“格下”がものを言うのは誹謗中傷~21世紀の『言論の自由』論
言論と立ち位置の関係について。開示請求の仮処分を受けた者が見る、21世紀の言論の自由。
名誉毀損は言ったもの勝ち
誹謗中傷は法的には大別して名誉毀損と侮辱があり、それぞれ定義が異なる。しかし他者を悪く言う点は共通していることから、悪口全般を名誉毀損扱いするのが実状だ。また、名誉毀損は内容の真偽を問わないので、『○○は詐欺に加担している』も『○○は宇宙人に掠われて機械を埋め込まれた』も等しく名誉毀損だ。突拍子もない内容だろうとそれが悪口と捉えられたら名誉毀損になる。
また、言われた側の解釈次第で罪の有無が決まる点も注意しなければならない。言った側が褒め言葉や挨拶で話しかけても、聞いた側がそれに対して悪口と認識して告発したら晴れて被告人→犯人の仲間入りだ。『こんにちは』と言ったら『あいつに挨拶された、屈辱だ』と言われて名誉毀損の犯人にされる可能性は否定できない。現代社会は文字通り『口は災いの元』である。
『私はいいけどお前はだめ』
ネットにおける誹謗中傷の“被害者”は有名無名様々だが、『社会的強者』の割合が高い。有名人の場合は古い言い回しである“有名税”があり、特に名誉毀損の被害に遭いやすいとされる。
しかしここで批判と名誉毀損の境目という問題が生じる。作家の新作が面白くない、歌手が音痴で聞くに堪えない。これらの感覚も現在は文字に起こしたり口に出したら立派な誹謗中傷、名誉毀損だ。逆に面白い、素晴らしい歌声だと褒めても侮辱扱いされる可能性はある。
『底辺の素人風情が上から目線でモノを言うのは身の程知らず。私はこの侮辱的仕打ちにひどく傷ついた』との言い分から誹謗中傷にされてしまう、というわけだ。
言いがかりにも思えるが何が悪口で何が褒め言葉かを判断するのは聞く側の勝手であり、褒め言葉であっても言った側の文脈や意図、社会的地位などから誹謗中傷と見なされることがある。草野球の万年補欠が大リーガーに対して『あの選手は実力がある。オレが保証してやる』と言えば誹謗中傷と見なされるおそれがある。この文章に明確な悪口は無いが、言った側の立ち位置が問題になるからだ。
言われた側からすれば“お前ごときがオレにとやかく言うな”とのことであり、その物言いが言われた側のプライドをいたく傷つけたのである。あらゆる言葉は立ち位置次第で誹謗中傷になる。
弱男(チー牛)に発言権は無い
開示請求されたネットの誹謗中傷犯は40代から50代の貧困層が多数とされている。また、10代から20代の若年層もいるがその大半は非モテの童貞チー牛、いわゆる弱男だ。社会の負け組と蔑まれる底辺がネットでは加害者という、被害者から見れば暴力的な強者に変換されるのはなんとも皮肉な構図だ。
リアルで底辺だからネットでイキがると断ずるのは容易いし、事実ではある。だが何故そのようになったのかまでを熟慮する例はあまり無い。
先述した『草野球の補欠が大リーガーに物申す』を市民感覚で解釈すると
『弱男(チー牛)が他人に何か言うのは身の程知らず』になる。
弱男(チー牛)はかつてはオタク、さらに昔はネクラなどと称されて常に人非人の如く扱われた。弱男は現代社会の忘八(ぼうはち)であり畜生道の亡者である。姿形こそ人間だが中身ははるかに劣る、性欲しか持ち合わせていない下等生物。容姿もキモいからいくらでも虐げて良いとの評価であり、むしろ虐げないと反社会的と非難されるくらいの風潮だ。
弱男(チー牛)は基本的に何を言おうとまともに相手にされない。弱男(チー牛)は愚劣で無能なうえに学習能力が無いから、口から漏れる言葉に何の意味も持たないとの定説があるからだ。
そのような輩に何かを言われること自体が重大な人権侵害であり、絶対にあってはならないとというのが21世紀の倫理であり良識である。特に経済や社会的地位などの格差が広まっている今日は金持ちや権力者などの強者の価値観や倫理観が正義になる。そのような社会に弱男(チー牛)の居場所などあろうはずは無いし、声が他者に届くことも無い。
また、チー牛はキモいので話しかけられたり視界に入ったらそれが卑劣な暴力と見なされることもある。たまに起こる性加害系のトラブルで弱男ばかり逮捕されているのはこれが原因だ。女にとってチー牛は居るだけで害悪である。昨今急増しているネット上での誹謗中傷に対する開示請求の多数はこれだ。
『弱男(チー牛)とかいう格下なんかが私に意見するな』
という脅しに周りの弱男(チー牛)への見せしめを兼ねている。
リアルで居場所が無い弱男(チー牛)はネットにも居場所が無いし、口を開くことすら許されない。キモいから。
終


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