【キャス弓個人誌web再録】落日のグロウ
版権元:Fate/Grand Order
表紙イラスト・デザイン:猫田かりんさま(user/17919649)
注意事項:腐向け(キャス弓) ネタバレ ねつ造
※アーチャーは汚染を受けているという意味ではキャス影弓とするべきですが、タグ内の作品傾向から言えば本作はキャス弓とする方が適切と判断してタグ付けしています。
特異点Fの前日譚からその結末までを描いたキャス弓妄想話の再録です。(完売済み)
原作とアニメ版それぞれ参考にしましたが、ねつ造や独自設定がかなりの要素を占めます。
素晴らしい表紙は猫田さんに依頼して作成いただきました。何回見てもイメージ通りのすばらしいイラストでお気に入りです。
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無限に湧いて出る亡霊を適当にあしらいつつ、キャスターはコンパス代わりに浮かせている剣の指す通り一直線に街を突っ切っていた。
キャスターが失せ物探しをしたいのであれば、小石一つで事足りる。つまりわざわざ剣なんてものを用意したのはキャスターではなく、矢文さながらにキャスターの足下に突き刺さってきた経緯を思えばおそらくアーチャーの仕業と知れた。
すわ宣戦布告かと身構えたが、解析してみてもなんてことはない、無害極まりない矢であった。特徴的なのは〝必ず持ち主の元に帰る〟というその性質であろう。試しにルーンで補助してやれば、弱々と自身の主の方へひとりでに動き始めた。
矢文さながら、とは言ってみたもののこの剣自体にはなんのメッセージも付属してきていなかった。だが察するにこれは「ついてこい」ということだろう。
現状所在がはっきりしているサーヴァントは二騎。
異変と同時に宝具を放ち、垂れ流しの威風そのままに大霊地に陣取ったセイバーと、今は亡き主人の居城から離れないバーサーカーだ。剣による道案内は最短距離を示し続けているらしく彼らの縄張りを時に掠って進むものの、どちらの領域に向かっているわけではないように思えた。
とはいえ無機質な道案内には敵を迂回するような心遣いもない。相手は十把一絡げの雑魚と言えども迎撃にはどうしたって魔力を要する。今のところ罠らしい罠もないのが救いだが、宛もなく彷徨えるほどの魔力は持っていなかった。魔力残量がこのまま半分を切るより前には見切りをつけねばなるまい。
「――と」
足を止める。そんなことを思っている内に目的地付近に到達したらしい。コンパス針としていた無骨な剣は、役目を果たした証拠のように力尽きてひび割れた地面に転がった。
(見る限りは何もねえが……)
住宅地ど真ん中。深山の名に相応しく、道のほとんどに傾斜か階段がついて回るような地形だ。辺りには洋館が立ち並び特に目印になるものもないが、黒い極光が大きく街を〝切断〟してみせた始点の近くであることが特徴にはなろう。
ぐるりと辺りを見渡す。怨嗟が染み着いた冬木はそれだけ霊体の気配も探りづらくなっていたが、クラス特性も加味すれば索敵くらいは十分できる。
そうして気配を探った末に、半ば崩壊しつつある洋館に目を留めた。
「さあて、鬼が出るか蛇が出るか……」
名は呼ばない。ホストであるべき弓兵がまさかキャスターの訪れに気づいていないわけはないだろう。杖を構え、しかしあくまで自然体で扉の前に立つ。
心構えは敵の本営を前にしたときのそれだった。なにせ街の悉くが泥に飲まれたのを目の当たりにしているのだ。さらに言えば冬木が炎上する直前、セイバー陣営とアーチャー陣営が協力関係にあったことはわかっている。はっきり言って、アーチャーが汚染を免れている確率は極めて低い。名も知らぬランサーやライダーたちのように、狂乱に耽るだけの亡霊と化している可能性は十分にあった。
不意打ちを避けるため、扉との距離を保ったままルーンにて閉じた扉を引き開ける。見える限りは無人だが、壁や床には引きずるような血の跡が黒々と残っていた。足跡代わりの血痕は、屋敷の奥へと続いている。
キャスターの逡巡は僅か数秒にも及ばず、土足のままの足が血塗れた絨毯を踏みしめた。導かれるがまま奥へと進む。
たどり着いたのは小さく質素なドアだった。間取りから考えれば、使用人部屋とされるようなところだろう。扉は閉まりきっておらず、僅かな隙間が空いている。
キャスターは今度は魔術を用いず、自らの手でドアを開けた。
「――ふむ。お前さんも存外しぶといな」
壁に背を任せ床に沈みこむように座す男を見下ろす。流血は辛うじて止めたようだが、重く変色した絨毯からは相当な出血が予想された。
「……君には負けるさ。まさか五体満足とは」
アーチャーはこちらを一瞥しただけで、すぐに瞼を下ろした。減らず口も力なく、あまり余裕はなさそうだ。
一息ごとに崩壊していくような有様を目の当たりにして、罠の可能性はないと判断する。血に汚れるのにも構わずキャスターは男の横に膝をついた。肩から心臓ギリギリまで大きく裂けた一際目立つ傷口に手を添える。
痛むのかアーチャーは呻き声を噛み殺し損ねたようだが、それを労る間も惜しんでルーンを灯す。
サーヴァントの傷そのものの修復はそう難しくない。エーテルを補充してそれらしい形を繕ってやれば、外見上の傷は見る間に復元していった。
「ガワの傷はこれでいいが――」
見た目は治った男の仮初めの肉体を見下ろしながら零す。いかんせん血を流しすぎていた。サーヴァントにとっての血肉とはエーテルの塊そのものだ。不足すれば霊核が損なわれかねないし、過ぎれば人間と同じように消滅に至る。
どうしたもんかね、と思案するのも一瞬のこと。元々即断即決を信条とする人間だ。現状の冬木においては令呪に匹敵する重要性を持つだろう良質な魔力がこもったルーン石だったが、キャスターは躊躇せずそれを一つ取り出した。
「おら、口開けろ」
言いながらもアーチャーの口が開ききるより前に放り込む。反射的に吐き出そうとした男を押さえ込んで、喉の方まで送り出した。
咳き込もうと身体を折る男の口を手のひらで塞いで一分ほど待つ。血色の悪い頬がやや赤くなり生理的な涙までもが浮かんできたようだったが、折角の貴重な魔力資源を戻されてはたまったものではないのでキャスターの力は全く緩まなかった。
ついでにざっとアーチャーの状態を探ってみたが、他のサーヴァントと同じ呪われた泥の気配がある。この損傷具合で泥の浸食まで受けてなお理性を保っているのは賞賛に値するだろう。キャスターの治療に対して、他人の魔力に対しての拒否とするにも強すぎる拒絶を示しているのは、英霊と対極を成すこの呪いの影響がありそうだ。
「セイバーにやられたか」
状況と傷口からの推測をぽつりと漏らす。キャスターとて準備もない状況で正面から食らえばひとたまりもない神造兵器だ。それを前にこうして逃げおおせているのなら、アーチャーの能力はかなりのものだろう。
抵抗を諦め与えられた魔力が馴染むまでを耐えていたアーチャーは、キャスターの独白とその裏に隠れた感嘆を読みとったのか閉じていた目を開けた。
まだ口を塞いでいたキャスターの手首を掴む無言の訴えに応えて、キャスターはようやく手を離した。
「……そうだ。止めの瞬間をマスターに庇われて、こうして正気を繋いでいる」
声には生気が戻っていたが、悔恨の色が強い。キャスターは慰めるわけでも侮辱するでもなく、「そうかい」と素っ気のない返事をした。
この冬木に生存者はいない。主人に仕える従者としては、ここにいる全員が負け犬だった。
「私に助力した裏は問うまい。おかげで持ち直せそうだ、礼を言う」
「裏を問うも何も、こうなっちゃあまともに会話ができるだけ貴重なご同輩だ。味方とまでは期待しないが、敵の敵でいてくれるだけで恩の字だな」
「敵、か――」
一言呟き、それきり黙す。
何やら思案しているようなので待ってやってもよかったが、そうするには場所が悪かった。
「なんにせよ、だ。話はここを抜けてからにしようや。ここらはライダーの縄張りだ、どうも落ちつかん」
「……そうだな。腰を据えて話し込むにはこの屋敷は荒れ過ぎている。しかし、行く宛てはあるのか?」
立ちあがったキャスターに習って、ややふらつきながらも直前まで瀕死だったとは思わせない姿勢の良さでアーチャーも起立した。当然の疑問にキャスターは心持ち胸を張りながら答える。
「当たり前だ。今の俺のクラスはキャスターだぜ?」
*
「まだこの街に汚染されていない霊地が残っていたとは。なるほど、君がキャスターなどと何の冗談かと思っていたが、敵の首級をあげる以外でも案外知恵が回るらしい」
「なんでテメエは恩人相手にそう偉そうにできるかね……」
「おや、褒めたつもりだったがね。いやはや、古代の英雄殿とのコミュニケーションは難しいものだ」
気取った口調でそのようなことをぬかすアーチャーにキャスターのこめかみが盛大に引き攣ったが、自称知的サーヴァントは気合で怒りを抑え込んだ。
アーチャーの指摘の通り、ここは汚染を逃れた僅かな霊地でも特に良質な地点。マスターのないサーヴァントであるキャスターにとってはまさに命綱とも言うべき陣地である。
「ほら、入れよ。さっきの屋敷と似たような荒れ具合だが、サーヴァントにはよほど居心地がいいだろう」
「――確かに。マスターを得たときと同じくらいの充足感がある。単独行動スキルもないだろうに大したものだ」
「これぐらいはな。とはいえ霊脈はズタズタだし重要な地点は軒並み抑えられている。このままじゃあいずれはじり貧だ」
相づちを打ちながら室内に入る。都市汚染より前から廃墟だったのだろう、ソファーはカバーも裂けてスプリングが見えているような状態だったが、他にいい椅子もないので気にせず腰掛ける。
突っ立ったままの男に向かいのソファーを勧めると、初めは荒廃具合を気にしていたアーチャーも諦めて座った。
「さて、話の続きといこうか。騎士王サマの近くにいたんだ、あの瞬間の状況も知っているだろう?」
「私とて理解できていることは少ないが、それでいいなら」
前置きを省いて切り出すと、一つ頷いた弓兵は素直に応じて話し始めた。
「あの瞬間――これは人々を焼却する炎が走った瞬間でいいな?――そう、その瞬間、我々は同じ空間にいた。君の言うとおり、私のマスターとセイバーのマスターは同盟していたからだ。そして魔術師としての性能の違いで、私のマスターよりもセイバーのマスターの方が先に命を落とした。数分にも満たない差だがね」
淡々と話しているが、言葉の裏には己のマスターを守れなかったことへの自責の意が透けて見えた。キャスターはそれを察したが、慰めをかけるような間柄でもないので黙して頷き続きを促す。
「その数分の間。我々の前に聖杯が突如として顕現した。我々の前、というよりはあれはおそらくセイバーに下賜されたのだろうがな。
……おかしなことに、私の目から見てあの聖杯はすでに完成されたものだった」
「ふうん? それの何がおかしい」
「聖杯戦争は聖杯を得る勝者を決めるための競争ではない。あくまで聖杯を完成させるための魔術儀式だ。召還した英霊が脱落し、座に還るまでの間魂を留めることこそが冬木の聖杯の役割。そしてプールされた我々七騎のサーヴァントの第二要素そのものが、聖杯が願望を実行するための燃料になる」
「……ふむ。その情報の真偽はともかく、確かに俺も貴様もこうしてここにいる以上、聖杯は完成しないことになるな」
「そうだ。仮にあの聖杯が現れた時点ですでに他のサーヴァントが脱落していたとしても、肝心のセイバーとて反転しただけで杯の元へと還っていない。私とセイバー、それからキャスター。七騎の内三騎も欠いて、聖杯が完成に至るはずもないんだ。
だが、あれは間違いなく願望機として完成された聖杯だった。そしてその完成品を目前にしたにも関わらず、セイバーは悩む素振りもなく一瞬で宝具を解放した」
キャスターも街の外郭から目にした、何もないはずの地に突如立ち上った黒き極光。あれがセイバーの宝具だったのだろう。
「至近距離での真名解放だ。狙いは聖杯だったのかもしれないが、彼女は如何にも暴君でね。近くにいた私も諸共両断されかけた。しかし、そこでまだ生きていた私のマスターが令呪を切って離脱を命じ――あとはもうわかるな? そう、転移した先が先ほどの洋館だ。待避したとはいえ余波だけで十分死にかけてあのザマだったわけだが」
本人は極力感情を排する努力をしたようだが、後悔の念は消し切れていなかった。饒舌な語り口は、キャスターからの慰めを拒むためのものに思える。
「正直この盤面をひっくり返す方法があるとは思えんが、マスター最期の命令を無駄にするわけにはいくまい。そこで辺りを彷徨っていた君に白羽の矢を立てた、というのがことの顛末だ」
説明を終えて、アーチャーはそこで一度言葉を切った。しかしまだ何やら思案げな様子で、言葉に悩みながらも再び口を開く。
「……セイバーの聖杯への執念は本物だった。七騎の中で最も強く聖杯を求めていたのは彼女だろう。反転したところで、聖杯獲得という最終目的までは反転すまい。だというのに、彼女は紛れもなく完成された万能の杯を全く躊躇わず一刀のもとに切り捨てた。これが意味することは一つ。聖杯獲得以上に優先すべき何かがあの瞬間発生した。あるいは、聖杯を手に入れて果たそうとしていた悲願が意味消失したか。
セイバーは確かに汚染を受けたが、その行動は今に至るまで極めて理性的だ。判断そのものを違えたとは思えない。あの瞬間彼女だけが知った何かがある。それが何かわかればいいのだが……」
視線を絨毯に落としたアーチャーが訥々と呟く。独り言として処理できそうな小さな声であったが、キャスターはそれを拾い上げて「確かに」と頷いた。
「今のままじゃセイバーの考えが読めねえな。何を知って聖杯を不要と断じたのか? 一度自らで破壊した聖杯を、なぜ今になって再び満たそうとしている? つうかそもそも、その胡散臭い〝完成した聖杯〟はどこから来て、なぜセイバーの元に現れた?」
「それが知れれば苦労はない。しかし願望機をポンと寄越す考えなしがいることは確かだ。それがこの街を燃やした実行犯と同じなのかはわからないが」
「同じ野郎じゃねえのか? どっちのやり口も陰気くさい、嫌いな気配がプンプンしやがる」
眉をしかめて言う。情報が少ない以上推論はここらで手詰まりだろうが、間違いなく言えるのは最上級に面倒くさい事態の渦中にあるということだ。キャスターはボロくて座り心地の悪いソファーにズルズルと沈み込んだ。口からも「あー面倒くせえ」と愚痴が漏れる。
「……意外だな、どうも本当に嫌そうだ。君はこういう無理難題に燃えるタイプだと思っていたが」
「こんなんはただ面倒なだけだろうが。槍もねえし、思う存分駆け回れる戦場もねえ。これでどうやって楽しめって? お前が遊びにつきあってくれるなら別だがよ」
「笑えない冗談は止せ。この状況で我々が潰し合ってなんになる」
「ほらな、言うと思ったぜ石頭。だから面白くねえってんだ」
キャスターは時として無謀を好むが、それは敵と己の命を削り合う闘争があってのことだ。挑みべきが何かもわからず、守るべきものはどこにもいない今は残念ながらキャスターの好みではない。
が、
「とはいえ文句を言ってる場合じゃねえし、なんとかしないわけにはいかねえな」
やれやれと息をついた。嫌だ面倒だと放り出していいような苦境でもない。
「さすがに腐っても英雄だな。その調子だドルイド殿、がんばってくれたまえ」
「お前さんの性根ほど腐っちゃねえよ」
「フ。違いない」
いつも通りと言えばいつも通りな失礼千万な激励を残し、そこでアーチャーは一度大きく息を吐いた。
「――では、話もどうやら一区切りしたようだ。悪いが私は少し休む」
腹の中のものを全部吐き出そうとするような深い息だ。出会ったときに比べて見かけは随分マシになったが、やはり疲労の色が濃い。
「解呪を試してやってもいいが?」
「止めておけ、魔力と時間の無駄だ。何、元々汚れ仕事が専門でね。呪いの類には慣れているし、この工房を貸してもらえるだけで十分だよ」
英霊に対して無類の有利を誇る呪いを受けた割には、アーチャーの受け答えはしっかりしていた。ならず者と化した他の英霊とは雲泥の差がある。……性格と口が悪く一々キャスターの気に障るがこれは元来の性格だろう。
そんな男が自ら休憩を欲しているのだから、相当な消耗があると見える。さもありなんとキャスターは真っ当に気を利かせて、ソファーに身を預けて目を閉じたアーチャーを置いて館を出た。
*
眼下、炎上する冬木を臨む。
この冬木の聖杯戦争に乱入してきた何者かがいたとして。聖杯戦争を終わらせたいのなら、本来はこの炎だけで事足りた。現代における高位の魔術師であってもなす術もなく焼却されている結果を見ても明らかだ。
だが、実際には冬木に伸びた侵略の手は炎だけではなかった。
悍ましいまでの呪いの泥。およそあらゆる英霊に対しての猛毒とも言えた。実際高い対魔力を有するセイバーですらまともなレジストもできず飲み込まれている。
火と呪い。よく計算された執拗なまでの破壊であった。
――だが、この計算高さこそが引っかかる。これだけ知恵が回るならサーヴァントのあり方も知っているはずだ。なのになぜ敵は炎だけで満足しなかったのか。
マスターを殺し尽くしたのなら、サーヴァントが現界を保っていられるはずもないのに――。
「――もういいのか?」
考えに耽るのを中断し振り返らずにそう言うと、背後の男はそこで足を止めた。
「十分休めた。万全とは言えないが、戦闘にも耐えるだろう。……しかし君はもっと粗暴な男だと思っていたのだが、キャスタークラスになると随分お優しいんだな」
「なんだ、酷くされるのがお好みだったらそうしてやってもいいぜ」
「……遠慮しておこう」
挑発にも満たないからかいにこちらも同じ調子で返してやると、想定していた反応と違ったのかアーチャーはすっきりしない態度で言った。後ろに向き直って見るとやりづらそうに眉を寄せていて、それがおかしくて少し笑う。
自分ではそう変わったつもりもないが、クラスが異なるということはこの体に落とし込まれる際に選択された側面が異なるということだ。月が表と裏で大きく装いを変えるように、変わった性格に見えることもあるだろう。
「静かなものだな。これはどこまでが君の領域だ?」
「そうさね――ざっとあの森の切れ間までってところか」
街全体の規模に比べれば小さなものだが、それでも貴重な陣地だ。アーチャーの指摘した通り、あらゆる災厄から隔てられ深い森にも似た静けさを保っていた。
キャスターからすればやはり愛槍がないのは痛恨なのだが、こうして死にかけていたサーヴァント一匹匿えたのは今のクラスによるところが大きい。ドルイドの真似事など柄ではないが、故郷の導き手たちの叡智がなければ守れたとしても自分の身だけであっただろう。
アーチャーはキャスターの示した境界までの距離を見て素直に感嘆の声を上げていた。何やら気恥ずかしいので早々に話を変える。
「あー、それで? お前さんはこれからどうする」
「……さて、どうしたものかな。折角繋いでもらった命だ。無駄死には避けたいところだが、何のために何を敵として抗うべきか……」
ほとんど自問に近い声色でそうこぼして、アーチャーは冬木を見下ろしていた視線の焦点をこちらに戻した。
「君の意見を聞きたいのだが、この状況をどう思う?」
「この状況とは?」
「人々が消え、それでもこの冬木と我々が保たれている今のことだ」
――鋭い。
別に試すつもりで問い返したわけではなかったが、思った以上の答えを得られてキャスターは少し驚いた。セイバーにぶった切られてからさっきまで死にかけていた男が得られる知見としては十分過ぎる。
「私の持つ単独行動のランクではマスターなしで単独現界できるのは精々二日。キャスターである君ならば半日も保たないはずだ。
サーヴァントは現実にあってはならない亡霊の類。この世に生きる魔術師との繋がりを失えば、速やかに世界から排除されるべきだろう」
「そうだな。世界の修正力がまともに機能していたのなら」
アーチャーの目が細められる。何か思うところがあるらしかったが、男はそれを伏せて「続けてくれ」と端的に先を促した。
「英霊が多少現世に残って泥遊びをしていたところで、かかずらっていられないくらいに人理が大きく揺らいでいる。そういうことだろ」
「同感だ。……やはりどうにも調子が狂うな。キャスタークラスには知能指数を上昇させる固有スキルでもあったかね」
「うっせ、燃やすぞ」
冗談だとわかっていても揶揄されればいい気分にはならない。ジト目になって割と本気の脅しを入れれば、アーチャーは愉快そうに喉を鳴らした。
「失礼、君が思慮深いのは単純に好ましいよ。どうかそのままでいてくれ」
「ケッ、こんな目に遭ってなきゃテメエから真っ先にブチのめしてやるんだがな」
「こんな目にでも遭っていなければ君とこうして仲良く会話をしていることもないさ」
そこで目を眇めたアーチャーは、自分から余計なことを言ってきたのを棚に上げて「そんなことはどうでもいいから話を戻そう」などと宣った。
キャスターはアーチャーの割り切った無礼さに今更な苛立ちを抱えたが、無益な口喧嘩に興じる気もないので大人しく聞いてやることにする。
「冬木の人間は全滅したが、冬木より外に至ってはもっと酷い。文字通りの無だ、遙か神話の時代から積み重ねられたこの惑星の営みすべてが焼失している。
――ではどうして、この歴史的に何の価値も有さない二〇〇四年の地方都市だけが消滅を免れ存在を続けられているのか」
アーチャーが呈した疑問は、キャスターと同じものであった。視線のみで答えを要求してくるのに応えて口を開く。
「あの騎士王が守る聖杯のせいだろうよ。アレが未完成である内はこの街が必要と見える」
「……ああ、そちらも同感だ。冬木の聖杯はこの街の霊脈すべてを使った錬金術の秘奥。聖杯と冬木は不可分だ。完成に至るまでの間は、聖杯とこの街を切り離すことはできない」
望む通りの答えを引き出せたのだろう、アーチャーが大きく頷いた。
「人理が揺らぐ危機の中、セイバーの守る聖杯のみがこの地の価値を留めている。
ならば生き延びた我々になすべきことが残されているとして、彼女を倒すことが本当に正しい行いなのか?」
それはキャスターへの問いに見せかけた自問だった。
確かに見かけ上はそうだ。この冬木を保持するという一点において、セイバーのやっていることは正しく思える。
人理を燃やした者と完成した聖杯を送り込んだ者が同一であったとして、この時代この場所で聖杯を使用することになんらかの意図があったのだろう。神秘が薄れ歴史的な転換点にも位置しない一都市にどれだけの価値があるのかは不明だが、もし最初にセイバーが我欲に負けて聖杯を使用していれば、この地の価値は失墜していたはずだ。
……だが、
「だからと言って殺気満々なヤツを前に無抵抗でいるわけにもいかねえだろ。そもそもアイツはなぜ聖杯を満たそうとしているのか、それが疑問だとさっきテメエも話したはずだ」
「その通りだ。どうにもわからないことが多すぎる。推論するにはピースが足りていないんだろう。
だから私は、聞きにいこうと思うんだ」
「――あ?」
「なぜ手っ取り早く最初の聖杯を使わなかったのか。そして冬木の聖杯を満たして今更何を願うのか。それを彼女に聞きにいって、それからどうすべきかを決める。それまでは私は誰の敵にもならないと決めた」
アーチャーは真面目くさった表情をしていた。どうにも冗談とかからかいとかを言っている口振りではない。
「まさかセイバーの元にのこのこと出向くつもりか? 初っ端から殺されそうになっておいて? 正気か貴様」
「さあ、案外もう狂っているのかもしれん。狂ったついでに君の助力を仰ぎたいとも思っているのだが、こんな狂人からの無理難題はお嫌いかね? クー・フーリン」
アーチャーはキャスターの驚きように気をよくしたようだった。ちょっと得意げですらあるのが腹立たしい。
――腹立たしいが、気に入った。
「……いいぜ、そういう話なら乗ってやる。ただ死なねえようにだけ立ち回るのもつまらねえし、いっそこっちから攻め込んで強情な王様の口を割らせるっていうのは悪くない」
「決まりだな。では、これより一時私たちは共闘関係だ。よろしく頼むよ、キャスター」
*
「セイバーの真名はアーサー・ペンドラゴン。滅び行くブリテンを守護し続けた護国の王、いわば防衛の達人だ。拠点防衛に徹する彼女のもとまでたどり着くのは簡単ではないだろう」
戻った塒で地図を広げる。冬木の広域図を撫でた褐色の指は一つの山を指した。
――円蔵山、柳洞寺。そこはキャスターの目から見ても最上級の霊地である。
「我々がアーチャーとキャスターである以上、本来は距離を取った君の工房から私が砲撃に徹するのが正しい戦術であるのだが――現在の目標はセイバーとの対話だ。ここに籠もっていては意味がない。不利であろうが打って出るしかあるまい」
話しながら敵味方を示す小石を並べていく。どうやったのかまでは知らないし興味もないが、きちんと色分けされているあたり芸が細かい。
……ちなみにキャスターが街に出て地図をくすねてくる間、埃にまみれた部屋を掃除しぼろぼろのソファーを修繕してみせたのもこの男だった。こういうところで性格の違いを痛感する。今みたいに特別な理由がない限り、絶対に仲良くできないタイプと思われた。
まあお互いにガキじゃあない。こんなどうでもいい性格の相違に目くじらをたてるつもりはないので、キャスターは大人しくアーチャーの作戦を聞いていた。実際ソファーの座り心地は格段によくなったことであるし。
「郊外から動かないバーサーカーは除外して、彼女の配下は現状三騎。しかし何が正解がわからない今、反転したサーヴァントの連中もできれば撃破したくない。となると面倒なのがライダーで、やつが制空権を握っている以上どこから攻めても捕捉されるし、そうすれば泥の戦場ど真ん中で囲まれることになる。
君の力を借りればあるいは見つからずに敵陣まで進入できるかもしれないが、彼女の王座は柳洞寺地下の大空洞、その最深部に位置する。進入が発覚した時点で手勢が差し向けられ、挟撃を受けることになるだろう」
コト、と小石を動かしながら訥々と説明がなされる。異論はない、キャスターも一つ頷いた。
「だろうな。負けねえ方法はいくらでもあるだろうが、セイバーを問いつめることと敵を撃破しないことを条件に加えれば、途端に達成が難しくなる。普通に考えて、俺たちが敵陣に達した時点で最終決戦が始まっちまうだろうよ」
「ああ。よって、策を講じる。種も仕掛けもそう大したものでもないが――」
柳洞寺の境内あたりにアーチャーとキャスターを示す小石を置いた男が一旦そこで言葉を切った。視線が上がりキャスターを捉える。
「なんだ?」
「……いや。そうだな、助力への礼だ。私も手札を明かそう。私の宝具は武具ではない。心象風景で現実を塗り替える魔術、固有結界こそが我が宝具だ。十分な魔力があり修正力も衰えた今であれば、おそらく柳洞寺の大空洞入り口にまで行けばセイバーにまで届くだろう」
「固有結界……?」
思わぬ単語に目を見開く。それは武具ではなく魔術の名前。それも『大』が付くほどの規模のものだ。
現実世界というのはただ在るだけで圧倒的な質量により安定しており、毎秒生じる揺らぎは当たり前のように圧殺され続けている。これを個人が塗りつぶし反転させ一時であれ固定するというのは、キャスターがルーンを総動員させたところで絶対に真似できない最難度の大魔術であった。
「なんだそりゃあ、アーチャーのくせに宝具が固有結界とはわけがわからんぞ」
「私は結果的に的に当てるしか能がなかっただけで、別に弓を引くことに思い入れも誇りも置いていない。弓矢が宝具であることの方がおかしいさ。
とにかく、柳洞寺まで到達すれば私はセイバーと一対一に持ち込める。配下の三騎が敵襲を察して引き返してくるだろうが、まさか固有結界の中にまで駆けつけられるわけもない。よって君には、柳洞寺までの隠密行動の補助、それから私がセイバーと話をつけてくるまでの間、境内での時間稼ぎを頼みたい」
最も難しいのは、セイバーの元に到達することよりも、ことが済んだあとの離脱だろう。騎士王が聖杯の前から動かないのであれば、どちらかが赴きもう片方は退路を確保し続けなければならない。今の話で言えば、尖兵がアーチャーで殿がキャスターだ。
味方を背に守っての時間稼ぎはキャスターの得意とするところだ。否やはない。
「了解、承った。俺はこれを契約と見なそう。貴様が戻るまでの柳洞寺は死守してやるよ」
「……そんな大仰な。ケルトの戦士が、軽々しく契約を口にするべきではない。つけ込まれるぞ」
「俺の勝手だ、好きにさせろよ」
誓いを捧げる故郷の神々が隠れた現代においては、誓ったところで新たなゲッシュは成立しない。それでもキャスターは一度交わした契約は絶対に破らないと決めていた。
つまり自分で自分を追い込んでいくべきではないというアーチャーの心配は正しいのだが、眉を寄せてのその忠言をキャスターはまるっと無視した。仮にキャスターがキャスター自身の制約に縛られ破滅を迎えたとしても、アーチャーには関係のないことだ。
「それより、報酬の話といこうや。俺はお前の求めに応えるが、お前はそれに何を返してくれる?」
「…………」
垂らしていた脚を持ち上げソファーの上で行儀悪くあぐらをかいたキャスターのどこかワクワクとした問いに、アーチャーは無言のまま眉間の谷間を深くした。
反論も驚きもないので予期せぬ要求というわけではないだろう。『嫌な予感が当たった』と言うような態度だ。
「目的を同じくする同盟相手。我々の関係はそれだけでいいのではないか?」
「俺は敵を倒してはならないとまでは思っていないし、対話なんざ正直面倒臭えと思っている。そこをお前のやり方にあわせてやるんだから、そちらも俺に報いるべきだ」
「……脳天気な。見ればわかるだろうが持ち合わせはない。他人に何か施せるような余裕があるのならすべてこの人理の危機の救済に充てているさ。君に返せるものなど何もないぞ」
「固有結界。俺はその使い手と合うのはこれが初めてだし、戦ったことは当然ない。面白そうじゃねえか。戦わせろよ、その中でテメエと」
「馬鹿を言うな、却下だ却下。戦いたいならそこらの亡霊でも適当に狩ってくればいいだろう、この戦狂いが」
両目を塞いで呆れきった声でアーチャーが否決する。聞く耳も持たないとはこういうことだろう、考慮するような素振りも見せない。
しかし無言のキャスターが一切諦めずアーチャーに脅しじみた視線を送り続けていることを片目を開けて確認すると、気難しい表情で息を吐きさっきよりも真面目な口調で追加した。
「……今の私は呪いの汚染を受けているし、それは心象にまで及ぶだろう。固有結界に君を取り込み、君にまで汚染が波及すればまともな英霊が一人も残らないことになる。ゆえにその要求には応えられない。わかったか?」
「おう、よくわかった。つまり全部コトを片づけてからなら構わねえってことだな」
「なぜそうなる……。もういい、報酬の話は君が期待通りの働きを果たしてからだ。精々私のやる気を起こすくらいの働きぶりを見せてくれ」
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競うのも馬鹿らしくなるくらい圧倒的な出力を誇る騎士王の魔力は竜の炉心によるものだ。しかしそんなものを体の内に飼っていて、まさか索敵が得意ということはあるまい。
ましてこちらはキャスタークラス。事前の準備さえ果たせれば、柳洞寺の前まで忍び寄るのは決して難しいことではなかった。
「さて。ここから先はさすがに気づかれるだろうな、覚悟はいいか」
「今更確かめられるまでもない」
一応聞いたが面白味のない台詞が返った。
「そうかい、それは結構。んじゃ、行くぜ」
息を合わせるようなことはしない。なおざりに言った言葉だけを合図に、キャスターは二人を覆う結界を解除した。
途端、肌を切るような威風が押し寄せる。それに二人とも頓着せず、同時に中へと駆け出した。
柳洞寺の持つ天然の結界はかなり特殊だ。霊体である以上英霊であろうが関係なく、この霊地に進入するにはたった一つの門を潜る以外の方法はない。セイバーは無謀とも言える二騎の突入を好きにさせるつもりなのか、駆ける前方からは迎撃の雑兵すら姿を見せなかった。
それも当然か、あちらからすれば獲物が自ら顎の中へと飛び込んで来ているのだ。食い止める理由もない。想定内の対応にキャスターは笑った。舐めてくれるなら好都合だ。
予定されていた地点に到達し、キャスターは足を止めて反転した。頭上を仰ぐ。やはり最も機動力に優れるのはライダー。潤沢な魔力を惜しみなく使い、黒き天馬に跨がった女怪が空を裂いて駆けてきていた。
杖を振るい仕込んでおいた最初のルーンを発動させる。それは目前に迫る敵への迎撃のためのものではなく、留まったキャスターを置いて走る男を支援するためのものだった。
「おら行け! あの鉄仮面の王様の口を割らせてみせろ!」
使える魔力は互いにそう多くはない。特に一度死にかけたアーチャーの消耗は大きく、キャスターたちが動くための力はほとんどすべてがキャスターの蓄えたなけなしの魔力に依存した。
そのとっておきの半分以上が、男の宝具発動を支えるためだけに消費される。
「――感謝する!」
短くそれだけ言って、背後の男がさらに奥へと遠ざかる。キャスターは口元に不敵な笑みを湛えた。こんな閉塞した世界においても、悪くない巡り合わせというのはあるものだ。
「来いよ、ライダー。怪物狩りは英雄の十八番だ」
真名を唱えるだけの自我と理性は失ったらしいが、流星の如き速度と威力で突っ込んでくるライダーの驚異は宝具にも匹敵していた。
それを真正面から迎え撃つ。理性を奪われてもなお揺らがない英霊という現象の成す奇跡を前に、どうしようもなくキャスターの理性が沸騰していく。
冗長な呪文は必要ない。原初のルーンの操り手にとって、人間に空想が許されたあらゆる事象は一字に集約できるものでしかない。
「ansuz!」
陽光の消えた終末の街。人を薪に燃え続ける黒い炎を祓うかのように、眩い神代の炎が柳洞寺に迸った。
*
アサシンはしばらく立ち上がってこないだろう。汚染により気配遮断という最大の強みが消えている。早々負けるような相手ではない。
残る敵はライダーとランサー。それから、敵が走り回る度に泥をぶちまけたように拡大していく汚濁の液体。
時間を追うごとに制限される戦場にあっても、キャスターに特段焦りはなかった。背に守るものを負っての孤軍奮闘はキャスターの最も得意とする窮地だ。殺してはならないという制約も、足枷にはならない。
ゲッシュという誓いと報酬の文化に生きたクー・フーリンからすれば、それが口約束であったとしても、自ら認めて締結した誓いは背負えば背負うほど己を鼓舞させる類のものであった。
散らばった泥から際限なくわき上がる亡霊を焼き殺しながらライダーの機動を阻害し、ランサーに接近する。戦力として最も威力を誇るのはライダーの騎馬を用いた突進だが、キャスターにとって一番厄介なのはランサーの用いる得体の知れない術だった。
東方の呪術か。汚染により大幅に性能は落ちているらしいが、ランサーには他人の術式の発動を阻害してくる能力があるようだった。キャスタークラスがまさかランサーの操る程度の術で魔術を封じられることはないが、一瞬の停滞も許されない多対一の乱戦においてルーンの発動を遅らされるだけでも驚異である。
とはいえ理性もなければ連携もないのが救いだろう。一番突破力のあるライダーにとどめを任せて残りの二騎が足止めに徹していれば、もっと苦しい戦闘になっていたはずだ。敵がそれをしないのは、それぞれが自らの手でキャスターを倒すという欲求のままに行動しているからだった。
「シブトイヤツメ、早ク死ネ! 聖杯ハ私ノモノダ!」
技のないただ繰り出されるだけの突きを杖でいなし、空けた片手でルーンを刻んで背後に回った女に放つ。狙い通りの一秒後、轟と炎が走って甲高い悲鳴が上がった。やりすぎたかと心配して立ち回るついでに振り返ったが、煙を上げながらもライダーは未だ健全なようだ。丈夫で何より。
「貴様サエ倒セバ聖杯ガ、聖杯ガ……! ハハハハハ! 聖杯ヲ我ガ手ニ!」
「聖杯聖杯うるっせえな!」
会話なんて成立しないとわかっていたがあまりにも鬱陶しいので思わず叫んだ。耳障りだ。下手に言葉を操るせいで否応なしに耳に入ってくるのが余計腹立たしい。
鍔迫り合うランサーの脇を蹴って均衡を崩す。止めを刺すのに十分な隙が作れたが、キャスターはもう何度目かもわからない見逃しをした。
結論が出るまでは倒さない。そのアーチャーの方針に乗った以上は如何に面倒でも守り通すつもりである。しかし、今の台詞に気にかかる点があった。
「〝貴様さえ〟っつーことは、アーチャーの野郎、しくじったか……?」
生き残りはセイバーとキャスター、それからアーチャーであったはずだ。『キャスターだけ倒せば終い』ということは、アーチャーがすでに脱落していることになる。
セイバーの宝具は限りなく目立つ。解放すればキャスターであれば絶対に気づくだろう。仮にアーチャーの固有結界内での出来事であっても、聖剣解放を見落とすほど目暗ではなかった。
セイバーは未だ宝具を使っていない。これは確かだ。ならば、アーチャーは切り札すら切らない相手に敗れたのか?
どうにも腑に落ちないが、アーチャーの帰りが遅いのも事実ではあった。やつの帰りまで退路を死守するという契約は、アーチャーが敗北したのなら意味を失う。そろそろ引き際を見極めなければならないのか――。
「我が骨子は捻じれ狂う」
その時。
思考に割り込んだ詠唱に、キャスターは寺の奥へ振り返った。弓兵の姿は見えなかったが、膨大な魔力が渦巻いているのは見て取れる。
――矢避けがあっても余波だけで削られる。
察したキャスターは、汚染英霊への応戦をすべて破棄して防衛のためにルーンを描こうとした。
しかし、どこか違和感がある。敵の威力も敵意も本物だ。対処しなければキャスターはこの一射で死ぬ確信がある。その癖に、まだどこか余裕を保っている己がいた。刹那を争うこの窮地において、本能の囁きは『見極めよ』という悠長なものだった。
拙速か、巧遅か。
即決する。ひりつくほどの焦燥の直中で、キャスターは直感に従いあえてなんの対処も取らず、アーチャーの射が放たれる寸前までを凝視した。
そうしてこそ気づく。引き絞られた矢の射線が、ほんのわずかにズレていることに。
(――狙いはあちらか!)
刻みかけていたalgizを撤回し、即座に別の一字を描いた。
「偽・螺旋剣」
「eihwaz!」
放たれる。主人の意を得て、矢は立ち塞がるものすべてを削り取り直進していく。その猟犬のはらわたをカチあげるように、魔術で編まれたイチイの枝葉が怒濤の如く突進した。
交錯は刹那。ほとんど直角に交わった二つは境内の地盤をめくり上げるほどの余波をもたらした。杖を振るって石礫と砂煙を払いながら、止めきれなかった矢の行く末を見届ける。
キャスターに残された僅かな陣地。主の不在で強度の落ちた結界を紙細工のように食い破り、アーチャーの矢はキャスターの工房ほど近くへと着弾した。爆発の閃光は遠く離れたこの柳洞寺においてもなお目映く、遅れて届いた爆音は山が揺れるかの如くに重い。
妨害により中心への着弾はなんとか防げたものの、貴重な霊地はほぼ壊滅といってよかった。
「野郎……」
唸りながら射手の方へと向き直る。結界の強度を落とす代わりに、陣地の隠蔽は完全に果たされていた。その本拠地を綺麗に射抜かれたのは、一度中まで招いた相手だからに他ならない。
「……外したか。自分の縄張りにはさすがに鼻が利くらしい」
こちらへと歩み寄る、その軌線を泥が這う。態度こそは見知ったものだったが、キャスターの目から見ても明らかに、アーチャーの汚染は完成されていた。
「ハッ、負け犬がよく吠えやがる。セイバーにやられるにしたってもう少し粘れなかったのかよ、情けねえ」
「おや。鼻は利くが目は節穴だったようだ。私は敗れてなどいない。はじめに取り決めていただろう? 話を聞いた上で決める、と」
そこでアーチャーは足を止めた。残された距離は大凡二十メートル。サーヴァントにとっては一息で詰められる間合いでしかない。
あたりが静かなのは、アーチャーの登場と同時に汚染英霊たちが退いたからだった。
「君のおかげでセイバーとの対話は果たされた。礼を言うよ、キャスター。これで私は気兼ねなく、彼女の傍に立つことができる」
「そうかい。ま、もとからテメエと仲良しこよしでいけるとは思っちゃねえし、いたいとも思ってなかったがね。
――で? 結局セイバーはあの不良品を使って何をするって?」
間合いを測る。
魔術師のクラスを冠したキャスターにとっては距離が開いた方が立ち回りやすいのだが、敵もまた遠距離での撃ち合いこそを本分とする弓兵だ。
キャスターでは正面切っての戦闘能力はどうしたって劣る。一対六に形勢が傾いたのならなおさら、入念な準備が必要であった。ここで決戦の火蓋を落とすというのはあり得ない。なんとかしてこの場を離脱しなければならなかった。
「第三法。冬木の聖杯が目指した悲願」
「……何?」
様子見と時間稼ぎのための会話。そのつもりであったが、アーチャーの返答にキャスターは撤退の準備も一時忘れて眉をしかめた。
アーチャーは聞き返したキャスターを無視して、独り言に似た語調で先を続ける。
「起点の中でここが唯一、聖杯を使用しても人理になんの影響も及ぼさない異端の地だ。ゆえにこそ、何を省みることなく我々は聖杯を昇華できる。
――君ほどの男がわからないはずもあるまい。私たちはもう負けたのだ、誰とも知れぬ侵略者にな。ならば最後に許された泡沫を、意義のあるものにしなければならない」
「負けだと? だったら俺たち英霊がこうしてここにいるのは何なんだ? まだ負けてなんかいねえだろうが」
「負ける瞬間までは負けていない――それは強者の理論だ、クー・フーリン。人はそこまで強くない。負けしか残されていない窮地に放り込まれれば、そのまま負けるしかないんだよ」
諦観に満ちた物言いにキャスターの感情は反感を覚えたが、反発せずに沈黙を守った。そうは見えないがやはり汚染の影響はあるのか、アーチャーはやたら饒舌に思える。黙って聞いていればあれこれと口を滑らせるかもしれない、と期待してのことだった。……しかし。
「――――――」
竜の咆哮。洞穴の暗闇そのものの黒を思わせる魔力が這い上がる。大空洞の奥より発せられた波動に、円蔵山そのものが揺らいだ。
キャスターを目前にしながら、アーチャーが無警戒に振り返りセイバーの名を零す。
「……ああ、すまない。喋りすぎたな。どうもこの泥は悪くないのだが、考えが浅くなるからいけない」
言い訳にも満たない謝罪をすると、再度こちらに向き直る。手には、か細くすら見えるヤドリギの矢。ゾワリと不快感が這い上がる。体の半分――普段意識することのない自分の中を巡る神の血――が発した警告から、それが神殺しの性質を持つ矢であると自然に知れた。
「人理証明の礎となる名誉だ。光栄に思って死ぬがいい、光の御子」
キャスターの神性はランクにしてBの高さを誇った。まともに食らえば宣言の通り命に関わる。
番える動作の淀みなさに問答が無益であると悟って、キャスターは一字のルーンを刻んだ。
「――盲者の罪・太陽墜とし」
「raido……!」
解放は奇しくも同時となった。
疾走を許された矢は初速にして音速を容易く越え、光を食らってひたすらに前進する暗い先端が迫る。風切り音を置き去りに、害意なきその切っ先が目前にまで達し――。
そこで、キャスターの見る風景が切り替わった。
炎の街を前にぎりぎり静穏を保っていたはずの森は、地盤ごと燃やし尽くされ不毛の土地と化していた。当たり前だがなけなしの霊脈は死んでいる。それでも、キャスターが工房と定めた洋館はなんとか元の偉容を保っていた。
陣地全体で見ればひどい有様だが最も重要な中心部を守り抜いたのは大きい。せっせと刻み重ねたルーンは健在だった。そうでなければ今の転移も果たせなかったし、下手すればあそこで討ち取られていただろう。
とはいえ。
「振り出しに戻る――よりもまずいなこりゃあ。さあて、どうしたもんかね……」
館の外。杖を肩に担いでぼやく。
一度は当てたのだ、アーチャーがいつ狙撃を再開するかは不明だが悠長にしていれば喜々として討ち取りにくるだろう。
何にせよ、まずは引っ越しから始めなければならないようだった。
*
――第三法。あるいは、第三魔法。
現代に残る魔法の一つ。曰く、魂の物質化。
サーヴァントの降霊や受肉とは訳が違う。最初から高位存在としてある第二要素を、高位のままに現世に降ろす。外からその結果を見た時、それは完璧なる不老不死の実現として映るだろう。
本当に発動できるのかはこの際どうでもいいが、連中がこの魔法を本気で実現した場合、対象となるのは当然セイバーである。
要は、だ。
「……諦めやがったな、あの野郎」
第三法の実現。理外からの侵略者になす術なく蹂躙される人という種を見捨てて、あの騎士王だけでも炎の届かぬ超越者まで押し上げようという試みだった。
言うなればそれは種の保存。ヒトという生命があったことを証明するだけの標本。
過去にも未来にも続かない。ただの事実の固定化だ。キャスターから言わせれば、そんなものには何の価値もない。前へと進み続けたから霊長は霊長に成り得たのだ。過去と未来を切り捨てての今の存続は、無価値どころか嫌悪すら覚える。
何よりも。こうして過去の人類の英雄であるところのクー・フーリンだのアーサー王だのが意味消失せずに残っているという事実は、今もどこかに生き延びている人間がいるということを意味していた。
偶然にせよ必然にせよ、滅亡の瀬戸際で踏みとどまっている後進がいるのだ。これを見捨てただ保存のためだけにこの特異点を潰すなど、およそ英霊のなすべきことではない。
森を歩く。炎は黒い煙を吐きながらも燃え上がり続け、都市中心から離れたこの地においても明かりとして十分な光度を保っていた。熱だけはここまではたどり着かず、陰鬱な森は眼下の惨状とは無関係に冷えている。
腐葉土を蹴散らすキャスターの足取りはどこか苛立たしげだ。目的地らしい目的地もなく、亡霊のように彷徨っている。
理性的に考えれば、アーチャーが何を思って決断したのかはよくわかった。
仮にどこかで人間が生き残っていたとして。仮にその誰かがこの人類の危機を救おうと奮い立ってくれたとして。……仮に彼らが偶然にも、時空を越えて散らばった特異点に干渉できる能力を有していたとして。
それでも、すべての特異点の修復などできるわけがない。
ただの人間は、サーヴァントにすら適わないのだ。ただの個人が、修正力をもはねのけて歴史すべてを軋ませる壮大な侵略行為に太刀打ちできるはずもなかった。
つまり、状況はすでに詰んでいる。気づくのがあまりにも遅すぎた。人類はすでに敗北したのだ。
少しでも頭が回るなら同じ結論に到達する。
「――だったらなおさら、奮い立たなきゃ嘘だろうが」
呟いた声は小さく、自分の耳にすら届かない。
人間への愛。星を、人を守護する同志としての選択が、ここまで結果を違えるというもどかしさ。それに無理矢理既存の感情を当てはめるなら、怒りが最も近しい形をしていた。それだけの話だ。
根本的には、キャスターたちは争う必要はないはずだし、内輪もめをしている場合ではない。だからこそただ歯がゆい。
〝どうしてわかってくれないのか〟――すなわち、不理解への憤り。それがキャスターの足取りを荒くするものの正体だった。
キャスターはあくまで冷静だった。だから怒る自分をそこまで客観的に分析できたし、この決裂はどうやっても埋められないものであることを理解できた。
自分の正しさを証明するには、お互いがお互いを否定しあうしかないわけだ。しばしば人間を闘争の連鎖に貶めてきた、遣るせない世界の真理である。
歩くこと数刻。か細いながらも霊脈の流れを感じられる地点に到達して、キャスターはようやく足を止めた。
バーサーカーの縄張りにほど近い位置だ。魔術師の工房として適しているとは言いづらかったが、高望みできる状況ではない。妥協して結界を張り始める。
第一に優先すべきは隠蔽だ。矢避けの加護があるキャスターにはアーチャーの遠距離狙撃は致命打には成り得なかったが、逃げも隠れもできない工房は別である。汚染のない霊地はもうほとんど残されていなかった。それらを虱潰しに破壊されるだけでキャスターはいよいよ追いつめられるだろう。
準備が整うまでは雌伏に甘んじるしかない。しかしいつまでも隠れているわけにもいかなかった。聖杯を誰も使用しないままに、この歪んだ聖杯戦争を決着させる。それがキャスターの定める目標だ。いずれは討って出なければならない。
そもそも、この特異点がいつまで保たれるのか。どこかにいるらしい人間の生き残りが死に絶えれば、観測者を失ったこの冬木は自然と消失してしまう。その瞬間を迎えた時点でキャスターは敗北するし、セイバーたちにとってもそれは避けたい事態のはずだ。互いに時間制限を背負っている。優雅に籠城戦というわけにはいくまい。
では、どうするか。
「宝具を撃たれれば競り負けるが、攻め入れば間違いなく放たれる。相討ち覚悟で行くにしても、アーチャーの野郎が邪魔と来た。……人類も詰んでるが俺も中々詰んでるな。バーサーカーが動かねえだけ御の字か」
ザリザリと地面にルーンを刻みながらぼやく。セイバーの徹底した不動さは攻め手からすれば驚異の一言に尽きた。費えることのない魔力に支えられたセイバー陣営は、補給の心配のない城塞に籠もっているようなものだ。
「……待つしかねえかな。戦力差がありすぎる」
待ったところで援軍になんぞ当然期待できないわけだが。劣勢なら劣勢なりに、運が向く瞬間というのはあるものだ。
雑魚まではなんとかなったとして、やはりアーチャーを抜いてセイバーまで打倒するのは無謀が過ぎる。ほとんど不可能といってよかった。決め手に欠ける状態で無策で挑むわけにはいかない。十全な対策をして、なんらかの幸運が降ってきてようやく一分の勝機がある。
――というわけで、懐から一本の剣を取り出す。
屋根も壁もない工房というには開放的すぎる仮の住処の中央に座り込み、抜き身のそれを矯めつ眇めつ眺める。
それは数日前、アーチャーの元までキャスターを導いた剣だった。役目を果たしたあとも消え去らなかったため、その持ち主と一緒に館にまで持ち帰っていた分だ。その後破壊された元工房から更にここまで携えてきて今に至る。
アーチャーの宝具は固有結界。そこまで明かされてもなお、ヤツの真名に見当もつかない。どこか別の場所で出会ったことがあるような感傷もあったが、すべてがぼやけてとても核心にまでは至れなかった。手持ちの情報だけでは不足している中、手がかりが手元にあるのだから調べてみるしかあるまい。
〝必ず持ち主の元へ帰る〟――それはこの剣が、主人であるアーチャーとの繋がりを有していることを示していた。距離が開き、魔力と神秘のほとんどを枯渇してもなお、汚染された主の元へ馳せようと刀身は小さく震え鳴いていた。
戻ろうとする意志。これを紐解き逆行すれば、彼の真相の一端くらいは得られるだろう。アーチャーには一度魔力をくれてやった縁もある。解析なんてみみっちい真似はあまり得意ではないのだが、我が儘は言っていられまい。
手首を振るって剣を上空へ放り投げる。予め宙に描いておいたルーンを通過する度に上昇の勢いは弱まり、頂点に達したところでついに剣は静止した。重力に引かれることもなく空に固定された一振りの無骨な剣は、切っ先だけが持ち主の待つ円蔵山を指している。
「perth」
座したままそれを見上げる。キャスターの神性を宿した血色の瞳が、秘み事を暴かんと透き通った。
*
駆ける。
脚にまとわりつく衣服は祭礼・儀式のための属性を色濃く有し、邪魔だからと言って早々脱ぎ捨てるわけにもいかない。
片手に持つ杖は慣れた愛槍とは重心が違い落ち着かないが、キャスターとして喚ばれ故郷のドルイドが受けるべき信仰を得て現界を果たした以上、導き手として戦い抜くしかなかった。
己の陣地を背に街へと下る。決め手に欠いたままだと言うのに敵しかいない街へと躍り出たのは、その〝決め手〟になるかもしれない来訪者の存在を感じ取ったからであった。
土から固いコンクリートへと置き換わった地面を蹴り、揺らぎを感知した地点の近くまで到達するのはすぐだった。人影が目視できるほどの距離に迫り、しかしそれ以上は近づかず、一度ビルの屋上まで出て状況を俯瞰する。
敵か味方か。あるいはそれらにすら至れぬ端役か。接触するのは、見極めてからでも遅くはない。
人影は三つ。汚れきったマナの中にあって、正しい流れを有したままのオドは目立って見えた。全員が魔術師だ。一般人が放り込まれたわけではないか、とまずは息を吐く。
さらに、その内一つ。見覚えがあるような清廉とした気配。汚れも呪いも触れる傍から弾かれるほどの、際だって異質な気配がある。それは鎧を着て大盾を携えた魔術師であり、同時に神秘を人型にまで落とし込んだ英霊のものであった。
人でありながら英霊。それに気づくと同時に、キャスターは目を見開いた。
彼女はサーヴァントを身に宿した人間であった。霊基は虚ろながらも安定している。そして、安定したサーヴァントという存在は、それを繋ぎ止めるマスターの存在を証明していた。
――英霊召喚。
人類すべての存亡を賭けた浅瀬にわずかに残された生き残りたちが、その奇跡を単独で達成しているという、俄には信じがたい幸運。
「やりやがったな……! 誰の入れ知恵だ!」
台詞の内容とは裏腹に、唸る口元には笑みが浮かぶ。サーヴァントの持つ盾の正体を見て取って、ますます唸りは深くなった。
この終焉の訪れを予め知っていたとしか思えない、あまりにもよくできた〝偶然〟であった。やりやがる、ともう一度呟く。目の前に提示されてみればなるほどこれ以外の方法はなかったと感嘆するしかない、誰のものかは知らないがまったく見事な采配だった。
ともかく、とキャスターは頭を切り替えて興奮した己を宥める。
キャスターは第一の賭けに勝った。あるかもないかもわからない何かを待ったその結果が、最上の報酬を携えてこの冬木に降り立ったというわけだ。
まだ人類は戦える。戦う術を残している。何度見ても変わらない事実だ。誰かの足掻きと根回しが呼んだ奇跡が、〝人類最後のマスター〟という形を得てそこにあった。
「――これで弱くちゃ話になんねえぞ。まずはお手並み拝見といこうか」
屋上に留まり、文字通り高見の見物だ。
燃えさかる街並みに右往左往しながら、それでも生きようと足掻く人の輝きの久しさに、キャスターは目を細めしばらくの時間を傍観に費やした。
*
「先に行け。俺はコイツと決着をつけなきゃならんからな」
王座へ続く洞穴の前でそう送り出し、振り返らずに駆けていった年若い主従を見守る。
純真さというより未熟さばかりが目に付く二人ではあるが、一端でも宝具の力を示せるのならセイバー相手に負けることはないだろう。決め手に欠けるのが難点だが、そこはキャスターの方で補ってやればいい。
速やかにアーチャーを倒し、仮のマスターの元へと合流する。ゆっくりとしている時間はなかった。
「……なんだ、見逃してよかったのか?」
それでも会話を選んだのは、余裕というよりは好奇心に近い感情に依るものだった。
「別に。守りばかりを固めてもやつらに彼女の鎧を砕くだけの力はない。ここで君を倒せば同じことだ」
「そうかい。思ったよりも冷静だな。見捨てたはずの人類がああやって頑張ってるんだ、思うところはないもんかね」
「ハッ。君がここまで焚きつけておいたくせに、よくぞまあ導き手を気取るものだ。
仮にカルデアが人理救済のための人類最後の刃だとしても、この冬木を救う意味は全くない。訳知り顔をしておきながら、なぜそれを教えてやらない?」
呪いに浸され輪郭すら黒く煙らせていても、眼差しに籠もる意志の強さだけは変わらない。
強い怒気とわずかな軽蔑。それをキャスターは真っ正面から受けた上で笑い飛ばした。
「無意味だからという理由だけでこの街を見捨てられるようなやつは、どうせこの先耐えられまい。ここが最初の特異点らしいからな、旅の始まりにケチをつけてやることもねえだろうよ」
「……くだらん。そんな些事だけで、我々を邪魔しようとは底が知れるぞ、キャスター」
吐き捨てるように言う。それを、キャスターは依然、どこか面白がるような眼差しで見ていた。
セイバーしかり、アーチャーしかり。反転し汚染されたとしても、根本までの大馬鹿野郎は早々変わらないものなのだろう。馬鹿につける薬はないとか、馬鹿は死んでも治らないだとか、まあうまいこと言ったものだ。
「やつらが人々を救うために最後まで戦いたいというなら結構なことだ、勝手にやればいい。その足掻きが無駄に終わったときに備えて、こちらは保険をかけさせてもらうだけだ。
私たちの方針は本来敵対しない。あとは君さえ死ねば、すべてが丸く収まるんだ。――まさか自分の命惜しさに、彼らに情報を出し渋ったわけではあるまいな?」
「ンなわけねえだろ。ただ俺はお前たちのやり方が気にくわないだけだ」
どちらに正義があるのか。おそらくキャスターもアーチャーも、自らに正義があるとは口が裂けても言うまい。
私心を殺して全体に仕えることに正義を見いだすならそれもよかったし、感情に従い個人を支えることに正義を見いだすならそれでもよかった。
「聖杯を使えばこの特異点は正史として固定される。なんの価値があるかはわからんが、敵の狙いはまさにそれだろう。そうなれば〝冬木の街は焼け落ちた〟という結果は絶対に覆せない歴史として定着するぞ」
「構うまい。この街の人口は多く見積もっても精々数百万人。それで人理の全焼を防げるのなら犠牲としては軽すぎる」
さらりと告げるアーチャーにキャスターは歯を剥いた。獣の威嚇にも似た表情だった。
畢竟、正義の在処などどうだっていい。そんなものは他人が勝手に決めればいい。はっきりと言えば、人類の存亡すらも、今のキャスターにはどうだっていいことだった。
この瞬間確かなのは、キャスターとアーチャーとはどうあったって相容れないこと。眼前の敵を屈服させることのみが、自らの主張を通すための手段であるということだけであった。
「気に食わねえな、ここはテメエの郷里だろうが。意地張ってでも守れよ、愚か者」
挑発のように言ったキャスターに、アーチャーは一瞬無防備に目を丸くした。
「ばかな。なぜ君がそれを――」
完全に不意をつかれたというような忘失。
しかしそれもわずかな時間で、すぐに元のように眦を上げて怒気を顕わにする。
「……そうか。盗み見たな、クー・フーリン!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ、お前の脇が甘いだけだろうが」
「黙れ! キャスターというのはどいつもこいつも躾の悪い……!」
過剰にも思える反応を見せたアーチャーは、ついにその手に剣を呼び出した。
「裸に剥かれた生娘じゃああるまいし、真名一つで喚くなよ、坊主!」
笑ったキャスターも呼応して吼えた。
やはりまだっるこしい対話など俺たちには似合わない、と高揚した気分のまま杖を構える。
合図などない。しかし黙してにらみ合う二人の足下深くから轟いた邪竜の息吹がその代わりとなった。
「ansuz!」
炎が走る。開幕と同時に放たれたそれは、様子見などではなく最初から全力だった。四方に加えて更に頭上、全方位から迫る熱にアーチャーの姿がかき消える。
無論これだけでは仕留められまい。飛び出てくるのを予想してさらにキャスターは前面に次撃を待機させたが、炎が晴れたあとに見えたのは高熱に一部が硝子化し赤く脈打つ地面のみであった。
アーチャーは元々白兵戦を好む性質だ。魔術師を相手にする今はなおさらそうだろう。しかしその想定に反して、男の姿は遠く背後、柳洞寺の屋根上にあった。
珍しい。しかし遠距離戦がお望みなら乗ってやる、と振り返ったキャスターは杖の持つ右手と空いた左手双方でルーンを綴ろうとした。
だが、
「――体は剣でできている」
風に乗ってわずかに届いてきた詠唱と、チリと肌を刺す魔術の前兆に手を止める。
長い詠唱はなおも続く。それは男が大規模な魔術を行使しようとしていることの証拠でもあった。
――アーチャークラスが距離を取り、しかし矢を番えずして放つ大魔術。
自然、何をしたいのかは予想がつく。キャスターは、彼の宝具が何であるかをすでに知っていたからだ。
切り札であり、生涯の象徴。英雄を英雄たらしめるもの。それは時に神を殺し、大地を割り、海を干上がらせてきた武具の数々。
止めるべきであった。キャスターが、確実な勝利だけを望むのなら。
しかしそうせずに――むしろ楽しげに笑って――キャスターは魔術の発動までを大人しく見届けた。
「律儀な野郎だ」
固有結界、無限の剣製。それはいつかの日、キャスターが協力の返礼にと強請ったものであった。
長い詠唱が終わる。地を這う火円が音も熱もなく広がる。それはまもなくキャスターの元にまで到達し、彼の青髪を撫できった後、世界はうつくしく反転した。
*
「……余裕のつもりか? まさか抵抗もしないとはな」
見渡す限りに生命の気配はなく、感情も意志も有さない剣群だけが不毛な荒野を彩って見せている。夕焼けにも似た空には、しかし懐郷を拒むかのように空転する巨大な歯車が架かっていた。その隙間を縫って伝い落ち黒い水溜まりを所々に作るのは、男を蝕む呪いだろうか。
ぐるりとそれらを物珍しげに見渡して、ようやくキャスターは不愉快そうに鼻を鳴らす男の方へと向き直った。
「直々にご招待いただいたんだ。突っ返すわけにもいかないだろう?」
「減らず口を……。碌な魔力も持たない身でよくぞ吠える」
「おかげさまでこっちにはマスター様がついているんでね。泥まみれで洗ってももらえない哀れな野良犬に比べれば、よっぽど自由に戦えるってもんだ」
「犬、犬と故郷のお仲間が恋しくなったか? そんなに同属に会いたいのなら、今すぐにでも冥府に送ってやる」
言うが早いか、双剣の片割れを握ったままの右手が掲げられる。付き従うように、地に刺さった剣の数々が逆戻しに宙に浮かび、切っ先をこちらに向けてアーチャーの背後に並んだ。
「冥界の番犬相手に体一つじゃ足りるまい。抵抗しなければ、きちんと三つにわけてやるさ――!」
振り下ろす。
矢の如く襲いかかる無数の剣の先陣を切るように、姿勢を低くしたアーチャーがキャスターへと突っ込んできた。
この敵の驚異的なところは、やはり強固な自我であろう。
固有結界の中にあっても時にぬかるみキャスターの足場を制限する黒い泥は、そのままアーチャーが被っている汚染の度合いを物語る。
結界を維持し、高度な剣を作れば作るほど魔力の需要は増し、アーチャーの受ける聖杯からの汚染はひどくなっていた。この乾いた剣の丘も、戦う内に少しずつ黒い沼地へと姿を変えていっている。
あいにくキャスターは己の心象風景などお目にかかったことはないが、掠るだけでも身の毛のよだつこの汚濁が、心象そのものをこれほど汚していると想像するだけで背筋が凍る。この世すべてに呪いあれという純粋無垢な原初の欲求は、星と人間の守護者である英霊の根幹をたちまちに揺らがし塗りつぶすものだ。同じ量の呪いをキャスターが被れば、とっくに自我など失われていたに違いない。
アーチャーは以前『汚れ仕事には慣れている』という風なことを言っていたが、それだけでは片づけられまい。仮にこの汚染を受けても何も変わらない英霊がいたとして、それは常日頃から『この世すべてに呪いあれ』と願っているような破綻者か、あるいは超弩級の我の強さを有する者だけだ。アーチャーは当然、後者だろう。言動がやや乱暴なのはさすがに呪いの影響が出ているのだろうが、それにしたって大したものだった。
キャスターは素直に感心したし、少しの感謝すらあったかもしれない。なにせ、冬木が焼け落ちてからは久しくなかった理性ある敵との殺し合いだ。少しの隙も許されないヒリつくように身を焦がすこの感覚は、獣に落ちた汚染英霊との戦闘では味わえない極上の美酒であった。
射出された剣を受け止めた勢いそのままに後方へ弾き飛ばされる。身動きのとれない宙にいるキャスターめがけてさらに追撃が前後を挟んでくるのを、虚空に浮かべた足場兼盾の結界を蹴って回避する。拍子に上下反転したキャスターの頭上、すなわち地面から、今度は間髪入れずに巨大な鉾が突き上げてきた。強化した腕力と杖で押し出すように、超質量をなんとか受け流す。更に上へと打ち上げられた体に一度ルーンを描いて、遠く離れた地面へと無理矢理転移させた。
左右に頭上、どころか今まさに足場とする地面すらもが敵の認識の中にある異常事態。大きな怪物の胃の中に捕らわれたような感覚だった。アーチャー側の攻撃はほとんどロスなく発生するのに、こちらのルーン魔術は一つ刻むだけでも尋常ではなく魔力を食われる。敵の陣地ど真ん中にいるみたいだ。いや、これが魔術であり男が魔術師である以上は、ここは正しく魔術師として最上級の陣地の中であろう。
まさに息つく暇もない。今もまた、無理な転移で平衡を失いかけたキャスターに向けて、双剣を手にしたアーチャーが襲いかかってきた。杖を振るって応戦するが、一瞬でも鍔競りあえば周囲に腐るほどある剣がキャスターを串刺しにしようと向かってくる。となると筋力で劣るというのに近接戦闘でも劣勢に立つわけにもいかず、限られた魔力を筋力強化に割かざるを得なくなる。
それでもここまで一撃も食らっていないのはクー・フーリンの実力だった。まあ神性特効だの男性特効だの食らうと洒落にならないものばかり差し向けられるので一撃も食らえないというのが実際のところであるのだが、魔力の残量を加味したとしてもキャスターは一昼夜でも戦い続けられる自信があった。
――一方で、このままでは攻勢に出られないのもまた事実。
いわゆる千日手。そしてそうなるとより有利なのはアーチャーの方だった。今も聖杯を巡って争っているであろうセイバーとマスターたちの戦闘は、どう贔屓目にみたところでセイバーに分があるからだ。マシュが正しく憑依英霊の真価を発揮できれば実のところセイバーは一番負けがない相手であるのだが、戦った経験のないまるっきりの素人が、あの聖剣を真正面から受けて折れずにいられるのはそう長くないだろう。
故に攻め続けるアーチャーに焦燥の色はなく。
しかしキャスターにもまた、焦る様子は微塵もなかった。
「さすがにしぶとい――!」
余裕すら見て取れるキャスターに苛立たしげに舌を打ったアーチャーが、強化によるブーストで自分を凌駕するキャスターの馬鹿力を嫌って再度間合いを開き直した。キャスターも無理には追わない。筋力強化は永続的なものではなく、こういう隙を使ってかけ直さなければならないからだ。
「薄情なものだな、キャスター! のんびりと戦いを楽しんでいる暇はあるまい。君の手助けがなければ、あんな半端な英霊ではすぐにセイバーの宝具の前に塵になるぞ!」
進展のない攻防に先に痺れを切らしたのか、アーチャーが攻めの手は緩めないまま口火を切った。差し向けられる切っ先を杖で払い、叩き落とし、時にはイチイの枝葉で絡み取りながら応戦するキャスターもそれに答える。
「ここであっけなく脱落するならそれまでってことだ! 人理すべてを負って立つんだ、これくらいは耐えてもらわなきゃなあっ!」
「これくらいとは言ってくれる。魔力は十分、修正力による排除も受けない今、この固有結界は永劫君を捕らえる牢獄と化している。早々抜けると思うなよ……!」
この男は誇りを重んじる性質ではないが、しかし正しい自負はあろう。
それはハッタリでもなく事実であった。今キャスターとアーチャーの戦場となっている固有結界は限りなく安定しており、打破をするのは困難だ。中に仕舞い込まれたキャスターがこれを破るには術者であるアーチャーを倒すくらいしかないが、周辺世界すべてが敵となる今、それも容易なことではない。
ここにあるのが剣一辺倒であれば博打に出てもよかったが、防具や盾といった類も存在することを記録を覗き見たキャスターは知っている。
短慮に大技に出ても、対界宝具でもない限りアーチャーは防ぎきるだろう。ゲイ・ボルクがあればあるいは別の攻め方もあったが、考えるだけ詮無いことだ。
なるほど隙がない。時間稼ぎにはこれ以上ない能力であろう。セイバーか番犬よろしくこいつをここに配置した理由もよくわかる。
だが、やはりキャスターの余裕は崩れなかった。その不可解を解そうとアーチャーはいくつか挑発を投げてよこしてきたが、そこまで親切に教えてやる義理はない。
そうして、どれくらい経ったころか。
時間にしてはそれほどのことではなかったはずだが、応酬は優に百を越えていた。どちらの技量が不足していても、とっくに決着はついていただけの必殺が行き交った挙げ句の、その時。
「――――!」
世界が揺らいだ。正確には、その外側が。
固有結界の外側。それはすなわち、置き去りにされた現実世界そのものであった。覚えのある、反転してなお人を引きつけて止まない星の剣。神秘の終わりの時代を守り抜いた黄金剣。
約束された勝利の剣。
星の息吹そのもの。余波により崩れ落ちる周囲を省みない暴君の刃は、しかしどこまでも純粋な祈りそのものである。
文字通り世界を隔てたこの固有結界にまで届く嵐。満ち満ちた杯を飲み干さんとするほどの暴食は、魔力の供給元を同じくするアーチャーへの配慮などなく存分に魔力を食らって解放された。
それはマシュ・キリエライト最初の試練の時であり、キャスターが待ち望んだ瞬間であった。
「ようやくか! 耐えてくれよ嬢ちゃん――!」
主人であるセイバーが宝具を振るう今、飽くほどの魔力に支えられていたアーチャーの固有結界はほんのわずかな綻びを見せる。
キャスターは叫んだ勢いそのままに、残り二つしかない虎の子のルーン石の一つを解放し、周囲の煩わしい攻撃すべてを一時追い払った。半径にして一メートルほどしかない、しかし邪魔の入らない絶対領域を確保する。
アーチャーは勝負に出たキャスターに警戒する素振りを見せたが、キャスターを守る球状結界を打破しようと冷静に剣群を差し向けてくる。こういうところは未だに嫌になるほど冷静だ。この調子では、折角の結界も数十秒ほどしか保たないだろう。
――だが、それで十分だった。
「さあて、大仕掛けだ」
唱える。術者の呼びかけに応え、あらかじめ刻まれてたルーンすべてが燐光を放ちキャスターの周りをゆっくりと回り出す。
黒く塗れて色のないこの世界において、それは一見あまりにも弱々しい光であった。
「無駄だ。ここは決して中から破られることはない!」
キャスターの足掻きを見たアーチャーが勇ましく吠える。それは一面的には事実であった。確かにキャスターには、固有結界を中から突破する術はない。
「ランサーの俺はルーンなんざ面倒で使わないからな。お前は本物のルーン魔術を見る機会もなかっただろう」
語りかけるように言う。それは魔術師としての側面を切り取られたキャスターだからこそ持ち得た、一つの到達者たるアーチャーに向けての敬意の現れだったかもしれない。
アーチャーはキャスターの言葉を戯言と見たのか、何も答えず攻撃の手を強めた。
キャスターはその傲慢を笑わなかった。キャスターが魔術師だからこそ、これが早々破られるような柔な魔術でないことはよくわかる。
――だが、情報が氾濫する現代を生きた英霊には想像もできまい。
古代、人々が言葉だけを有していた時代。文字という概念を、まだ獲得していなかったころ。
人の意志・言葉というのは、すべてが刹那に費える貴重品であった。声は万里を越えられず、思いは時が過ぎれば風化していく。ゆえに文字とは――あらゆる意志、思いを表し、保存し、固定するための概念とは、人々からすれば魔法そのものと見なされた。
それは革命的な術理であった。文字の出現によって初めて、人の意志は距離と時間という軛から解き放たれるようになったのだ。
よって、文字の操り手が限られていた古代。民衆がまだ思いを遠く離れた未来の誰かに届ける術を持たなかった時代において、ルーンの使い手とは、時と空間の超越者として君臨した。
「過去を今に、今を未来に、刹那を永遠に、永劫を瞬間に。流転と固定、相反を両立する神秘こそがルーンの深奥」
ゆえに。
空間が断絶し、時の流れからも隔離された、究極の孤立空間。大禁術・固有結界。
その中から発せられたキャスターの号令は、しかし永劫彼方に分かたれたはずの現実の柳洞寺にまで到達した。
キャスターとアーチャー、どちらにも観測できない無人の境内で静かに、しかし鮮やかにいくつもの記号が浮かび上がる。
それは、アーチャーの要望に応えて大立ち回りを演じた際に打った布石であった。セイバーの本拠地に、離脱を前提で攻め入ったときのものだ。いずれ必ず来る再戦に訪れるとわかって、何の備えをしないほどキャスターは愚かではない。
励起する。刻まれた文字は実に十七。
ルーンの使い手という称号は、時間と万里を越えるものとしての信仰によって支えられ、魔法に等しい固有結界すらをも突破せよとキャスターの背中を押す。
「汚染されてるのがつくづく惜しい。……が、いいもん見させてもらったぜ。これは返礼だ、アーチャー。スカサハ直伝・ルーン魔術の神髄ってやつを見せてやる」
キャスターが掲げた杖の先、最後の一字が刻まれる。
――アーチャーの見立ては正しい。固有結界は発動したが最後、魔力の供給が続く限りは中からの打破は困難だ。
ゆえに、外から。世界を反転させる傲慢なる大禁呪を、真正面から打ち破る。
「sowelu」
号令刹那、暴風が吹き荒れる。世界は色彩を失い、白と黒にのみ分けられる。
術理の外からアーチャーの心象を食い荒らすためにもたらされたルーンは、結界の中ではあまねくを照らす太陽として表出した。
「……馬鹿な。これほどの魔術を、一小節で、しかも結界の外からだなんて――」
呆然としたアーチャーの呟きも長くは続かない。
具現化した灼熱の海。呼吸すら戸惑われるほどの熱波。
直視はおろか、赤土に照り返す反射光ですら、耐え難いほど網膜を焼く。
それは正しく神の偉業。偽りとはいえ、天体創世という望外の奇跡。
剣の丘の空を覆い尽くさんとするほど巨大な燃え盛る球体。その絶対的超大質量に、見上げるアーチャーは声もなく息を呑んだ。
「おらよ。お望み通りの太陽墜としだ――、」
驚嘆そのものといったアーチャーの態度に、悪戯の成功した悪ガキのような顔で笑う。キャスターは、頭上に掲げた魔術の規模とは全く不釣り合いに軽く言った。
「防げるもんなら防いでみやがれ!」
浮かべられた天体ごと、杖が振り下ろされる。
世界そのものが悲鳴を上げる。アーチャーが苦悶の表情を浮かべ、それでも応戦しようと剣を取るのが見えた。
キャスターとて態度ほどの余裕はない。一世一代の大博打だ、宝具以上に魔力を持っていかれている。これで仕留め損ねれば次はない。それでも、だからこそ笑った。これほどの魔術師を、正面から打倒するのだという高揚だけを自覚した。それはどうあっても切り離せない、命の賭けあいこそを愛するクー・フーリンとしての習性であった。
墜ちる太陽はあらゆるを燃やし、溶かし、吹き飛ばして万象を平らへ均していく。空を覆う黒煙に似た雲も、許しの時まで稼働し続ける歯車も、その隙間を伝い下りる汚らわしい泥も、すべてに例外はなかった。
もはやキャスターの制御すら離れた暴力が、たった一人めがけて墜落していく。
それを見届けるために目を凝らしたキャスターも、膨大な光量にかき消された男の輪郭を捉え続けることはかなわず――。
派手に立ち回ったくせに、帰還した現実の柳洞寺には傷の一つも残されていなかった。装束を溶かし肌を焦がしたアーチャーの姿が滑稽に思えるほどの静けさが満ちている。
「――なさけないな。槍のない君に、これだけの魔力があってなお勝てないとは……」
仰向けに倒れる男は虫の息で、このまま放っても一分と持たず消え去るだろう。ひび割れた体からは漏れたエーテルが粒子として舞っていたが、それよりも圧倒的に多く流れ出る黒い泥から汚染のほどが察せられる。
アーチャーの横に立ちそれを見下ろすキャスターは、捨て置いて先を急ぐべきところで今暫し留まる愚行を自分に許した。もう何も見えていないだろう男の灰色の瞳を見つめながらしゃがみ込む。
「その状態じゃ無理もない。俺にしては珍しく運が良かっただけさね」
本心だった。仮にキャスターとアーチャーの立ち位置が逆だったら、キャスターはセイバーが暴れ出した直後には敗退していたことだろう。
「……ああ、たしかに。今回の君は、幸運でもあったな……。まさかカルデアが、マスターをまもりぬいていたとは……」
アーチャーはこぼれ落ちていく自身に頓着せず、静かな、しかし万感の思いを込めたであろう声を震わせた。
「……マスター、マスターか。……セイバー、今度こそオレは――」
「…………」
その様子にキャスターは開きかけた口を閉ざす。言葉を送ったところでもう届くまい。黙ったまま、kanoの字をアーチャーに授けた。
「もう消えろ。あとは俺たちでやっておく」
油に灯した火のように、黒く満ちたものから順に燃やして灯火が広がる。冬木を殺し尽くした炎とも、男を敗退せしめた苛烈な太陽なものとも違う、人を守護し闇を払うための篝火であった。
上昇する火の赤に沿って、アーチャーからこぼれる燐光が黒ずんだ空へと消えていく。その最期を見届けることはせずに、キャスターはようやく最後のマスターとそのサーヴァントを手助けするために立ち上がった。アーチャーを置き去りに、騎士王の元へと足を向ける。
「……ああ、任せるよ。ありがとう、キャスター」
ローブを翻して駆け出した背を男の声が最後に呼んだが、振り返ることはしなかった。
――後のことは、今更ここで語るまい。
かくして冬木の聖杯は未完のまま終わり、マスターとその仲間たちの長い旅が始まった。
やがてその旅も出会いと別れの末に終結する。僅かな犠牲と引き換えに。