの毛でクッションでも作れそうだなあ」
大型犬二頭のブラッシングは骨の折れる作業だった。
出るわ出るわ、毛の塊。アーチャーからもらった袋に最終的には無理やり押し込まないと毛が入らなくなるほどだった。みっちり毛を詰め込んだ袋の口をどうにか縛ると、それが既にクッションに見えた。
「作りたいのなら」
と。唐突に低音の声が背後から聞こえる。
振り返るとアーチャーがすぐそばに立っていた。トレイを手にしていて、そこにはボリュームのあるサンドイッチがのっている。あれが今日の昼食か。
「その毛を一度洗っておくが。そのまま使うには少々不衛生だからな」
「……本気で作りたいわけじゃねえよ、そこまでせんでもいい」
アーチャーは元傭兵だ、オレに気づかれずに近づくくらい容易いだろう。驚くことでもない。とはいえ、実際にやられると多少は動揺する。気配もなく近づいた男に平静を装って言葉を返せたのは、いついかなる時も上っ面を装って生きてきた実家暮らしのおかげだ。何事にも無駄はない。
「そうなのか?」
オレの答えにアーチャーは首を傾げた。冗談で言ったのだと思ったが、拍子抜けしたその顔からして本気だったらしい。ならいいが、とアーチャーは言葉を続けて、オレの前にサンドイッチを置く。
「頃合いだったようだな。昼食を持ってきた、そこの水場で手を洗ってきたまえ。簡素なもので申し訳ないが」
サンドイッチはたしかに簡素な料理の部類に入る。けれどアーチャーの持ってきたサンドイッチは例外だろう。
全粒粉のパンに挟まれたチェダーチーズ、ぶ厚いハニーローストハムとたっぷりのレタスのサンドイッチ。もう一つは黄色いふわふわの塊、オムレツのようなものを挟んでいる。軽く焼かれたパンの匂いが鼻をくすぐって、空腹に気がついた腹がグゥと音を立てる。
見た目と匂いだけでわかった。こいつは絶対に美味い。
「それと、彼らには味をつけていない肉を用意するつもりだ。問題ないだろうか」
フスフスと自分の足元で鼻を鳴らす二頭を見ながら、アーチャーが尋ねる。二頭が鼻先を近づける度にアーチャーが身じろいだのは、スカートの中に顔を突っ込まれたのを思い出したんだろうか。
「ああ、それでいい。」
「承知した。……その、」
手を洗おうと立ち上がったところで、声をかけられる。
アーチャーは自分の足元に群がる犬たちを戸惑いがちに見つめていた。
「あー……差し障りがなければ、彼らの名を聞いても?」
何かと思えばそんなことか。仮採用の身で番犬の名前を気にするとは、意外にも律儀なやつだ。いや、それぐらいの律儀さがあるからメイド服を自作し、掃除用具を持参してやってきたのかもしれない。
「プロトとオルタだ。目つきが悪いほうがオルタ」
「プロトに、オルタだな。君たちの食事を持ってくる、待っていてくれ」
プロトの名はプロトを見て、オルタの名はオルタを見てアーチャーが呼びかける。
驚いたな、今の説明だけでわかるとは。二頭は顔つきも体格もそっくりだ。兄弟犬だからな。飼っているオレからしてみれば二頭の顔つきには違いがあるのだが、初見のやつが見分けられることはまずなかった。見慣れているはずの実家のやつらだって、たまに間違える。
だがアーチャーは適当に二頭まとめて呼ばず、一頭ずつ顔を見て名前を正しく呼んだ。勘がいいのか、眼がいいのか。皮肉屋の態度は気に食わんが、こういうところは好感が持てる。
名を呼ばれた二頭がちょろっと尻尾を振ったのが見えた。
どうやら、あいつらも同じことを思っているらしい。
手を洗って戻ると、ちょうどアーチャーがプロトたちの昼食を運んでいるところだった。切り落とした肉が盛り付けられた皿を二枚、器用に右手で持っている。プロトとオルタはその周りをうろうろと歩き回っていた。
「君と一緒に食事をさせても問題ないかね?」
「ああ、いつもそうしている。こいつらは兄弟みてぇなもんだからな。家族で食卓を囲むのはいいだろ」
とはいえ、実家で本物の家族と食卓を囲むのは勘弁したいが。口を開けば腹の探り合いばかり。楽しい団欒とは程遠い。
「そうか。君が末っ子かね」
「阿呆、オレが長兄だ」
口を尖らせて反論すると、アーチャーは短く笑った。
アーチャーは左手でスカートを押さえると、オレの足元から少し離れた場所に二枚の皿を並べる。片手で皿を運んできたのはスカートを押さえる手を確保するためか。似合っているかはさておき、着こなしは完璧だ。こうなるとどこまでメイドとして完璧に仕上げてきたのかが気になる。
「なあ、アーチャー」
「なんだね? ああ、何か飲み物が入り用か」
「スカートめくってくれねえか」
オレには野郎のスカートをめくる趣味はない。趣味はねえんだが、人には隠されているものにほど惹かれちまう厄介な習性がある。特に男はいくつになっても冒険心と知的好奇心を胸に抱いているもんだ。少なくともオレはそうだ。
そういうそれなりの理由があるのだから、控えめに見ても「地獄に落ちろ変態」と目で雄弁に語るのはよせ。
「意図が理解できん」
「スカートの中身が気になってよ」
具体的に言えば、下着とか。
オレの弁明をアーチャーは鼻で笑った。尊大に腕を組み、わずかな身長差を最大限に利用してオレを見下ろす。
「私が何を履いていようと問題なかろう。まさか、服務規定が下着にまで及んでいるというのかね」
「そうだと言ったらどうする?」
もちろんそんなわけがない。ンなもんを後出しで付けて従わせようとすれば、遠坂の嬢ちゃんは二度とオレのところへ人を寄越さないだろう。
だがオレは一度決めたことはリスクを冒してでも必ずやり遂げる。似合わない女装メイドのスカートの中身に執心する意味が自分でもわからんが、気になるんだから仕方がない。
しばし無言の睨み合い。
いつもなら出された飯を速攻で食う二頭も、異様な雰囲気を感じたらしい。肉を目の前にしても口をつけず、オレたちの様子を窺っている。
長い沈黙の後、先に動いたのはアーチャーだった。
組んでいた腕を解き、大袈裟にため息をつく。そのまま屋敷の中に戻ってしまうかと思いきや、次の瞬間、アーチャーはスカートの裾を掴んで一気にたくし上げた。
「満足かね?」
ここはよ、もう少し恥じらってあげるところじゃねえ? 色気もへったくれもないときたもんだ。別に求めていたわけじゃねえがよ。
だが、せっかくの機会だ。軽蔑を隠しもしないアーチャーの声を無視して、眼前の光景を眺める。ついに明らかにされたスカートの中身。しかと見届けなければという謎の義務感がオレの中で生まれていた。どうして生まれてしまったかは恐らく神もわからんだろう。
足元から順に視線を上げる。
アーチャーが履いていたのは黒のショートブーツだった。そこからのぞいているのは同色の靴下。さすがに男物のタイツまでは用意できなかったんだろうか。オレとしてはメイドには是非白タイツを履いていて欲しかったんだが。それともタイツは趣味じゃないのか? オレは断然タイツ派だけどな。肌を出すより、薄い一枚の布に隠されているからこそ曲線美が際立つ。
だが認識を改めた。靴下ってのも悪くない。もしアーチャーが履いているのがタイツだったら、日の光に晒された褐色の脚を拝むことはできなかった。まあ、拝んだところで男の脚なんだけどよ。
本来スカートからのぞくべきではない、そのしっかりと筋肉のついた脚。右太ももにはベルトが巻かれていて、そこにナイフが二本収められていた。
物騒なメイドだ。さてはてこのナイフは前職の習慣か、それとも別の目的で装備しているのか。こうして隠すことなく晒しているのは、知られたところで問題ないと考えているのか。
「……いつまでこうしていれば良いのかね?」
思案していると、それを遮るようにアーチャーが問いかける。潔く裾を上げたわりには声音に戸惑いの色が濃く滲んでいた。オレの要求はタチの悪い冗談だと思っていたか。嫌がらせのつもりで冗談に乗ってスカートをめくったのだろう。じっくりと見られるのはアーチャーにとって予想外だったに違いない。
オレは適当な相槌を打って、スカートの中を眺めていた。
見えない。
スカートの裾で、絶妙に隠れている。
何がって、下着がだ。男物か女物か、重要なのはそこだった。
「キャスター? その、もういいだろう」
嫌ならオレの許しなど待たずに、その手を離せばいいだろうに。アーチャーは主人の命令を忠実に守って、スカートの裾を上げている。焦れたようなその声に、頭がぐわんと鳴ったような気がした。
オレがこんなことをさせているのは、どこまでメイドの格好をしているのかが気になった。それだけだ。アーチャーに恥をかかせようと思ってこんなことをさせているわけじゃない。だが怯えを含んだようにも聞こえるアーチャーの声に、腹の底がむず痒くなる。
「……キャスター、」
これまで皮肉ばかりを奏でていた低い声が、恥じ入るようにオレの名を呼ぶ。うなじの辺りが熱を孕んだようにじくじくと痛んだ。
ああ、やばい。これは決して良くない感覚だ。それを自覚しているのに、この感覚をもう少し味わいたいとも思ってしまう。
アーチャーは眉間に皺を寄せてオレを睨みつけていた。けれど刃の色をした瞳の奥は、不安げに揺らいでいる。頰には一筋の汗が伝っていた。奥歯を噛み締めているのか、唇はきつく閉じられている。従順で健気な、羞恥に耐えるその姿。
喉に乾きを覚えて、滲み出た唾を飲み込んだ。
ここまで言葉一つに十の皮肉で返してきた男が、オレの馬鹿げだ命令一つで恥辱に耐えている。思い返せばどれだけ不遜な態度を取っても、主人の命令には背かないやつだった。そもそも、最初の『メイド服の着用義務』の命令を守ってここにいるんだからな。
そんな顔をするぐらいなら断りゃいいのに。忠義を果たすためならどんな命令にも従うってタマじゃないだろう。いったい何がこいつをそうさせるのか。燻っていた疑問がまた顔を出す。
何故、こいつはオレのところに雇われに来た?
その答えをいくら考えようが、ましてや問い質そうとしたところでアーチャーは話さないだろう。少なくともその理由──目的を達するまでは。
なんであれ、オレはそれを邪魔をする気はない。命と番犬二頭を獲られさえしなければ、あとはどうとでもなれだ。惜しいものがあるのなら、こんなところに引っ込んだりはしねえ。
「下ろしていいけどよ。ひとつ確認したいことがある」
けれどアーチャーの目的には興味がある。こんな回りくどい手を使ってまで、この男がオレの懐に入ろうとしているんだ。その度胸と根性に興味が湧かないわけがあるか。それを知るためにも、ひとまずは腹の内を隠す。今問いただしたところでこいつが素直に答えるとは思えん。
代わりに、それとは別に気になっていたことを問う。
「下着って男物? 女物?」
鋼色の目が飴玉のように丸くなる。その顔は随分とあどけない。それが次の瞬間には盛大に引きつった。
「男物に決まっているだろう!」
怒鳴り声が鼓膜を震わせる。スカートの裾から手を離し、アーチャーはすぐさま着崩れを直す。まるで生娘のようだ。褐色の脚も、見損ねた下着もすべては黒いスカートの中に隠される。
「こんな馬鹿げた真似をさせるより、早く食事をとってはどうかね」
さっきまでの従順さは何処へやら、射殺さんばかりの鋭い視線をアーチャーから投げつけられた。いいねえ。さっきの目も正直そそったが、やはりこの意志の強い目のほうがこいつには合っている。
「お前さんは食わねえの?」
「仕事が残っているのでね、余り物で適当に済ませるさ。なに、勝手に贅沢品に手をつけたりはせんから安心したまえ」
そう言って肩をすくませると、アーチャーは踵を返す。
そんなみみっちいことを心配していたわけではなく、単純に飯を一緒に食いたかっただけなんだが。とはいえ機嫌を損ねたその背中に声をかけるのも気が引ける。去っていくメイドを黙って見送った。
主人として命令すれば、アーチャーは共に食卓を囲んでくれるだろう。アーチャー自身がどう思っていようとだ。それでは面白くない。
……それはそれとして。
「男物かぁ」
女物の下着ではなかったと落胆しているわけではない。ただその事実をこの目で確認できなかったことが口惜しい。
下着、何色だったんだろうな。初日に着ていた服のセンスから考えると、黒だろうか。無難な色だと思うが、あいつの肌の色的には白のほうがコントラストが映えてより扇情的に……いや、なんだその考えは。いかん、妙な嗜好を開花させちまったかもしれん。
と、突き刺さるような視線を感じる。目線を下に向ければ番犬が二頭、妙に冷めた目でこちらを見ていた。
「……なんだよ」
口を尖らせて抗議すると、二頭は鼻から長い息を吐き出した。さながらため息のようだ。やれやれと首を振る仕草までしやがる。犬って、たまに中に人が入っているんじゃねえかって思うような仕草をするよな。
「なんだよ!」
抗議の声を上げる。が、二頭はもうオレを見てはいなかった。こんな主人にかまうよりは飯だと言わんばかりに、アーチャーが用意した肉に食らいつき始める。
まったく、オレ一人ばかりが変態のような態度を取るんじゃねえよ。お前らだってあいつのスカートの中に顔を突っ込んでいたじゃねえか。それに比べれば自主的に野郎のスカートをめくらせるぐらい、たいした問題じゃねえだろ。今さらだが、「野郎のスカート」ってすげえ言葉だな。
阿呆なことを考えていたら本格的に腹が減ってきた。テーブルの上に置かれたサンドイッチにようやく手を伸ばす。香ばしく焼かれたパンに歯を突き立てれば、パリパリと小気味良い音がした。
うまい。これは文句なしにうまい。薄くパンに塗られた蜂蜜の甘さがハムの塩味を引き出し、チーズともよく合っている。レタスは水々しいのに、それを挟むパンがしけていないのは不思議だった。
サンドイッチぐらいならオレも作ったことはある。材料をパンに挟めばいいだけだからな。そう難しい料理じゃない。けれどアーチャーのサンドイッチを食べた今、あんなものはサンドイッチではなかったと断言できる。
アーチャーのサンドイッチの材料の一部は、オレが作った時のものと変わらない。このパンもハムも、レタスだって先日行商から買いつけたもののはずだ。だというのに、作る人間が違うだけでこうも味が変わるものなのか。こんなにうまい飯は久々に食ったかもしれん。
ふと番犬たちを見れば、すさまじい勢いで肉に喰らいついていた。犬も味の違いがわかるのか。いや、生肉に味の違いってあるのか? 不思議に思って見てみれば、生肉の筋がきっちりと取り除かれている。あれが有ると無しじゃ食べやすさが違うようだ。あのメイドは犬にもしっかりとした気配りをしてくれるらしい。
掃除は完璧、料理は美味い、仕事も早くて気配り上手。メイド服が似合っていないゴツい男だという点と、口喧しい皮肉屋だという点を除けば文句のつけようがないメイドだ。その二点がでっかい文句の付け所なんだがよ。
だがどちらもアーチャーを雇わない理由にはならない。これほどの腕を持つのならば、是非ともこのまま働き続けて欲しい。しかしそうなると、「可愛いメイドと平穏に暮らす」というオレのささやかな夢は諦めなければならなくなる。まず間違ってもあいつは「可愛いメイド」ではない。
「まいったな」
ぼやきながら、もう一つのサンドイッチに手をつける。
パンの間に挟まれた黄色い塊は、思った通りオムレツだった。一口齧れば中からトマトソースと角切りにされたじゃがいも、それにひき肉がとろりと溢れ出す。これまた抜群にうまい。長年叩き込まれてきた食事のマナーなんぞ放り出して、はふはふと食らいつく。
物の数分でサンドイッチをすべて平らげ、指についたソースまで舐めあげた。「簡素なもの」と言われて出された昼食がこれだけうまいと、夕食はどれほどのものが出てくるのだろう。気が早いとは思いつつも期待せずにはいられない。メイド服の男に胃袋を掴まれたなんて、笑い話にもならないだろうに。
とはいえ、掴まれたのは事実だ。こうなったらひとまずアーチャーを雇って、後から可愛いメイドを雇うか? これなら本物の女のメイドを側に置くことはできる。
けれど、アーチャーのメイド服姿に動じない女がいるだろうか。会ったが最後、変態扱いされ採用も辞退されちまう可能性大だ。遠坂の嬢ちゃんにも話がいくだろう。そうなったら何を考えているんだと怒鳴り込まれちまう。
……待て待て、なんでアーチャーがメイド服なのを前提条件にしているんだ。女のメイドが来るなら、あいつにはバトラーの格好でもさせりゃいいじゃねえか。あいつにメイド服を着て欲しくて着させているわけじゃねえし。あの姿は不可抗力というか、意図せず起きた悲しい事故だ。
自作メイド服の存在意義をなくしちまうのは無駄手間取らせたようで悪い気もするが、あいつからすれば嬉しい話のはずだ。この先、履き慣れていないスカートでの仕事はやり辛かろう。
いや、そうでもなかったか? あのスカートさばきと手際の良さは見事だった。そりゃもう、見惚れるほどに。
そうか、他にメイドを雇えばアーチャーはメイド服を着る必要がなくなるのか。ということはあのスカートさばきは二度と拝めなくなるわけだ。それはちと惜しい。
……まずいな、感覚が狂い始めている。しっかりしろオレ。可愛いメイドの女と暮らしたいと純粋に願っていたあの日々を思い出せ。目覚めた性癖を追い払うようにかぶりを振る。
「なあ、お前らはあいつのことをどう思う?」
気を取り直し、新しい使用人について番犬二頭に問いかけた。が、返事はない。
「プロト、オルタ?」
再度呼びかけて二頭を見やる。
二頭はオレの足元で、空の皿を前にすぴすぴと鼻を鳴らして寝ていた。なんだ、腹がいっぱいになって眠くなったか?
「呑気だな、お前らは」
春の陽射しに包まれて眠る大型犬の姿は、平和そのものだ。それは別に悪くない。悪くはないんだが、ちょいと引っかかるところがある。
食事を終えたあと、必ずそこらを見回るのがプロトの習慣だった。食ってそのまま寝入ることは絶対にない。たいしてオルタは暇さえあれば寝ている。けれど、どんなに寝ていてもオレが呼びかければ瞬時に起きるやつだった。
そんな番犬たちがオレの呼びかけに反応もせず、ぐっすりと眠っている。こんなことは今までに一度もなかった。
「……ははぁ」
現状、思いつく原因は一つだ。
寝入っている二頭に近づいて状態を確認する。普段は触られるのを嫌がる耳や尻尾に触れるが、反応はない。これならばどうだとプロトの前足を持ってプラプラと揺らしてみる。これにも無反応だ。気持ち良さそうに寝息を立てているだけ。たまに耳がピクピクと動きはするが、当分起きそうにもない。
「なるほどな」
「どうした」
一人納得していると、唐突に声をかけられる。が、今さら驚きはしない。こいつにはすでに二度不意打ちを食らっている。
顔を上げると、予想通りメイド服の男が立っていた。またしても銀のトレイを手にしていて、今度はそこにティーポットとティーカップをのせている。
「いやなに、よく寝ていやがるなと思ってな」
「今日は暖かいからな」
そう呟いてアーチャーは口元に笑みを作る。
嘲笑というには毒気がなく、微笑んだというには影のある笑い方だった。
「食後の紅茶を持ってきた。飲むかね?」
「……もちろん」
プロトの前足をそっと地面に置く。見たところ本当に寝ているだけのようだし、二頭をこのままにしておいても問題はないだろう。
「お前さんも一緒に飲まないか? ほれ、ちょうど椅子がもう一脚ある」
椅子に座り直して、空いたもう一脚をアーチャーに示す。
今日の陽気は気持ちがいい。主人であれ使用人であれ、庭で茶を楽しむのに向いていた。けれどアーチャーはそう思わないらしい。
「主人と一緒にティータイムを楽しむ使用人などいないだろう。仕事もある」
たとえスカートめくりであろうとも主人の命令には逆らわないくせに、ただの誘いならば遠慮なしに断る。アーチャーの反応は想定済みだったが、それでも惜しいと思う気持ちはあった。
「仕事ねえ。まあ、やるこたぁ山程あるだろうさ」
ため息をついて、肩をすくめる。アーチャーの眉がぴくりと動くが、オレの言葉への反応はそれぐらいだった。
アーチャーはシロツメクサの模様で縁取られたティーカップをテーブルに置くと、琥珀色の液体を高い位置から注いだ。紅茶を淹れる手つきは流れるように鮮やかだ。心地よい紅茶の香りが鼻をくすぐる。
紅茶を注ぎ終えたアーチャーは、控えるようにオレのそばに立つ。一緒にティータイムを楽しみはしないと言いつつもこの場に留まっているのは、最初の一杯ぐらいは付き合ってやるということだろうか。この場に留まらなければならない理由が他にあるだけかもしれんが。
立ったままのアーチャーをできるだけ上目遣いで見れば、どうぞと手のひらで紅茶を飲むよう催促された。やはりどうあっても座ってはくれないようだ。この手、女には結構通用するんだがなぁ。
仕方がない、ここはおとなしく引き下がるか。なにせスカートの中身を公開させたばかりだ。あまり無理強いをして嫌悪感を持たれたくはない。ティーカップを手に取り、口をつける。
「……うん、美味い」
間違いなく、今まで飲んだ紅茶の中で一番の美味さだ。素直な感想を口にすると、アーチャーは得意げな顔で片手を腰に当てた。フフンと鼻を鳴らして笑うあたり、なかなかわかりやすい反応をする。
「うちにある茶葉だよな? オレが淹れたのと味が全然違うわ。隠し味は?」
「紅茶に隠し味など必要ない。必要なのは、茶葉本来の味を引き出す淹れ方だ」
自信たっぷりに語るさまを見るに、どうやら紅茶の入れ方にはひとかどの才があると自負しているらしい。腹立たしいほどのドヤ顔だ。お湯の温度がどうの注ぎ方がこうのと蘊蓄を垂れ始めたが、興味はないので適当に聞き流した。
アーチャーの言う「茶葉本来の味を引き出す淹れ方」をオレが実行したところで、同じ味が再現できるとは思えない。また同じ味が飲みたくなったら、こいつに頼んで淹れてもらえば済む話だ。
「そうかい。オレはてっきり、茶葉以外のものを入れたのかと」
「──そうだとしたら、どうする?」
アーチャーは片目を細め、あまりにもわざとらしい笑みを作った。あからさまな挑発に、肩をすくめる。どうする? そりゃあ、どうするかと問われれば。
「どうもせん」
言い切って、再び紅茶を口にする。
オレの返答はアーチャーにとって想定外だったらしい。鋼色の目を瞬かせ、口を無防備に開いていた。皮肉の表情が崩れれば結構可愛い顔になるんだなと言ったら、こいつはどんな反応をするのだろうか。興味はあったが、それは次回の楽しみにとっておくとしよう。
「毒じゃねえなら、なんだっていいさ」
代わりに告げた言葉に、アーチャーはまたあの影のある笑みを浮かべた。
だから、なんなんだよその笑い方は。何かにつけてこっちを小馬鹿にするいつもの笑い方も腹が立つが、それ以上に神経を逆撫でする笑い方だ。
肝心なところで本心を隠すのが下手な野郎だな。隙がない男のはずなのに、やわいところを隠しきれていない。やわいところなのだという自覚すらないのか。あまり無防備に晒されると、その気がないはずなのにこちらの牙が疼いてしまう。
また腹の底がむず痒くなる感覚がして、それを振り払うように咳払いをする。
「サンドイッチも美味かったな。オレが作ったのとは全然違ったわ」
「君、料理するのか」
「この屋敷で飯準備できそうなの、オレしかいねえだろうよ」
オルタとプロトは優秀な猟犬だ。肉の調達の際には存分に活躍してくれるが、さすがに獲った後のことまではどうしようもない。そこまでの器用さを犬に求めるのは酷ってもんだ。
オレの言葉にアーチャーは顎をさすった。
「そうだな、この屋敷には君と番犬たち以外誰もいないようだ。……どうやら、噂は本当らしい」
「ほう。どんな噂だ」
「色々あるぞ。実は前領主は死んでおらず、身を隠すために使用人を含めた金目のものを売りに出したとか。そうではなくて、実は使用人たちは黒魔術の生贄になったとか。そういう類いのものだ」
おいおい、誰だそんな物騒な噂を流したのは。領民に嫌われているとは聞いていたが、そこまで怪しげな噂が広まるほどだったとはな。そりゃ誰も後任に来たがらないわけだわ。
「ンな噂を真に受けてんのか?」
そりゃ人目を避けるような場所に立っている屋敷ではあるが、それ以外はいたって普通だ。地下室にあるのは牢屋や拷問室ではなく、ただのワインセラーと食料庫。怪しげな魔術的なあれやこれやはない。ここはごく平凡な、田舎貴族のありきたりな屋敷だ。
「まさか。ただ、使用人が一人もいないという点は事実のようだ。貴族は人に世話をされないと生きられない、か弱い生き物だとばかり思っていたが。君が一人で暮らしているのは意外だった」
「一人じゃねえよ、こいつらもいる」
棘のある言葉をあえて流して、暢気に寝息を立てている二頭を示す。
アーチャーは短く笑い、眠っている二頭の頭を屈んでそっと撫でた。二頭はやはり起きることなくアーチャーにされるがままだ。通常なら見られない光景だな。オレ以外の人間がこいつらの頭を撫でようとすれば、まず間違いなく噛みつかれる。
「そうだったな。だが彼らでは君の世話はできまい。いや、できるか?」
「おい」
いくらオレでも、犬に世話を焼いてもらうほど生活能力がないわけではない。それに四足歩行の犬がどうやって日常生活の世話を焼くって言うんだ。こちとら成人男性だぞ。犬に世話されんでも普通に生活できるわ。
「──あのアルスター家の人間が、こんな辺境の土地に供も連れずに来たのは何故だ。たいした恩恵もあるまい?」
小馬鹿にしたような声が一転し、アーチャーは静かにこちらへと問いかける。
それが本題なのだろうか。立ち上がったアーチャーの鋼色の目が、正面からオレを捉える。法廷で罪を問われているかのような気分だった。
アルスター家ね。家を出てもまだその名に振り回されるんだな。何故も何も、オレは嫌気がさしたから実家の領地を出てきただけ。人を連れて来なかったのは実家の人間を信用していないからだ。その程度の理由しかないんだがね。
「ただ家を出てのんびりと暮らしたくてな。優雅な暮らしを求めて、こんな寂れた土地に来るわけねえだろ」
別に隠し立てすることでもない。正直に答えて、残った紅茶を飲み干す。
オレの回答に納得がいかなかったのか、アーチャーは片眉を跳ね上げた。
「寂れたとはなんだ」
「お前さんが先に言ったんだろう」
「私は辺境といったんだ。寂れたとはいっていない」
思いもしていなかったところに食いつかれた。どうやらこの土地はアーチャーにとって思い入れのある地らしい。そういや、出身はこの土地だと身上書に書いてあったな。傭兵を辞めて使用人の仕事を選んだのは、故郷に腰を落ち着けるためなんだろうか。
欠伸をなんとか嚙み殺し、悪かったよと詫びを入れる。腹がいっぱいになったせいだろうか、瞼が重たくなってきた。親指の腹で目をこする。アーチャーのいう通り今日は暖かいからな。眠くなるのも仕方がない話だ。現に番犬だってすやすやと寝息を立てている。
「オレが言いたいのはな、前の住処よりここの方が断然居心地が良いってことさね」
「君は以前の土地でどれだけの悪行を重ねていたんだ?」
アーチャーの言い草に苦笑いを浮かべる。まさかオレが大罪犯して逃げてきたとでも思っているのか? 随分とまあ笑える冗談だ。
だがアーチャーの顔は笑みらしい笑みをひとつも浮かべていなかった。眉間の皴を深く刻んで、口元を引き締めている。おいおい、マジでそう思ってんのか。
そりゃ見ようによっちゃ着の身着のまま、この地に追い出されたように思えるだろうがよ。実家から余計なもん持ち込んで、余計な騒動招きたくなかったってだけだ。実家から逃げ出したのは事実だが、裁きから逃れるためだと思われるのは心外だな。どんな聖職者でも、あそこには嫌気が差すだろうさ。
「なーんか誤解してねえ? オレはな、お家騒動からイチヌケしてきたの」
家督を一対一の死合いで奪い合うと言うのであれば、面白い。オレも喜んで参戦しただろう。死力を尽くした戦いは望むところだ。
だが実際にやっていたのは腹の探り合いやゴマすりに暗殺。関係ねえやつも大勢巻き込んでの陰湿で面白みもない戦い方だ。ンなくだらねえもんにいちいち付き合ってられんし、趣味じゃねえ。
「お前さんこそ、よくこの屋敷に来たな? 噂を聞いたんだろう」
胡散臭い噂を信じるにせよ信じないにせよ、火のないところに煙は立たん。まともな神経をしているやつなら、間違ってもこの屋敷で働こうとは思わんだろう。誰だって我が身は可愛い。現に遠坂の嬢ちゃんだって「あの領主の後釜の下へ行きたがるやつはいない」と言ってのけた。
なのにアーチャーは自ら火元と思わしきとことろへやって来た。一度は門前払いを食らっても、再度自作したメイド服を着て雇われに来たのは何故か。
金目当てでもないだろう。相場よりも高めの賃金を付けたが、あくまで住み込み使用人の賃金としてだ。恐らく前職の傭兵のほうが稼げるし、アーチャーにとってはそちらの方が精神的負担も軽いだろう。なにせメイド服を着なくていいからな。
「噂を聞いたから、来たんだ」
それらしい理屈を口にするかと思いきや、アーチャーの言葉は簡素なものだった。
言葉の意図を問おうと口を開くが、出たのは言葉ではなくでかい欠伸。いよいよ眠気が堪えきれなくなってきた。落ちつつある瞼をこすり、かぶりを振る。完全に寝落ちる前に聞かなきゃならんことがある。だというのに、どうにも頭が働かない。
「どうしたキャスター。眠たいのか? 屋敷の中に入ったらどうだ」
アーチャーの声は低くやわらかで、耳心地が良い。それがより一層眠気を誘う。
まだ寝るわけにはいかん。拒否の意を示すために手を上げようとするが、テーブルの上からピクリとも動かなかった。瞼も頭もどうしようもないほど重く、ぐらぐらと身体が揺れる。
「そら、そんなに揺れて。眠気も限界なんだろう? 彼らと違って君に毛皮はないのだから、ここで寝たら風邪をひいてしまうぞ」
バランスを取れずに仰け反りそうになるオレの身体を、アーチャーの手がそっと支える。それだけならまだいい。オレの膝の内側に腕を差し込み──あろうことか、オレの身体を持ち上げた。宙に浮いた体を支えようと、咄嗟にアーチャーのエプロンを掴んでしまう。
「不安かね? ならしっかり捕まるといい」
オレの慌てぶりをからかうもせず、子供を寝かしつけるような声音でアーチャーは囁いた。いやいやいや、おかしいだろ。なんでオレはお姫様抱っこをされているんだ? ふざけんな、下ろせ。
怒りの声はモゴモゴと口の中で籠るばかりで、言葉になることなく消えていった。エプロンを掴んでいたつもりの手がするりと抜け落ちる。
冗談じゃねえ。ただ眠いだけでメイド服を着た男にお姫様抱っこで運ばれるなんぞ、捨てたとはいえ一族の名折れだ。そう思いはするものの、もはやどうしようもないほど眠かった。
瞼が完全に落ち、視界は暗闇で埋め尽くされる。
「すまない、キャスター」
薄れゆく意識の中で、アーチャーの呟きが耳に残った。
なんて声出すんだよ、たわけ。
そんな声で謝るくらいなら、最初から薬なんて盛るんじゃねえ。
パチパチと、何かが弾ける音がする。
「んあ?」
我ながら間抜けな声を上げて、目を覚ます。重たい体をなんとか起こして見回せば暖炉の火が周囲を温かく照らしていた。
暖炉には犬の彫り細工が施されていて、この装飾があるのは居間の暖炉だけだ。どうやらアーチャーはオレを居間のソファに寝かせたらしい。体にかけられた厚手のブランケットも、アーチャーによるものだろう。ソファの足元を見れば、プロトとオルタが丸まって眠っていた。
「プロト、オルタ」
声をかけると、二頭は耳をピクリと動かして頭をあげる。完全に寝入っていたわけではないようだ。何か用かと言いたげに顔を寄せてきた二頭に安堵して、その頭を撫でてやる。
時計すら前の使用人たちに持っていかれたこの屋敷では、正確な時間を把握する手段がない。そのうち買い足さねえといかんな。とはいえ、昼寝にしては度がすぎるほど寝ていたのは間違いないだろう。
日はとっくに落ちているようで、窓の外は暗い。寝すぎた身体はかえって疲れちまっている。首を左右に動かせば、ごきりと鈍い音がなった。
「起きたかね、眠り姫」
これからどうしたもんかと思考し始めたところで、鳥肌が立ちそうになる程キザったらしい台詞が耳に届く。声の主……アーチャーは、部屋の入り口にすました顔で立っていた。
アーチャーは長身で体格も良く、顔も整っている部類だ。声は耳に心地よい低音で、今のようなキザな台詞がよく似合う。女だったらクラッときちまうやつも多いだろうさ。だがそれら好条件をもってしても、どうしようもできない現実ってもんがある。どっかの国であったな、『服は人を作る』って言葉が。
そう、服だ。アーチャーが着ているのはメイド服なんだ。何を言ったところで格好がつくわけがない。今日一日で見慣れてしまったオレですらそう思う。
ついでに言うが、眠り姫呼びされたオレは男だ。ンな言葉を投げかけられたところでクラッともこないし嬉しくもなんともないわ。「何言ってやがんだこいつ」という感想しか出てこない。
そういや寝落ちる前にこいつにお姫様抱っこをされたんだっけな。ということは、あの抱き方でここまでオレは運ばれたのか。あまりの屈辱に痛み始めたこめかみに手を添える。
くそ、とんだ恥をかかせやがって。誰かに見られていたたわけでもねえけどよ。こういうのは誇りの問題なんだ。何が悲しくてメイド服着た男にお姫様抱っこで運ばれなきゃならんのだ。
覚えていろよアーチャー。いつかオレが貴様を姫抱きしてやるからな。そのときは頰の一つでも染めやがれ。主人とメイドの立場だったら、メイドが抱かれる側だと相場が決まっているんだ。
「……どうした、頭が痛むのか。それともどこか調子が?」
決意を固めていると、色彩を欠いた瞳がこちらの顔を覗き込んでくる。からかっているのかと思いきや、声音はこちらを窺うようだった。本気でオレの体調を気遣っているらしい。
「なんともねえよ」
心配は無用だと軽く手を振る。ソファで寝過ぎたせいか少し身体が痛みはするものの、その程度だ。外傷はないし、気分も悪くなかった。
それよりオレを気遣うアーチャーの反応が気にかかる。主人想いの良いメイドと言えばそれまでだが、寝落ちしただけの人間にたいしてはちと過剰だ。
──恐らく、アーチャーはオレが唐突に寝た理由を知っている。
いい加減気がかりは無くすべきかもな。だが起きぬけにその話題に触れる気力はなかった。頭もまだ回っていない。ついでに腹も減っている。
「それより夕食はいつだ? もう夜だろ」
「いつでも。仕込みは終えているからな」
アーチャーの作った昼食を鑑みるに、夕食もうまいに違いない。ただのサンドイッチであの味だぞ? メニューが何かもわからないうちから、期待で涎が溢れ出す。正直な腹がぐう、と盛大に声を上げた。
「すぐに用意したほうがいいようだ。食堂室で待っていたまえ」
笑いを含んだ声音は子供に言い聞かせるようで、ちと気恥ずかしい思いをする。まあいいさ、オレの腹はお前と違って正直者なんだ。言いつけ通り、食堂室でおとなしく夕飯を待つとしよう。
前領主の使用人たちが金目のものを根こそぎ持っていっちまったせいで、この屋敷はどこもかしこも素っ気なかった。壁には絵画が取り外された跡だけが残り、燭台もほとんどが盗られていて日が落ちると屋敷内は薄暗くなる。食堂室も例に漏れず、はっきり言えばみすぼらしい館だ。少なくとも、今朝まではそうだった。
それがどうだ、この変わり様は。
椅子に腰をかけて、生まれ変わった食堂を見回す。
テーブルに椅子、壁、床、照明器具。すべてが美しく磨かれている。オレがその場しのぎで商人から買い取った安物の燭台は、本当に今朝のものと同じなのかと疑うほど光り輝いていた。
実家の絢爛たる食堂なんぞ、この食堂を見た後ではただ目に痛いだけのうるさい空間だ。どれだけ装飾品に彩られようと、この磨き上げられた空間にはかなわないだろう。プロトとオルタは不思議そうに様変わりした食堂の匂いを嗅いでいた。
「随分とせわしないな」
木製のトローリーを押して戻ってきたアーチャーが、動き回る二頭を見て片眉を上げる。トローリーの上にはずらりと料理が並べられていて、ただよう匂いがこちらの鼻と胃を刺激した。
「何か盗まれたものでもあるのかね?」
こちらを挑発するような言い草は、もはやこいつの癖なんだろう。それに毎度律儀に答えてやる必要もない。まして今は目の前に御馳走を控えた空腹の身だ。
「いやな、ここも見違えたもんだと思ってよ。お前さんは居心地の良い場所を作るのがうまいんだな」
率直な感想を告げると、アーチャーは拍子抜けしたように口をぽかんと開いた。
間を置いてオレの言葉を飲み込んだのか、まごまごとした様子で「気に入ってもらえたのならば、良かった」なんていじらしい言葉を口にする。こりゃ意外。当然だとばかりにその立派な胸を反らせるのかと思ったのに。
こほん、とその場を取り繕うようにアーチャーは咳をすると、トローリーに置かれていたカトラリーや料理をテーブル上へ並べ始めた。それを見て散々動き回っていた二頭がオレの足元へと戻ってくる。飯の気配には特に聡い連中だ。
眼前に並ぶのはマッシュルームのスープにくるみパン、ホースラディッシュが添えられたローストビーフ。あとはキャベツのソテーとポテト、フルーツのチーズ添え。それとワインが一本。テーブルの下には、オルタとプロト用の肉が並べられた。
くるみパンやらマッシュルームやら、こんな食材うちにあったかね。問えば「持参したものも使った」とこともなげに返される。どれだけ用意周到なんだよ。
これだけの品数と手間のかけた料理は実に久しぶりだ。早々にスプーンを手に持つ。と、そこで傍に立ったままのアーチャーに気がついた。昼食やティータイムの時のように、同じテーブルにつく気はやはりないらしい。
だが、今回はそうはいかん。
「なあ、お前さんも一緒に食おうぜ」
相手がいるっていうのに一人で食っちまったら、せっかくの豪勢な料理も味気なくなっちまう。クリーム色のスープをひと匙すくい、アーチャーにスプーンを向ける。あーんと口を開けるように促すと、鼻で笑われた。
「毒味をさせたいのか? 警戒せずとも何も入ってはいないぞ」
「なら尚更食っても問題ないだろうが」
どうせ薬が盛られているわけがない。少なくとも、この料理には。
アーチャーを信頼しているからそう思うわけではない。効率を考えればこのタイミングでオレに薬を盛る必要はないからだ。長ったらしい嫌味を口にしたりまわりくどいことをするやつではあるが、肝心なところで無駄な行動を取る男だとは思えない。
「ほれ、早くしねえとスープが冷めちまうぞ。主人に冷めた飯を食わせる気か?」
自分を盾にしてせっつくと、アーチャーは眉根を寄せる。数秒迷ったようだが、やがて観念したようにため息をついた。身をかがめ、オレに向かって口を開く。
褐色の肌から白い歯と桃色の舌がのぞく。オレが差し出したスプーンを口に含み、アーチャーは慎重にスープを啜った。
ごくり。
褐色の喉が音を鳴らして飲み干すのにつられて、唾を飲み込む。これは、あれだ。食欲をそそられただけだ。スープのほうに。
自分で言い出しておいてなんだが、いいのかよ。そんな素直に言うことを聞いて。冷めたスープを食えとオレに言えばいいだけだし、そうでなくてもオレからスプーンを奪って食う手段もあるのによ。
「ふむ、美味い」
思わぬところから派生したオレの動揺をよそに、アーチャーは満足げに頷いた。自分の料理を食って、ここまで満足げな顔で美味いと断言できるやつも珍しい。
「自画自賛か」
「私は不味いとわかっている料理を主人に出したりなどしない。それとも、私が味見ひとつもしないシェフに見えたか?」
わざとらしく肩をすくめ、片眉を潜めてアーチャーが問う。
そもそもシェフには見えん。
見た目だけで言うなら、メイド服を着たゴツい女装男だ。
「いんや、見えん」
正直に言えば無駄に話が拗れそうだ。余分な部分は省いて率直な感想を告げると、アーチャーは得意げに鼻を鳴らした。こいつは自分の立ち位置をどこに置いているんだ。
しかしまあ、成る程な。そう言われると納得もいく。これまでのしたり顔は、本人が納得いく根拠を持っているからこそできるというわけか。それならさぞコレもうまいだろうと、オレもスープに口をつける。
「うっま」
見た目はクリーム色の表面に胡椒が振られただけの、シンプルなスープだ。けれどシンプルだからこそ、マッシュルームの旨味と甘さがじんわりと感じられる。とろみを帯びた液体が喉を通る瞬間は極上だった。
「一人で食うには勿体ねえ美味さだ。だからほれ。お前の分も持ってこいって」
「そう言われてもな。私は使用人で君は主人。それに仕事が」
「なんだよ、こんな夜にまで仕事って。ンなもん明日に回せばいい。今日中に終わらせなきゃならんようなものはないだろ」
せっつくが、それでもなおアーチャーは渋る。なかなかに頑固だ。そこまでオレと一緒に食事を取るのが嫌か? それとも主従であることを明確にしたいのか。
ああ、そういや仮採用はいつまでか具体的な話をし忘れていたな。今日一日か、それとも一ヶ月か。ま、これからの展開によっては仮採用の期間なんざどうでもいい話になるんだが。
「一番の『仕事』はオレらを眠らせている間に済ませただろう?」
決定的な言葉に、アーチャーは暫し無言だった。
ただ僅かに眉を動かすと、組んでいた腕を解く。一見だらんと腕を下げただけのように見えるが、右手は何かをたしかめるように右脚に添えられていた。昼間に見たスカートの中身を思い出し、内心ひやりとする。
そういやこいつ、ナイフを隠し持っていたっけな。今のところ、アーチャーから殺気は感じられない。ここでオレを斬り殺すような雑な仕事をするとは思えないが、無いとも言いきれん。
自然を装ってテーブルの上に並べられたナイフを手に取る。元傭兵に食器ナイフでどこまで立ち向かえるかはわからんが、手ぶらよりはマシだ。
互いに動かぬまま時間だけが過ぎる。
足元のプロトとオルタは場の緊張を察しているようだった。唸りまではしていないものの、アーチャーに向かって姿勢を低くし身構えている。これがこいつらの優秀なところだ。どれだけ気に入った相手だろうと、オレが命令すれば即座に飛びかかる覚悟がある。
チリチリと燭台の炎が揺れる音だけが食堂に響く。
そろそろ沈黙が辛くなってきた頃に、アーチャーは短く息を吐いた。
「いつ気がついた?」
誤魔化すかと思いきや、アーチャーは意外なほどあっさりと『仕事』を認めた。仮の主人への義理立てか、諦念からか。それとも、オレなんぞ実力行使でどうとでもなると思っているのか。
甘く見られたもんだな、オレも腕にはそれなりの覚えがある。とはいえ、元傭兵とやりあって五体満足でいられるとも思っていない。まあ、アーチャーと敵対するつもりも毛頭ないんだが。
「あの前歴で疑うなってほうが無理だろ」
傭兵をやっていた人間が家事雑務担当の使用人職に付きたがるなんて、どう考えてもおかしな話だ。心機一転にしても毛色が違いすぎる。普通はもう少し前職を生かした仕事に就こうと思うだろう。例えば、用心棒とかな。
平穏な暮らしをしたいからだとしても、それなら不穏な噂のある屋敷に仕えようとはしない。雇用条件にメイド服着用義務が付いているのなら尚更だ。
「疑っておきながら私を仮採用したのか? 奇特な男だな」
「メイド服を自作してくる男に言われたくはねえよ」
「それは君の趣味だろうが」
心底嫌そうにアーチャーが反論する。
おいおい、心外だな。たしかにオレは女のメイド服が趣味だ。そうでなけりゃ雇用条件にメイド服着用義務を盛り込んだりはしない。その結果が御覧の有様ではあるが、これは紹介所のシステム上性別を指定できなかったせいだ。その条件を確認した上で雇われに来たのはアーチャーのほうだろう。
メイド服を自作したのもそれを着たのもアーチャーの意思であり、決してオレが無理強いさせたものではない。メイド服を着ているのであれば中身がどうであれかまわんと雇ったわけじゃないんだ。そこを勘違いしてもらっちゃ困る。
それでもアーチャーを仮採用したのは、二度も屋敷まで足を運んだ男に不義理を働きたくなかったからだ。やむをえずであり、望んだわけじゃない。
それに、そうまでして雇われようとする男の目的も気になった。ようはアーチャー自身に興味が湧いたんだな。好奇心猫を殺すとは言うものの、好奇心を無視できるほどオレは臆病者ではない。
「気づいていながら、よく私の食事に手をつけられたな」
「そりゃ腹減ってたし」
「殺されるよりは空腹のほうがマシだろう」
「でもオレの飯には何も入れなかっただろう?」
オレのには、な。ことさら勿体ぶって強調する。
アーチャーはオレの言葉に口を閉じた。唇を引き締めたその表情はどこか気まずそうにも見える。
「いつ気がついた、ねえ。初めはそれほど疑っちゃいなかったさ。押し入り強盗かと思った時もあったが、それにしちゃ手間をかけすぎだ」
それだったら初めにこの屋敷を訪れたときに決行しているはずだ。そもそもそれが目的だというのなら、メイド服を用意する前にナイフ以外にも武器を用意するべきだろう。
「だがお前の用意した飯をプロトたちが食った後、熟睡していたのが妙だった。いつもならありえないんだよ。大方、睡眠薬でも盛ったんだろ?」
プロトとオルタは優秀な番犬だ。プロトは食事を終えたあと、腹ごなしもかねてか必ず哨戒に行く。どの時間帯の食事でも、哨戒なしに寝ることは一度たりともなかった。オルタは食事を終えればそのまま寝ちまうやつだったが、オレが名を呼べば必ず目を覚ます。
どちらか一方がいつもと違うというのなら、たまたま今日だけだと思える。けれど二頭同時にいつもと違うというのは考えづらい。
「……彼らには悪いことをした」
自分を警戒する二頭の犬を見ながら、アーチャーは曖昧に笑った。
見覚えのある笑い方だった。ああ、そうだ。眠っているプロトたちをみてこんな笑い方をしていたな。
ようやく気がついた。これは罪悪感からくる自嘲だ。二頭はアーチャーを随分と気に入っているようだったが、アーチャーもそうだったらしい。だが、それならば。
「オレには悪いと思わんのか」
薬を盛られたのは二頭だけじゃない、オレもだ。昼食に薬は盛られていなかったようだが、紅茶にはしっかりと盛られていた。そうでなけりゃ、あんな堪え切れないほどの眠気が急に襲ってくるわけがない。
二頭に謝罪するのならば、当然オレにも謝罪すべきじゃねえの?
「生憎と、変態相手には思わん」
正当な訴えを述べると、アーチャーは鼻を鳴らして笑った。
可愛げのねえ笑い方。随分な態度じゃねえか。
それと誰が変態だ誰が。そんな謗りを受けるいわれはない。
「あのなぁ、」
オレはあくまで雇用条件にメイド着用義務をつけただけ。それも女を雇う前提でな。男にメイド服を着せるつもりじゃなかった。女に自分好みの服を着せたいってのは、男なら少なからず持つ願望じゃねえの? そしてあわよくば脱がせたいとも思っているはずだ。その程度で変態呼ばわりは酷ってもんだろ。まあ、スカートの中を見せろというのはちとアレだったかもしれんが。
でもあれは中がどうなっているか気になっただけだから。純粋な興味だから。性的な意味は一切なかったから。ほんとに。スカートをめくらせなきゃ武器の持ち込みに気がつけなかっただろうし。一番気になっていた下着は拝めなかったが。
あれ、なんかこう言うとマジでオレが変態のように聞こえるな?
口にしようとした言葉を取りやめて、んんっと咳払いをする。
決して良い弁解が思い浮かばなかったから誤魔化したわけじゃねえ。ちと喉が渇いただけだ。ほらさっきまで薬で眠らされていたわけだし。きっと口を開けっぱなしで寝ていたんだろう。そういうことにしたい。
「私が紅茶を持ってきた時点で彼らに薬を盛ったと確信していたわけだな? そして、自分の紅茶にも盛られているとわかっていた。少なくとも、予測はしていた」
オレの動揺を知ってか知らずか、アーチャーは気にした様子もなく言葉を続ける。
その通りだ。番犬たちの様子から何かをされたのは察しがついていた。なら次はオレの番だと考えるのは当然の結論だ。
「なのに、何故口をつけた。睡眠薬ではなく毒であったのなら、君はどうする気だった。少々油断が過ぎるのではないかね」
それ、薬盛った側の人間が言う台詞じゃねえんだよなあ。
アーチャーは真面目に言っているらしい。無謀な男を嘲笑っているのならばまだわかる。が、その声音はどう聞いてもこちらを心配しているようだった。妙なところで悪役になりきれていない。なかなか厄介なやつだ。こぼしそうになる苦笑をなんとか噛み殺す。
「毒ではないとわかっていたからな」
「一口で見破ったと。たいした男だ、その手の教育を受けていたのかね」
「まさか。プロトたちのことがなけりゃ、薬が入っているとも思わなかったさ」
せいぜい、今まで飲んだどの紅茶よりも美味いと思ったぐらいだ。第一、飲んで毒を判別する訓練を受けるより、使用人に毒味をさせたほうが手っ取り早いし安全だろうが。実家のやつらはその手をよく使っていた。思い返すだけで胸糞悪い話だ。
「毒ではないと思ったのは、ただの勘だ」
「勘だと?」
オレの言葉にアーチャーは片眉を跳ねあげた。腕を胸の前で組み直し、呆れとも怒りとも取れる声で言葉を続ける。
「なら君は、根拠もなしに薬入りの紅茶を飲んだのか」
「何言ってやがる、オレの勘が根拠さね」
アーチャーの手がナイフから遠ざかったことに密かに胸を撫で下ろし、肩をすくめて言葉を返す。
「お前さんがオレを殺すわけがない」
それがオレの勘であり根拠だ。
今日出会ったばかりの男(正確には昨日も会ってはいるが)を無条件に信頼したわけじゃねえ。酷く回りくどい方法でこの屋敷にやってきた男が、今さらそんな短絡的方法を取るとは考えられなかっただけだ。
オレを殺す気でこの屋敷に来たのならば、玄関先でオレを殺せばいいだけの話。もっと言うのであれば、建前を準備して玄関から招かれるよりも屋敷に侵入する方が手っ取り早いだろう。実際、何度も気付れることなくオレに近付いている。それをしなかったのは、こいつの目的がオレの命ではないからだ。
「そんなものを根拠などと言えるか。随分と危険な賭けに出るんだな君は」
「そうかぁ?」
結果が見えているなら、賭けにもならねえだろうよ。なんで薬を盛った側のお前が腹を立てているんだかねえ。
ともすれば説教を始めそうなアーチャーの姿は、滑稽にも思えた。いくら皮肉屋を装おうと、そうやって素を表に出しちまえば意味もない。ハリボテもいいとこだ。お前さんのそういうところも根拠の一つだと言えば、どんな顔をするんだろうな?
「それで。オレらを眠らせてまでお前がしたかったことはなんだ?」
本当だったら種明かしも兼ねた晩餐を一緒に、と思っていたのだがアーチャーは腕を組んで立ったまま。一緒に食事をする気はないようだ。かといって、武器を握る気配もない。必要以上に警戒はしなくてもいいだろう。
プロトとオルタは、オレとアーチャーを交互に見ていた。険呑な空気が去ったことは察したようだが、眼前の餌にはまだありつこうとはしない。オレとしてはせっかくの料理を冷めさせるのも勿体ない、料理に再び手をつけ始める。
「……君を調べていた」
ぽつりと、アーチャーの口から言葉がこぼれる。
だんまりを決め込むかと思っていたが、これは嬉しい誤算だ。口に放り込んだくるみパンを急いで飲み込む。
「オレを? んだよ、オレに興味あるなら正直に言えば」
「正確には、新しくこの地に来た領主をだ」
食い気味に訂正された。
ンだよ、ノリが悪いな。
「君は前領主の評判を理解していなかったようだな」
「相当嫌われていたってのは知ってたぜ」
「随分とお優しい表現を使う。家を出てのんびりと暮らしたいと言ったか? それだけの理由でこの地を選んだのは浅はかだったな」
──君が思っている以上に、前領主は恨みを買っている。あの男に人生を狂わされた者は決して少なくない。肥沃と言えない土地から高い税を取り立て、意を唱えれば追放、投獄、悪ければ処刑だ。
この地があの男の統治下にあった間、どれだけの民が苦しめられたか。あれが死んでから君が来るまでの間、片手間とはいえ隣の領地の領主が統治してくれたおかげで少しはマシになったがな。
そこに新たな領主として君がやって来た。皆不安になったよ。君があの男の親戚筋だという噂もあったからな。またあの頃に逆戻りするのではないかと考えるのも、無理もない話だろう? 血は争えない。
そういった不穏な噂ばかりが飛び交っていた頃に、君のあのふざけた求人だ。知っているかね? 前領主も高い賃金で若い娘を誘い出しては酷い扱いをしていた。腹を膨らませて戻った娘もいたそうだ。
ところで。君がこの地に来た頃に私はちょうど休暇を取っていてね。暇を持て余していたことだし、新しい領主の面でも見てやるかとここに来たわけだ──
芝居掛かった口調でアーチャーが長々と述べたのは、こういう話だった。
ははあ、要約すると。
「どういう領主なのか、オレを調査しに来たと」
前領主は病か不慮の事故で死んだ。そう聞いていたが、アーチャーの話を聞いていると怪しく思えてくる。ここまで疎まれていたのならば誰かに少しずつ毒を盛られていたか、事故に見せかけて殺されたのかもな。もう少し真面目に前任者の話を聞いておくべきだったか。今さらどう思おうと真実は闇の中だが。
「そんな大層なものではない。言っただろう、休暇中で暇だったんだ」
「暇で潜入するやつがいるかよ」
丁度休暇を取っていたなんて言っているが、どうせ噂を聞いて潜入するために休暇を取ったんだろう。そうでなくても、休暇中に暇だからって潜入しようだなんて普通は思わん。
「だからそう大層なものではないとだな。噂の真相が気になって見に来ただけだ。我慢ができないタチでね」
そりゃ意外だ。潜入のために似合わないと自覚しているメイド服を着て、挙げ句の果てに命じられるがままスカートをめくるやつだ。てっきり我慢強いほうかと思っていた。それとも、あんなのは我慢のうちにも入らねえってか?
ああ、でも玄関ホールの汚さには心底我慢できんって態度だったな。こいつの我慢のしどころがよくわからん。
「言っておくが、この件に関して遠坂紹介所はまったくの無関係だ。彼女は私に利用されただけだよ」
それは言われずともわかる。遠坂紹介所に求人を出したのはオレだ。向こうから求人を出さないかと持ちかけられたわけじゃない。これはまったくの偶然だろう。
つまり、こいつはただの正義感から新しい領主を見にきたと。
アーチャーの言葉は真実だろう。この場において誤魔化すつもりなら、もう少しそれらしい嘘をつく。思いのほか単純な話だったな。オレはてっきり実家のやつらから依頼されたのかと思っていたんだが。
「それで、どうするつもりだったんだ?」
「どうとは」
「前のとオレが同じ類だったら、オレをどうするつもりだった」
「──そうだな。前の領主と同じ形でこの地を去ってもらおうかと」
「物騒だな」
研ぎ澄まされた刃のような瞳がまっすぐにオレを捉えている。アーチャーの口調は冗談じみてはいるが、恐らくは本気だ。必要であればどんなことでもやる。こいつはそういう男だろう。乾いた笑いを浮かべ、オレは肩をすくめた。
「結局、オレはお前さんのお眼鏡にかなったのか? 粗方調べ終わったんだろ」
「なんとも言えん」
まさにその言葉通り、なんとも言えない表情でアーチャーは首を横に振った。
なんだそりゃ、随分と曖昧な答えだな。
ここまできたらイエスかノー、どちらかだろうに。
「土地を治める者としては、申し分ないだろう。税率だけでなく、前任のふざけた条例もいくつか改正しようとしているようだし」
それを知っているってことは、オレが寝こけている間に書斎を荒らしたな? ただでさえ汚い書斎がさらに汚く……いや、そんなヘマをするようなやつじゃないか。きっちり元通り、それどころかつい整理整頓して仕事がしやすい環境に変えていそうだ。あとで見てみよう。
オレが領主として申し分ないと言うアーチャーの評価は果たしてどうだろうか。前任の条例を改正しようと思ったのは、あまりに貴族的で馬鹿馬鹿しかったからだ。オレは領民に好かれるために無理をする気はないが、必要もないのに恨まれようとする気もない。
税率を変えようとしているのも、必要以上の金を蓄えたくなかっただけだ。金はあっても困らねえだろうが、下手に蓄えていると実家方面から要らぬ勘ぐりを受ける。どれも領民を想っての行動じゃない。
そう考えると、アーチャーの評価はあながち間違いでもないか。
「だが歪んでいる」
「あ?」
続くアーチャーの言葉に、思わず低い声が出る。
前言撤回。アーチャーの評価は間違いだ。オレが歪んでいるだって? 魔窟の実家で育ったわりには、オレは真っ直ぐ真っ当な男だぞ。第一、皮肉屋の男にだけは言われたくねえ言葉だ。
「メイドの格好をしていれば誰でもいいのか貴様は。どうかしている」
鋼色の瞳を細めて紡がれた言葉は、心底呆れ返っている。なんだその言い草は。自身を省みろってんだ。
「おい、人を変態扱いするな。だったらそのメイド服を着ているテメェはどうなるんだよ。そっちの方が変態だろうが」
「私は! 仕事だから着ている! いいか、仕事だからだ! 断じて好きで着ているわけではない!」
かなり力強く否定された。余程腹を立てているのだろう、アーチャーの組んだ腕に指が食い込んでいる。
「メイド服を義務付けたのも、それを忠実に守ったオレを雇ったのもお前だろう!」
そこまでムキになって怒らんでも。口調まで変わってねえか?
しかしもっともな言葉だ。はたから見れば、メイド服を着たガチムチの男を雇っているオレも同類になるのか。オレもまさかこんな事態になるとは思ってもいなかったんだけどな?
オレとアーチャーの言い合いにプロトとオルタは目を丸くして、互いに顔を見合わせていた。かと思えばオレを見上げてきて、「オレらはどうすりゃいいんだ?」と言わんばかりの表情を浮かべる。
どうすりゃいいって、なあ。どうもせんでいいんじゃねえか。アーチャーからの殺気はまるでないし、これからオレをどうこうするとも思えん。不本意なメイド服を着る原因となった求人内容に、耐えがたい怒りを覚えているとしてもだ。
「そもそも、何故服務規程にメイド服着用を盛り込んだ?」
「そりゃあ、可愛いメイドと一緒に暮らすのが夢だったからな。可愛い子がひらひらとスカートなびかせて健気に働く姿、グッとくるだろう?」
そんなのは聞くまでもないだろう。清楚で可憐なメイド服を着た女性が甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれる。男なら誰もが一度は抱くロマンだ。抱かないやつがいたら、お目にかかりたいね。
「くだらんな」
どの男も首を縦に振るであろう問いかけに、アーチャーは首を横に振った。挙げ句の果てに鼻で笑う。
なんてこった。ロマンを抱かないやつがここにいたよ。
「まあ、どうでもいい話だったな。私は解雇だろう?」
「解雇? 何言ってやがる、ンなわけねえだろ」
「ああ、解雇だけでは物足りんと? そうだな、たとえ変態であっても君は領主。私はただの不法侵入者だ。当然、相応の罰を受ける必要がある」
なんだその潔さは。あと、まだオレのこと変態扱いするのかよ。そうまでオレを変態だというのならば、こっちにも考えがある。
「いいか、オレはお前さんをクビにはしない。罰も与えん」
少しばかり、いや結構気に食わん態度もあるが、それも含めたアーチャーという人間にオレは興味がある。それにアーチャーの仕事ぶりは極めて優秀だ。アーチャーと同じぐらい仕事ができる人間を再び探すのは骨が折れるだろう。なんせあの遠坂の嬢ちゃんが「家事全般一級品」といって寄越したんだからな。
「なんだと?」
「二度は言わんぞ。お前さんにも悪い話じゃないはずだ。無論、金は出す。最初に提示した額より多く出してもいい」
まあ傭兵のほうが稼ぎはいいかもしれんが、そっちよか安全な仕事だ。まるっきり安全とも言い難いが。実家からの刺客が絶対に来ないとは言い切れんしな。その保険も兼ねて、なおのことアーチャーにはうちで働いてほしい。
メイドの護衛なんてロマンがある。スカートを翻し、戦うメイド……なかなか絵になるんじゃねえか?
そのメイドが男だという点は置いておくとして。
「君はもう少し賢い人間だと思っていたが」
呆れ半分戸惑い半分といった感じの表情でアーチャーはオレを見る。その言い草、暗にオレを馬鹿だと言ってねえ?
「わかっているのか? 私は君に危害を加えた人間だぞ。それを雇うとは、危機管理が甘すぎるのではないかね」
「危害って言ってもな。別にオレはどこも怪我しちゃいねえよ」
「私に薬を盛られただろうが」
「ちょっと寝すぎて頭が痛くなったぐらいだわ。危害とは言えん」
「毒だったら死んでいたんだぞ!」
苛立ったようにアーチャーが叫ぶ。
オレが言うのであればわかるが、睡眠薬持った当人がいうかね。本心から言っているように見えるのが、なおタチが悪い。
「毒だったらな」
実際は睡眠薬、オレも犬たちも五体満足だ。傷も後遺症もない。場合によっちゃオレの命を奪うつもりでやってきたとアーチャーは言ったが、結果はこれだ。
ここまでの会話を鑑みるに、アーチャーにオレを殺す気はもうない。なら、オレらに薬を盛った件はこれで終いだ。
ただもうひとつだけ、気になっていたことがある。
「そういやお前さん、何故昼食にではなく紅茶に薬を盛った。オレたちをまとめて眠らせちまったほうが話は早かったんじゃないか?」
わざわざタイミングをずらして、後からオレにだけ薬を盛った理由がどうしてもわからなかった。二度手間だろうし、眠らせている間に屋敷を探りたいのであれば、プロトたちと同時期に眠らせた方が起きるタイミングを図りやすかっただろう。
「たいした理由ではない。ただ、君と少し話がしたかっただけだ。食事中に話しかけては邪魔だろう」
なんだそんなことかと言いたげに、素っ気なくアーチャーは答えた。
これだもんなぁ。普通、殺すかもしれない人間の中身を知ろうとするか? できるできないは置いておくとして、いざ殺す時になったら相手を知らないままのほうが楽だろうによ。特に、こいつのようなタイプの人間は。
「……そうかい。ま、オレはこうやって生きているんだ。なら問題ない」
「信じられん。どうかしているぞ」
「その台詞、そっくりそのまま返してえ」
オレからすれば自作のメイド服で敵地に乗り込むやつのほうがどうかしている。
アーチャーにどう思われようと、オレの意思は変わらなかった。スープ皿を持ち上げ、残っていた中身を一気にあおる。「行儀が悪い」とアーチャーにたしなめられるが、ンなもん知ったこっちゃねえ。
空になったスープ皿をテーブルに叩きつけ、問う。
「そんで、そっちはどうなんだ。当初の目的を考えれば渡りに船だと思うが」
アーチャーは無言だ。
きっぱりと断らないあたり、こいつも悩んでいるのだろう。
なら、このまま畳み掛けちまえ。
「今後、オレが前領主のようにならんとも限らんぞ? となれば、お前さんはオレの近くにいたほうが何かと都合がいい」
「……いつでも君の首を狙えると?」
「いい刺激になる。オレも仕事に精が出るってもんだ」
おかしなもんだ。家の中でまで命を狙われるような環境が嫌でこんな辺境に引っ込んだっていうのに、命を狙うやつを自分から雇おうとしているんだからよ。オレも焼きが回ったかね。
「そうは言ってもだな」
「お前さんが嫌っていうなら」
渋るアーチャーに、わざとらしくため息をついた。目を伏せて、殊更ゆっくりと左右に首を振る。
本当のところは、この手を使いたくはなかった。相手の弱みに言葉でつけこむ手法は卑劣でどうも気が引ける。だが一度手に入れると決めたら、オレはなんとしてでも手に入れる主義だ。
「遠坂の嬢ちゃんに話さなきゃならんな。何故お前がうちの話を蹴ったのか」
「なんだと?」
「嬢ちゃんお墨付きの男が、わざわざ自作のメイド服を着てまで雇われに来てくれたんだ。そこまで誠意を見せてくれた相手を何故断ったのかを話すんだよ。じゃなきゃ次の人間を寄越してもらえんだろう?」
「うぐっ」
オレの言葉にアーチャーは首を絞められた七面鳥のような声を上げる。
すぐさま取り繕おうと口端を持ち上げたが、上手くいかなかったのだろう、結局は耐えるようにアーチャーは唇を一文字に結んだ。眉間に皴を寄せ、そこを指先で揉むように手を添える。
打開策がないか考えでもしているのか。無駄な悪あがきを。
「──あの嬢ちゃんに、そのメイド姿はもう見せたのか?」
「ぐぅっ……!」
アーチャーはついに顔を両手で覆ってうなだれた。
アーチャーと嬢ちゃんがどういった仲かは知らんが、嬢ちゃんの手紙を見るに仕事仲間というだけではないだろう。それなりの仲であることは間違いない。そんな女相手に『似合わないメイド服を自主的に着ていた』という事実、知られたくはないだろうと思ったが、案の定だ。
「……この話、受けよう。受けるとも! それでいいだろう!」
顔をあげ、やけくそのように……というより間違いなくやけくそでアーチャーが叫ぶ。羞恥か怒りか、褐色の肌でもよくわかるほど顔が赤い。
ほー、そうですかい。そこまで顔色を変えるほど知られたくねえのかよ。
なんでか面白くない。
「……いつ自分を殺すともわからん男を雇うなど、君はどうかしているぞ」
「スリルがあっていいじゃねえか。差し詰め、お前さんはこの領地の抑止力ってとこかね。せいぜいこの地の平和を守ってくれよ?」
「馬鹿げたことを」
ぶつくさと文句を言いながら、アーチャーは髪をかきあげた。
さて、正式に雇うならきちんとした契約を結ばんとな。善は急げ……とはいうが、さすがにこの夕食を平らげてからでもいいだろう。ちょいと長話のせいで冷めちまったが、アーチャーの作った料理だ。それでも味に問題はないだろうさ。
「ひとつ確認したいのだが」
オレがローストビーフにフォークを突き刺したところで、アーチャーが探るような声を上げる。
なんだ、このタイミングってことは正式な契約に関してか? 値上げ交渉ならさっきも言った通り柔軟に対応するつもりだ。なんといったって、下手に十人雇うより高額でもアーチャーを雇ったほうが断然コスパがいい。
「服装規定に変更はないのかね……?」
だが、アーチャーが確認してきたのはまったく違うことだった。この先メイド服を着なければならないのかどうか、そのほうがアーチャーには給料よりもずっと大事な話らしい。
メイド服を着て今日一日あれだけ完璧に仕事をこなしていても、アーチャーにとってメイド服を着ることは苦痛だったのか。いい加減慣れたものなのかと。
「アーチャー」
アーチャーが言いたいことはわかる。
もちろん、その気持ちも。
オレもメイド服を見るのは好きだが、着ろと言われたら絶対に嫌だ。
だからこそ、うんうんとアーチャーの問いに深く頷いた。それからできるだけ穏やかな声で、告げる。
「言っただろ? オレは可愛いメイドと一緒に暮らすのが夢だったんだ」
女の子のメイドと暮らす夢は儚く散ったが、それでも可能な限り叶えたい。
まあ可愛いかと問われれば、首を傾げるやつ多数だろうが。
というか、決して可愛くはない。
それでも、オレはアーチャーを雇いたい。自分でもどうかと思うが、アーチャーがスカートをなびかせて働く姿にグッときちまったのだ。
ああ、認めよう。オレはメイド服姿のアーチャーにハマっちまった。メイド服姿で働くアーチャーを思う存分堪能したい。
本人が嫌だとオレにはっきり言うまではな。
「……了解した。地獄に落ちろキャスター」
元傭兵、今は最高に似合わないクラシカルメイド服を着た使用人は、主人であるオレへ憎々しげに呪詛を吐き出した。